あと残りわずかな時間で、今年も終わりだが、最後に先日の『慰安婦問題』についての『日韓合意』なるものの、おかしさについて思いつくところを書いておきたい。
1回だけでは書き終わらない、というか書き残した感じになるのではなかろうかと予測するので、『前篇』としておく。
日本のマスメディア、特にその代表たる『新聞』は、政府間で『決着をみた』という発表を聞くと、それに対して疑問をはさむことなく、一斉にそれを垂れ流すようである。
それも、『産経』『読売』から『朝日』まで大同小異なので恐れ入る。
前から、日本は、8月15日以降、どうして『鬼畜米英』から『アメリカ民主主義万歳』『ギブミー・チョコレート』に一斉に変身することができたのか、疑問に感じていたのだが、現在のメディアの状況を見ると、『ああ、日本という国は基本的に70年前も今も、同じなのだな』という気がしてくる。
『長いものに巻かれろ』というか、『バスに乗り遅れるな』という、大勢追随主義が今も、昔も徹底している(ようなのだ)。
(そして、それは決して『愉快な体験』ではない。)
(そして、それは決して『愉快な体験』ではない。)
28日以降(新聞としては29日の日付になるが)の新聞の論調は基本的に一致している。
『朝日新聞』は、<日韓両政府は28日、ソウルで外相会談を開き、慰安婦問題を決着させることで合意した。日本政府が軍の関与や政府の責任を認め、元慰安婦支援で韓国政府が新たに設立する財団に日本から10億円を拠出すると表明。日韓双方が、この枠組みを「最終的かつ不可逆的解決」とすることを確認した。>と報道。
『産経新聞』は、(ソウルの特派員発の記事として)<岸田文雄外相と韓国の尹炳世外相は28日、ソウルで会談し、慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決される」との認識で合意し、国際社会で非難、批判することを控えると確認した。また、元慰安婦を支援する事業のため韓国政府が財団を設立し、日本政府が予算10億円程度を一括拠出することでも一致した。>と報道している。
ここでのポイントは、『最終的かつ不可逆的に解決』と言う言葉のようだが、しかし、これを何を意味するのだろうか?
まず、今回の『合意』は、『共同文書化』されていない、という特徴がある(これは、『産経新聞』が1面記事の見出しで強調している。『産経新聞』は社説で、『本当にこれが最終決着か』とも書いており、かなりの不満が、『産経新聞』を支持する勢力内部に潜んでいることをにおわせている)。
これは、(私のように)『産経新聞』とは逆の立場であっても、『気になること』である。
これは、(私のように)『産経新聞』とは逆の立場であっても、『気になること』である。
『共同記者発表』の内容が合意のすべてということのようだが、だが、両国の外相の言っていることには、ニュサンスのずれも感じる。
今回の合意は、『日韓合意』などと称しているが、実際は、せいぜいが、『アベ・パク合意』でしかない。しかも、『アベ・パク』両首脳が直接会談して合意した内容ですらなく、下手をすると、『キシダ・ユン合意』でしかない、ということになりかねない。
あるいは、『キシダ・ユン』両外相が、この時点で、『合意した』と誤認(勘違い?)していたということにだって、なりかねない。
『産経新聞』は29日の紙面に、<「像撤去」努力目標、決着は尚早>という見出しも付けている。これは『産経新聞』の支持者のうちの、相当部分が、このような『合意そのもの』に強い抵抗感を持っていることの表現でもあるのだろう。
今回の『合意』は、安倍首相と朴大統領というそれぞれのトップが、直接まみえて、その結果、それぞれの威信が傷つくというリスクをおかすこともなく、『合意』が成立したことを装っている。
しかも、年末のあわただしい時期(日本などでは、テレビの報道番組も通常の放送を終了した、いわば『ドサクサ紛れ』の時期である)に、『異論』や『疑問』をできるだけはさめるような余地のないタイミングで、発表された。
日本では、この間、『テレビ朝日』の『報道ステーション』の古舘キャスターの3月降板、また『TBS』の『NEWS23』の岸井キャスターも3月降板が発表されたばかりである。
どちらも、安倍首相に対する批判色の強いことを売りにしており、しかも、いわゆる『左翼』とは到底思えないようなキャラクターのキャスターであった。
そのような人々が、テレビの看板番組から一斉に退陣することが発表され、『モノ言えば、唇寒し』という感がますます広がっている状況であった。
そのような人々が、テレビの看板番組から一斉に退陣することが発表され、『モノ言えば、唇寒し』という感がますます広がっている状況であった。
これらのニュースは、安倍首相を支持する、もっとも『右寄り』とされる人々(世に『ネトウヨ』=ネットウヨクなどと呼ばれることもある人々)を、大いに喜ばせたであろうと想像できる。
しかし、その次に、今度はそういう人々(ネトウヨと言われる人々)を対象に、『弾圧?』というか、『お前らは御用済み』といわんばかりの措置が待ち構えていたとは、誰が予想していたのだろうか?
