昨日(23日)、『秋分の日』ということもあって、6月15日に亡くなった父の墓参りに、母と弟で出かけた。

これが付近の写真だ。
認知症の母は、納骨のときは来なかったので、父が亡くなってからは初めて、ここに来たらしい。
普段、病院に通院するくらいしか出かける用事がないので、霊園に大勢、墓参りの人が来ているのに少し興奮気味だった。
見知らぬ人に話しかけたりもしていたが、母親の服装も乱れていたりするので、返事をする人はほとんどいない。
これが、もし中国であれば、返事や挨拶をする人ももっといても良いのではなかろうか、という気がする。
どうも、最近の日本人は(東京以外のところでは、もう少しマシかもしれないが…)、お互いに無関心で、冷たすぎる印象を受ける。
どうも、最近の日本人は(東京以外のところでは、もう少しマシかもしれないが…)、お互いに無関心で、冷たすぎる印象を受ける。
墓参りのあとは、タクシーで3人一緒に寿司屋に行って食べる。
外で食事をするのは滅多にないことなので、母親は喜んでいた。
外で食事をするのは滅多にないことなので、母親は喜んでいた。
実家に戻ったあと、私と弟は、『長居は無用?』(母は、必ず誰かの悪口を言い始める。昨日の午前中も盛んにしゃべっていた)と実家から引き上げた。
弟は、珍しく、代々木公園で昨日開催された、『反戦争法、反原発』の集会、デモに向かうという。
私は、もともと今日(24日)の夜の『総がかり行動実行委員会』の国会前行動(これが、最後のものになるのだろうか?)に参加する予定だったので、昨日は、行動をともにしなかった(それに、弟は、以前所属していた労働組合か、あるいは学生時代の昔の仲間から誘いを受けているようだったし…)。
私は、もともと今日(24日)の夜の『総がかり行動実行委員会』の国会前行動(これが、最後のものになるのだろうか?)に参加する予定だったので、昨日は、行動をともにしなかった(それに、弟は、以前所属していた労働組合か、あるいは学生時代の昔の仲間から誘いを受けているようだったし…)。

さて、これは昨日の『東京新聞』に出ていた、安倍首相の一昨日(22日)の行動だ(どの新聞にも大同小異のものが出ている)。
母親の洋子さん(岸信介の長女)と一緒に、祖父岸信介と父安倍晋太郎の墓参りをしている。『安保法』が成立したこと、第2次政権発足から、1000日経過したことの『報告』のためのようだ。
いかにも安倍首相らしい、行動様式だ。
おまけに、小松一郎前内閣法制局長官と岡崎久彦元駐タイ大使といった、今は亡き『同志』たちの家を訪れ、弔問をするというのも、安倍首相らしい。
『友達思い』『仲間思い』のようにも見えるが、逆に考えると、国民であっても『仲間』や『友達』ではない人たちの思いは、さほど尊重しないようにも感じる。ともかく、やることが、情緒的で芝居がかっている。
普通に考えると小松氏や岡崎氏の弔問をするのなら、もっと別の日、例えば表向きは、『一日、私邸で過ごす』などとしている日に、こっそりと出かけることだって出来るはずだ。
何となく、安倍首相の行動は、マスコミや国民に見せびらかすような行動パターンである。
何となく、安倍首相の行動は、マスコミや国民に見せびらかすような行動パターンである。
どうも、安倍首相という人は国民を単純に、『味方』と『敵』に区分して、『味方』の思いしか尊重しない気がする。
しかも、今度の安保法制の強行成立の過程に見るように、例えば参院特別委の鴻池委員長なども、『味方内部の敵』というように、識別して、特別委員会の委員以外の人物も委員会審議の場に突入させて、『ヒゲの隊長』の指揮下で『作戦』を決行している。
しかも、今度の安保法制の強行成立の過程に見るように、例えば参院特別委の鴻池委員長なども、『味方内部の敵』というように、識別して、特別委員会の委員以外の人物も委員会審議の場に突入させて、『ヒゲの隊長』の指揮下で『作戦』を決行している。
クーデターまがいの行為を平気で、実行させる政治家である。
