この記事の続きだ。
『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』というタイトルの原作本の秘密とは何か?
(当初、前篇、後篇で書こうかと思ったが、それでは書き切れないことが出てきそうなので、前篇、中篇、後篇という編成にすることにした。)
(当初、前篇、後篇で書こうかと思ったが、それでは書き切れないことが出てきそうなので、前篇、中篇、後篇という編成にすることにした。)
それは、幾つかあると思う(もちろん、この本の中で書かれていることが大半だが…。別のこの本は、『事実』を隠しているわけではない)。
第1に、ビリギャルこと工藤さやかさんが、もともと名古屋のエスカレーター式の『お嬢さん学校』の高校生だったということ。
つまり、彼女は、中学校の入試に受かる力があったわけ(その後、全然、勉強をしなかったようだが…)で、ちょっと表現には語弊があるが、いわゆる『地頭が良い』という状態だったこと。
第2に、彼女を高度に動機づける(つまり、『やる気にさせる』)ことに、講師の坪田信貴氏が成功したこと。
(これは、映画のなかではかなり極端化されて描いているが、彼女を『くず?』呼ばわりして、彼女に『絶対に見返してやる』という気持ちを燃やさせた、学校の教師の存在なども大きいと思う。)
(これは、映画のなかではかなり極端化されて描いているが、彼女を『くず?』呼ばわりして、彼女に『絶対に見返してやる』という気持ちを燃やさせた、学校の教師の存在なども大きいと思う。)
第3に、彼女は最終的に、坪田氏が当時在籍していた学習塾(個人指導を特徴とする)で<無制限コースという、日曜を除けば塾へ毎日来られる学習コース>で勉強することになったが、このコースは<百数十万円というまとまったお金を前払い>する必要があったという。
(映画のなかでは、彼女の母親が、アルバイト代金とか知り合いからの借金などで苦労をしてこの資金を集めたように描かれていた。ただし、実際は彼女の父親も幾つかの店を経営していたようなので、父親のほうが娘の『受験勉強』に対して理解を示すようになった時点からは、そちらの資金も投入されたのだと思う。)
つまり、彼女の家族には、それなりの『お金』があったという現実である。
第4に、坪田氏が指導した『受験勉強の方法』が適切なものだったこと、そしてもちろん、本人自身の『頑張り』が最終的には大きいと思われる。
このように、幾つもの要因がすべて(結果的に)プラスに働いたことで、彼女はテストの点数を上げ、『偏差値』をあげ、慶応大学総合政策学部に合格することができた。
ただし、ここで気を付けなければならないのは、彼女が合格した慶応大学の総合政策学部の試験方法が、極めて『独特』であることだ。
彼女は、当時(実際に受験したのは、ライブドア事件が話題になった2006年くらいのことらしい)『英語』と『小論文』の2科目で、総合政策学部を受験したようだ。
(つまり、映画の中で彼女が、随分、苦労していた『日本史』という科目は、少なくとも総合政策学部では、受ける必要はなかった。もっとも、映画で描かれていた以上に、彼女はたくさんの大学を受けて、合格したり不合格だったりしていた。)
(つまり、映画の中で彼女が、随分、苦労していた『日本史』という科目は、少なくとも総合政策学部では、受ける必要はなかった。もっとも、映画で描かれていた以上に、彼女はたくさんの大学を受けて、合格したり不合格だったりしていた。)
慶応大学総合政策学部の『英語』の試験は、長文読解が中心のようで、この本にも実際の問題の一部が掲載されているが、かなり難しい問題である。
だが、『英語の論理的な文章』というのは、構成がきちんとしているものが大半のようで、その構造を把握できれば、細かい部分がわからなくとも、『何を言っているのか』が把握できるということだ。
それに、当時は、総合政策学部の英語の試験でも、辞書類の試験会場への持ち込みが可能であった。
(ネットで調べると、今日でも文学部などでは、辞書類の持ち込みが可能だが、総合政策学部では『不可』のように試験の概要には記されている。
あるいは、この本や映画のヒットなどが、大学としての『方針変更』に影響を及ぼしているのかもしれない。)
(ネットで調べると、今日でも文学部などでは、辞書類の持ち込みが可能だが、総合政策学部では『不可』のように試験の概要には記されている。
あるいは、この本や映画のヒットなどが、大学としての『方針変更』に影響を及ぼしているのかもしれない。)
さらに、小論文というのは、(当時)試験時間3時間の試験であったようだ(最近の試験の概要を書いた慶応大学のサイトを見たが、試験時間まではわからなかった)。
そして、このとき、彼女が直前に、坪田氏と話題にしていた、『ライブドア事件』にからんだ問題が、どうもこの時の『小論文』のテーマであったようで、そういう意味では、彼女は事前に『頭の訓練』などをしていたこと(『試験予想』が的中したこと)が、この試験で合格点を取ることができた、大きな要因の一つと言えるらしい。
言い換えれば、彼女は努力もたしかにしたが、同時に『ラッキー』であったとも言える。
こういった試験の合否には、『運の要素』が必ずつきまとう。
こういった試験の合否には、『運の要素』が必ずつきまとう。
(映画でも描かれているが、彼女が文学部の試験のほうで、実力を発揮できず?不合格だったのは、この『運の要素』が逆にマイナスに作用したということが大きかったようだ。)
以上、見て行くと、それなりに『潜在的能力』がある人物に対して、適切な『動機付け』をし、本人の最高度の『やる気』を引き出しながら、その試験の『傾向』にぴったりとあった『対策』ができ、しかもそれら全部を支える『資金力』があれば(さらに、映画でも描かれているが、彼女は母親の応援もあって、学校の普段の授業をさぼって、ほとんどすべての時間を『受験勉強に投入する』自由を獲得していた)、このような『偏差値』の上昇も夢ではなかった、ということなのだろう。
ただし、こうした本の出版などを受けて、当然、大学の側も試験の『傾向』などを微修正(または大幅修正)している可能性がある。
また、彼女が慶応大学総合政策学部で学んだとしても、高校2年生の時に、突然『受験勉強』を開始するまでは、私立中学に入学して以降、4、5年間ほとんど勉強をしていなかったことの『ひずみ』も当然、残っていた可能性がある。
(それが、キャンパス生活を送るうえで、どのように作用したかは、気になる点ではある。)
(それが、キャンパス生活を送るうえで、どのように作用したかは、気になる点ではある。)
だから、この映画や原作で学ぶべきことは、『偏差値』というものが決して『固定的なもの』ではなく、本人の努力や、勉強の指導の仕方、その他環境条件によって、それなりに時間をかければ『偏差値』といったものが、大きく伸びる可能性もまた存在している、ということだろう。
最後、この映画を見て気が付いた、その他のことについて触れていきたい。
(つづく)
(つづく)