本日(25日)、珍しくカミサンと一緒に、映画『風立ちぬ』を見に行った。

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ネットで上映中の映画館を探したところ、この映画館(イオンシネマ新百合ケ丘・川崎市内にある)が最も近い(というか交通費が最もかからない)ようなので、ここに出かけた。
先月まで、『ワーナー・マイカル』という名称だったはずだが、合併により『イオンシネマ』に統一されたみたいだ。
 
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見に行ったのは、一番、早い上映時刻(9時35分?)だったのだが、チケット売り場は結構、人が並んでいる。
カミサンに並んでもらったので、私は、その間、館内の情景の写真をアイポッドタッチで撮っていた。
 
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こういう様子は、春まで5年間、住んでいた中国の映画館と変わらない。
ただ、中国ではどういうわけか映画館に来ている客が、比較的少なかった(映画館の数が多すぎるのか、入場料が高すぎるのか、海賊版がはびこっていて、しかもネットでそれを見る人が多いせいか、よくわからない)。
中国で、一番、大勢の客が詰めかけているのを目撃したのは、北京で『アバター』を見た時くらいだろうか?
 
ここから先は、写真を撮っていない(中国では、スクリーンや椅子の様子くらいは撮影したが)けど、上映していたスクリーンはおそらく200人くらいは入場できそうな感じだったが、席を埋めたのは、そのうち、せいぜい3割くらいか…。
 
チケット売り場あたりで見かけた多数の子供は、ほかの映画を見ているようで、子供の数は少ない(おそらく、子供が見ても内容はわかりにくいと思う)。
私みたいに年齢が高い客も結構いて、(若い人もそれなりにいるが)観客の平均年齢はかなり高そうな印象であった。
 
参議院選挙直前に、スタジオジブリで発行している広報誌の『憲法改正』反対の特集号が報じられたことから、現在の時代風潮を心配している世代の人々が見に来ているのかもしれない。
 
正味126分の上映時間を終えると、すでに12時近かった。
(昼食は、新百合ケ丘周辺はよくわからないので、結局、自宅のそばの駅にまで引き返してカミサンと一緒にとった。もっとも、フードコートのようなところで食べたので、食べるものはカミサンと全く異なった。)
 
この映画、これから見ようと計画している人も多数、いるかもしれないので、『ネタバレ』とか、見る人の興味をそぐようなことを書きたくない。
だが、ブログの記事を書いているからには、何か私の感想や、あるいは情報提供をしなければ意味がない。
 
一言でこの映画の感想を言うと、少し生意気な書き方をすると『宮崎監督の意欲は買うが…』といったものになるだろうか?
映画の評価は、当然、ひとりひとり異なるのが当然だし、あるいは私自身も、例えばもう一度、この映画を見直せば、評価は変わる可能性がある。
 
だが、現時点では、『やけに矛盾だらけの映画だな』という印象である。
 
映画の主人公は、すでにやたらに宣伝されているように、戦闘機『零戦』を設計した堀越二郎(1903年~1982年、映画の主人公も同じ名前になっている)と、小説『風立ちぬ』や『菜穂子』などを書いた作家堀辰雄(1904年~1953年)をミックスしたような設定になっている。
 
映画の主人公の堀越二郎も、飛行機が大好きで戦闘機の設計に夢中になる(映画では三菱系列の航空機メーカーに勤務していることになっていた)。ただし、本当は戦闘機ではなく、純粋に平和のための飛行機を設計したい人物のようだ。
 
映画の中でも、主人公の堀越二郎本人はあまり語らないが、周囲の人物が、『日本の進んでいる道が破滅への道であること』を示唆するようなセリフが随所に出てくる。
あるいは、実在のスパイ・ゾルゲ(ソ連のスパイとして、ナチス・ドイツの日本大使館に深く潜入した。日本の近衛内閣の周辺人物にも影響は大きかったという。官憲に摘発され、処刑された)を彷彿とさせるような人物も出てくる。
堀越二郎の周辺にも特高(治安のための特別警察)の姿がうろうろしている。
 
そして、ストーリーのもう一つの鍵は、主人公と里見菜穂子との恋である(菜穂子という名前は、堀辰雄の『菜穂子』という小説からとったものだろう)。
菜穂子は、病におかされている。
(ただし、この映画は、恋愛を第一の柱とした映画というわけでもない。)
 
このようなストーリーであるが、結局、堀越二郎(というよりも宮崎駿自身のことになるが)が、戦闘機が大好きであると同時に『戦争に反対』であるという矛盾は、残されたままである。
(映画の中の堀越二郎自身が、戦争についてどう思っているのかは、結局、よくわからない。)
 
この映画は、少しだけ作り替えれば、『日本を守るために』戦闘機の設計に命をかけた男と、それを支えた女性との、美しい愛国映画になったことであろう。
そのほうが、ずっと話はわかりやすいし、あるいは感動的なものであったかもしれない。
 
宮崎駿監督は、そのような作品を作ることを『拒否』した。
同時に、映画がそのようなものとして、『解釈』されることをも拒否した。
 
あの『スタジオジブリ』の雑誌の『憲法改正』に関する特集は、こうした『解釈変え』を拒否するための『行為』であったのかもしれない、という気がする。

 
もちろん、そこには『憲法改正』に対する、より純粋な気持ちもあったことだろう。あるいは、『商業主義的』な動機(例えば、『話題づくり』というような。あるいは、今回の『風立ちぬ』は大人のためのアニメだから、小さな子供が間違って見に来ないようにとの告知の意図など)がまったく含まれていなかったかどうかは、私にはわからない。
 
しかし、それは逆に考えると、映画『風立ちぬ』自身は、矛盾に満ちた作品であり、それを見ただけでは、『当然、宮崎監督は最近の憲法改正の動きには反対でしょ』という風に受け取られないおそれがあるということも意味していたのかもしれない。
 
(続く)
 

 
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