NHKの朝の連続ドラマ『あまちゃん』、9月一杯で終了ということで、いよいよ東日本大震災の模様が描かれ始めた。
『あまちゃん』ファンの皆さんは、既にご存じのことばかりだろうが、あえて書きたいことがある。
先週土曜日の放送の分から、ナレーションが能年玲奈さんから小泉今日子さんに変わった。
こういう交代は、前に、宮本信子さんから能年玲奈さんに変わったときに、予想しないでもないことだった。
こういう交代は、前に、宮本信子さんから能年玲奈さんに変わったときに、予想しないでもないことだった。
先週の土曜日のナレーションでは、(一種の引っ掛けなのか、橋下愛さん演じる)ユイちゃんが、震災で『亡くなる?のでは』と思わせるような一節があったので、緊張した。
どうなるかと思って、今週の月曜日の放送を見た。
幸い、番組に出ていた人の中で、だれかが亡くなったという話は今(3日、火曜日)のところ、出ていない。
幸い、番組に出ていた人の中で、だれかが亡くなったという話は今(3日、火曜日)のところ、出ていない。
全員、無事だったようである。
(もちろん、北鉄こと三陸鉄道は被災して、ユイちゃんや大吉さんの乗った列車はトンネルの中でストップしてしまった。)
また、この番組の『震災』の描き方で、例えば津波などの映像は一切使われず、ジオラマ(鉄道模型)が壊れた様子や、テレビ画面を見ているあきちゃんなどの表情によって、あの『震災』の模様を描き出しているのは、『さすが』だと思う。
言うまでもなく、2011年にあの映像を見たほとんどの日本人は、あれが忘れられない(私も当時、北京に住んでいたが、中国のテレビで繰り返し映像を流していた)だろうこと、また、現在でも多くの被災者が苦しんでいるであろうことなどを考慮しての『映像処理』の仕方だと思う。
この番組は、初めて本格的に3・11のことを扱う連続ドラマなわけで、なかなかチャレンジングなことをやっている。
だが、それらを踏まえても、少し残念な気がすることがある。
だが、それらを踏まえても、少し残念な気がすることがある。
それは、3・11のもう一つの側面である『原発事故』について、今のところ、一度もというか、まったく触れられていないことである。
もちろん、このドラマが岩手県久慈市を『現場』として設定してスタートする時から、『原発事故』については、おそらく扱わないのだろうとは思っていた(久慈市は同じ岩手県といっても、最も北側の、福島からは遠い地域である)。
それに政治状況からいって、民主党政権から自民党に変わるであろうことは、昨年の衆議院選挙の前からはっきりしていた。
そして、自民党の安倍政権が、『原発事故』に対して、民主党よりも後退した態度をとり、『原発推進』路線に戻るらしいということは前から言われていた。
それに、NHKといえば、『公共放送』でありそこで放送される内容に対して、政府はもとより(左右を問わず)民間の視線も非常に『厳しい』ものがあることは、はっきりしていた。
だが、今週に入って3・11のことが、いよいよこのドラマの中で取り上げられるにしたがって、やはり『寂しい』ものを感じてしまう。
今日(3日)の放送では、特に、3・11以降、『自粛』とか『デモ』とか『絆』とかいろんな言葉が出回ったということが言われていた。
(おそらく、2011年の夏に向けて、今後、時間の流れ方をはやめようとしているのだと感じる。)
(おそらく、2011年の夏に向けて、今後、時間の流れ方をはやめようとしているのだと感じる。)
だが、『放射能』とか『原発』とかいう言葉は、一切出てこなかった。
この番組が放送されている、現実の時間の流れとの(ある種の)タイミングの『悪さ』も問題なのかもしれない。
ちょうど今、日本政府は、2020年の東京オリンピック誘致に向けて(最後の?)努力を傾注していて、皇族などを無理しながら引っ張り出してきている(それに対しては、『政治利用』という批判も出ている)。
この間までは、『放射能汚染水漏れ』のことを大きく騒がれると、オリンピック誘致に向けてまずいとばかりに、国会の(閉会期間中の)審議すら『拒否』していた。
だが、さすがに、このままでは『内閣支持率の低下』という『しっぽに火』がつく状況になりかねないので、今度は、あわてて『対策を発表』するなどと言い始めている。
ちょうど、今週はオリンピックに向けて、日本の『不都合な真実』を世界から隠そうとしている1週間である。
『あまちゃん』にも無理なことは要求したくない。
クドカンの脚本もよくできているし、役者たちの頑張りも伝わってくる。
クドカンの脚本もよくできているし、役者たちの頑張りも伝わってくる。
このドラマは(よくありがちな)『勧善懲悪』のすかっとしたドラマではなく、『本当に悪い人は誰も出てこない』(しかし、人々の悩みはきちんと描かれている)という不思議なドラマである。
視聴率は『半沢直樹』よりは低いというが、最後まで見ていきたいドラマである(『半沢直樹』の高視聴率現象も、なぜそのようなドラマがヒットするのを考えると面白そうなネタである)。
これらを、承知の上であえて書いているのだが、何とか『ゲリラ的?』な方法に訴えてでも、『原発(事故)』という文字なり言葉を(今後の)ドラマの中に登場させてもらえないものだろうか?
例えば、このドラマはこれまで『週刊新潮』や『週刊現代』の表紙などを画面の片隅にチラチラさせながら、登場させてきた。
『週刊現代』では例のヌードの袋とじまで(太巻プロデューサーの心理状態を説明するための)小道具として登場させた。
『週刊現代』では例のヌードの袋とじまで(太巻プロデューサーの心理状態を説明するための)小道具として登場させた。
それと同じ『手法』でも構わない。
『原発事故』あるいは『放射能』の危険を訴える『週刊現代』あたりの表紙でもよい(あるいは、『放射能は危なくない』と主張する週刊誌と並列的に写してもよい)。
何とかして、そういうものを写して、3・11には原発事故もあったのだということを、このドラマの中で少しでも表現してほしいという気がする。
本来なら、こんな話は、『表現の自由』が大幅に制限されている中国のメディアの報道に関連してでも述べるべきような話であり、日本のメディアの放送内容について、このようなことを書かなければならない事自体、おかしいことだ。
しかし、現実は、日本の『自由』はそんなに立派なものではない。
(それは、多くの人の知っていることである。)
だから、時には、中国における『ゲリラ的手法』を日本の側が学ばなければならないこともあるのだと思う。
(それは、多くの人の知っていることである。)
だから、時には、中国における『ゲリラ的手法』を日本の側が学ばなければならないこともあるのだと思う。
当然、このドラマは既に収録が終わっている。
だから、今さらこんなことを書いてみても、あまり意味はないかもしれないが、それでも書いてみた。
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