21日から22日にかけての南京旅行のことを書き終えたので、引き続き19日に日帰りで行ってきた、紹興への小旅行について書いてみたい。
(これは、ヤフー・ブログへのアクセスが順調にできなかったために、たまっていた記事だ。私の性格ゆえに、その間に記事だけ、とりあえず書いておくということができず、今頃改めて書いている。だから、記憶が薄れてしまっていることも多い。)
紹興は、今住んでいる嘉興市と同じく浙江省の中にある。
一般的にいうと、紹興酒の産地、あるいは魯迅の出生の地ということが日本でのイメージだろう。
一般的にいうと、紹興酒の産地、あるいは魯迅の出生の地ということが日本でのイメージだろう。
これまで杭州までは、何度も行っていたが、紹興までは(それほど魯迅が好きなわけではないし)足を伸ばすのを躊躇していた。
それが、日本に帰ることになったので、記念に紹興くらいまで、足を伸ばしておこうと思って、今回行くことにした(どうせ、日本の知人に杭州に何度も行ったと言っても『杭州ってどこ?』という感覚だろうし)。
行く気になって、改めて調べてみると、高速鉄道(厳密にいうと『動車』という種類の列車で、少し違うのだが)を利用すると、1時間半くらいで行けることがわかった。
我が家から、かなり近い。
我が家から、かなり近い。
こんなことなら、もっと何度も行っておけばよかった、という気もしてくる。
なお、今回乗った列車は行きも帰りも、寝台車を転用したタイプの車両だった。
前に一度、上海からの帰りの時に乗ったことがある。
前に一度、上海からの帰りの時に乗ったことがある。
寝台車の下のほうの寝るところに、3人が並んで腰掛ける。一人一人の席の区切りがないし、普通の列車よりも密着度が高い。
それから、これは一車両に原則6人乗車のようで、あと3人とは『見合い』か何かみたいに向かい合わせに座る。あまり感じのよくない乗客と一緒だったら、嫌だなと少し思っていた。
すると、向かい側の3人は、年寄り3人(男一人、女二人)でしじゅう何かを食べているのが印象的だった。
ひまわりの種か何かを器用に食べて、果物を食べて、それから惣菜パンのようなものを食べていた。
ひまわりの種か何かを器用に食べて、果物を食べて、それから惣菜パンのようなものを食べていた。
前夜、私は上海の川に(嘉興市から投棄されたとみられる)豚の死骸が浮かんだ話をこのブログに書いていたら、寝るのが遅くなってしまい、寝不足だった。
それで、少しうとうとして、その後、目が覚めると前の三人はまだ何か食べていた。
それで、少しうとうとして、その後、目が覚めると前の三人はまだ何か食べていた。
これまで、十分食べ物を食べられなかった記憶がインプットされていて、それで、青春のときの空腹感を埋めようとするような勢いで食べている(という印象だ)。
私の座っていた側の3人は、私が真ん中(それは切符を買ったときにわかっていたので、それもこの寝台車に座るのが嫌だなと思っていた一因だ)で、比較的若い人が両側に座っていると思っていた。
実際、左側は若い女性で、スマートフォンで人と話をしていたり、(日本風に考えると)大胆に横になって、私の側に足を伸ばしてくる(席は、4人くらいすわれるくらいのスペースがあるので、足が邪魔になることはない)。
右側の若いと思った人物(そこだけ、ちょっとしたテーブルみたいなのがついていて、そこにほとんど終始、うつぶせになっていた)は、よく見ると頭の毛の様子からすると、さほど若くもない男性のようだった。
まあ、そういう人たちの様子を観察できたのは、面白いといえば面白い。
なお、向かい側の3人のしゃべっていたのは、中国の共通語ではない。どこかの方言だ。
共通語であれば、(少なくとも)何についてしゃべっているのかぐらいは、見当がつくのだが…。
共通語であれば、(少なくとも)何についてしゃべっているのかぐらいは、見当がつくのだが…。
紹興駅についた。何やら予定より、少し遅れているみたいだった。時間的に余裕があるつもりだったので、細かいことは、気にならない

これが『紹興駅』。まあ、立派な駅である。
中国の駅は、どこもかしこも(少なくとも限られた経験では)少なくとも外観は『立派な』駅が多い。
外観が『立派でなければ』実質はさらに悪いという印象がある。
外観は良くないが、中身は良いというところは、あまりないような気がする。
(何はなくとも、とりあえず外観を良くする、という発想のようだ。)
外観は良くないが、中身は良いというところは、あまりないような気がする。
(何はなくとも、とりあえず外観を良くする、という発想のようだ。)
だから、日本人が妙に『謙遜』すれば、誤解を与えるおそれがある。
この人は、このような言い方をするくらいだから、中身はよっぽど『空っぽ』なのだろうなと。日本流の美徳を発揮するのも、相手をよく見ながらにすべきであろう。

