ここで『プロメテウスの罠』に描かれている、福島の3・11被災者たちの話を少し、紹介しょうと思った。
ところが、たまたま、石原慎太郎の『新・堕落論 我欲と天罰』(新潮新書)という本を、これまた電子書籍で読んでいた。
ところが、たまたま、石原慎太郎の『新・堕落論 我欲と天罰』(新潮新書)という本を、これまた電子書籍で読んでいた。
すると、これらの本に描かれた、二つの『体験』の奇妙な対比に気がついた。
石原慎太郎は、今年、80歳である。そして何でも知っているような顔をしている。
このような人間が、確信をもって発言しているのだから、当然、彼は戦争を体験していると思う人(特に、ある程度、若い世代の人の場合)もいるかもしれない。
だが、彼は実際は、『戦争』にまつわる『体験』などほとんどないと言っていい。
彼は、1932年9月生まれで、終戦(1945年8月)時、12歳である。
彼は、1932年9月生まれで、終戦(1945年8月)時、12歳である。
もちろん、彼自身が戦争に動員されるということはなかった。
彼は長男であり、彼の父・石原潔は、1899年12月生まれである。この人は、終戦時、44歳ということになる。
徴兵された人の最高齢は、どのくらいになるのか、よく知らないが(前に読んだ本によれば、たしか裁判官でありながら、反軍的な行動をした人物などは、かなり高い年齢であったにもかかわらず、徴兵されたというようなことも書いてあった)、彼は年齢もそうだし、また、山下汽船というある意味では、軍事に通じるような業務の会社につとめていたせいもあるのか、一度も徴兵されることはなかったということだ。
石原慎太郎自身は、1932年に神戸で生まれ、父親の転勤に伴って、1936年に小樽市に転居、1943年には神奈川県逗子市に転居している。
この年に、東京に転居したのであれば、彼は東京を的にしたひどい空襲を何度も体験していたはずである。
特に、下町と呼ばれる、東京東部の地域、台東区、江東区、墨田区等の地域に住んでいたならば1945年の3月10日の東京大空襲を経験したことであろう。
この時は、一晩に10万人が死亡した。その多くは焼死である。アメリカは、焼夷弾をばらまいて、意図的に大量殺戮を行ったのであるから、この地域に住んでいた人々は、家族が何人も亡くなった。自分も、命からがら逃げ出した、という人が今でもかなり多くいる。
だが、私の記憶している限りでは、彼が東京都知事であった時代に、この東京大空襲の記録と記憶を掘り起こし、現代の人々に伝えようとする試みに対して、東京都がきちんと対応し、協力をしたという話は聞いたことがない。
彼の数少ない『戦争体験』は、先にあげた『新・堕落論』という本によれば、次のようなものである。
少し長くなるが、引用をしてみよう。
(電子書籍の場合、ページがついていないが、上記の本のファイルの頭から3%の位置のところに書かれている。)
(電子書籍の場合、ページがついていないが、上記の本のファイルの頭から3%の位置のところに書かれている。)
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私自身も昭和七年生まれのまさに後期高齢者の一人ですが、戦争の敗戦の記憶は未だにまざまざと体の内に収(しま)われています。
私自身も昭和七年生まれのまさに後期高齢者の一人ですが、戦争の敗戦の記憶は未だにまざまざと体の内に収(しま)われています。
警戒警報が鳴って下校の途中早くも到来した艦載機の機銃掃射に遭い、折から収穫期に近く背丈の伸びた麦畑の畝に飛び込んで逃れ、逃げまどう私たちがまだ背丈も伸びぬ子供と知りながら手軽な狩りのつもりで掃射してきた敵機のパイロットは怖々(こわごわ)仰ぎ眺めればこれまた成年にも満たぬ若者でした。
そして私の学友の一人は足に被弾し一生の不具ともなりました。
さらにその先、近くの森までたどりつこうと走る最中、また新しい爆音が迫り今度は芋畑の中で、身を隠すにも畝の浅い畑では覚悟して身を伏せながら機銃掃射を待ったが不思議に弾が来ない。恐る恐る顔を挙げて確かめれば頭上を褐色の胴体に白い縁取りの日の丸を描いた友軍機でした。
敵機を追う日本機を確かめた時の、ふるいつきたいような感動が忘れられない、あれは身にしみて感じ取った国家というものの実感でした。
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これだけですんだとするならば(この人の書いていることは、直ちに『真実』といえるのかどうか、非常に疑わしいが)、実に、『幸運な人』であったといっていいであろう。
