この映画は、前回書いた『キューポラのある街』と同じ日、それに引き続き『朝鮮半島と私たち』という映画祭のプログラムとして(渋谷『ユーロスペース』で)見たものである。

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同じ清水宏監督の作品として、1936年のこの『有りがたうさん』(76分)と、1940年の『京城』(24分)『ともだち』(13分)という短編映画が合わせて上映された。

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後者の2本は、当時の京城(今のソウル)で撮影されたものである。


『有りがたうさん』については、次のような紹介が、映画祭のチラシに書かれていた。

<清水宏/1936年/日本/35mm/76分/配給・松竹キネマ

川端康成の小説『有難う』の映画化作品。上原謙演じるバス運転手、通称「有りがたうさん」が伊豆で様々な事情を抱えた乗客を乗せる。

娼婦や売られてゆく娘のほか。貧しい朝鮮人労働者がきちんと描かれ、胸に刺さる。弱者への優しさを見せる清水宏の秀作。
また当時の日本映画界では珍しい全篇ロケーション撮影が敢行されており、1930年代の日本の美しい原風景を収めている。

日本統治下の朝鮮で撮影した清水宏の短編2作を併映。>


このバス運転手は、お客に対して、あるいは通りすがりのクルマに対して、いちいち『ありがとう』といって感謝することから、通称『ありがとうさん』と呼ばれていたという設定である。
 
演じているのは、美男スターとして一世を風靡した上原謙、あの加山雄三の父親である(1991年に82歳で亡くなっている)。

この映画、朝鮮で撮影された2本の短編と一緒に見たことと、映画の中で朝鮮人労働者や娼婦のような女性が描かれているので、朝鮮で撮影されたものかと少し混乱してしまったが、実は日本(伊豆半島)を舞台にしており、また『全篇ロケーション』で撮影された、意欲作(実験的な意味合いもあるのかもしれない)である。


そういえば、川端康成が『伊豆の踊子』を書いたのは、1926年だそうである(雑誌に掲載後、1927年に単行本が刊行された)。
(またまた、余分なことを書くと、前回、『キューポラのある街』について書いたが、私は1963年に吉永小百合主演で映画化された『伊豆の踊子』を、おそらくその当時、映画館で見た記憶がある。
一人で見に行った可能性が強い。)

清水宏という監督については、以前、映画史の本を読んでいて、その名前が出ていた記憶がある。
ただし、この映画を見ている間は、そのことは忘れていた。

この映画で面白いのは、『金持ち批判』『時局批判』みたいなセリフがぽんぽんと出てくることである。
例えば、戦争の最盛期は、『産めよ、増やせよ』の時代であり、(今日もどこか似たような雰囲気が漂っているが)お国のためには、人口を増やすことが大切という時代だったと思う。

だが、この映画では、主要人物(上原謙演じる運転手だったかは、ちょっと記憶が薄れてきた)が、『今の時代に生まれてくるのは、不幸になることが多い』などというセリフを平然と吐いている。

また、成金?みたいな男(ヒゲをはやして威張ろうとしている)の矮小さ、それを『庶民?』たちが嫌っているさま、あるいは貧しさのあまり売られていく娘、そして金がなくてバスに乗ることができない朝鮮人労働者たちが、これでもかというばかりに描かれている。


いわゆる『左翼芸術』の好む『プロレタリア演劇・映画』みたいな雰囲気の部分もあるのだが、それにしては上原謙など、『自由人』に描かれていて、しかも肩ひじ張ったところがない。
(そういう意味では、『プロレタリア演劇・映画』風の公式主義からも脱している。?)

こういう、ある種自由な映画が、1936年という時点で制作されていたことに驚き、ひょっとしたら、これは朝鮮で撮影された映画だったのかとすら思ってしまった。
(時折、植民地の『独立王国』的な雰囲気の撮影所で、日本国内では許されないような映画が撮影されることもあったようだし…。)

だが、これは日本本土で撮影され、公開された映画だったようだ。
そういう意味では、この後、日本は、1945年の破局に向けて急速に変わっていったのだろう。






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