昨夜(28日)、菅首相が記者会見をするというので、テレビのスイッチを入れっぱなしにしていた。

ところが、最近、深夜まで起きて睡眠時間が不規則になってしまっていること、夕食時に清酒(水芭蕉という銘柄)を少々飲んでしまったこと、テレビの前でベッドに横たわりながら見ていたこと等が重なって、気が付いたら寝てしまっていた。
(しかも、チャンネルは『政府の記者会見専用チャンネル』のNHK総合テレビでなく別のチャンネルのままだった。)

気が付くと、午後8時10何分かになっていた。
あわてて、NHK総合テレビにチャンネルを回すと、菅首相は『記者会見冒頭』のいつもの、演説らしき部分を終えようとしているところだった。

妙に、力を込めて、自分が『コロナとの闘い』の先頭にたつ、『断固、最後まで妥協せず戦う』みたいな調子で、力を込めている。



これらは、NHKの9時の報道番組で改めて、『きれいに編集された形』で流されていた映像。


演説が下手だ、下手だと言われ続けてきた菅首相。
(それにしても、横浜市の中心部の選挙区で何年も衆議院議員を続けてきて、なぜ『かくも、演説がへたくそなのか?』がよく理解できない。)

それでも、首相としての『記者会見』を何度も聞かされていると、それなりにこちらもそれに『慣らされてしまう』ので不思議なものだ。


演説の都度、言葉につまる(特に、『答弁』の部分で。しかも『何を質問するのか』質問者が細かく事前に教えてくれないような場合、特に何度も言葉につまっている)のも日常茶飯事と化してしまった。

(もちろん、こんな記者会見など、最近の若い世代はほとんど見ないのだろう。
仮に、ちらっと見たとしても、それはNHKなどが『きれいに編集したもの』である場合が、ほとんどだろう。
『若い世代』の人のなかには、今、東京で『緊急事態宣言』という状態にあることを知らない人も多いようだ。)


これは、NHKの9時の報道番組のなかで、お笑いタレントの『りんたろー』という人が、尾身会長を相手に言っていたこと。

(それも、無理のないことだと思う。
なぜなら、首都圏で東京以外の周辺県は、『まん延防止緊急措置』=通称『マンボウ』という状態にあるが、正直言って、『緊急事態宣言』と『マンボウ』と何がどう違うのか、はっきりしない。
それに、『緊急事態宣言』などと言いながら、意外と『ぬるい』ところもあって、何が『緊急事態』なのか、名称と実態が遊離している。)


昨夜、『記者会見』を見ていて感じたのは、菅首相がいよいよ、『質問されたことに答えない』という姿勢を明確にしていることである。

質問者(記者たち)のなかには、『なぜ、現下の状況でオリ・パラを強行するのか?』『オリ・パラは新型コロナを克服した証として開催するのだ、と言ってきたではないか?』『ちっとも克服していないではないか?』『今の状況で、五大陸から選手等を集めて、オリ・パラを開催すれば、ただ新型コロナの感染を拡大するだけではないのか』等と追及する者が多い。

ところが、菅首相は、『オリ・パラの開催は前提として考える』(『開催しない』という選択肢は考えられない)といった態度である。
そして、非常に高飛車な態度で、まるで『オリ・パラを開催すること』が『新型コロナと戦うこと』であり、それに疑問を呈する者は『非国民である』と言わんばかりの口調で『答弁する』。

これを見ていると、『まるで戦前=戦中ではないか』という気がしてくる。
『オリ・パラを開催すること』は、大日本帝国が聖戦を完遂することと同じような話にされてしまっている。

そして、NHKも大手メディアも、オリンピックの公式スポンサーになってしまっており、大っぴらに『オリ・パラの開催反対』と言いにくい状況に追い込まれている。

そうしたなかで、『朝日新聞』は社説で、『夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める』という主張を5月26日付で掲げ始めた。


また、それに対して、『読売新聞』は『東京五輪 開催へ感染防止策を徹底せよ』という社説を掲げる(27日)。
(意外と短い文章である。)

『産経新聞』に至っては、『東京五輪 開催の努力あきらめるな 菅首相は大会の意義を語れ』とさらに強気である(28日)。
(販売競争で敗北しつつあるだけに、より『強硬姿勢』を売りにして、商品としての差別化をはかりたいという思惑だろう。)



話が厄介なのは、現在、IOCなる組織が、『オリ・パラの開催は当然だ』という圧力をかけてきていることである。

『朝日新聞』の先の社説でも、<驚くべき発言があった。国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ副会長が先週、宣言下でも五輪は開けるとの認識を会見で述べた。
だが、ただ競技が無事成立すればよいという話ではない。国民の感覚とのずれは明らかで、明確な根拠を示さないまま「イエス」と言い切るその様子は、IOCの独善的な体質を改めて印象づける形となった。>と書いている。

しかも、そのように言いながら、IOCのバッハ会長は、さっぱり日本に来ようとはしない。
(自分自身の健康のほうが心配なのかもしれない。)


このような空気のなかで、日本の国民は、『どうせ反対しても、政府はやる気だ』と半分、あきらめの雰囲気が漂い始めている。

また、今回のオリンピックはなかなか興味深い構図になっていて、フランスのマクロン大統領なども、オリ・パラの開催に積極的である(これは、2024年?、つまり東京の次に『パリ大会』が予定されているからだろうか?)。

さらに、今や、何かと問題を引き起こす震源地になってしまいつつある中国も、オリ・パラの開催に積極的のようだ。
(こちらも、北京の冬季オリンピック・パラリンピックが『中止の波』をかぶってはならないという気があるからだろう。)


ともかく、今回の『オリ・パラ強行』は、政府が『やると言ったこと』は断固やるのだという強い姿勢を日本国民に印象付け、『泣く子と地頭には勝てない』と日本国民を飼育?する計画みたいになってしまっているように感じてならない。

日本人は、このまま『飼育されきった国民』と化してしまうのだろうか?