このようなやり方を見て、『安倍首相の素晴らしい、リーダーシップだ』といわんばかりの評論をする人もいるようだ。
しかし、このようなやり方は、『自分に異を唱える、<左><右>の勢力を交互にたたいていく』というものであって、ヒトラーなどもやったことであり、別段、新しいことでも何でもない。
古来、『独裁者』と言われる人が、『普通のやり方』としてやってきたことである。
古来、『独裁者』と言われる人が、『普通のやり方』としてやってきたことである。
問題は、『右寄り』の人々からの不満にあるのではない。
むしろ、『朝日新聞』のようなポジションにあるメディアが、なぜ、かくも安倍首相に対して、やさしく対応するのか(あるいは、安倍首相を恐怖しながら対応するのか)ということである。
むしろ、『朝日新聞』のようなポジションにあるメディアが、なぜ、かくも安倍首相に対して、やさしく対応するのか(あるいは、安倍首相を恐怖しながら対応するのか)ということである。
安倍首相の今回のやり方は、『欺瞞に満ちた』ものでしかない。
まず、安倍首相らが、元慰安婦とされる『当事者』を除外して、トップ同士で『政治的決着』を図っていることを見過ごすことができない。
まず、安倍首相らが、元慰安婦とされる『当事者』を除外して、トップ同士で『政治的決着』を図っていることを見過ごすことができない。
(安倍首相は、さまざまな人々に対して、『寄り添う』などと言いながら、実際は『無視する』『ごり押し』するというのが、『フクシマ』『被爆者』『沖縄』をはじめ、いわば一環した行動パターンであるが…。)
第二に、『不可逆的』とか『問題を蒸し返すな』などと言う言葉が、飛び交っているが、そもそも問題を蒸し返してきたのは、安倍首相らのほうも同様である。
彼は、首相の座につくと、直接、自身の言葉では語らぬようになっているようだが、安倍首相が一貫して、手を結んできた、例えば百田尚樹、あるいは石原慎太郎、さらに橋下徹などの人々は、『慰安婦問題』について、どこの国でもあったこと、つまり、その時点において『悪いこと』でも何でもなく、むしろ、そういう問題の存在を指摘する人々こそが、『日本を貶めている』と主張し、非難してきたではないか?
また、『慰安婦』について、政府や軍に責任があるのではなく、『民間事業者』が勝手にやったこと、『慰安婦』というのは、『売春婦』であり、しかも、『高収入の者』もいたという風に言って、それこそそういいう立場に立たされた人々を、バッシングしてきたではないか?
このようなことを、裏で主導してきた、安倍首相が、『心からおわびと反省を表明』するなどと、(本人ではなく)岸田外相などが言ったからといって、そもそも誰が信用するだろうか?
しかも、安倍首相は、そのような『心からのおわびと反省』を元慰安婦の女性たちの表明するよりも、その前に、『子や孫の世代に謝罪しつづける宿命を背負わせるわけにはいかない』などといったことを先に述べている。
このような発言を、『謝罪する』といっている人が自ら(先に)述べるなど聞いたことが無い。それに、安倍首相は、今後、例えばこの問題についての『教科書検定』に一体、どのような態度で臨むつもりなのだろうか?
いずれにしても、安倍首相のやっていることは、滅茶苦茶である。
このような『不正義』、デタラメを許すべきでない、というのがむしろ、『普通の考え方』ではなかろうか?
(つづく)
(つづく)
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