先日、<【拉致問題・北朝鮮協議】安倍の拙劣外交では、罠にはまる恐れあり>というタイトルで記事を書いた。しかし、ここに書いた内容は、自分でも誤解を招きかねないと思っていた。

 
それは、横田夫婦のこと、あるいはめぐみさんのことをほとんど書かなかったからだ。
少し、補足をしておきたい。
 
私は、タイトルにも書いたように、横田さん夫婦に孫と会わせるのをやめよ、と主張しているわけではない。
私も2年ほど前に(上の)娘を亡くしている。
(それが、あまり、3・11の3周年のような文章を、書く気がしなくなっている一つの理由だ。)
 
娘が亡くなる――それは一昨年の4月のことだったが――前までは、私にとっては、結局、<3・11>という日付は、なんだかんだ言ってみても、どこか他人事的な部分があったのだろう。
 
娘が亡くなることによって、<3・11>という日付は、単なる日付ではなくなってしまったような気がする。例えば、<3・11>3周年ということは、娘の死から2周年が間もなくやってくるということでもある。
 
だから横田夫婦が、お孫さんの顔を見ながら、めぐみさんの面影を追いかけているという話も分かる気がする。
私も、娘の残された子供たち(女の子2人)を見ながら、娘の面影を見出すことがある。
 
だが、どのようなとらえ方をしても、安倍内閣が「拉致問題」を北朝鮮に対する「取引材料」=「カード」として使用していることは、ほぼ明らかだと思う。
人々の横田夫妻に対する関心、同情を政治的に利用しながら、政治的決着の「間合い」をはかっている。
 
先日、飯島内閣参与の批判めいた記事が新聞に出ていた(前の記事で引用した)が、あれは、この問題について、安倍内閣の内部で、あるいは安倍内閣と外務官僚との間で、行われている「議論」や「葛藤」の一部が露呈したものに過ぎないだろう。
 
飯島参与自身が、この北朝鮮との交渉過程にからんでいることは明らかのように思われる。
彼は、うまくいかなかった場合(何をもって、「うまくいく」と考えるのかが難しいところではあるが)に、自分に責任追及が及んでくるのを、あらかじめ避けようとして、他人にその責任を回そうとして、あのような発言をしているのであろう。
 
こういうことを書くと、何と「政治的なのか」「嫌らしい」という感想を持たれるかもしれないが、そもそも政治と言うのはそういうことの塊である。
 
そして、安倍首相は、「拉致問題」を自分の内閣が解決しなければならない問題、と主張し続けることで、日本が韓国、中国、そしてアメリカと緊張関係をはらんでいる中で、日本が政治的に「救われる」=北朝鮮との関係を「改善」するための一つの「材料」「カード」として、使っているのだ。
 
少なくとも、現在、既に取引材料になってしまっていること、そして、そういう状況下で、「ヒューマニズム」を強調しすぎることは、この政治的取引を逆に免罪してしまう場合もありうることを、意識しておきたい、と思う。
 
安倍首相が、横田夫妻が孫と面会しているニュースを聞いて(もちろん、彼が責任者として認めたのだから、先刻承知であろう)、安倍首相が涙を流している、と言うような記事があった。
もちろん、彼も人間だから、そのようなことをするだろう。
 
だが、例えば、朝鮮人元『慰安婦』の(非常に高齢な)人々の人権を平気で踏み続けるようなことばかり主張する人が、こういう場合にだけ『涙を流す』としたら、その『涙』は一体、何なのだろうか…。
 
 
 
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