先日、国会の予算委員会の中継をやるというので、しばらく見ていた。

 

ただし、じきにあほらしくなってきた。

高市首相の答弁は、相変わらず大雑把である。

 

この人、どうも、『苦手分野』がたくさんあるらしいということは聞いていて、わかる。

 

『外交分野』、『台湾問題』の細かなレトリック、あるいは、『安全保障』の『存立危機事態』についての定義などなど、

どうも『細かな話』『厳密な話』というのは、『苦手』というか、『不得意』のようである。

 

『経済』なども不得意らしい。

たとえば、立憲民主党の政調会長の本庄知史(さとし)という人が、言葉は悪いが、ネチネチと質問すると、(経済の用語がよくわからないらしくて)すぐオタオタし始める。

(これは、12月の9日だったか…。)

 

ただし、それで『高市サン』が追い込まれるかというと、そうはならない(らしい)というのが、『時代の雰囲気』というものの恐ろしいところである。

 

どうやら、こういうシーンは、『インテリでエリートの本庄議員』が、『庶民に近い?高市さん』をいじめている?というように、(今の世の中では)世間に映るようである。

 

国会の雰囲気を見ても、かえって『いじめる本庄が悪い』といったムードを感じる。

また、テレビの『国会中継のハイライト』などを見ていても、NHKでは、『公平に、政府の不利な場面に注目しないように』という編集バイアスがあるようで、(馬鹿みたいに)『中立、公平ぶった』要するに、わけのわからない動画ばかり流している。

 

さらに、『新聞』などはある意味で、もっとひどい。

比較的、野党よりで、(一時期は)『安倍批判』ばかり乗せて、部数を伸ばしたとされる、『東京新聞』などでも、国会論戦の報道は、ほとんどしていない。

(『こちら特報部』という、安倍さんの時代から、『安倍批判スペシャルページ』みたいなノリで書きまくってきた2ページも、最近では、『エース記者の投入』などほとんどしていないようで、いつもの『常連コメンテーター』が、同じコメントを繰り返すという、ひところの『日刊ゲンダイ』風の『金も手間もかけない』雑な編集で、お茶をにごしているというのが、実情である。)

 

『東京新聞』がこんな具合だから、他は『推して知るべし』みたいな感じだ。

(特に、『読売新聞』などは、『政府批判はしない』ということは徹底しているようだ。)

 

(01)新聞紙面の様子

さらに、怖いのは、『高市サン』が雑な答弁でも、ほとんど批判を受けず、『支持率も下がらない』ため、どんどん調子に乗っているらしいということである。

 

最初は、彼女も、自分自身の『雑な答弁』に不安を感じていたようだが、だんだん、それに慣れてしまったというか、感覚がマヒしてきている。

 

答弁をしているのを聞いていると、だんだん、『芸能タレント』化してきて、『選挙演説』みたいな『勢いで、ポンポンいう』、恐るべき答弁の仕方に、今では、『居直っている』という雰囲気を醸し出している。

 

(02)習近平さまさま?

こうした『異常な、高市人気』を支えているのは、もちろん、『中国の習近平体制のおかげ』である。

中国が、日本に対し、終始、『高姿勢』で臨んでいるために、日本人は安心して、(かなり、首相としては欠点の多い)高市首相の応援が出来るという状況のようだ。

 

さきほどの、立憲民主党の本庄さんとの質疑で言うと、『本庄が、小難しい話をして、高市サンの欠点を浮き彫りにしてしまっている』それこそが、怪しからん、『中国を利する質問である』、『立憲民主党は、中国の手先か?』といったムードになってしまっている。

 

その証拠に、立憲民主党の議員を含め、他の、(もともとは)『民主党系』の議員であった議員たちが、それぞれ、『高市サンにお願いします』といって、何とか自分の質問で、『高市サンから金を引き出した』『補助を引き出した』、そういう功績を実現しようとして、ほとんどすべての議員が、『高市サン、お願いです』『女性首相ならではの、優しさ、包容力を見せてください』などと陳情合戦を繰り広げている。

 

(03)野党議員たちの陳情合戦

もはや、『与野党対決』どころの騒ぎではない、国会議員の大半が、『高市人気の異常な高さ』を恐れ、それを自分の敵に回さない?ようにしているので、ある種、『大政翼賛会?』的なムードを、国会は漂わせはじめているという印象を受けた。

 

こんなことで、いいのだろうか?

という気がしてくるのも事実である。

 

私は、現在、(武蔵小杉を中心に展開している)『川崎市民アカデミー』というNPO法人の『老人大学みたいなもの』を受講しているが、そこで、聞く『第一次大戦と第二次大戦の間』の例えば、ドイツの様子なども、日本の現在とよく似ているところがあると感じている。

 

『ナチス』が政権を掌握したのも、決して『選挙以外のほうほうで、民主主義をふみにじって』というよりも、むしろ、『政党間の分裂状態』、そして、『フランス、イギリスなど』戦勝国がドイツからむさぼりとる状況、(他方、アメリカは、国際連盟に加入しておらず、『我関せず』の状況にあった)そうしたなかで、ドイツ人の各階層、階級の間で、『分断と亀裂』が進行していった、そのなかで、ヒトラーの当初は、『経済優先路線』が人々の間に浸透していった。

 

そして、最後は、ヒトラーは『ヒンデンブルグ』という尊大な老人の軍人をうまく、たぶらかし、彼が大統領になった体制のもとで、首相から『総統』へと、自らの権力を確立していった。

 

結局、ドイツが『ナチスの絶対体制』に陥落したきっかけとなったのは、『アメリカの大恐慌』によって、ドイツ経済の破綻が引き起こされたためであったようだ。

そういう意味では、今、高市サンがやっている『出鱈目な政策』は、『次の世界的な経済のドラスティックな激変』をきっかけにして、『思いもかけない次のステージ』に進んでいく可能性も、『全くゼロ、今の世の中でそんなことはありえない』などとタカをくくっているのは、少し怖い。

(暢気すぎる。)

という気がしている。

 

何しろ、日本というのは、『ある時点で突然、みんなで態度を変えてしまうということが、体質的に身についた国民』であるような気がしている。

 

また、『女性初の首相だから、高市サンの足を引っ張るようなことをしてはいけない』という、『非論理的な話』が、何となく、みんなに浸透してしまうような国でもある。

 

こんなバカげた政権に対して、みんなで一斉に『こうべをたれ伏す』というようなことをしていたら、それこそ、中国以上に、『住みにくい社会、国』へと一挙に変化してしまう可能性?の十分あるような、国なのだということを、改めて感じる、今日この頃である。

(中国人は、ある意味で、『国など信じていない』人たちがかなり存在しているし、また、富裕層を中心に『国から脱出する方策』を常に考えているところがあるので、日本のように、『みんなで沈没』というようなことに、なりにくい特質があるという気がしている。)

 

 

以前、このブログに書こうとした文章がどこかに消えてしまったので、改めて(それを復元して)書き直すみたいなことを書いた記憶がある。

 

しかし、それも面倒だし、逆に私の『高市首相にからんだ問題』についての評価も、流動的だったりするので、『復元する』というのは、やめて、改めて(ゼロからというか)考え直してみて、書くことにした。

 

テーマというのは、高市首相と中国との間の(台湾海峡の事態に関連して起こっている)『非難合戦』のことである。

私は、中国の主張することをそのまま認めることは到底できないと考えている。

 

中華人民共和国は台湾を統治したことなど一度もない。

彼らが主張する、『一つの中国』、『台湾は中国の神聖な領土』それゆえ、『武力的な手段を含めて、台湾を取り戻すことは、習近平政権の義務であり、神聖な?権利である』みたいな話は、単に『中国の言い分』に過ぎない。

 

だから、これを根拠にして、『中国は、軍事的にも、経済的にも、圧倒的な力を有している』のだから、日本政府は『中国の主張を尊重』すべきであるというのは、『そういう見方をする人もいますね』程度の話でしかないと思っている。

 

むしろ、日本は、『植民地』として台湾を統治した時代も、長く存在したのだから、『台湾の人々の生活』がどうなるのかに対しては、重大な関心を抱くべきであろう。

安易に、『中国に台湾を差し出す』ようなことはすべきではないと考える。

 

しかし、他方では、現在の『高市首相の支持率が異様に高い』という状況には、危惧を抱いている。

 

高市首相は、この間の(岡田氏の予算委員会での質問に対する)『答弁の仕方』を聞いていると、『台湾問題の機微』について、(実際のところ)あまりご存じないか、あるいは『乱暴な物言いの仕方』を好むかたで、それでもって、(事態は何も変わらないのに)『すかっとした』とか、『高市サンは、これまでの首相と全然違っている』といった『国民の潜在的な願望』に応えるような形で、『ずばずば』というか『ぽんぽん』というか、『勇ましい物言い』を乱発するのを好むかたらしいということがわかってきた。

