大橋巨泉さん(『巨泉』と呼び捨てにしてもよいのだが)が亡くなった。12日に既に亡くなられていたようで、昨日(20日)発表になった。

82歳のがん闘病の挙句の死。1934年生まれなので、私(1948年生まれ)より15歳ばかり年上である。

1965年から1990年まで続いた、『11PM』というテレビ番組の司会者を長く務めた。
今、ネットで確認すると、月、水、金は日本テレビの担当、火、木は読売テレビの担当で番組を制作していたという(そういえば、読売テレビの枠で司会を担当していた、藤本義一さんの顔が思い出される)。


巨泉さんは、1966年から金曜の枠を担当していて、1968年の(前任者の)小島正雄さんの突然の死(心筋梗塞のため54歳で亡くなった)を受けて、68年から85年まで、月曜と金曜の週2日の枠を担当していたということが確認できた。

週2回だったから、それほど『出ずっぱり』感がなかったのだと思う。
今のテレビ番組のように、同じ人物を週5日連続して出演させていると、見る方は『飽きてしまう』ものだし、出演する側も、息抜きもすることもできず、(ある種の)『浦島太郎』みたいな浮世離れした存在になってしまう。

どうも、現代のほうが、テレビはいろんなものを『使い捨て』しながら突っ走っているような気がする。
巨泉さんは、週2日しか、少なくとも『11PM』には出ていなかったということで、何となく『ゆとり感』(あるいは『遊び感覚』)みたいなものが番組全体に漂っていた、その理由がわかったような気がした。


もっとも、1968年と言えば学生運動が盛り上がった年だし、1978年以降は、私は『労働争議』に直面して(早い話が、クビになって解雇撤回闘争をやらざるを得なくなった。しかも、60余人の集団争議だった)、『11PM』をゆっくりと見ることは、あまりなかったような記憶だ。


巨泉さんといえば、先月27日発売の『週刊現代』に『遺書』のようなことを書いていた。

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このコラム、タイトル自体が『今週の遺言』というもの。
『週刊現代』という雑誌は、福島の原発事故直後は、激しい(場合によっては、激しすぎる?)原発事故批判と脱原発の記事を掲載していたのだが、いつからか忘れたが『転向?』した。だいたいが、激しすぎる記事を書いている雑誌は、このような『転向』をすることが多い。

しゃくなので、『週刊現代』など日ごろ、買うことなどないのだが、この号は巨泉さんのこのコラムの最終号ということで、購入した。

考えてみると、この週は、私の母が28日の朝に亡くなったので、母の死の後に『週刊現代』を購入したのか、それとも死ぬ前に購入したのか、忘れてしまった。

ともかく、ここには次のような言葉が書かれている。

<実はこの原稿は寿々子と哲也と3人で、5月初めから少しずつ進めて来たのだが、今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。
だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。

書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。
しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。

安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党の投票してください。最後のお願いです。>


このあと6行ほど続くが、いわば『普通の挨拶』の文章であって、特に意図があってカットするものではない。

この巨泉さんの『最後の遺言』、仮に今が参議院選挙の期間中であれば、(大手新聞や、テレビ局が)そのまま報道することに躊躇を感じるのについて理解しないでもない(それでも、本当は報道してほしいが)。

ところが、巨泉さんが亡くなったのは、(参院選の結果を『見守る?』ように)12日だったということ、そして訃報が流れたのは、昨日(20日)のことである。

参院選はとっくに終わっている。『都知事選』の最中だが、そんなことを言っていたら、きりがない。


こういうタイミングで、『NHK』も『朝日新聞』も、この『最後の遺言』について報道しなかった(NHKのほうは、いかにもNHKらしい。というか、こういうことのために、安倍首相はNHKを『御用化』したのであろうと、納得がいく。そのくせ、昨夜の7時のニュースも、9時の『ニュースウォッチ・ナイン』も巨泉さんの特集を放送していたのが、物悲しい。『恥知らず』といわれてもしようがない)。


NHKだけでなく、『朝日新聞』も報道していない。
テレビ朝日の『報道ステーション』も、この『週刊現代』のコラムの写真まで載せながら、報道しなかった。

私は見ていなかったが、TBSの『ニュース23』では、音声には出さなかったが、この『週刊現代』のコラムの、『安倍晋三うんぬん』の箇所を画像でクローズアップしていたようだ。


いつから、日本は、このような共産主義国なみの放送の仕方をしなければならない国になってしまったのか?
巨泉さんは、最後まで身をもって、この国の状況を私たちに警告してくれたようだ。


なお、蛇足ながら、私は『死んでも死にきれない』という表現は、余り好きではない。なぜなら、このような感情は、例えば安倍晋三にしても、同じようなものだろうと思われるからだ。

安倍晋三が、『憲法改悪』に失敗して、辞職しそうになったとき、こうした表現を口にする可能性がある。というより、最近でも似たようなことを、安倍首相は言いながら、『この道』の前進を続けているようだ(『破局』に直面するまで)。

現実には、人間が『死にきれない』ということはない。ただ、『死者の思い』をいつまで、受け継ぐ人がいるかが、問題だろう。





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