昨日、NHK総合テレビで、政府主催の「全国戦没者追悼式」が中継されるのを見た。
いくつもびっくりすることがあった。
まず、中継時間の短さ。11時50分から12時5分までしかなかった。
その前は、高校野球の中継。
その前は、高校野球の中継。
式典の(一部)中継がおわったあとは、ニュース、そして「生活笑百科」という番組。
式典の中継の最後に、続きはBSプレミアムでご覧くださいというような、字幕が画面に出た。
NHKは「公共放送」としての義務を堂々と「放棄している」。
そして、この短い時間の中で、これはあまり新聞記事等では報じられていないことだと思うが、天皇は、一度、「黙とう」の前に「お言葉」を述べようとされていた。いわば、フライングである。
高齢のためやむを得ないであろうし、そればかりでなく、今回の「お言葉」に対する募る気持ちがそうさせたのだとも言える。
高齢のためやむを得ないであろうし、そればかりでなく、今回の「お言葉」に対する募る気持ちがそうさせたのだとも言える。
今回の「お言葉」の内容については、例えば『週刊ポスト』などで、相当、踏み込んだことを述べられるのではないかとの観測記事が書かれていた(他の週刊誌でも一部、見かけた)。
たしかにそれは、嘘ではなかったようだ。
昨日の「お言葉」においても、「過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省」「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」「戦後という、この長い期間における国民の尊い歩み」など、初めて言及される表現があったという(以上、『朝日新聞』より)。
それに対して、安倍首相の式辞は、前日の長い『談話』と比べると、まるで嘘のようなあっさりとしたものである。
アジア諸国への「加害責任」については、3年連続して触れなかった。
アジア諸国への「加害責任」については、3年連続して触れなかった。
それどころか、「遠い戦場に、斃(たお)れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遥かな異郷に命を落とされた御霊の御前に」と続く式辞は、彼の頭のなかでは、日本人の戦没者のみを思っているのだな、ということがありありとしている。
その日本人にしても、戦後70年経過しても、フィリピン、太平洋、中国大陸、あるいはシベリアなど各地に、戦没あるいは戦後の強制労働のなかで死去した人たちの遺骨がジャングルなどに放置されたままになっているのが、無数に存在しているという。
それに、日本では8月15日を終戦記念日としているが、実際に、日本が降伏文書に調印をしたのは、9月2日である。
8月15日から9月2日までの間に、旧満州などにおいて、ソ連軍の南下等によって大量の人々が殺戮され、あるいは死に追いやられたこと、その後、シベリアに強制収容され、またその地で亡くなったこと、これらはソ連が悪いとだけ言ってすませることのできるような話ではない。
8月15日から9月2日までの間に、旧満州などにおいて、ソ連軍の南下等によって大量の人々が殺戮され、あるいは死に追いやられたこと、その後、シベリアに強制収容され、またその地で亡くなったこと、これらはソ連が悪いとだけ言ってすませることのできるような話ではない。
「玉音放送」が流れたことで、「終戦になった」と勘違い?して、その後の処理をきちんと行わず、しかもそれを(あたかも)「聖断」「美談」としてのみとらえる、そのような日本政府と軍部の対応にも、重大な欠陥があったと言わざるを得ない。
(彼らは、自分たちにとって都合の悪い記録文書を焼却処分することだけは、徹底してやったという。)
(彼らは、自分たちにとって都合の悪い記録文書を焼却処分することだけは、徹底してやったという。)
安倍首相もまた、『戦後70年談話』を出したことで、仕事は一段落とばかりに、夏休みの続きに入っているらしい。
先日、再稼働したばかりの川内原発のすぐそばで、桜島が噴火しようとしているのに、どう考えても、随分、のんきな話である。
先日、再稼働したばかりの川内原発のすぐそばで、桜島が噴火しようとしているのに、どう考えても、随分、のんきな話である。
安倍首相は、相当、お疲れのようでもあるし、このような(抜け殻みたいな)人にこのまま、総理大臣を続けさせても、ろくなことはないと思うのだが…。
『共同通信』は例によって、国民が『談話』の内容など、まだあまりよく知らない、その隙をついて、緊急世論調査などを敢行して、内閣支持率が回復したと宣伝しているようだが、こういうドサクサ紛れの世論調査は、意図的なものでしかない。
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