この記事の続きだ。


7日に池袋・新文芸座で見た2本目の映画は、これだった。


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蔵原惟繕監督作品で、吉永小百合、渡哲也出演、1966年公開の日活映画である。
これも、白黒で撮影されている。

映画祭のプログラムには、次のように紹介されている。

<レコード店で働く和江(吉永小百合--引用者注、以下同じ)は印刷工の幸雄(渡哲也)と出会い、結婚を誓い合う。しかし、両親を原爆で失った幸雄は白血病を発症、和江は懸命に看病するが…。

実話に基づく悲恋の物語をシャープな映像で捉えた名作。撮影前、蔵原に連れられ、原爆資料館などを見学した吉永と渡は衝撃を受け、入魂の演技を見せる。のちに、吉永は原爆詩の朗読を自身のライフワークとする。>

この日見た、2本目の映画で、いささか頭が疲れていたせいもあると思う(昔は、二本立てが普通だったのだが、最近の1本しか見ないスタイルに慣れ切ってしまうと、2本連続して見るのは、結構、つらいこともある)。

この映画、あまりぴんと来ない部分が多かった。
1966年の作品だと言うが、かえって、ずっと昔の作品のように思えてしまう。

吉永小百合(あるいは、渡哲也)のファンには悪いが、この映画での2人は(特に渡哲也は、映画に出たばかりのようだ)あまり演技がうまくない。

それから、当時(1966年)としてはスタイリッシュでむしろ、現代的な作り方の映画なのだと思う。
逆に、だからこそ、『時代性』を感じてしまい、何となく『ギャップ』を感じる。

この映画で描かれているのは、いわば2人の純粋愛のようなものである。それを妨害するものとして、原爆病、白血病とそれらに対する周囲の『差別』がある。
これらがあるからこそ、2人の愛は逆により高まっていく。

しかし、こういった差別は、別に他のものであっても良いのは、もちろんのことだ。
あまり『原爆であるが故』のインパクトは(私の脳みそが疲れ切っていたせいか、それとも原爆映画ばかり見過ぎたせいかもしれないが)、それほど感じることはできなかった。

ただ、この映画で描かれた時間(実際は、1964年に広島を訪れた大江健三郎が、原爆病院の院長から聞いた実話を元にしているらしい)というのは、1960年代の初め、広島に原爆が落ちてから、まだ20年もたっていない。

広島で被爆し、その後も広島に住み続けた男女の間に起こった悲劇である(ただし、吉永小百合のほうはどこで育った人という設定だったのかは、うまく思い出せない)。
これが悲劇になったのは、広島の地でも、白血病を発症するということが、『差別の対象』となるといったことがあったためであろう。

そういう意味では、原爆の悲劇は、それを落としたアメリカと日本との間の悲劇でもあるし、原爆を落とされた日本の人々の間の悲劇でもある。

被爆者で何十年も原爆を話題にしてこなかった人たちがいる(そういう人たちの何人かが高齢になって、証言を始めている)ということは、それはある意味では、日本人同士の問題でもある。

こうしたねじれた現実を、むしろ、ていねいに掘り起こしていくことが、戦後70年以上が経過した今日、『戦後』を『戦前』に転換させないためには、重要な作業であるような気がする。
(つづく)






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