4月5日、初めて沖縄で、翁長県知事と菅官房長官との会談が行われた。
昨年11月16日に翁長(おなが)氏が県知事選で勝利してから、まもなく4カ月になんなんとする。


これまで、安倍首相とともに『粛々と』、知事との面談を拒否しておきながら、今月末の安倍首相の訪米、そして初の上下両院合同会議での日本の『総理大臣』演説という『晴れの舞台?』(といっても、前は上院、下院別々に演説をしていただけの話で、別にどうといったことではない。何でも『記憶』よりも『記録』を大事にしたいらしい安倍首相の特徴である)を前にして、安倍・菅氏らは『試験目前の、一夜漬け』に余念がない。

しかしこれは、『訪米』に向けて、オバマ大統領に対して、『私も頑張っている』と示したいだけの話で、同時に、『統一地方選』向けの対策でもある。

安倍首相と波長が合うらしい、橋下大阪市長が、『統一地方選』と5月の『大阪都構想』の住民投票に向けて、今頃、わざとらしく上西小百合議員をマスコミに注目させて、『維新の党』から除名するというパフォーマンスを実施しているのと、似たような行動パターンである。


だが、日本本土のマスメディアは、安倍首相にあまりにも、飼いならされてしまった。
NHK以下、多くのマスメディアが、全くといっていいほど、沖縄の人々の主張を伝えず、むしろ安倍首相、菅官房長官のほうの見解に重点を置いて伝えている。

だから、なぜ、沖縄の人が怒っているのかわからないし、なぜ、菅官房長官が妙に『低姿勢?』になって<『粛々と』>という言葉を封印するなどと言っているのかわからないだろう。
(もっとも、『粛々と』などと言わなくても、態度が同じなら、問題の本質的な解決にはならない。)


私自身、この間、沖縄・辺野古の問題を扱った『圧殺の海』という映画を見て、『ああ、そういうことだったのか』と気が付いたくらいだから、大きなことは言えない。

だが、沖縄の人たちの言い分は、こうだろう。
沖縄は、第二次大戦後、いわばアメリカに売り渡された。アメリカが沖縄を自由に米軍基地の島として使用できる権利を、日本政府は与えることで、日本国の『独立』(1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約の発効による)を果たした。

その後、沖縄の人々は、日本に『復帰』すれば、米軍基地の隷属から逃れられるということを期待して、『復帰運動』に島ぐるみで取り組んで、1972年の沖縄返還を実現した。

ところが、まるで(生活のため、自分の子供を)『養子』に出していたのが、それを引き取った母親が、自分の子供に対して、冷たくて、虐待をするかのような状態が、今の日本本土と、沖縄との関係ではなかろうか?


全国の面積の0.6パーセントに過ぎない沖縄県に、米軍基地の74%を押し付けて平然としている。
辺野古の問題も、沖縄の人々のとらえ方と、本土政府、その主張ばかり垂れ流す本土のメディアのとらえ方は、大きく食い違っている。

安倍首相は、普天間飛行場が『危険』だから、その危険除去のために、辺野古への移設が、一日も早く必要だと主張している。
一方、沖縄の側は、辺野古に米軍と日本政府が一体となって作ろうとしているのは、新たな基地であり、その強化・拡大であると主張している。

『耐用年数200年、オスプレイ100機、揚陸強襲艦』が着岸可能な岸壁を持つ軍港が作られようとしているのだという。

米国に対しても、沖縄における基地機能の維持の必要性について、きちんと交渉をしていない(たとえば、米軍基地周辺でいつ住民の怒りが爆発するかわからない状況は、アメリカだって嫌なはずである)。

さらに、沖縄の基地機能を、どれだけ日本の他の都道府県に移設できる可能性はないのかについても、今や、『一強』となって、いろんなことができるはずの安倍内閣は、トライしようとしていない。


比喩で言えば、安倍首相は、まるで本国から任命された、植民地の総督のような態度で沖縄県民に接しているのである。

そして、『イスラム国』の人質事件ではないが、アメリカが不当に、『人質』?をいつまでも返そうとしないのに対して、(普天間が危険だから)『普天間』という『人質』を返してくれるのだから、今度は『新たに辺野古というより、価値のある人質を、自主的に提供せよ』と主張している。
つまり、アメリカが『人質の交換』を申し出ているのに対して、『アメリカの要求は不当である』と非難するのでなく、むしろ、沖縄県民に対して、『わがままを言わないで、代わりの人質として、辺野古を提供せよ』と迫っているのである。

安倍内閣は、日本政府としての役割を放棄している。

アメリカに対して、要求を実現できないなら、せめて、本土の他の府県に普天間の機能を移転できないのか、もっと詰めて検討するのが筋だろう。

そして、それが十分できない(少ししか、沖縄の負担を軽減できない、あるいは徐々にしかできない)のであれば、安倍首相や菅官房長官が、むしろ、沖縄県民にお願いをするのが筋であろう。
場合によっては、土下座をするくらいのパフォーマンスをやらなくては、(とりあえずの)解決すら見ることのできないような事態である。

安倍首相が推すことによって、沖縄県民からまるで、『裏切者』視されるに至った、仲井眞前知事が選挙で負けたことに、沖縄県民の『民意』があることを知れば、それこそ、『ていねいに』、沖縄県民の理解を求めて、粘り強く『話し合い』をするのが、当然の職務であろう。

それがやることはといえば、沖縄の声を、本土の人々に伝えないように、メディアに圧力をかける、翁長知事らとは面会拒絶の状態を続ける、辺野古の移設作業は『粛々と』継続する、はては、沖縄県民から『裏切り者』視されている仲井眞前知事の側近を、内閣参与として新たに登用するというのは、まるで(問答無用の)ヤクザのやり方である。

到底、まともな『民主主義国』の総理大臣のやることとは思えない。

安倍首相は、嘘を貫くこと、それが日本人の国民性には合っていると一人で、勘違いしているのかもしれない。
実際、福島でも、原発再稼働の問題でも、その方式で『粛々と』地移行しているではないかと…。
NHKも『朝日新聞』も『テレビ朝日』も屈服させているではないかと。


こういうことをやり続ける方が、『強い総理大臣』というイメージづくりに貢献し、現に支持率は高い数値をキープしているではないかと。

この『愚かな政治家』と日本は、一緒に沈むことを選択するのかどうか、まさに今問われている。
安倍首相のやっていることは、日本を取り戻すことではなく、日本を破壊し、その基盤を突き崩すようなことばかりである。
一生懸命、従来の『日本ブランド』のイメージを破壊している。

翁長知事のほうが、本来の自民党の政治家としての動きに近い。ましてや、沖縄の自民党は、逆に、『オール沖縄』の闘いを経験することで、より民衆に寄り添う政党へと進化しつつある。

それとはまったく反対に、安倍首相は、従来の自民党の政策を投げ捨てて、『戦後レジーム』を逆転させ、日本を『戦う国家』へと変身させることに情熱を燃やし、沖縄の人々を犠牲にしてでも、それを実現しようとしている。

安倍首相・菅官房長官らと翁長沖縄県知事らの話し合いが、見解の食い違いを露呈するだけで終わってしまったのも、むしろ当然のことでしかない、という気がする。





 
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