 

これは、今日のように、『トランプ大統領の存在』に見られるように、『東と西の両陣営の対立が液状化し、複雑化』している中では、また国際的な対立関係が複雑怪奇で、高市首相のパフォーマンスが、どのような反響を生み出していくかが、不透明になっているなかでは、『極めて危険なふるまい』であろう。

 

したがって、私としては、『高市首相を擁護、あるいは支持する気』など全くない。

 

しかし、同時に、現在の世の中が、『中国のご機嫌をとっていればそれですむ』ような時代でもないし、また、『平和憲法を守れ』といっていれば、中国やその他の冒険主義的な国々の行動がおさまるような時代でもないと感じている。

 

ウクライナの状況を見てもわかるように、絶えず『国境線を変更しようとすきをうかがっている勢力』に対しては、『自らの力で<自分たちの価値観、それを反映した国境線>を守る』という覚悟と、それを担保する『抑止力としての軍事力』が最低限、必要であり、それを『侵略軍と戦うのは、自衛隊がやれ、我々は、平和と繁栄を楽しむ』というのであれば、むしろ、国内の分断と亀裂がますます進んでしまうと感じている。

 

ここで、問題なのは、果たして、高市政権のようなやり方が、そのような『安定した、落ち着いた国力』の保持、強化に役立つのかどうかということである。

 

(01)高市首相

実際問題として考えると、彼女は、予算委員会での国会答弁にしくじり、その後、『答弁の修正』をしているのであり、その結果、立憲民主党に対しては、『あまりぎりぎりと突っ込まないでほしい』と泣きつき、また、『中国側』からはそのミスに乗じて、『猛攻撃(言葉の上での話だが)』にさらされ、さらに、トランプには、『うまくやれ』と注意されたらしく、何も日本としては、『得をした』ことのないミスをしでかしてしまったのである。

 

ただし、『台湾海峡の問題』を事実上、争点化して、その結果、『一つの中国』論の虚構性を国際的にも暴き出してしまったという点では、『プラスが全くなかった』というわけでもないのかもしれない。

(02)習近平主席

 

しかし、中国側の反撃がこの程度で済んでいるのは、逆にいうと中国がそれだけ、経済的にも、政治的にも多くの国内矛盾を抱えているせいであろう。

 

これは、一歩間違えれば、いつ『偶発的な衝突』が発生してもおかしくない、という気もしている。

 

現状がこの程度で、すんでいることでもって、安心して、高市首相が『暴走族まがい』の『素人政治』『口先での突っ張り』をさらにエスカレートさせていけば、それこそ、火薬庫に火がつきかねないことになりかねない。

 

(03)異常な支持率の高さ

いま、高市首相の支持率が、高いことでもって、『高市首相に神風が吹いている』と勘違いしている人もいるようだが、それは全くの幻想にすぎない。

 

それに、高市首相の経済政策、『日本を立て直す』という政策がなかなか見えてこないことも事実であろう。

 

私は、高市首相のやっていることに反対であるし、これ以上、彼女の『暴走』を許していれば、逆に、いつまでも、『日本が戦争に巻き込まれる』という『被害者的視点』からしか歴史や国際政治を見ることが出来ず、結果として、『極めて短期間』にとりあえず作られた、『占領軍が草案を作った憲法』が、70年たっても、維持され、その結果『解釈改憲』が横行し、『現実の社会的ニーズ』にマッチした『憲法』と『各種の法体系』へと改定がされることがないという、『不合理』がいつまでも継続してしまうことになってしまうと思う。

 

そして、今日では、むしろ、『高市旋風』を恐れて、さらに、『憲法改正に反対していこう』という声も高くなってしまっている。

つまり、高市氏は結果として、『現行憲法を維持し、法秩序の矛盾を深化する』という『日本のゆがみ』をさらに、固定化し、ねじれを進める、そのような『役割』しか、今のところはたしていないのである。(誠に皮肉な話だ。)

 

高市氏は、『サッチャーになりたい』とかそんなことを言っているようだが、現状のままでは、どんな姿の『日本と世界』を残して、首相の座を去っていくことになるのか、見当もつかない。

 

今日、安倍首相を射殺したあの事件を巡る裁判が、進行しているが、この裁判は、安倍首相の『統一教会の起こしている問題、諸矛盾』に対する鈍感さを、結果として浮き彫りにしてしまっているように感じている。

(自分自身の警備のことを全く考えずに、突然、奈良での演説会を入れてしまうなども、そうした『油断』の表れであったともいえる。)

 

同時に、安倍首相が、高市首相を本当に最後まで、『ひいき』していたとすると、『人を見る目』のほうもいささか曇っていたのではないか、もっと『高市早苗という女性政治家に対して、厳しく指導する必要があったのではなかろうか』という気がしてならない。

(別の見方で、見ると、高市早苗という人は、安倍晋三元首相が、『最初に首相になったとき』にやった『拙い、性急な政治』と似たようなことをやっているのだな、という気もしてくる。)

 

ただし、安倍首相には、『二回目の登板』があったが、高市さんにそのような機会があるかどうかは、大いに疑問である。

 

私は、女性だからと言って、高市サンに対して厳しく評価するつもりは全くないが、逆に『日本で初めての女性の総理大臣だから』といって、『暴走族みたいなはねっ返りのふるまい』を許したり、彼女のことを、『キュート』だとか『チャーミング』だとか言って(こちらのほうが、むしろ、『逆差別ではないか』)、高市サンの『不勉強』や(選挙での人寄せパンダの演説と同じ扱いで)『粗雑極まりない、国会答弁』や『存立危機事態』『台湾海峡での事態』に関する、従来の『曖昧戦略』をただ破綻させるだけの『高市カラーの答弁』を、『高市サンらしい』とか『胸がすっきりした』などと言って、許容するつもりは全くない。(繰り返すが、このような物言いこそ、『女性政治家を真の政治家として、認めていないからこそ、取りうるような態度』であろう。)

これは、11月28日にアップした、この記事の続きである。

URL ??.???

参照してもらえれば幸いだ。

 

以前は、別のやり方で、このような『自分の過去記事の参照』をやっていたと思うが、やり方を忘れてしまった。

(最近は、高齢で、『物忘れ』が激しくて、この手のことが

しょっちゅう、起きている。まあ、『しようがない』と思っているが…。)

 

改めて、『26日の党首討論』の感想を書く。

 

ズバリ言って、これは『冗談みたいな党首討論』だと感じた。

なぜかといえば、さっぱり党首間の『ひりひりするような、真剣な、討論の激突』が見られなかったからである。

 

そもそも、『党首討論』といっても、ばかばかしいほど時間が短い(立民・野田氏とが最長で29分間、参政・神谷氏との部分に至っては、たったの3分に過ぎない)といったように、『形式』『外観』『器』が滅茶苦茶であることは、いちおう、置いておいても良い(本当は、全くよくないのだが…)。

 

問題なのは、野田氏にしてもまるで『腫物』にさわるような質問の仕方であったことだ。

まるで、『人気の高い高市首相に対して、下手に追及すると、かえって国民の反発を受けるのではないか』といった調子の及び腰である。

 

(01)野田佳彦代表

 

もともと、この人は、(初めて、予算委員会で質問に立った時も)『あなたが、松下政経塾に入塾したとき、私が採用面接を行った』『あのあなたと、こうして日本初の女性総理として国会で質疑をすることになろうとは、全く思わなかった』などと、どちらかというと、『上から目線?』でしかも、『高齢男子が、かつて後輩だった、自分より若い女性に対して接する』ような『オジサン的』というか『保護者的』というか、(気持ちのゆるみをにおわせるような態度であって)嫌な感じがしたものである。

 

なぜなら、現在の場においては、『かつて、総理大臣を務めたことがあるが、安倍晋三元首相に2012年の国会対決で追い詰められ、その後の選挙で決定的な敗北を喫した野田氏』と、その『安倍氏に気に入られ、今日の首相への道を着々と歩んできた高市氏』、この二人の関係を考えると、野田氏の態度は、『自分の置かれた立場を理解していない』か、あるいは、『理解し過ぎているが故』に、『かっての高市早苗に、もはや標的とされ、クマに老いたイノシシが攻撃されて、公衆の面前で食い散らかされる(いささか表現に品がないが…)のを恐れているのではなかろうか』と危惧するような『ビビリ』を終始、感じさせられたからだ。

 

実際、野田氏は、<台湾有事が『存立危機事態』になりうるとした高市首相の国会答弁の真意>をただそうとした。

 

(02)岡田克也氏

しかし、それは、まるで、最初から、この問題の質問者であった『岡田克也衆院議員(元副総理、外務大臣等)』に対する責任追及(『執拗に質問を繰り返したことが、高市発言を引き出してしまった』とする高市支持者を中心とする『反発』はたしかにあるようだ)を恐れているかのように、『力のない質問・追及』であるかのように私には聞こえた。

