私は、これまで憲法について、きちんと勉強してきたわけでは全くない。むしろ、憲法などというような『面倒な?問題』はどちらかと言えば、避けてきたといったほうが正しい。
だから、一昨日(26日)、羽田空港で『産経新聞』を購入して、『独立自存の同義国家』を目指すという『国民の憲法』要綱なるものを読み出しても、よくわからないことが多かった。
というのは、現在の憲法の条文がどうなっているのか、なかなか思い出せない箇所が多かったからだ。あるいは、自民党の『憲法改正草案』でどう規定しているか、わからない部分も多かった。
そこで、大分空港について、そこから大分駅前行きのリムジンバスにカミサンと一緒に乗り込むと、持参してきていたパソコンをリュックの中から取り出した。
それで、最近、パソコンの中にダウンロードしていた『自民党憲法改正草案』のファイル、あるいはそのQ&Aのファイルを開いて調べてみた。
そこには、自民党の憲法改正草案と現行憲法の条文が、比較対照して掲載されている。
そこには、自民党の憲法改正草案と現行憲法の条文が、比較対照して掲載されている。
これをながめることで、ようやく、『国民の憲法』要綱の意味をおぼろげながら、把握することができたような気がした
本来は、(日本国憲法の)大日本帝国憲法との条文の比較をまとめた資料があれば、さらにわかりやすいのではないだろうか?
ともかく、産経の『国民の憲法』要綱は、日本国憲法よりも大日本帝国憲法のほうにむしろ近いような印象(予感?)を持っている。
それはそうと、なぜ産経新聞がこのタイミングで発表したのか?
私は、それは安倍首相の推進する憲法改正(特に憲法96条の改正手続きの改正)を応援することにあると思う。
私は、それは安倍首相の推進する憲法改正(特に憲法96条の改正手続きの改正)を応援することにあると思う。
この『国民の憲法』要綱を読むと、むしろ『自民党憲法改正草案』が穏健なものに見えてしまう。ところが、本質的にはそうではない。
『自民党憲法改正草案』は、『国民の憲法』要綱に通じるものを、ほぼすべて備えているといってよいのだろう(もっと、これら両者の比較も必要だが)。
何よりも、この『国民の憲法』要綱は、憲法96条(いわゆる衆参両院における3分の2以上の発議→国民投票を要件としている)の改正にとって意味があるのだろう。
なぜなら、今日、憲法96条改正を急ぐ動きに対する批判として、『どのような憲法改正をしようとしているのかの議論がほとんどされない中で、96条の改正のみを先行させるのは、順序としておかしい』という議論がある。
ところが、こういう『国民の憲法』要綱をまとめて発表すれば、一見すると『どのような憲法改正をしようとしているのかの議論』が、充実して進められているかのように装うことができる。
こうした効果を狙って、この『国民の憲法』要綱の発表がされたのではないかと思う。
実際、『産経新聞』の憲法改正に突き進む勢いは、昨日(27日)の紙面を見るとさらに進んでいる(昨日も、無料のネット版だけでなく、『産経新聞』の紙ベース版を購入した。1部100円なので、たしか150円するはずの朝日新聞などと比べるとずっと安い。困ったことだが)。
今後また、別途紹介でもしていきたいが、5面の『政論』というコラムには、次のように書かれていた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130427/plc13042711350008-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130427/plc13042711350008-n1.htm
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安倍首相は、どのような改憲スケジュールを描くのだろうか。
初めての国民投票の時期を予想すれば、早くて来年12月、遅くとも平成27年9月になるのではないか。政治情勢次第では、国民投票と次期衆院選とを合わせた「改憲ダブル選挙」の可能性も十分にある。
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大阪冬の陣のあとに、徳川の側が大阪城の堀を埋めて、それが大阪城の落城(大阪夏の陣)に通じだと言われている。
以下、ウィキペディアより。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E9%99%A3
以下、ウィキペディアより。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E9%99%A3
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和議条件の内、城の破却と堀の埋め立ては二の丸が豊臣家、三の丸と外堀は徳川家の持ち分と決められていた。この城割(城の破却)に関しては古来より行われているが、大抵は堀の一部を埋めたり、土塁の角を崩すといった儀礼的なものであった。
しかし、徳川側は徹底的な破壊を実行する。松平忠明、本多忠政、本多康紀を普請奉行とし、家康の名代である本多正純、成瀬正成、安藤直次の下、攻囲軍や地元の住民を動員して突貫工事で外堀を埋めた後に、一月より二の丸も埋め立て始めた。二の丸の埋め立てについては相当手間取ったらしく周辺の家・屋敷を破壊してまで埋め立てを強行した。講和後、駿府に帰る道中に家康は埋め立ての進展について何度も尋ねている。工事は23日には完了し、諸大名は帰国の途に就いた。この際、門や櫓も徹底的に破壊されている。
この間、豊臣方は「二の丸の埋め立ては当方の受け持ちである」と抗議したが、徳川方は「工事が進んでいないので、手伝う」といい約定破りのかたちでそのまま、埋め立てを行ったという説もある(ただしこの史料の信頼性は低い)。
内堀まで埋め立てることは当初からの和議の条件であった。そのため、豊臣方の制止を無視して「だまし討ち的に」内堀まで埋め立てたとする通説は俗説であるが、以上のような経緯が誇大に伝えられた結果と考えることができる。
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上記の文章では、いろいろ細かく書かれているが、ここは「通説」「俗説」のままに考えたほうが、話はわかりやすい。
憲法96条改正が、大阪城の内堀埋めに相当しないと考えるほうが、むしろ、判断を誤ってしまうのではなかろうか。
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