その『言葉』には『安定性』がなく、平気で、『嘘』をいう。
得意なのは、戦国武将まがいの、『政局』での武闘派ぶりである。
その『言葉』には『安定性』がなく、平気で、『嘘』をいう。
得意なのは、戦国武将まがいの、『政局』での武闘派ぶりである。
こうした安倍首相のやり口に対して、彼らが『法案成立』と主張して以降も、強い反発が広がっているのは当然のことだろう。
こうした怒りを背景にして、『今後の廃案に向けて、粘り強く戦おう』という声があがっている。共産党は、野党の選挙協力や、『戦争法廃止の国民連合政府』の呼びかけを行っているという。
『野党の選挙協力』は当然のことだと思う。だが、『国民連合政府』というネーミングは何となく、かつての『民主連合政府』(1970年代の遅くない時期に樹立すると言われていたもの)を彷彿とさせる。
『民主連合政府』は共産党と社会党の共闘、連立を柱にした内容だった気がする。
しかし、今日、社会党は(冷静に考えると)ほとんど消滅しかかった存在である。現時点で『戦後革新勢力?』を軸にしても、その力はたかが知れている。
(もちろん、共産党内で、今後の運動を『国民連合政府』樹立に向けた闘いだと位置づけることは、ある意味で組織内での『整理の仕方』であって、勝手ではある。)
他方、今回の安倍首相に対する怒りは、戦後保守思想を担っていた人々を含めた怒りである。戦後保守の本流の路線を、安倍首相は、自民党を乗っ取ることで、クーデター的に転換させた。
『安保法制』反対の世論が広がったのも、小林節氏、柳澤協二氏、長谷部恭男氏など、戦後革新勢力と関係のなさそうな人たちが中心となって、声を上げたからであろう。長谷部恭男氏を、自民党が憲法審査会における参考人として推薦したのも、単なる『人選のミス』と考えるのは間違いで、長谷部氏が自民党にそのように思わせる行動をしてきたからでもあるのだろう。
また、何度も書いているが、参議院の特別委における鴻池委員長も、安倍首相の考えに合わせて、協力的に終始活動していたとは到底、思えない。最終的には、『強行採決』に加担させられたかに見えるが、その行動は、自民党内、そして参議院内における『ギリギリの抵抗』であったように見える。
どういうわけか、鴻池委員長の行動は、私には、中国における『国共合作』の道を切り開いたともいえる、1936年の『西安事件』を起こした張学良を思い起こさせるところがある。
(日本軍に爆殺された張作霖の息子である)張学良は、蒋介石に背いて、共産党と連携=国共合作=しての抗日闘争をいわば強制し、その結果、1975年に蒋介石が亡くなるまで、中国大陸そして台湾での軟禁生活を余儀なくされた。
1991年には台湾からアメリカに移住し、2001年に100歳で亡くなっている。
さらに、シールズに象徴されるような、新たな闘いの芽生えも登場してきた。創価学会員の有志が公然と声をあげるというのも、これまで見られなかった現象である(シールズについては、別の記事にも書きたい)。
年代的にも、政治的な流れと言う意味でも、『異質の人々』が出会い、お互いに反応し合って、大きな抵抗の流れを形成しようとしている。
こうしたことを考えれば、安倍内閣を追い詰める戦い、『安保法制』を覆す戦いは、野党協力とりわけ(中国におけるかつての国共合作ならぬ)民共合作といったレベルにとどまるものであってはならない。
逆に、そのレベルにとどまる限りでは、戦いの本当の勝利の展望はなかなか見えて来ない。
逆に、そのレベルにとどまる限りでは、戦いの本当の勝利の展望はなかなか見えて来ない。
むしろ、安倍首相らのクーデターに反対する、(従来の保守・革新を問わない)広範な人々が力を結集できるような工夫をすべきだろうと思う。
その中で、野党も選挙協力を行うことは、ある意味では、当然のことだろう。
その中で、野党も選挙協力を行うことは、ある意味では、当然のことだろう。
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