 

そもそも、『今日のような日中関係になってしまったのに対して、何を高市首相に聞こうとしているのかが、明確でない』、ただ、『今日の日中関係は、拙い状況ではないか』と言っているだけにしか聞こえないような、『拙劣な質問』であると思った。

 

しかも、それに対して、高市首相は、あっさりと、『具体的なことに言及したいとは思わなかった』『具体的な事例を挙げて聞かれたので、誠実に答えた』(『存立危機事態』の認定については)『実際に発生した事態の個別具体的な状況に即し、政府が全ての情報を総合して判断する』と発言。

 

(03)高市首相の発言

 

これは、事実上、前回の高市発言が、『勇み足』であったことを認めるような答弁であり、『答弁の修正』であるといっても間違いではない。

 

しかし、高市氏の特徴として、『自分の間違いを認めない』『決して謝らない』『終始、高飛車な態度と、暴走族風のカラ元気を漂わせている』というのが、『ポリシー』のようで(これは、『トランプ大統領の話し方にもよく似ているが…』)全く『申し訳なさそうでなく』、高市ファンには、『極めて気持ちの良い光景』であろうことはたしかであろう。

 

だが、一皮むけば、この『暴走族風の女性総理』は、『台湾海峡をめぐる、極めて複雑な状況』に関して、ほとんど配慮を配ることなく、『選挙演説を行うような勢い』で、(習近平氏自身に対しては、どのような態度だったのか、不明の部分もあるが)先の答弁を行ってしまったというのは明らかであろう。

 

(04)台湾海峡を巡る状況

ただし、『台湾海峡をめぐる状況』は極めて、複雑かつ、流動的であって、この発言が、『日本のみを窮地に陥れたのか』それとも、(結果的に)『台湾海峡の問題』を世界政治のなかで、大きく浮上させて、『習近平体制』のもくろむ、『(武力的な手段も含む)台湾の『中国への強制的な統一・統合』政策に対する、国際政治の場における、『逆包囲網の形成』に向けて『積極的な効果』があったのかどうか、そこは簡単には、判断できない部分がある。

 

しかし、どちらにしても、先日の『党首討論』における高市首相の『態度』『反応』を見ると、彼女は、『ちょっとまずい発言をしてしまったな』という『意識』はあるようで、(『突っ張りの女性・暴走族のライダー』であれば、取るような)『まずいことをやってしまったらしい』ということを承知しながら、『それは絶対に認めないぞ』という硬い態度を崩していなかった。

 

これは、『高市ファン』にとっては『うれしい態度』なのかもしれないが、しかし、私から見ると、『日本の政治的リーダー』としては、極めて危ない『未熟な女性政治家に過ぎない』のだな、ということが確認できた瞬間だった。

 

それに対して、野田氏のほうは、終始、『高市首相を追い詰めると、逆に、立憲民主党が返り血を浴びてしまう』という『恐怖感?』が強いようで、結局、きちんと、『暴走族風の女性首相』に対して、きっぱりと釘をさして、『発言の未熟さを詫びさせ、事実上、修正させる』(すでに、彼女は、『発言の修正はしてしまっているのだが…』)ことも、出来ず、高市ファンから見ると、『高市首相は、発言を維持し、頭を下げることなど全くなかったのだろう』と見えてしまうような『やりとり』に終始してしまった。

 

この『台湾海峡問題』については、単なる『日中間の経済的な対立激化』ばかりでなく、トランプ大統領自身も、『曖昧戦略』を維持して、『米国と中国の間で双方が得をする関係』を構築することを望んでいるようで、トランプ政権のほうからも、『高市政権』に対して、『あまり余計なことはするな』といった『サイン』が発せられているという、『話』も出ている。

 

ともかく、多くの日本の『高市ファン』の感じているように、『いざ、激突すれば、日本は中国にそう簡単に負けることはない』とか、『台湾の民衆も、中国が大嫌いなので、中国の武力統一に対しては、台湾全土を挙げて、抵抗を示すはずである』などといったことは、実際、『事が起こって見なければわからない』という気もしている。

(台湾の『戦闘力』がどれほどのものか、わからないし、台湾の中では、『日本が仕掛けたようにさえ見えるような、戦争が起きるのだけは困る』『中国の武力統一攻撃が始まれば、台湾からは、さっさと逃げ出すしかない』などといった声が存在しているのもたしかなようである。)

 

『高市氏のような勇ましい発言』はかえって、中国にとって、『台湾問題』が『頭の痛い問題』になっているなかで、かえって、その『問題を起こした犯人?』として自ら名乗り出て、中国の習近平体制にとって、『助け舟を出す』のに等しい効果を発揮している可能性すらある。

 

日本は、『台湾問題』について、高市旋風に乗っかって、『簡単な問題』であるかのように考えて、『緊張激化』に手を貸すことだけは、くれぐれも注意をしたほうが、良いであろう。

 

 

 

このブログ、しばらくの期間、記事をアップしていなかった。

 

その理由は、『高市対中国』という例の問題について、同じようなことばかり書くのはどうかと思えたし、他方、全く異なる問題について書く気にもなかなかなれなかった。

 

それに加えて、実際は、私自身、いろいろ『映画祭』とか『国立映画アーカイブ』などで相変わらず、映画を見まくっていて、それに関しても書きたいとも思っていたのだが、あまりにも多数の映画の記憶などが積み重なってしまって、書くのが面倒になってきてしまったからだ。

 

(01)映画の一例

 森田芳光特集

 

(02)多摩映画祭

 

それで、ぼちぼち印象に残っているものについて書いていきたい。どっちにせよ、これは『日記』みたいなものなので、あまり過去の事柄については、こだわらないことにしたい。

 

さて、結局は、『高市発言』について何か書かねばならない。

私は、習近平体制の『立場』『言い分』については、到底、受け入れられないものを感じているが、しかし、高市首相が、『日本国総理大臣』として、日本の現実的な利害をより実現しようとすれば、彼女は、仮に『政治的な実務の経験』があまりないとしても、より賢く立ち回らなければならないというのは、当然のことであろう。

 

私は、高市サンが、『自分を支持してくれる層』の受け取り方を重視して、さらには、(彼女らしい?)『率直な物言い』を重視するあまり、外交的な表現、あるいは、(その一言一句がテレビで中継され、誤魔化しようのない、という『権威主義的な体制においてはありえない』状況下で)『無防備すぎる表現』を採用してしまっている結果、今日のような状態を招いてしまっていると感じている。

 

たしかに、(石破流の)もって回ったいい方ばかりで、『結論のはっきりしない表現』に対して、切れかかっている『層』のウケをよくして、自分の支持率をかってなく高める(『えっ、政治家ってそんなに率直な表現をしてもよいのか』という感動?を感じている人たちも多いのかもしれない)ためには、このような語り口は、『爆発的な熱狂』をもって迎えられるのかもしれない。

 

しかし、実際には、そんなことは、(あの)トランプ大統領ですらやらないことである(彼は、いつでも、『どのようなディールを行うのか』と絶えず、その主張を不明確にして、『丁か半か』という賭博を繰り返している。都合が悪くなると、『ちゃぶ台をひっくり返す』ような行為も繰り返している)。

 

やはり、高市サンは、今回の一連の行動と発言(意図してかしないでかわからないが、習近平の面子をつぶすようなことをあえて、やったというのが、中国としては一番、許せない行為であろう。なぜなら、習近平の立場は、そうした『面子丸つぶれ』など許容できないような、危うい状況になりつつあるからだ)について、あまりにも、『計算不足』あるいは『計算間違え』が目立ったと言えよう。

 

これが、今後、修正可能なことなのか、それとも、現政権にまとわりつく修正不可能な病魔なのか、それはまだわからない。

(04)支持率の高さ

 

高市政権は、現状で、『異常なまで』の高さ(しかも、二度目の支持率調査のほうが、一度目をうわまわっているという)を示している。

 

しかし、それが、『単なる幻、願望』に過ぎなかったということがわかれば、この高い支持率は、『雲散霧消』してしまう可能性も十分にある。

 

 

しかし、他方では、高市発言を単なる『戦争準備発言』などとして、現在の国際情勢に関する彼女の発言をすべて、『幻覚』であるとして、単に『憲法を守ればよい』などと繰り返している勢力は、一挙に、今後、追い込まれていく可能性も(他方では)存在している。

 

『日本国憲法』は、あまりにも長期間、『憲法解釈の積み重ね』でもって、対応を重ねてきすぎた結果、(戦後、ドイツにおける状況変化などと比較しても)何が、譲れぬ大原則であって、何がそうでないのか、それが全く、『ごった煮状態』になりつつあるようだ。

 

