昨日(3月1日)に続き、安倍首相の国会での施政方針演説を感想を書く。
ただし、ちょっと前置きをしておくと、私は毎回、総理大臣のこの種の演説をチェックしているわけではない。野田首相の演説は聞いた記憶がある。
しかし、これほど原稿を何度も見たことは、ほとんどない。
だから、ここで書くことも、あるいは『演説がおかしいのは、皆同じであり、何も安倍首相に限ったことではない。政治家の演説とはそんなものだ』という意見もあるかもしれない。または、『民主党の首相の演説のおかしさよりはずっとマシだ』という意見、そして、『演説などどうでもいい。何をやるかが問題だ』という意見などもありうるだろう。
とりあえず、ここでは安倍氏の『演説』をベースにしてその感想を記すにとどめておきたい(ちょっと、書き出しから弱気だな、と自分自身でも思わないでもないが)。
さて、安倍氏の演説。
昨日の記事でも少し書いたが、全部で、8つのブロックから成り立っている。
昨日の記事でも少し書いたが、全部で、8つのブロックから成り立っている。
それぞれのタイトル(見出し)は次のようになっている。演説の中で、この見出しの部分は、読み上げていないはずだ。
1 はじめに
2 被災者の皆さんの強い自立心と復興の加速化
3 経済成長を成し遂げる決意と勇気
4 世界一安全・安心な国
5 くらしの不安に一つひとつ対応する政治
6 原則に基づく外交・安全保障
7 今、そこにある危機
8 おわりに
2 被災者の皆さんの強い自立心と復興の加速化
3 経済成長を成し遂げる決意と勇気
4 世界一安全・安心な国
5 くらしの不安に一つひとつ対応する政治
6 原則に基づく外交・安全保障
7 今、そこにある危機
8 おわりに
このタイトルを見ただけでも、心をゆさぶろうとするような語句が多いのが気になる。例えば、『強い自立心』『決意と勇気』『不安』『今、そこにある危機』などの語句がそうだ。
『世界一安全・安心』というのも、含めることができるかもしれない。
『世界一安全・安心』というのも、含めることができるかもしれない。
ところで、この演説。
その最初の、切り出しの言葉は何かというと…。
その最初の、切り出しの言葉は何かというと…。
実は、『強い日本』、という言葉である。
<『強い日本』。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。>
という形で、始まっているのだ。
<『強い日本』。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。>
という形で、始まっているのだ。
興味深いのは、1ヶ月前の所信表明演説で、その終わりが次のように結ばれていたことである。
<この演説をお聴きの国民一人ひとりへ訴えます。何よりも、自らへの誇りと自信を取り戻そうではありませんか。…今ここにある危機を突破し、未来を切り拓いていく覚悟を共にわかち合おうではありませんか。
『強い日本』を創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。
御清聴ありがとうございました。>
御清聴ありがとうございました。>
つまり、前の演説と今回の演説とはある意味で、つながっている。
さらに、スタイルへの強いこだわりが、ここには感じ取ることが可能な気がする。
さらに、スタイルへの強いこだわりが、ここには感じ取ることが可能な気がする。
そして、先程、紹介したような構成になっているこの演説。
この演説で面白いことは、<『世界で一番企業が活躍しやすい国』を目指します>、という一節があることだ。それは、<3 経済成長を成し遂げる決意と勇気>のブロックに出てくる。
同様に<『世界で最もイノベーションに適した国』を創り上げます>という言葉もある。だが、不思議なことに『世界で一番(国民が)幸せな国』『世界で一番(国民が)元気な国』というような表現は、出てこない。
私は、『世界で一番(国民が)幸せな国』などというスローガンは、どちらかというと気恥ずかしいスローガンであるという気はする。ただ、一方で、『世界で一番企業が活躍しやすい国』などというようなスローガンを掲げて、それに対応した国民レベルの話を、提示しようとしない(あるいは提示したとしても、『後回し』としか見えない)というのには、おかしさを感じる。
