どうなるかと注目がされていた、大学入試の新共通テストで、英語の民間検定試験(スピーキングを含む)を利用するという問題、本日(1日)午前、『延期』が発表された。
 

例によって、NHKが『大本営発表』の役割を担っている。
閣議の後の記者会見で『来年度からの実施を明らかにしたうえで、試験の仕組みを抜本的に見直し、5年後の令和6年度の実施に向けて、改めて検討する考え』を示したと報じている。
『文部科学大臣の下に新たに検討会議を設置し、今後1年を目途に結論を出す』と述べたともいう。
 

また、菅官房長官は、『今回の見送りは現在までの準備状況を踏まえて自信を持って受験生の皆さんにおすすめできないと文部科学大臣が判断したものだが、受験生のことを第一に考えながら今回の対応を丁寧に説明するとともに、今後の大学入試における英語の評価の在り方をしっかりと対応してもらいたい』と述べたという。
 
 
NHKのニュースでは、必ずしもこのネットの記述ほど細かく説明していなかったような気もするが、ともかく、これまでと『手のひらを返す』ような対応(つまり、何日間かで全く、態度を変えてしまった)であることは事実だろう。
(萩生田大臣の話は、あの極めて、率直なトーンの『BSフジ』のニュース番組での語り口と、全く異なる内容をしゃあしゃあと述べている。)
 
 
なぜ、このようなことになったのか?
 
それは、萩生田大臣が『身の丈』試験などと、あまりにもぴったりのキャッチフレーズを考え出してくれ、この試験の仕組みの問題点が、一挙に拡大してしまったために他ならない。

一部の高校生が勇気をもって動き出したこともあって、『受験生』やその親たちの不安、とまどいが一挙に表に出てきた。
そして、この制度導入のバックとなっている『中教審答申』や『新学習指導要領』の問題点、現実の中学生、高校生の状況(小学生にまで英語教育は課せられつつある。ところが教える体制が、ほとんど出来ていないという指摘がなされている)、そういったものの『矛盾』、姿が浮かび上がりつつある。
 
しかし、なかには、こんな声もある。
 
『週刊ニューズウイーク・日本語版』という全く日本人向けに、全面的に編集し直された雑誌に掲載された、アメリカ在住の日本人作家の文章である。
 
この人は、村上龍氏が主宰する『JMM』というメルマガにも、定期的に連載を持っており、一時期までは、私も愛読していたものである。
(しかし、この人は、2016年のあのトランプ大統領の選挙での勝利は、全く予想できていなかった。それは、彼が、ニューヨークやニュージャージーの『文化人?』が言っていることしか視野に入っていなかったためだと私は思っている。
ところが、最近では、その主張はさらにもうひとひねりしているようだ。)
 
今回は、この人は、日本の『英語教育』について書いていて、『民間英語試験』の導入が遅れれば、それは日本で、改革が一向に進まないという問題と同一である、というようなことを主張している。
たしかに、日本で仮に相変わらずの『文法重視教育』ばかり行われているのであれば、その指摘は正しいのかもしれない。
 

だが、私は、最近、この鳥飼玖美子さんの書かれた『英語教育の危機』(ちくま新書、2018年)を読みかけているのだけど、この本によると『現場の状況』は(ひと昔前までとは)全く異なっているそうだ。
(そこには、驚くべきことが書かれている。)
 
小学校でも、体制のできていないままに、『英語活動』(英語を使って歌ったりゲームをする)を導入し、今度は、『英語教育』を小学校5年以降課そうとしている(小学校3年生から『英語活動』、5年からは教科としての『英語』教育になるのだという)。
しかも、『英語教育』のための基礎的準備(例えば『音声指導』の訓練)もロクに出来ていない教師たちがそのために動員されている。

その結果、『教える側も自信がない』『発音なども、本格的に教えたことがない教師が多数』というなかで、生徒たちには、『消化不良』が当然生じていて、今度は、従来、中学校で教えていた『単語学習』の一部を、小学校に移し始めたから、早くも小学校の段階から、『英語嫌い』がどんどん生まれつつあるという。
 
 
これは全く悲劇としか言いようがない。
さらに、今回の『英語民間試験』には、さまざまな未解決な問題が山積みしている。
 
このような問題について、先ほどの冷泉さんはご存知なのかというと、恐らくご存知ないのではと(勝手に)思う。
何故なら、彼は『英語教育』の専門家ではないし、日本において、どのような『英語教育』が行われていて、どのような問題点に直面しているのか、余りご存知ないのではと推測する(これは、この人の経歴等からの推測である)。
 
そして、単に、ステレオタイプ的に『改革がいつまでも進まないのが、日本の問題』などという(どこかで聞いたような)主張を繰り返している。

これは、ある意味で、一層の『悲劇』である。
問題なのは、『改革一般』ではなく、『ピント』がずれていて、しかも『改革を実行するための手立ても何もなしに、進められているような改革』である。
(『改革』ではなく、『砂上の楼閣』なのである。)
 
そのことは、逆に(安倍首相を支持しているはずの)『保守層』のなかでも疑問として、浮上してきている。
だからこそ、安倍政権はあわてて『火消し』に回ったのであろう。
 
 
台湾からNHKのニュースを見ていると、こうした『民間英語試験導入の延期』を伝えるにあたって、いちいち、あまり事態を認識していないような人たちのインタビューを選んで流している。
 
子供の親(横に子供の姿らしきものが一部、写っている)のインタビューを商店街とか、駅頭で急遽、行っているようである。
しかし、今日見かけたある親などは、どうもその様子から見ると『民間英語試験導入』の細かな問題点は知らないようだ、ただ、『混乱は困る』といら立ちを隠せずに行っているだけ。
 
まさに、安倍政権が喜びそうなインタビューである。
 
このほか、NHKニュースでは、最近、特に意識的に選んで流しているのだろうと思われるような、癖のある街頭録音の結果が、あふれている。
(首相官邸の指導が、かなり行き届いているという気がする。)
 
そう言えば、安倍首相は、以前、生放送の番組で、流される『街頭インタビュー』の映像に対して、『こんなの、選んで流しているんでしょう』と言って怒っていた。
最近では、安倍好みの映像を逆に選んで流しているということなのだろう。

 
今回の問題は、これで終わりにすることはできない。
 
一般の日本人は、1週間もしないうちに、この問題のことは忘れている。
逆に、深くこの問題を考えさせないために、今、『火消し』をしたのだろうから?
 
そして、テレビは、『2020東京オリンピック』のマラソンが、札幌で行われてしまうことの話題に、頭を切り替えてしまうかもしれない。
しかし、実は、『民間試験導入』の話と、『2020東京オリンピック』の話は、つながっている部分もある。
 
ともかく、『民間試験導入』の話のほうは、今回の事態を突破口として、『持続的な議論』が『専門家』『現場』『当事者』を含めて、行っていくことができるように少しでもしていくことが、前進のための橋頭保となるのだろう。
(まあ、何事についても、そうだと思うが…。)