その結果、『戦争は嫌だ』という人たちが、ただ素朴に、『憲法改悪反対』と叫べば、叫ぶほど、かえって『根本的な憲法改正(改悪?)』も可能になりうるような状況を迎えつつあるような気がしている。

 

実際、自民党あるいは高市支持勢力のいうことを聞いていると、(従来の見解とは違い)閣議あるいはそれに近い、体制で『憲法改正条項』のとりまとめが可能であるというような主張をしている。

 

仮に、本当にこのようなことをやる気であれば、『ナチスのヒトラー体制』がやったことではないが、『クーデターにも似た』『憲法改正』を『内閣が実質的に推進』してとりまとめ、それを『議員立法』として国会に上程し、『改憲発議』をなしとげることなど、簡単にできてしまうだろう。

 

そうなると、『風向きが変わる』とたちまち、それに合わせてしまうという『生き方』しか身に着けてこれなかった、(大方の)日本人は、『国民投票』でこれをひっくり返すというような『やばい行為?』は『国賊もの』になってしまうと判断して、率先して自らの手足をしばってしまうという態度に転ずる可能性が極めて強い。

 

いうならば、『日本を再び戦争に巻き込ませるな』という(一定の世代にとっては)身体にしみついた(ある種当然な)気持ちを抱き続けた結果?、これまでの憲法が、一挙に『改定』あるいは『停止に近い』状態にされてしまうという、『悪夢』が実現されてしまうという『逆説的な未来』も、十分、ありうる状況になりつつある、という気がしている。

 

私が見ているところ、例えば、『共産党』や『れいわ新選組』などは、『前者の脅威、危機』、つまり『高市サンが起点となって起こりうるマズイ事態』を強調し、逆に、『維新』や『日本保守党』『参政党』、その他高市サン支持勢力は、『中国の権益の拡張が起点となって起こりうる脅威、危機』を強調しているようだ。

 

しかし、実際に起こりつつあるのは、日本のなかでも、こうした『分断状況』がますます拡大していって、国論が二分しているということである。

 

そのなかで、『相手の言うことには、一切、耳をかさず、相互にレッテルを貼る』そのような『平常ならざる分断状況』が進行しつつある。

むしろ、こうした『雰囲気』『一種のヒステリー状況』こそが、『危機の進行』であろう。

 

しかも、中国などにおいては、『富裕層』を中心にいつでも、国外に逃げ出す(あるいは、財産や親族を退避させる)準備が整っているようである。

(ところが、日本では、『日本しか知らず』、外国に『第三の道』を求めるすべなど、考えたこともないような人たちのほうが、『圧倒的多数』のようだから、かえって、今後、逃げ場のない、『暴発する可能性のあるエネルギー』が日本国内にためこまれていくように感じる。)

 

もはや、『高市サン』を叩くだけではすまない。

また、ただひたすら、『平和憲法を守れ』などと言っていても、空しいような気がしている。

それが、率直な感想だ。

 

 

さてさて、例の高市早苗総理の国会予算委員会における答弁の状況、あるいは天衣無縫に見える『首脳外交』でのふるまいぶりを見て感じたこと…。

 

 

極めて月並みな表現に見えるかもしれないが、高市サンというのは、内閣の『切り込み隊長』的な役割を担わせて、バッタバッタと切って捨てる(痛快な言動をこれでもかと炸裂させる)、そういった『使い方』には向いているかもしれないと思う。

 

 

何しろ、(これが『関西の真正、おばちゃん』とでもいうのだろうか)周囲との摩擦を気にせず、ポンポンと『言ってはいけないセリフ』を炸裂させて、『(日本の)みんな』を明るくする?という役目は得意のようである。

(それに、妙にコミカルな側面も持っている人なので)どこかで『わてが、アホや』とかいって、自虐の笑いを生じさせるという、『コメディエンヌ?』的な要素を十分、お持ちのかたのようでもある。

 

ついこの間までは、公式な発言(いわゆる『ぶら下がり』取材というやつか)においても、『関西弁』が結構、まじるので、楽しませて?もらってもいた。

 

しかし、『存立危機事態』とか(中国の駐大阪総領事による)『勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟が出来ているのか』というあまりにも下品な『脅迫行為』が公然と出回るに及んでは、高市首相も『関西弁をまじえる』余裕など、吹っ飛んでしまったのだろう。

 

(02)斬首暴言の投稿

だが、これなども、ある意味では、『中国の喧嘩の作法』みたいなものに乗っ取っているのであり、いちいち真に受けて、憤慨していたのでは、こちらの身が持たなくなってしまう。

(もっとも、中国というのは、こういうのは単なる『脅し』とは限らず、実際に、何らかの行動を起こしてしまうような輩が、『五万といる』というのが、恐ろしいところでもある。

ロシアなども、そうだが…。)

 

しかし、問題は、『台湾海峡』という中国にとっては核心的な利益ともいえる、『超ホットな問題』を巡ってのやりとりである。

 

高市サンが、『切り込み隊長』などではなく、一国の総理大臣である以上、万が一にも、『不測の事態』に突入することのないように、『自らの内閣、あるいは、自衛隊その他、在日米軍などもコントロール下において』、細心の注意を払いながら、『交渉』(外交、あるいは非外交の領域を問わず)を行っていくべきであることはいうまでもない。

 

ところが、私が、『新聞』などの報道を見聞きした限りでは、そういった面で、『やや粗雑』というか『うかつ』な側面があったことは否めないような印象を受けている。

 

(03)高市ー習近平会談

というのは、高市首相が、習近平国家主席と初めて会談したのは、10月31日であった。(韓国の慶州で行われたAPEC首脳会談の前に、挨拶を交わす形でスタートし、そののち、初の会談にのぞんだ。)

 

このとき、二人は、握手し(いちおう)にこやかな会談を行い(とは言え、表情は非常に硬い)、首相官邸がインスタグラムに投稿し発表した内容でも、<『戦略的互恵関係』を包括的に推進し、『建設的かつ安定的な関係』を構築していくことを確認しました。また、様々な懸案と課題はあるものの、それらを減らし、理解と協力を増やし、具体的な成果を出していく重要性を指摘し>となどとしている。

 

何が問題なのかと言えば、のちに『存立危機事態』とか『重大な緊張関係』を日中間において生じせしめるような懸案があるのであれば、むしろ、この時点でこのような『日中首脳会談』をすべきではなかったということである。

(日中首脳会談は、『重大な問題』を発生させないようにするために行うべきもので、その会談後に、『会談での合意事項』を含めて、紛糾のタネになるようでは、かえって『危機管理上、非常にマズイ』と言わざるを得ない。)

 

高市サンの今回のふるまいを見ていると、恐らく中国側からすると、『習近平氏のメンツを完全につぶされた』と感じてしまうのではなかろうか?

 

どうして、そのようなことになってしまったのか、どうも良くわからないが、高市サンは、『トランプ大統領との交渉の流れ』と『最大限、米国のふところに飛び込みたい』という思い、それに『日中の思惑の流れ』さらには、『台湾の頼清徳政権に対して、最大限、いい顔をしたい』という思いなどが、極端に目まぐるしく交錯して、『こんな事態』になってしまったのではないか?

という気がする。

 

日本の側からすると、『台湾を最大限、防衛すると言って何が悪い』『放置すれば、中国は、台湾の武力統一の願望を、是が非でも実現しようとするだろう』などといった思いの人が多いだろう。

(実際、私も、日本は、『旧宗主国』という『歴史的・道義的責任』から言っても、『台湾の現状の体制を守るべく、最大限の努力をし、また犠牲も払うべき』だという思いである。)

 

 

しかし、中国はもともと『面子(めんつ)』を非常に大事にする国である。

 

仮に、習近平に間違ったメッセージを発信して、彼が、『台湾統一問題に関して、自分の面子丸つぶしの状況に追い込まれてしまった』と考えるようになると、(習近平が、どの程度、『困難な状況』を抱えているかにもよるが)日本の周辺とか台湾周辺に『ミサイル演習』を繰り返し実施する、『台湾において、一部の人々(これは中共系か、逆に、冒険主義的な反中共産系なのか、どちらが開始するかわからない。台湾政府の側に、昔の日本の『玉砕主義者』のようなマインドの人が、いるであろうことも容易に想像できる)が、『台湾内での武力的衝突などを、引き起こしてしまう』そのような事態も考慮に入れる必要がある。

 

このような、『突発的事態』を最大限、コントロールしようとするのが、日本の総理大臣の『重大な責務』でもあるはずである。

 

くれぐれも、『それは私の仕事ではありません』などと高市サンが『物事を放り出してしまう』といったことのないように、お願いしたい。

 

高市サンは、これまでは、『イケイケどんどん』の『斬り込み隊長』の役割さえ、務めていればそれでよかったのかもしれないが、現在の状況下では、高市サンには、さらに『ハイレベルの役割』を果たしていただかなければ、『日本のサッチャー』などと(後世になって)褒められることも難しくなってしまうだろう、

