本日(19日)は、沖縄での米軍属による女性殺害事件に抗議する『怒りと悲しみの県民大会』に呼応する形で、国会前で『いのちと平和のための6・19大行動』が、『戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会』等の主催で開かれた。

国会前に1万人が集まったということだった。
私は、かなり遅れて参加した。
これは国会の前の公園の中から撮っているので、参加者人数がまったくわからない。


国会前の集会は3時40分ころに終了した。
本日、4時から地下鉄『永田町駅』の近くの会場で、慶応大学名誉教授小林節氏が代表となって立ち上げた『国民怒りの声』が、参院選に向けて、『決起集会』を開くと聞いていた。
本日、4時から地下鉄『永田町駅』の近くの会場で、慶応大学名誉教授小林節氏が代表となって立ち上げた『国民怒りの声』が、参院選に向けて、『決起集会』を開くと聞いていた。
私は、16日に『鎌倉芸術館』で小林氏が出席した時局講演会にも参加していたが、正直言って、この集会の運営がかなりお粗末だったし、(会場ばかり、バカでかくて)参加者も少なかったので心配していた。
(このときは、『国民怒りの声』に問題があるのか、それとも講演会の主催者である『葉山新聞社』という団体に問題があるのか、区別がつかなかった。)
(このときは、『国民怒りの声』に問題があるのか、それとも講演会の主催者である『葉山新聞社』という団体に問題があるのか、区別がつかなかった。)
そこで、『国民怒りの声』というのが、どれほどの力量を持っているのかという疑問に対して、少なくとも私個人のなかで『決着』を付けようと思って、この集会に向かった。
集会の会場は、永田町のTKPガーデンシティ永田町というところだった。
国会議事堂前からは近いのだが、少し道を迷ったために、午後4時ちょうどくらいに会場に到着した。
国会議事堂前からは近いのだが、少し道を迷ったために、午後4時ちょうどくらいに会場に到着した。


集会の会場内の飾りつけみたいなもの。
会場は、150人~200人くらいのスペースのところ。立ち見が出るくらいの感じだった。
(先日の鎌倉芸術館では、準備の仕方が『とんでもない』レベルだったので、少しほっとした。やはり、そのときは、『国民怒りの声』のせいというよりも、講演会の主催団体つまり小林氏を呼んだ側の問題だったようだ。)
会場は、150人~200人くらいのスペースのところ。立ち見が出るくらいの感じだった。
(先日の鎌倉芸術館では、準備の仕方が『とんでもない』レベルだったので、少しほっとした。やはり、そのときは、『国民怒りの声』のせいというよりも、講演会の主催団体つまり小林氏を呼んだ側の問題だったようだ。)
年寄りばかりでなく、若い人たちもかなり来ていた。もっとも、私は前のほうが空いていたので、そこに座ったので会場全体の感じはよくわからなかった。
なお、隣に座っていた女性(私より、少し若い方のようだった)も、また国会前の行動から参加した組らしかった。

私が入った時は、『制服向上委員会』という(よく聞くが、詳しくは知らない)若い人たちのグループが反戦の歌を歌ったり、トークをしたりしていた。
中学生の子とか、去年18歳になったばかりの子(今年、初めての投票が可能になる)もいる。
学校では、先生が『政治的なことを言っちゃいけない』という空気があり、また生徒も自粛してしまうため、投票権を獲得できるようになったというが、政治に関心のある子は数少ないという。
しかし、それでも若い人たちは、(憲法とか戦争法といった話以外にも)『奨学金の無償化』あるいは、『地震大国なので災害対策をしかkりしてほしい』『社会福祉を充実させてほしい』など、思っていることはいろいろあるという。