安倍氏には、『世界で一番企業が活躍しやすい国』にすれば、同時に、国民にとっても良い状態に、自動的になるはずだという思い込みがあるようだ。
同様に、不思議な気がするのは、もうすぐあの3月11日から2周年になろうというのに、原発事故に対する、日本の国家、国民の意思表明と思えるような明確な表現がさっぱり見当たらないという点である。
たしかに、『福島は、今でも、原発事故による被害に苦しんでいます。子どもたちは、屋外で十分に遊ぶことすらできません。除染、風評被害の防止、早期帰還に、行政の縦割りを排し、全力を尽くすべきは当然です。』とは言っている。
しかし、その直後に、『しかし、私たちは、その先にある「希望」を創らねばなりません。』と続いている。
この言い回しは、『原因究明』『断固たる対策の確立』『(これらの上にたった)原発・総合エネルギー政策の確立』という困難な作業から、回避しようとする姿勢が見え隠れしてしまって、しようがない。
この言い回しは、『原因究明』『断固たる対策の確立』『(これらの上にたった)原発・総合エネルギー政策の確立』という困難な作業から、回避しようとする姿勢が見え隠れしてしまって、しようがない。
この演説のブロックの一つに<4 世界一安全・安心な国>というのがあるが、そこではもはや原発の話は出てこない。あるいは<5 くらしの不安に一つひとつ対応する政治>においても、福島原発事故関連の、あるいは今後、起こりうるかもしれない原発(核兵器も?)による不安は対象にはあげられていない。
では全く何も言っていないかというと、そういうわけにもいかず、<3 経済成長を成し遂げる決意と勇気>の中で、次のように述べている。
<世界の優れた企業は、日本に立地したいと考えるでしょうか。
むしろ、我が国は、深刻な産業空洞化の課題に直面しています。
むしろ、我が国は、深刻な産業空洞化の課題に直面しています。
長引くデフレからの早期脱却に加え、エネルギーの安定供給とエネルギーコストの低減に向けて、責任あるエネルギー政策を構築してまいります。
東京電力福島第一原発事故の反省に立ち、原子力規制委員会の下で、妥協することなく安全性を高める新たな安全文化を創り上げます。その上で、安全が確認された原発は再稼働します。
省エネルギーと再生可能エネルギーの最大限の導入を進め、できる限り原発依存度を低減させていきます。同時に、電力システムの抜本的な改革にも着手します。
『世界で一番企業が活躍しやすい国』を目指します。>
このように、安倍氏の演説の論理は続いている。
安倍氏が、国民の幸福とか福利などよりも、『企業が活躍しやすい』ということを第一の課題として、この演説の論理を組み立てている理由は、あきらかになっているように思われる。
つまり、それは東京電力の責任や、その他の原発関連企業の責任を免除し、また、国民の原発事故に対する不安に対しては、極力、耳をふさぎ(なぜなら、そうすれば企業にとっての『コスト上昇』につながると、考えているからであろう)ながらの、論理の構築である。
こんなことでは、国民の本当の不安に答え、『安全・安心』を確保することにつながらない気がする。
原発事故の問題を追及し、環境問題に対するハードルを上げていくことは、何も日本にとってマイナスな点ばかりではないと思う。
そうしてこそ、国民の安全・安心は確保できるし、そうしたことに日本の技術を最大限投入することで、逆にビジネス・チャンスも広がり、日本に対する世界各国からの信用も高まっていくのではないかと思われる。
安倍氏の演説の論理は、そのような『道』を避け、まったく反省していないかのようにみえる東京電力をはじめとするいわゆる『原子力ムラ』の論理に屈服する道につながっている。
安倍氏は、『東京電力福島第一原発事故の反省に立ち、原子力規制委員会の下で、妥協することなく安全性を高める新たな安全文化を創り上げます。』と発言しているが、ここでいう福島の『反省』とは何なのか?
国会事故調に対して嘘をいい、福島第一原発の現地調査すらを回避してしまった『犯罪』を告発せずして、どのような『安全文化』を構築できるというのだろうか?
安倍氏の演説の論理は、すべてが『転倒している』ように思えてならない。
これでは、国民は安心して、子どもを産みそだてようという意欲はなかなか、起こりにくいことだろう。