ということをお考えいただきたい、ものである。

 

今や、『何時間しか寝ていない』などといったことは、何の自慢のタネにもなりはしない。

 

むしろ、きちんと睡眠をとって、『大局について、考慮に考慮を重ね、日本と世界の、今後の中長期のことを考えれば、どのような選択をしたほうが、有益となりそうか…』その辺について、しっかりと考慮を重ねたうえで(もちろん、孤独に『結論を求める』のではなく、いろんな『情報源』から『事実関係』や『将来の見通し』あるいは『中国の幹部たちの、発想のスタイル』などについて、提言を求めるのも排除すべきではない)、何よりも(日本の)国民が安心できるような、『総理大臣としての働き方のスタイル』を確立してほしい、と願うばかりである。

 

 

 

さて、高市さんが女性初の首相になってから、初めての国会論戦。

この間までの、『代表質問』というのは、双方が、『原稿を読み合う』だけの話だから、それだけでは、全く実力ははかれない。

(もっとも、原稿をまともに読めないようであったり、内容を全く理解していないことが、明白な『棒読み』とか『読み間違い』などしたら、論外ではあるけれど…。)

 

そこで、注目されたのが、11月7日からスタートした予算委員会での議論である。

(もっとも、私は7日の金曜日の朝からいきなり予算委員会が始まるとは思わっていなかったもので、その初日の午前の部分は、『生中継』で見るのは見損じてしまった。)

 

スポーツと同様で、やはり、『生』、『リアルタイム』で見るのが、『今後、どうなるか、全くわからず、当人たちの緊張感もつたわってきて、本当の意味で、楽しめる?』(これは、『勝敗』がわかったのちに、『大相撲の取り組みの録画』など見ても、かなり『興覚め』してしまうのと同じようなことだ。)

 

 

だが、それでも、7日の午後のやりとりは、大半の部分を見ることが出来た。

 

結局、質問者として登場したのは、(見損なった、午前の『自民党・無所属の会』の5議員を除くと)平将明(いかにも、ITが得意というような顔をしている、本当に得意なのかどうかはわからないが)議員が自民党所属であること以外は、立憲民主党・無所属の会派の6人ばかりの議員たちであった。

 

(01)予算委員会の質問風景

 

ただ、それだけのメンバーでも、『波乱』はあった(と思う)。

 

(02)未明から、レクチャーを受ける

それ以外でも、この日は、高市首相が初答弁に備えて、午前3時?から、『勉強会』みたいなのを開くということが話題になっていた。

 

そんなに答弁に自信がないのか(そもそも、『予算委員会の答弁』といったって、官僚たちが作る『答弁用のメモ』をつなぎ合わせただけなのだろうという印象もある)とも思ったが、あるいは、この『勉強会』には別の思惑もあったのかもしれない。

 

『野党の議員たち』が質問内容を通告してくるのがいかに、『遅く』そのために、『官僚たち』も『働き方改革』どころか、『寝ないで答弁の原案作り』で大変なのだということをアピールしたかった(『高市いじめ』に対する、国民的反感づくりの一助としたい?)というような思惑もあったのではないかという気もした。

 

ただし、高市サンが不安なのも、(一方では)よくわかるという気も私はしている。

 

彼女は、そもそも、これまでの総理経験者が体験してきたような、『主要閣僚』とか『党の最高幹部級』のルートをたどってきたわけではない。そのため、そうした『体験を積む』ことで得られる『経験知』みたいなものをもっていないのだろう。

 

 

それだけでなく、彼女が得意としてきたのは、いわば、『一般の人々』あるいは『安倍晋三元首相のファン』であったような人たちを相手に、『心地よい、アジテーション』みたいな演説をして人気を博することであっただろう(いわば、『客寄せパンダ』みたいな演説を彼女は、各地で繰り返してきた)。

 

そうした演説と、『総理大臣として国政全般』について、『半分、いやがらせを含んだ』ネチネチした野党議員の質問に、破綻なく答弁するというのは、(同じ、『口を動かしてしゃべる内容』であったとしても)全く異なったものであろう。

 

(03)本庄知史議員の質問

私が、見ていた限りでも、(見方によっては)高市サンは、少なくとも3回(あるいは数え方によってはそれ以上)の場面で、この日だけでも『答弁』に息づまり、『ギブアップ』に近い、苦悶の表情を浮かべて、(瞬間的にであれ)『途方にくれた』表情を浮かべていた。

(この辺は、人によって、異なる感想を抱く可能性がある。)

 

第一回目は、(立憲民主党の)政務調査会長を務める本庄知史(さとし)議員が、『経済指標』や『経済政策と財政健全化』について質問した場面だった。

 

彼は、高市サンのいう、『経済を活性化して、その結果、購買力を高め、経済成長を生み出す』というような大雑把な話には満足しない。

どうやら、経済理論とか金融理論に詳しい『エリート』であるという自負をお持ちの方らしい。

 

そこで、高市サンに対して、(よく覚えていないが)『乗数効果』はどのくらいと考えているのかとか、何やら細かなことを聞いていた(これは、『金融理論』あるいは『ケインズ流の計量経済学の理論』を知っていないと、質問の意味もわかりそうもない話だったようだ)。

 

高市サンは、そういう『理論』に詳しくない人のようで、『狐につままれたような顔』をしていた。

 

ようやく何か答えると、『頭の良い本庄さん』は、『小ばかにしたような態度』でさらに質問を浴びせる。

あるいは、『そんなことも知らないの』というような表情を浮かべた。

 

ここで、そういった話に詳しそうな片山さつき財務大臣が、助け舟を出すのかと思いきや、彼女はあえて?そうしなかった。

(私は、高市サンに敢えて、『試練を経験させて、鍛え上げよう』といった思惑なのかとも思ったが、あるいは別の計算なのかもしれない。『我らのホープ』である高市サンを『エリート官僚出身っぽい議員』が『いじめている』のを国民に見せて、『反発を煽る』という計算も含まれているのかもしれなかった。

立憲民主党とか、旧民主党系の『賢い?』議員というのは、どういうわけか、こういうタイプの人たちが結構いる。)

 

第二回目は、立憲民主党の大幹部である岡田克也議員の質問の時、中国と台湾海峡やフィリピンなどとの海域を巡る危機について聞いていた。

(04)岡田議員の質問

 

そのとき、岡田氏は、『存立危機事態』と『限定した集団的自衛権の行使の範囲』について聞いていたのだが、高市サンは、『答弁』が極めて大雑把な印象を受けるような話し方で、このままでは、『日本が有事に巻き込まれてしまうのではないか』と危惧させるような話しぶりであった。

 

すると、岡田氏は、『外交の重要性』について繰り返し指摘し、高市サンのスタイルのままだと、いつ『台湾有事』とか『朝鮮半島における有事』が発生し、それをコントロールできないのではないかと危惧させるような雰囲気になった。

(これも、正確に再現できないが、高市サンは、『存立危機事態』と『台湾有事等での日本側の対応』に関して、『用語』あるいは『概念』の関係を十分、整理できていなかったのではないかという印象を受けた。)

 

これを機に、岡田氏が、『高市内閣は危ない』『こんな人が、自衛隊の最高指揮官では危ない』という印象をふりまいていたのは、たしかである。

 

しかも、岡田氏は、『高市サンの答弁を聞いていると、岸田内閣とか、菅内閣、そうした過去の自民党内閣での経験が正しく継承されていないのではないか』と暗に、『麻生太郎氏あたりと、岸田、菅政権あたりの亀裂の強調』をはかっているようにも見え、高市サンは、『答弁に苦労しているような印象』を受けた。

 

第三回目は、同じく、立憲民主党のベテラン議員である、長妻昭議員の質問の時である。

(05)長妻昭議員の質問

 

彼は、自身を『高市サンと同じく、父は警察官出身だった』などと語っていたが(たしかに、ノンキャリの出世頭の警視庁のデカとして、東京・世田谷警察署長=警視正=などを務め、その後、警察功労章・瑞宝双光章などを叙勲されているらしい)、彼は、高市サンとは別の意味で、『細部にこだわる、マニアチックなところ』がある。

 

7日の質問でも、やたら、『マニアチック』な細部について、高市サンに質問を浴びせ、『そんなことも知らないの』というような感想を見ている者が、抱くことを期待したようである

 

しかし、彼もまた、『いじめっぽい』『社会保障に関して、俺は知っているゾ』という雰囲気を前面に漂わせながら、細部を執拗に問いただしていたから、聞く人には、『高市サンをいじめている』という印象を与えかねない、危ない質問ぶりだった。

(それに、国会の質問で脚光?を浴びるのは、久方ぶりのようで、それもあってか、『時間いっぱい』ネチネチと聞く、執拗さが、印象に残ってしまった。)

 

このように、(特に、『存立危機事態』『台湾有事』などを巡る岡田氏の質問などは)極めて重要な『質問』であるとも思ったが、質問者本人が、『高市首相を追い詰めたゾ』と思って、高揚感を抱いているほど、効果があったのかどうか疑問である。

 

むしろ、『人気者の高市いじめを許さない』といったムードが高まると、かえって、野党が墓穴を掘ることにもなりかねない。

 

さらに、そこに、『日本の首相のリーダーシップ』に仮に、『盲点が潜んでいる』としたら、それを、『トランプ』『プーチン』や『習近平』らの前に明らかにすること自体が、『日本の危機管理、安全保障』にとって、得策なのかどうかも、疑問を感じないでもない。

(なんだか、嫌な感じのする、『高市サンのピンチな瞬間』がいくつもあったような、『立憲民主党議員たちの追及ぶり』であった。)

 

果たして、今後、どのような波乱が待ち受けているのだろうか?

