この記事の後篇、昨日書いてアップすべきところ、一日、間があいてしまった。
実は、昨日(13日)は朝から、別の映画を見に行った(それについても感想を書く予定)。

高齢の母親が一人暮らしをしているのに、映画ばかり見に行っている(といっても、今週に入って、入院-手術後、久しぶりに行っているつもりなのだが)のも、少し気が引けて、その後、実家まで出かけて、母親のために必要なものを近所のスーパーまで買いに行ったりして、その後、自宅に戻る。

こうやって、一日中、ぐるぐる回っていると汗はかくし、当然、疲れる。
それで家に帰ってビールを飲むと(一昨日は、意識的にアルコールを飲まない日にしていた)、たちまち疲れを感じて、ブログの記事を書くことなど、『後回し』になってしまった次第だ。

さて、映画『日本のいちばん長い日』の話。

この映画は、やはり、今日の社会状況にある意味では、マッチして作られていると感じる。
昭和天皇と阿南陸相と鈴木首相が、みんな『いい人』になってしまっている。それぞれが立場は異なるが、日本の戦争終結に向けて努力したというストーリー。

(『戦争』というものを全体として描くのならば、その『終結』についての責任だけでなく、『開戦』にあたっての責任、あるいは『戦争遂行中』の事態についての責任も問われるべきだと思うが…。もちろん、日本の政治システムは、まったく『合理的』なものでなく、単純に天皇の責任が問われるようなものではないと感じてもいる。

いずれにしても、『明治維新』以降の天皇を中心とする日本の政治システムは、たったの三代の天皇のもとで破綻してしまった。)


おまけに、最後にクーデターを起こす青年将校たちまでが、普通の青年たちのように書かれている。
私の記憶では、1967年公開の岡本喜八監督版の『日本のいちばん長い日』では、青年将校たちがまるで狂気にとりつかれたかのように、激しい存在として描かれていた。

また、今回の映画のような昭和天皇、鈴木首相、阿南陸相を巡るホームドラマのような『あたたかさ』は存在せず、(そもそも昭和天皇は影のような存在としてしか登場しない。顔も見せない)阿南陸相も三船敏郎が演じ、そこには激しい『対立』(ドラマ)が存在していたように思う。

もちろん、歴史に対する考え方の差もあろうが、1945年から22年後に撮影された映画(終戦直後の記憶を多くの人たちが共有していた)と、戦後70年で撮影された映画(安倍首相ですら、『終戦』から10年近くたってから生まれたのだから、戦争をしっているわけではない)との違いも大きいと思う。

おまけに今回の映画、率直に言って、『何のために撮られた』のかその製作意図が良くわからない。

この映画は、脚本の構成がうまくまとまっていないように感じる。
登場人物がある意味で多すぎる。
阿南陸相の家族など多くの人にスポットを当てすぎている。
ドラマの骨格を自ら、壊している印象を受ける。

また『日本のいちばん長い日』というタイトルを付けながら、8月14~15日よりも、それ以前のストーリーをただ、時系列的に並べている部分が多いのも気になる。

映画のシーンに、(小説みたいに)いちいち『タイトル』を付けている箇所が多いのも、脚本の構成がうまくできなかったことへの『対応策』のように見えてしまう。


また、こういう『製作委員会』方式で作られる映画の宿命なのかもしれないが、読売新聞社と中日新聞社(『東京新聞』も発行)という大手メディアが、一緒に名前を並べているのも、『安保法制』に関して、『読売新聞』と『東京新聞』が全く異なる論調であることを考えると、『興ざめ』である。

総じてこの映画は、いろんな立場の人たちが、内容を受け入れやすくするために、『とんがった部分』を丸めて作られた映画のような印象を受けてしまう。
(今、流行の『マーケティング』という考え方の間違った使用法のような気がする。)

まあ、これは脚本・監督の原田眞人という人を良く知らないための、『曲解』『誤解』の部分もあるかもしれないが…。


この映画を見て、1967年の映画のDVDをもう一度見たいと思って(カミサンも見たいといっているようだ)、昨日、2ヶ所のツタヤによってみたが、貸し出し中(といっても、1本しか置いていない)だった。





[https://politics.blogmura.com/politicalissue/ranking_out.html にほんブログ村 政治・社会問題]
 
 にほんブログ村のランキングに参加しています。
 この記事が面白いと思われたかたは、上記URLをクリックしてください