今、駅の外観を先に載せたが、実はギャップを確認してもらおう(別に中身が『悪い』ということでもないのだが)という計算から…。
これが、高速鉄道の列車が到着したホーム。なぜか、ホームが高くなっている。

目と鼻の先のホームは低くなっている。
一体どうなっているのだろうかと思いながら、駅の出口に出る。そうすると、先の立派な外観がそこにはある。
駅でとりあえず、新聞と地図を買った。地図は、ネットの電子地図で調べておこうと思っていたのだが、その時間はなくて、ガイドブックに書いてある、ひどく大雑把な地図しか頭に入ってない。
地図を買うと何となく、ほっとする。
とりあえず紹興では(大きくわけて)2箇所に行くつもりで、それで時間があまったら、あと2箇所、行くところを考えていた。
結果的には、最初の2箇所に行ったら、それだけで時間がなくなってしまった。
結果的には、最初の2箇所に行ったら、それだけで時間がなくなってしまった。
最初に駅前の通りを、まっすぐ南に向かうバス路線(しかも駅から出発する路線)があったので、それに乗ることにした。
バスの席から、街の様子を見ていると、案の定、『魯迅のふるさと』というようなイメージの田舎ではない。普通の都市である。空気も、普通に汚れている。
今、住んでいる嘉興市よりも都会という印象すら一瞬受ける(これは、中心部分が明確なつくりになっているせいもあるかもしれない)。
歴史的には、紹興のほうがずっと有名であろう。
(嘉興市というのは、共産党の第一回大会が、ここで最終的に開催された-当初、開催の場所は上海市内だったが、官憲に察知されて、途中で場所を変えた-というのが、中国的にいうと一番の『セールスポイント』である。)

ここが最初に降りた、『塔山』というところ。秋瑾(しゅうきん、チウジン)という辛亥革命の前段の蜂起で死刑になった女性革命家が、紹興の出身で有名である。彼女の旧居(故居と中国語ではいうが)が、このそばにある。
それで、ここらあたりで降りて、この先は歩いていこうと思った(なお、秋瑾はそのほか、バスが走ってきたメインの道路の脇にも、銅像が建っていたのが、バスの中からも確認できた。帰りに途中で降りて写真を撮ろうと思ったら、その機会を失った)。
この近くに、五重の塔(七重の塔かもしれない)が建っている。
この近くに、五重の塔(七重の塔かもしれない)が建っている。

これが塔。ここに登れば、見晴らしが良いかと思った。
登るのに、料金がとられたが、パスポートを示して60歳を超えていることを示すと半額になった。

前に蘇州でもこういうところに登ったことがあるが、実は、階段が急で、いささか怖い。ちなみに、『高血圧や心臓病の老人は登るな』と表示されている。高血圧でも心臓病でもないが、高いところはやや苦手だ。
それで、七階くらいまで上がれるところ、三階でギブアップした。

これは、上から(といっても三階にあたるところから)見た光景。
この塔から降りて歩いていくと、ここで働いているらしい年配の男か、皿などを屋外の炊事場で洗っている様子だったが、『水を飲んでいかないか』などという。
『いらない』と断った。
さらに『何か探しているのか?』と妙なことを言う。
『何も探していない』と答える。
『何も探していない』と答える。
この塔のそばで近所に住んでいるのか、女性二人が子供を連れて散歩しているらしいのに出会った。
気のせいか、子供が日本語をしゃべっているような気がした。
気のせいか、子供が日本語をしゃべっているような気がした。
親たちも日本語をしゃべっているような気もした。
気のせいかもしれない。
気のせいかもしれない。
仮に日本語をしゃべっていたとしても、変に『日本のかたですか?』などと親たちに聞いたり、子供たちに『日本人かい?』と聞いたら、怪しまれるかもしれない。
『知らないおじさんに声をかえられても無視しなさい』という教育をしているかもしれないし…。
などと思いながら、声をかけるのをやめた。

歩いて、少し行くと、目当ての秋瑾の旧居があった。
ここで、例によって、60歳を超えているから半額料金を適用してくれというので、パスポートを出そうとした。
ところが見当たらない。
係員は、そういう年寄りの客が多いのだろう。パスポートはいいからといって、券を売ってくれた。
その後も、パスポートを探すも見当たらない。
その後も、パスポートを探すも見当たらない。
『まずいことになった…』
と一瞬、冷や汗が流れるのを覚えた。
と一瞬、冷や汗が流れるのを覚えた。
パスポートがなければ、日本に帰ることができない。
(続く)