 

 

 

 

相変わらず、映画を結構、たくさん見ている(スクリーンであるいはネットで)。

 

特に10月25日~11月3日にかけて、『しんゆり映画祭』というのが、我が家から比較的近い(小田急線の)『新百合ヶ丘駅』の川崎市アートセンターで開かれて行って、何度も出かけてしまった。

 

この映画祭というのは、何というか、『タウン映画祭』あるいは『市民映画祭』とでもいうべきもので、それほど映画界で有名とか、『有名な映画人が多数来訪する』といった派手なものではないが、しかし、故今村昌平監督が、その実質的な創設者の一人である『日本映画大学』が近くにあって、そこの人々がかかわっていること、あるいは、22年3月に91歳で亡くなった、(日本映画大学の名誉学長でもあった)佐藤忠男さんがずっとこの映画祭に親身にかかわっておられたこともあって、私にとっては、『気になる映画祭』だ。

(これまで、はっきり覚えていないが、10回近く、身に出掛けているのではないかと記憶する。)

 

(02)佐藤忠男さんの画像

それもあって、今回もまた、8本か9本くらい見に出かけてしまった。

(カミさんからは、一体、いくらかかっているのか、『無駄使い』をしているのではないかと、やや監視風の視線を投げかけられていたのだが…。)

 

 

そこで見たのは、順番に挙げると、『ユリ子からの手紙』(1981年のドキュメンタリー映画、武重邦夫監督。知的障害者と言われていた、ユリ子がさまざまな壁にぶつかりながら中華料理店香蘭で働くさまを描く。昭和風ではあるが、あからさまに偏見や差別などに対して、自分の見解をストレートにぶつけて生きていくユリ子の生きざまが衝撃を与える。)

 

『父をめぐる旅』(異才の日本画家・中村正義の生涯をたどる娘さんの倫子の視点で描く。彼女が父に対してこだわり、引っ掛かりを持っているのが変化していく、そのさまが興味深い。2013年のドキュメンタリー映画)

 

『ぼくのお日さま』(2024年の奥山大史監督の個人フィルム風の映画。主たる出演者である越山敬達、中西希亜良=二人ともいわば、子役であるが=と池松壮亮のからみが面白い。『雪の降る田舎町を舞台に、吃音を持つホッケーが苦手な少年とフィギュアスケートを学ぶ少女、さくらのコーチで選手としての夢を諦めた男の三人の視点で物語が描かれる』とウィキペディアでは紹介が書かれていた。)

この映画については、映画も面白かったが、上映後に、『オープンレクチャー』と称して、この映画祭の企画の一環として、『映画作り』に挑戦する中学生を対象にして、三澤拓哉という映画監督が、『公開のディスカッション』をしていたのが面白かった。

 

ついつい気分が乗って、私自身も、飛び入りで発言をしてしまった。よくよく聞いていると、『中学生たち』は『並みの中学生』とは一味違っていて、かなり、独特の視点で映画に対する感想を述べていた。

(03)オープンレクチャーの企画の紹介

 

『太陽の塔』(岡本太郎は、川崎ゆかりの偉大なる芸術家とされていることから、2018年のドキュメンタリー映画を上映した。この作品は、各分野の専門家29人が『太陽の塔』に込められたメッセージごった煮風にまとめたもので、やや退屈な映画である。

 

だが、この上映後に、ゲストトークをした岡本太郎美術館学芸員の喜多春月さんの話は、要点がまとまっていて、岡本太郎の今日的位置づけを整理したもので、面白かった。『上映作品』自体は面白くなくとも、それを素材にした『トークの部分』が非常に面白いという典型的なイベントだと思った。)

 

以上で、4本になるかと思う。

 

 

あと4本くらい見た(当初は、10本くらい見ようかと思ったのだが、現地に行って、途中で疲れて、『チケット』の権利を放棄して見ずに帰ってきてしまったのが、正直言うと、2本くらいあった。これがカミさんにバレるとまた怒られそうだが…)。

 

残りの4本のうち、特に『二十四の瞳 デジタル修復版』の上映にからんでは、(特に上映後のゲストトークを巡って)いろいろ書きたいこともあるので、別の記事にまとめることにしたいと思う。

(映画について書き出すと、ついついいろんな思いがあふれてきてしまう。)

 

 

 

11月4日~11月6日にかけて、衆参両院での代表質問があったので、主にNHKの中継を、ネットサービスを通して見ていた(なかには、生でなく、時間をずらして見たものもあった)。

 

 

また、やや寝不足で見たりしていたので、横になって見ていると、途中で寝てしまった部分もある。

だが、それらを含めて、大半のやりとりを見たと思う。

(一部、これはいいかなと思って、端折ってしまったものもあるが…。)

 

それで感じたこと。

野党は、彼女のことを見くびっていると、『寝首をかかれる』心配もあるような気がした。

 

なぜなら、どうも、高市早苗サンに対して、トランプ大統領の『おもてなし』をしたときの、『イエーイ』といったパフォーマンスなどから(これは彼女としても、一世一代のパフォーマンスだった可能性がある。またそれだけでなく、ご本人としても、『予想以上』にトランプ大統領がご満悦であったのに対して、『心底、ほっとした』可能性もある)、よっぽど、『頭の軽い右翼っぽい女性』と彼女を舐めてかかっているような様子を感じる。

 

それは、恐らく、『願望』も含めて、このように見ているのだろうけど、しかし、そのように『相手』(簡単にいうと、対峙すべき『仮想敵に近い存在』であるはずだ)を軽視してしまうと、とんでもない『しっぺ返し』を受ける可能性があると、感じている。

 

というのは、彼女は、『靖国神社の参拝』とか、『中国や韓国との向き合い方』にしても、意外と『現実主義』的な部分がある。

 

しかし、だからといって、自分が、中心的に進めたいこだわりの部分、あるいは経済、財政政策、社会政策、『安保政策』『外国人対策』『経済安全保障』『国防力の積極的強化』など、いわゆる『強い経済』と『強い日本』を追求する政策については、迷いはないようである。

(ある意味では、彼女は、『日本各地で暴れまわっている、クマ』と似ているようなところもある。)

 

(03)クマの出没

ところが、例えば、ここ二日間の参議院、衆議院での代表質問のやり取りを見ていると、高市首相を見くびって、頓珍漢な質問をしている(特に野党の)議員の質問が目立っている。

 

その第一は、名前ははっきり覚えていないが、『立憲民主党の議員』だったと思う。今調べてみると、水岡俊一という人らしい。

(04)水岡俊一議員

 

たしか、いわば、『さとすような口調』で日本経済をとりまく、問題点を細かく挙げて、『高市流の積極財政運営』などを思いとどまるよう、説得しようとしていた。

 

しかし、彼女は、一段と強い調子で、これが『高市流』だとばかりに、『躊躇している暇は、私にはない』と、自分の主張を繰り返していた。

 

(05)田村委員長

その逆を行っていたのが、共産党の質問者である。5日は、衆議院で田村智子委員長が、また、6日には、参議院で小池晃書記局長が、いずれも、『糾弾口調』で高市氏に対して、『間違った政治路線、経済政策』であって、国民を犠牲にするものだといわば『上から目線』の説教をしていた。

 

部分的には、あたっているところもあろうが、いずれにしても、(経済政策などに責任の取りようのない)『絶対野党』の『気楽なばらまき政策』である。

しかも、『日本国憲法』を絶対的に神聖視するような発言の仕方(本来、共産党の考え方では、一定の時点で、『自衛隊』を『人民の国家を防衛するための武装組織』に切り替えて、『自主独立の防衛路線』を正当化するはずなのに、それは、わざと『無視』しているように見える)を相変わらずしている。

 

(06)小池晃書記局長

このような共産党の主張に対しては、高市氏は、もっとも激しく反発し、自らの主張をほぼ全面展開している。

しかし、このように『タカ派』的に見えることをいうのは、極めて限定された局面においてだけである。

 

全般的にいうと、彼女は、『女性の権利拡張』のために、戦ってきたというムードを前面に出している。

そして、『日本の最初の女性首相』というイメージを最大限に利用している。

 

いかにも、『一生懸命にやっている』というムード、そして、『日本を救うため』に懸命に頑張っている女性政治家(サッチャーを尊敬している?)という雰囲気を醸し出すように、声の出し方、あるいは表情の浮かべ方も(以前とは、多少、)修正しているようである。

 

間違っても、関西弁で、『超タカ派の巫女さん』のような『お告げ』をいうようなこと(以前は、しばしば見られたが)は影を潜めてしまっている。

 

このような『発言の仕方の修正』『目つき、表情の修正』を彼女がしていることに気が付いているのかどうか知らないが、例えば、共産党にせよ、あるいは山本太郎氏にしても、『彼女が右翼的、タカ派的な反応を常にしてくる』ことを予想して、その結果、『空振り』をしている、

あるいは『懸命に頑張っている、女性政治家に対して、いじめている、いじわるをしている』というイメージを自ら、振りまいてしまっているというのが、現状ではないだろうか?