20分くらい、彼女たちの歌やトークが続いて、その後、俳優の宝田明氏とか小林節氏、その他候補者の人々などが揃って拍手のなか、入場してきて、集会は始まった。
最初に話をしたのは、宝田明さん。
宝田さんは、6月10日に比例区の候補として立候補すると発表されたが、その後、立候補とりやめが発表されていた。
宝田さんは、6月10日に比例区の候補として立候補すると発表されたが、その後、立候補とりやめが発表されていた。
今回は、その間の事情を自ら説明するために、来られたようだ。
宝田さんは、旧満州に生まれて、現在82歳。その『反戦の思い』を強くさせた、10歳のころ、満州のハルピンで体験した戦争(敗戦)の記憶を話した。
宝田さんは、旧満州に生まれて、現在82歳。その『反戦の思い』を強くさせた、10歳のころ、満州のハルピンで体験した戦争(敗戦)の記憶を話した。
当時、今で言う小学生だったが、軍事訓練があり、子供でも容赦なくびんたなどされたという。
また、満州では旧ソ連軍が、日ソ中立条約を破棄して、タンクなどを先頭に進軍してきた。関東軍はそれをいち早く察して、一般の民間人を置き去りにして逃げていった。
また、満州では旧ソ連軍が、日ソ中立条約を破棄して、タンクなどを先頭に進軍してきた。関東軍はそれをいち早く察して、一般の民間人を置き去りにして逃げていった。
残された民間人に対して、ソ連軍の略奪、婦女暴行、殺人などが相次ぎ、宝田少年もそれを目撃した。
また、そのような混乱の中で宝田少年もソ連軍の銃撃を受け、弾を体内に撃ち込まれる(それを麻酔なしに医師が取り出す手術を行う)など、死に損なうみたいな体験をする。
また、そのような混乱の中で宝田少年もソ連軍の銃撃を受け、弾を体内に撃ち込まれる(それを麻酔なしに医師が取り出す手術を行う)など、死に損なうみたいな体験をする。
(日本人の子供たちが、中国人に預けられる―その人たちが、いわゆる『残留孤児』となっていく--のも目撃したと言う。)
こうしたことから、宝田氏は、『戦争を心底憎む』人間になったという。
それに、攻め込んできた『ソ連軍』に対してにくいと思ったが、戦争は(日本の側だけでなく)『彼我』に同じような苦しみをもたらすものであることを忘れてはならない、と言われた。
また最近の安倍内閣の、安保法制--『憲法改悪』の動きには、『許すべきでない』と感じてきた。
そういう中で、小林氏と講演の場などで、席を一緒にする機会があり、小林氏の運動に『同調したい』と思うようになった。
そういう中で、小林氏と講演の場などで、席を一緒にする機会があり、小林氏の運動に『同調したい』と思うようになった。
それで、立候補に同意したのだが、その後、いろいろ『しがらみ』があったのだろう。
宝田氏は、『俳優としてこれまでやってきたこと』と『新しく、小林氏とスタートさせる運動』を両立させたいと考えていたようだが、それに伴う『困難』を感じさせる事情があったのかもしれない。
(ネットによれば、宝田氏の立候補宣言以降、宝田氏が出演している『ゴジラ』映画のテレビでの放映が中止になったことなどが書かれている。これに象徴されるように、これまでやってきたこととの『矛盾』を感じさせるようなことが、起こってきたのかもしれない。当然、宝田さんご自身の健康を心配する声もあっただろうと、想像できる。)
いずれにしても、今回は『立候補』ではなく、『応援団』をさせていただきたいということで、その間の事情を、自分自身で皆さんに対して説明するために、今日は来られたということだった。
話を聞いても、宝田氏の体験した苦渋と、『約束したことを実行できない』という申しわけない気持ちがにじみ出ているのが感じられた。
(宝田氏の『誠実さ』を感じさせるような話だった。)
(宝田氏の『誠実さ』を感じさせるような話だった。)
それに続いて、東京外国語大学教授の伊勢崎賢治氏が、応援のメッセージを伝えにきた。
(つづく)
(つづく)
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