このような『美しい体験』をして、それが『戦争体験』だなどと思えるような人は、ほとんどいない。
先の東京大空襲にしても、アメリカは日本に無条件降伏を強いるために、あのような攻撃の仕方をしたのであり、その際も、皇居などは決して爆撃しないよう、細心の注意を払っていた。
そして、広島や長崎への原爆投下にしても、日本に対して無条件降伏を受け入れさせるがための、一種の脅迫手段、警告手段としてのものであった。
(その間、日本は何とかして、もっと有利な条件で降伏できないか、そのタイミングを図ってずるずると決断を先延ばしにしていたようだ。)
8月にソ連が日ソ中立条約を破棄して、一挙に満州に攻め込んできたときも、満州軍は、十分、そのようなことがありうることを予知していたという。
そして、民間人(その多くは、国の呼びかけにこたえて、満州の『開拓』のために海を渡った人々)を見捨てて、ひたすら遁走した。
そして、民間人(その多くは、国の呼びかけにこたえて、満州の『開拓』のために海を渡った人々)を見捨てて、ひたすら遁走した。
そのため、大量の民間人(幼子をかかえた女性達を含めて)が国家に見捨てられて、殺されていき、死んでいった。
もちろん、直接、殺害をしたのはソ連軍であるが、国家が見捨ててために、犠牲がひどくなったのは、事実であろう。
もちろん、直接、殺害をしたのはソ連軍であるが、国家が見捨ててために、犠牲がひどくなったのは、事実であろう。
こうしたことを思うにつれ、先の、石原少年の回想は、ずいぶんと『幸福な戦争体験』であるとあらためて思う。
このような半端な体験しかない軍国少年が、80歳になって、『再び戦争を』というイメージで『暴走』をしまくるというのは、何と言っていいのかわからない。
彼が、その頃、東京の下町で、東京大空襲を体験していれば、決して、今のような行動はとらないと思う。
彼が、その頃、東京の下町で、東京大空襲を体験していれば、決して、今のような行動はとらないと思う。
彼は、13年も東京都知事をつとめながら、この東京大空襲の庶民の体験を自分自身が共有化しようとはせずに、先に紹介したようなことを書いている。
実は、この本で、(今のところ発見したのは)1箇所だけ、この東京大空襲について触れた箇所があった(電子書籍のファイルでは冒頭から11%の位置に相当する)。
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ジュネーブ条約では戦闘によって意識的に非戦闘員を殺してはならぬとありますが、アメリカの原爆投下は一瞬にして二十万人を超す日本人を殺戮してしまった。
ジュネーブ条約では戦闘によって意識的に非戦闘員を殺してはならぬとありますが、アメリカの原爆投下は一瞬にして二十万人を超す日本人を殺戮してしまった。
その他の例としても、(省略)もっとけしからぬのは同じように制空権を失っていた首都東京に、アメリカの空軍司令官のルメイはそれまで高射砲の届かぬ亜成層圏を飛んでいたB29を超低空の二、三百メートルを飛ばせ、焼夷弾による絨毯爆撃をさせ一晩で十万人を超す都民を殺戮してしまった。
これは相手側の記録にもあるが、その計画に一部のスタッフはこれはあきらかにジュネーブ条約違反だと反対したが、ルメイは「日本は薄汚い国だから、焼いて綺麗にするのだ」と広言しことを行ってしまったのです。
その相手に日本は戦後、航空自衛隊の創立に功あったとして勲章を贈ったのだから馬鹿みたいに人のいい話だ。
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ルメイに対して、また叙勲をした日本政府に対して怒りを表明するのはよいだろう。
しかし、なぜここで(彼自身は、この2011年7月発行の本を出した時点で、まだ東京都知事をつとめているというのに)東京大空襲の実相について、詳しく述べないのだろうか?
おそらく、そうすれば、一人間の観点からでなく、国家の観点から『戦争』というものを論じる、この本全体のトーンが壊れてしまうからこそ、そうしなかったのだと思う。
それに考えてみれば、ルメイという人物が、人種差別主義者らしいという点では、石原氏によく似ているではないか?
話を、また『プロメテウスの罠』のほうに戻したいが、こちらで描かれているのは、まさに『当事者たち』の『体験』という視点からである。
(続く)