 

(07)山本太郎氏

もう少し、『攻め方』を考えないと、少なくとも、ここ2~3カ月は、高市氏の(異常な)支持率がなかなか下がってこないという状態が、継続してしまう恐れがあるというような危惧をしてしまう。

(下手をすると、このまま、『解散ー総選挙』に突入してしまうことだって、ありえないことではない。)

 

どうも、日本のメディアも議員も、『自分たちが、外からどう見えているのか』とか、『逆効果』、『反発』といったことに対する意識が不足しているようである。

 

さて、ここの記事の前回では、随分と『くそみそ』な書き方を高市サンに関連してしてしまった。

(01)前回の記事

 

ところが、テレビのニュース(今は、テレビ受像機の調子が悪いので、もっぱら『ネットの配信』でしか見ていないが)を見ている限りでは、NHKなども、『トランプの懐に飛び込んだせいなのかどうかわからないが』妙に高評価の報道ばかりしている。

 

しかも、最近での特徴は、トランプだけでなく(トランプの場合は、安倍氏や高市サンを褒めるのは、どちらかというと、『自分自身を褒めている』のと同じような話だから、100%真に受けるというのはどうかと思うが)、韓国の大統領あるいは習近平などに対しても、『意外とやるな』というような評価を勝ち取っているといった風の印象を与える報道が多いということであろう。

(02)NHKの報道ぶり

 

だが、これも、よくよく見ると、韓国のイ・ジェミョン(李在明)大統領は、『懸念はすべて消えた。非常に良い印象だった。』『長く話してみて(自分と)全く同じ考えを持つ、非常に優れた立派な政治家だと感じた』などと言っているようだ。

 

これは裏を返すと、『期待値が低すぎた』が、それを超えたということであり、自分はいわば『これまでの韓国における慣習にしばられて、とらわれた思考法』から脱却した『実利本位の柔軟な考え方』をする立派な政治家だが、高市氏もいわば『同類』であると感じたというような話のようだ。

(03)韓国の李大統領

 

李大統領のこれまでの動画を見ても、『実利本位』で『過去の常識にとらわれない』『ずばり、本音を述べて、韓国政治のこれまでの既成観念を超える』といったスタイルを追求する政治家のようである。

 

そのような自分と同じ『においのする政治家』だと感じて、ダカラ『評価する』という思考の流れのようである。

 

ある意味では、『自分のスタイル』を価値尺度にして、自分に似ているカラ、彼女も優れているといっているような話だ。考えてみると、トランプ氏ともある意味で、似たところのある発想法であり、『国のトップ政治家』というものは、ともするとこのような考え方をするのが、『流儀』なのであろうか。

 

 

最近、例の『川崎市民アカデミー』という武蔵小杉の『老人大学』みたいなところに相変わらず出掛けたりしているのだが、そこでも(主に)女性たちが、昼食時など、自分の席で『軽食』を取りながら、おしゃべりをしていて、『高市サン』の話題をしている人たちもいる。

(04)川崎市民アカデミー

 

それを聞いていると、(だいたいが、テレビのニュースとか、ネットの『ニュースランキング』などの影響も受けていると思うが)『日本の最初の女性首相』としては『頑張っている』とか、『応援をしなくちゃ』というような話を漏らしている。

 

『イギリスのサッチャー首相を尊敬しているらしい』とかいった話も聞こえてくるが、これも、『サッチャーという人に対する好意的な印象』をもとに話しているようでもある。

 

ともかく、高市サンが、いかにも『一生懸命』でやっている感じ(最初は、倒れてもいいとか、『自分の部下たちには、全力で頑張ってもらう』『ワークライフバランスなど忘れてもらう』などとも言っていたが、これはやや『トーンダウン』させたようだ)が、『応援しなくちゃ』とか『足をひっぱったらイケナイ』というムードを醸し出しているようである。

 

 

どうも、日本人は、全体的にこのようなムード(高市サンを応援しないといけない、悪く言うのは、『国賊?のたぐい』といった雰囲気)に覆われ始めると、あえて逆らおうとする人は、『奇異の目』で見られる恐れがあるので、やがて、誰もが『安全志向?』になって、『あえて逆らうことは言わない』となるのが、『毎年、台風がやってくるなかで、集団で稲づくりに励んできた人々の国民性?』とでもいうべきか、非常に『集団の同調性が高い』というのが、特徴である。

 

だから、私みたいなことを書くのは、(現在の)流行に反しているようだが、しかし、(精神衛生上悪いので)感じたことはそのまま、書いておこう。

 

 

まだまだ、この程度の『外交のセレモニー』をいくつか経験しただけでは、高市サンの『実力』などはわからないだろう。

 

少なくとも、各国の首脳とも、より突っ込んだ話をするようになり、また、国会での質疑(特に予算委員会などでの個別の質疑に耐えうるかが重要だろう)なども経て、『パニック』を起こすこともなく、きちんと話が出来るのか(笑顔とか、『イエーイ』とかでごまかすのではなく)、また『維新』をはじめ、雑多な政治勢力を『支持勢力』として抱え込んでしまっているなかで、果たして、『チーム』としての行動力の伴う政権なのか……その辺を見極めるには、少なくとも2、3カ月は必要だと思われる。

 

もっとも、『政権側』としては、その間に『ムード』を高めて、『支持率』を思いっきり高くして、うまくいけば、その延長で、『解散ー総選挙』を考えるということなのだろうが、その辺は、まだまだわからない。

 

 

どちらにしても、『高市サン』の評価がぐっと高くなっているように見えるのも、これまで、彼女が、『どのような考え方の政治家なのか』そういった点について、必ずしも明らかにしてこなかったこと、また『超右翼』的な政治家と思わせておいて(実際、本当のところはどうなのか、まだまだわからないのだが…)、意外と、『靖国に行くことにあまりこだわらない』とか、『中国や韓国とも大人のやり取りが出来る、妙に懐に飛び込む癖のある、7色の笑顔を浮かべる女性』とか、意外な面を外交の場で発揮し始めたというのが、『意外とやるじゃん?』というような評価となっている理由の一つであろう。

 

それは、それで、今後が楽しみ?な面もあるのだが、他方では、時間が経過すると、これまでの『安倍さんの支持層』のなかからも、『なんだ、媚中派、親韓派ではないか、怪しからん、裏切られた』などと騒ぎだす人たちも登場するかもしれない。

 

あるいは、『経済政策』などもどうなのか、よくわからない面も多くて、本当の意味で、高市サンの『実力』が試されるのはこれからだ、という気もしている。

 

まあ、これからが『楽しみ』だというところだろうか?

