この記事、今回が(このシリーズの)最終回とするつもりである。1日、別の記事を間にはさんだら、何を書くべきか、自分自身の中で少し焦点がぼけてきた。
 
日曜日に自衛隊富士学校の『訓練展示』というのを見てきた。
そこでの大砲の砲撃音が凄まじかったと書いた。
 
まさに天地を震わす勢いであり、『破壊そのもの』の振動を感じた。
このことを、家に帰ってからカミサンに伝えると、カミサンは至極、冷静な感じで、『初めて見たからじゃないの?二度目は慣れて(そんなことは)感じなくなるのでは』と言う。
 
たしかにそうかもしれない。
ただ、それだけではないような気もする。
 
この砲撃音にさほどショックを感じない人は、もちろん、『訓練展示であるから、見ている自分のほうに飛んでくることはない』と信じていることが前提であろう。
ただ、それだけでなく、こういう『爆撃』『射撃』というものは相手(敵?)をやっつけるためのものであり、相手(敵?)が自分の側に撃ってくるものではない、と考えているのではなかろうか?
 
つまり、武器(兵器)は相手を効率的に『やっつけるため』に便利な機械である。自分たちが効率的に『破壊』『処分』するための機械ではない、と思い込めているかどうかがポイントなのではなかろうか?
 
この日、こうした『訓練展示』を見ていて、今日の戦場では『一種のゲーム感覚』で敵を殲滅する競争がおこなわれているのだろうな、と感じた。
一昔前の戦争映画のように、直接の敵(相手の兵士)の顔が見えていて、だれと殺すか殺されるのかの戦いをしているかが把握できるわけでは必ずしもないだろう。
『見えない敵』から、一瞬のうちに砲撃されたり、あるいは逆に『見えない敵』を一瞬のうちに殲滅する、そのような闘いが展開されているのではなかろうか。
 
極めて『非人間的な状況』が生み出されている。こうした戦争だからこそ、アメリカ兵などで、戦場から戻ったあとに神経を痛めて、それが理由かどうかわからぬが、母国の市街で銃を乱射して『達成感』を味わおうとするような輩が生み出されてきたりするのではなかろうか?
 
この日、この『訓練展示』が終わったあとも、帰りのバスに乗り込めるのは午後2時半だったので、それまで結構、時間があった。
また、戦車などを見たりした。
今度は、『訓練展示』を見終えた人達も合流していて、見物人は多かった。
 
ただし、私はもしかしたら、『熱中症』に多少なりかかっていたのかもしれない。
何となくけだるい感じだった。
(夕方、自宅に帰ると、カミサンが私の顔を見て、『どうしたの?』という。日焼けがかなりひどくて、顔がまっかになりかかっていたようだ。帽子もかぶっていなかったし…)
 
富士学校の中をぶらつく中で、『資料館』というところに遭遇した。
そこで、見たものの写真をいくつか紹介しよう。
イメージ 1

『資料館』の看板。
 
イメージ 2

入ってすぐのところに、こういう像が立っている。
 
イメージ 3

富士学校のシンボルで『三人像』というらしい。ここは、三つの職種(普通科、特科、機甲科)があり、それら三職種が協力しているさまを表しているとのこと。
 
イメージ 4

戦前の状況についての展示もあった。当たり前のように『大東亜戦争』という言葉が使用されている。
 
イメージ 5

戦後は、連合軍(主力は米軍)による占領下に置かれていたわけで、『独立国家への模索期間』という掲示の中の用語が目を引く。
 
イメージ 6

さて、『将来』についてだが、今後、憲法改正がされて『国防軍』にでもなれば、おそらくここの展示内容なども大きく変わるのではないかと推察される。
 
そういえば、この『資料館』の中で、アイポッドタッチを使って撮影していたら、『館内で撮影をしてもいいの』などと客同士で話している人もいた。
こちらは、何かおかしな展示内容を見つけたら、文句を言ってやろうと思いながら、写真を撮っていたのだが…。
 
イメージ 7

最後に書き忘れたが、この日のイベント会場の掲示板には、このような文字も残されていた。『絆』という言葉が強調される場合は、多少、気をつけたほうがよいようにも思う。

これは、中国のような国家でも同じだが、『絆』が強調されるのは、本当の意味での『絆』がかなり薄れてしまっている状況の元である。
(この記事、今回でいちおうの結びとする。)

 
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