先日、国会の予算委員会の中継をやるというので、しばらく見ていた。
ただし、じきにあほらしくなってきた。
高市首相の答弁は、相変わらず大雑把である。
この人、どうも、『苦手分野』がたくさんあるらしいということは聞いていて、わかる。
『外交分野』、『台湾問題』の細かなレトリック、あるいは、『安全保障』の『存立危機事態』についての定義などなど、
どうも『細かな話』『厳密な話』というのは、『苦手』というか、『不得意』のようである。
『経済』なども不得意らしい。
たとえば、立憲民主党の政調会長の本庄知史(さとし)という人が、言葉は悪いが、ネチネチと質問すると、(経済の用語がよくわからないらしくて)すぐオタオタし始める。
(これは、12月の9日だったか…。)
ただし、それで『高市サン』が追い込まれるかというと、そうはならない(らしい)というのが、『時代の雰囲気』というものの恐ろしいところである。
どうやら、こういうシーンは、『インテリでエリートの本庄議員』が、『庶民に近い?高市さん』をいじめている?というように、(今の世の中では)世間に映るようである。
国会の雰囲気を見ても、かえって『いじめる本庄が悪い』といったムードを感じる。
また、テレビの『国会中継のハイライト』などを見ていても、NHKでは、『公平に、政府の不利な場面に注目しないように』という編集バイアスがあるようで、(馬鹿みたいに)『中立、公平ぶった』要するに、わけのわからない動画ばかり流している。
さらに、『新聞』などはある意味で、もっとひどい。
比較的、野党よりで、(一時期は)『安倍批判』ばかり乗せて、部数を伸ばしたとされる、『東京新聞』などでも、国会論戦の報道は、ほとんどしていない。
(『こちら特報部』という、安倍さんの時代から、『安倍批判スペシャルページ』みたいなノリで書きまくってきた2ページも、最近では、『エース記者の投入』などほとんどしていないようで、いつもの『常連コメンテーター』が、同じコメントを繰り返すという、ひところの『日刊ゲンダイ』風の『金も手間もかけない』雑な編集で、お茶をにごしているというのが、実情である。)
『東京新聞』がこんな具合だから、他は『推して知るべし』みたいな感じだ。
(特に、『読売新聞』などは、『政府批判はしない』ということは徹底しているようだ。)
(01)新聞紙面の様子
さらに、怖いのは、『高市サン』が雑な答弁でも、ほとんど批判を受けず、『支持率も下がらない』ため、どんどん調子に乗っているらしいということである。
最初は、彼女も、自分自身の『雑な答弁』に不安を感じていたようだが、だんだん、それに慣れてしまったというか、感覚がマヒしてきている。
答弁をしているのを聞いていると、だんだん、『芸能タレント』化してきて、『選挙演説』みたいな『勢いで、ポンポンいう』、恐るべき答弁の仕方に、今では、『居直っている』という雰囲気を醸し出している。
(02)習近平さまさま?
こうした『異常な、高市人気』を支えているのは、もちろん、『中国の習近平体制のおかげ』である。
中国が、日本に対し、終始、『高姿勢』で臨んでいるために、日本人は安心して、(かなり、首相としては欠点の多い)高市首相の応援が出来るという状況のようだ。
さきほどの、立憲民主党の本庄さんとの質疑で言うと、『本庄が、小難しい話をして、高市サンの欠点を浮き彫りにしてしまっている』それこそが、怪しからん、『中国を利する質問である』、『立憲民主党は、中国の手先か?』といったムードになってしまっている。
その証拠に、立憲民主党の議員を含め、他の、(もともとは)『民主党系』の議員であった議員たちが、それぞれ、『高市サンにお願いします』といって、何とか自分の質問で、『高市サンから金を引き出した』『補助を引き出した』、そういう功績を実現しようとして、ほとんどすべての議員が、『高市サン、お願いです』『女性首相ならではの、優しさ、包容力を見せてください』などと陳情合戦を繰り広げている。
(03)野党議員たちの陳情合戦
もはや、『与野党対決』どころの騒ぎではない、国会議員の大半が、『高市人気の異常な高さ』を恐れ、それを自分の敵に回さない?ようにしているので、ある種、『大政翼賛会?』的なムードを、国会は漂わせはじめているという印象を受けた。
こんなことで、いいのだろうか?
という気がしてくるのも事実である。
私は、現在、(武蔵小杉を中心に展開している)『川崎市民アカデミー』というNPO法人の『老人大学みたいなもの』を受講しているが、そこで、聞く『第一次大戦と第二次大戦の間』の例えば、ドイツの様子なども、日本の現在とよく似ているところがあると感じている。
『ナチス』が政権を掌握したのも、決して『選挙以外のほうほうで、民主主義をふみにじって』というよりも、むしろ、『政党間の分裂状態』、そして、『フランス、イギリスなど』戦勝国がドイツからむさぼりとる状況、(他方、アメリカは、国際連盟に加入しておらず、『我関せず』の状況にあった)そうしたなかで、ドイツ人の各階層、階級の間で、『分断と亀裂』が進行していった、そのなかで、ヒトラーの当初は、『経済優先路線』が人々の間に浸透していった。
そして、最後は、ヒトラーは『ヒンデンブルグ』という尊大な老人の軍人をうまく、たぶらかし、彼が大統領になった体制のもとで、首相から『総統』へと、自らの権力を確立していった。
結局、ドイツが『ナチスの絶対体制』に陥落したきっかけとなったのは、『アメリカの大恐慌』によって、ドイツ経済の破綻が引き起こされたためであったようだ。
そういう意味では、今、高市サンがやっている『出鱈目な政策』は、『次の世界的な経済のドラスティックな激変』をきっかけにして、『思いもかけない次のステージ』に進んでいく可能性も、『全くゼロ、今の世の中でそんなことはありえない』などとタカをくくっているのは、少し怖い。
(暢気すぎる。)
という気がしている。
何しろ、日本というのは、『ある時点で突然、みんなで態度を変えてしまうということが、体質的に身についた国民』であるような気がしている。
また、『女性初の首相だから、高市サンの足を引っ張るようなことをしてはいけない』という、『非論理的な話』が、何となく、みんなに浸透してしまうような国でもある。
こんなバカげた政権に対して、みんなで一斉に『こうべをたれ伏す』というようなことをしていたら、それこそ、中国以上に、『住みにくい社会、国』へと一挙に変化してしまう可能性?の十分あるような、国なのだということを、改めて感じる、今日この頃である。
(中国人は、ある意味で、『国など信じていない』人たちがかなり存在しているし、また、富裕層を中心に『国から脱出する方策』を常に考えているところがあるので、日本のように、『みんなで沈没』というようなことに、なりにくい特質があるという気がしている。)