 

とはいえ、『現下の国際情勢』に対して常に『無関心』でひたすら『憲法の条文を変えさせないこと』に『最大価値』を置いていたような『政治勢力』は、もしかしたら、ここ数年の間に『憲法のお試し改憲』みたいなことをされてしまえば、『前文』にあたる部分も、『もはや無効』になってしまうのだろうし、『壊滅的な打撃を受けてしまう』可能性も相当、程度あるような気もしている。

(私自身、こういった『憲法の条文を守ること』に最大目標を置いている『政治勢力』には、ほとんど『シンパシー』を感じていないのだけど、だからといって、『日本における実際上の国防能力とか、国防の意思のレベル』それを大きく突破して、むやみにいろんな武器ばかり購入させられるのは、かえって、『アンバランス』であり、『危なっかしい話』であるとは思っている。)

 

そこが、石破さんの『鈍重さ』『わざと知らんぷりをして、やり過ごす図太さ』に期待してきた理由でもある。

(しかし、石破氏は、『最後の最後』でいろんなことをやろうとし過ぎたところがあり、そこがまた反発を買って、『高市的なもの』に対して、『これまでの反動』としての妙な期待が高まる根拠でもあるのだろう。)

 

どちらにしても、高市サンも、石破さんとどこか似た、『一人で抱え込む体質』、『文章をやたらに読み込めば、それで問題は解決できると考える言葉至上主義的なところ』があるようで、彼女の欠点、弱点がどのように露呈していくのか、それともそれらは『カバー』したり『克服』したり出来るものなのか……その辺が、分岐点になりそうな気もしている。

 

 

 

 

 

 

しばらく、このブログの更新をしていなかったので、書きたいこと、書かねばならないことなどたまってしまっている。

(もっとも、真の意味で、『書かねばならないこと』などあるのか、ないのか、やや疑問であるが…。)

 

日本に、『自称大国(グレートな国らしい)』のトップを務めているらしい老人がやってきている。

(この老人、喜怒哀楽が極めて激しく、今回は、妻が同行するのを拒否したのか、何だかわからないが…、単身で乗り込んできた。)

 

日本で、この人をみかけるのは、約6年ぶりらしいが、確実に歳をとっているのは間違いない。

 

前の大統領だった、『バイデン』という老人がその座にあるときは、この人は、『バイデン』のことを、『ボケナス』とか『認知症の差別用語みたいな言葉』などとさんざん、ののしってきたが、バイデンが辞めさせられてしまうと、今度はこの老人が、恐ろしく『老醜?』を漂わせていることを痛感させられる。

(01)トランプの映像

 

特に、NHKなどはやたらに『過去の映像』をもっているので、それと対比させると、『この人』の老化ぶりははっきりしている。

(まあ、この人に限らず、誰しも『老化』しているのだけど…。ちなみに、『高市』とかいう、最近、念願の総理の座を獲得した女性も、いつまでも若いころの映像をテレビでは流していて、ご本人も、『若返ったのかしら?』と勘違いされているようだが、『飲み屋のママの厚化粧』~失礼~

みたいなもので、『良識がある人』がそれを見ると、『あんた、頭は大丈夫か』と心配しそうなものだが…)ご本人は、てんと恥じることなく、『日本にやってきたウルトラ老人』のそばで、『ぶりっこ』をしている。

 

(02)戦争直後の映画のシーンから

 

わたしが、よく出かける(東京・京橋の)『国立映画アーカイブ』では、戦後すぐの映画などに、この手の『ぶりっこ娘』が『異人さん』に寄り添って、『お小遣い』などをねだっているようなシーンが繰り返し出てくる。

 

まあ、こうした『下心のある女』と『スケベな爺さん』の組み合わせというのは、別に相手が『異人さん』でなくとも、繰り返し、映画で描かれる『人間模様』である。

 

(たしかに、『女性』の側に視点を寄せると、彼女は、非常に『努力家』であったり、裏で『涙ぐましい我慢』をしながら、『怪しい女』という役割を懸命に演じていたりする。

そこには、『女性差別』というものが、厳然として存在することは事実であり、それを無視して、『世界の物語』を語ることはできないだろう。)

 

しかし、それにしても、高市さんの言動を見ていると、『これが果たして、日本国の総理大臣のふるまい方か』という気がしてならない。

 

いかにも、『属国の女』であり、『かわいい?異国のペット』のような役回りを嬉々として演じている。

 

普通に考えると、『日本をこれ以上、みじめな国にするな』といわゆる『右翼』のおっさんが、何やら、不穏な感情にかられたりしても、おかしくなさそうな気がしてしまう。

 

 

しかしながら、不思議なことに、今では、『Hanada』とか『WiLL』などの昔ながらの『安倍ファン』の人たちが、読んでいるらしい雑誌の表紙は、こんな感じになっている(ようだ)。

 

もっとも、これは、『高市サン、女性初の首相に』という最近の展開にあわせて作られた表紙にすぎず、その中身に何が書いてあるのかは、まだ『読んでいない』ので全くわからない。

 

いずれにしても、『高市サン』が、ついこの間まで、ほとんどの『安倍ファン』の人たちの間では、『裏切者』とか『国賊』とか激しい憎悪の対象とされてきた、『維新』とくっつき、閣外協力とかいう、『みょうちきりんな連立政権』をあわてて結成して、ようやく、『首相の座』をしとめたということは、公然とした事実である。

 

私は、本日の高市さんのそぶりをみて、また(正直言って)へたくそな英語を聞いて(やはり、東京都知事の小池百合子さんと同様、さまざまな言われようのなか、『いろんな党派』をわたりあるいて、出世してきた女性というのは、じっくり英語を勉強し続けるという余裕など、まったくないのであろう)、この人の『保守思想』というのも、恐らく『メッキ』で、いつかの時点であわてて身に着けた『仮装、仮面のようなもの』に過ぎないのだろうと感じている。

 

彼女が、『保守の思想』というものを身に着けていて、また、『日本の歴史』に思いを致す人であるならば、今日の彼女のふるまい方のような『ハロウィン』めいた、あるいは『悪い冗談』のようにしか見えない、『属国の女』のような『はじけ方』はしなかっただろうと思う。

 

 

日本人は、極めて、『時流に流されやすく』、また『周囲と異なることをすること』を嫌うから、今後、何がどうなっていくかは、予想はほとんどできない。

 

しかし、『安倍元首相』がひいきにしていたという『高市』という女は、(安倍首相が総理の座を退いてから、既に5年が経過するが)この5年間の間に、『目先の目標に向かって、熊のように、あるいはイノシシのように、突進する』ことは得意のようだが、それ以上のことは、彼女に望んでみても仕方がないという気がしてならない。

 

むしろ、彼女をかついでいる『片山さつきサン』とか、『松島みどりサン』(昔、『うちわ大臣』と揶揄された人)あるいは、『茂木外務大臣』とか『麻生・副総裁』あたりに、『この先、どういう風に考えているんですか』と聞いたほうが良いのかもしれないが、麻生太郎あたりには、『そんなこたあー、わかるわけがないだろう』『俺自身、いつ、おっちんでしまうのか、全くわからないのに』などと言われて、笑われてしまうだけかもしれない。

 

だが、この人、妙に『運の良さ』を持ち合わせているかもしれないので、『立憲民主党』とか、『共産党』『社民党』その他の『不適切な対応の仕方』いかんによっては、あっさりと、『憲法改正』を実現してしまいかねないという気もしている。

 

先日の、所信表明演説時の『馬鹿げたやじ合戦』(やじがひどすぎて、高市サンの演説が聞き取れないので、『よっぽど良いことを言っているんだろう』と錯覚してしまう)によって、自ら、『立場』を悪くしてしまったように、『立憲民主党』などには、『極めて視野の狭い国会議員』がうようよしている

ようだから…。

 

特に、(名前を挙げて申し訳ないが)『ジャーナリスト出身』を売り物にしている杉尾秀哉氏などは、本当に『感情的な発言』を、国会での質問の場でも、平気でしている。

 

これは、自分自身でも、『かなり感情的なほうだ』と自認している私自身が、時折感じるくらいなのだから、相当、『間違いがない』と思う。(笑)

 

そればかりでなく、『立憲民主党』の枝野氏などは、早速、『(集団的自衛権を限定的に容認する)安全保障法関連法に違憲の部分はない』と、ついこの間まで保持していた自身の見解を、180度転換させるようなことを平気で、発言している。

(05)枝野氏

 

この人は、もともと、選挙のために、自身の選挙地盤であった動労の(当時の)革マル派に近い指導部に対して、『寄り添う』ような文書?に署名したことでも知られているが、ともかく、いろいろ小細工をして、『自分に有利な取引』を常に追求するという、基本的な体質があるようだ。

 

(ここでも、『妥協的』で『逃げ回る』体質を露呈してしまったようで、結局は、自分自身が結党した『立憲民主党』というものの、存在価値を捨て去るようなことを平気でしてしまっている。)

 

こういうことでは、『危なっかしい女性首相』の『高市サン』とどちらが、『悪運が強いか』という競争をしているようなもので、この先が思いやられる。

 

私としては、高市サンが、せめて、『石破茂前首相』なみに、『短期政権』で終わってほしいのだが、石破氏よりは、『総理になったら、何をするのか』について思い定めた政権であろうし、何しろ、百田尚樹から、参政党、NHK党、あるいは国民民主党に至るまで、『準支持勢力』がうじゃうじゃいる政権なので、石破さんみたいに、『みじめな挫折』を遂げ、しかも、勝負がついたあとに、『もう少しやっていたかった』などと未練がましいようなことは『ないのかもしれない』。

(もっとも、高市サンというのは、『準支持勢力』がうじゃうじゃいることこそが、逆に、その『危機、リスクの大きさ』を表しているような気もしている。)