前回の続きを書く。
今回、安倍首相がとりあげている『育児』あるいは『留学』という視点は、非常に重要で、面白い着眼点であるとは思う。
今回、安倍首相がとりあげている『育児』あるいは『留学』という視点は、非常に重要で、面白い着眼点であるとは思う。
ただ、それが、どこかひどくズレてしまっているという気がする。
まず、『育児』については、それが『核家族』の問題、あるいは『女性の選択』の問題にせばめられてしまっているところに、問題があると思う。
多くの場合、女性がどのような生き方をするのかという、『選択』の問題として片付けられ、その結果、『悪循環』から脱することができないでいる。
安倍首相の掲げようとしている政策は、この『育児』の問題を社会全体で面倒を見る、『個別の女性』への押し付けから脱却することができているのかどうかが、よくわからない。
横浜市などの柔軟な『育児施設』活用の動きを広げてしているかのようにも見える。
だが、他方では、『育児休業』の期間を3年間に延長する、しかも大企業への要請によってそれを実行しようとしているかのようである。
『育児休業』は今日、なかなか本格的に普及することができないでいること、しかもそれを取得した特に女性労働者が、そのあとの職場復帰(保育施設の活用)という点で、実際には『働き続けることのできる』仕組みになっていないことが問題だと思う。
それを、今回、安倍首相がどこまで行っているのかわからないが、『3歳までは母親が育てるべき』と言っているようにも聞こえる流れの中では、単に安倍首相は、こんな努力をしました、という話だけで終わってしまいかねないような危険性を感じる。
安倍自民党は、民主党政権が目指したことはすべて『間違い』というようなトーンで片付けがちだが、『女性が働き続けることのできる社会』『男女が共に支える社会』を目指すという点は、民主党の政策の中で評価されるべき点であると思う。
それから、『女性の社会進出』について、経済活性化のための『女性の活用』という脈絡で考えるというのも、まさに、『女性を活用』しようとしている『主体』は何なのか?と考えると、『男性主体の既存の社会』でしかない。
そのような『男性主体の既存の社会』という視点からの発想を克服するような努力をしなければ、日本は、アジアの中でも女性の社会進出の進まない『国』あるいは『社会』という『位置』をいつまでも脱却することはできないのではないかと思う。
女性の社会進出が進まない社会とは、裏返せば、『石原慎太郎』のように過度に『マッチョ』を強調しようとする『男』が幅をきかせている社会でもある。
あるいは、週刊誌などで『女性皇族』に対するバッシングが絶えることのない社会の裏返しでもある。私は皇族であれ、『個人の自由』が尊重され、『プライバシー侵害』『名誉毀損』に対しては、どんどん裁判所へ(俗悪週刊誌を)訴えるなどして、『人権』が守られるのが当然であると思う。
さらに、今回、いわゆる『就活時期』の後倒しについて、安倍首相の言っていることも『矛盾』に満ちているように思う。
安倍氏は、日本がさらに国際的に開かれた国になるために、国外に『留学』した日本人学生らが不利になることのないように、『就活時期』を後倒しにせよと提言している。
安倍氏は、日本がさらに国際的に開かれた国になるために、国外に『留学』した日本人学生らが不利になることのないように、『就活時期』を後倒しにせよと提言している。
だが、最近の日本の社会の論調でいうと、むしろ、日本人は外国で学ぶことはない、日本の中に閉じこもるのが一番、安全だというような風潮、そういうような風潮と、『安倍人気』を支えている『内向きの論理』とはどこか共鳴し合うものがあるのではなかろうか?
『留学』から帰ってきた日本人学生を、社会全体が活用するためには、単に『就活時期』をいつにするかが問題なのではなく、日本人がいろんな国に『留学』することによって得られて知識・知見を日本の社会として『評価』するような風潮・雰囲気を作っていくことが必要なのではないかと思う。
だから、『育児』や『留学』の問題にしても、『社会全体で子育てをどのように支えていくのか』『日本の社会で日本人学生の留学体験をどのようなものとして評価していくのか』などといった問題を考えることによって、『シンの通った』政策にしていくことができるのではないかという気がする。
そうでなければ、単なる『選挙』目当てのふわふわした『一過性のブーム、ムード』で終わってしまうことであろう。