『週刊文春』は、創業者の『菊池寛』路線を踏襲していることで、有名らしい。

 

『菊池寛』とは、『芥川龍之介の友人?』で『芥川の早い死(35歳で、1927年に自殺)』とその才能を悼んで、『芥川龍之介賞(通称、芥川賞)』を早くも『文藝春秋』1935年1月号において、『芥川・直木賞宣言』(いわば身内の作家を選考委員に仕立て上げて、とりあえず両賞の受賞者を決定し、公表)が発表されたというのが、そのあわただしい設立の経緯のようだ。

 

当初、菊池は、『世間が、両賞のことを大きく取り上げてくれない』ことに不満を漏らしたらしいが、このような経過での『身内での表彰ごっこ』では、そのような反応だったのも無理はなさそうな気がする。

 

その後、菊池の『しつこい浸透工作?』によって、徐々に世間に知られることになった。

 

こういう経緯から、いまでも、『芥川賞・直木賞』ともに、文藝春秋社内に置かれた、『公益財団法人 日本文学振興会』によって運営がされているが(公益財団法人 日本相撲協会などと、同様に)あまり、『公平・中立・独立』などの基準で運営されていないのでは…?というのが、少なからぬ人々の抱いている『イメージ』『印象』であろう。

(まあ、私自身、そう感じている。)

 

こんなことを書いていると、長くなってしまうので、やめるが、最近、『週刊文春』が連載している『高市首相<中傷動画> 全ての疑問に答える』(副題として、『Zoom会議の音声を声紋鑑定すると…』など付けられている)という記事を掲載した『週刊文春6月25日号』(首都圏では、6月18日発売だった)を発行した。

 

バカみたいな話だが、私も早速、これを昨日(18日)購入した。

 

それでどうだったか?

そもそも、『全ての疑問になど、全く答えていない』。

というより、答える気(能力)などもあまりないようだ。

 

『週刊文春編集部』では、『Zoom会議』の音声(高市首相の公設第一秘書の木下剛志氏、ならびに動画作戦にかかわったとされる松井健氏)を『日本音響研究所』の鈴木創社長のところに持ち込み、『本格的な声紋鑑定』を依頼したのだという。

 

すると、『同一人物の音声と推定してよい』とする鑑定結果が得られたのだという。

 

いやいや、『声紋鑑定』などというのは、さまざまな刑事事件等で、検察(警察)側あるいは、弁護人(被告)側などがそれぞれ持ち込み、いつもいつも、両側から異なった『鑑定結果』が得られている(らしい)といった程度の代物でしかないのでは?

(素人の『印象』での話だが…。)

 

それをこんなところで、出してもらって、『全ての疑問に答える』と言われてみても、???

 

本来、『週刊文春は、この事件?について、その全貌をどの程度、承知しているのか?』『なぜ、それをいつもいつも小出しにしながら、記事のキャンペーンを継続しているのか?』

 

そのことこそ、『週刊文春』の答えるべき疑問であろう。

私の『印象』だと、いつもいつも、最後は、『野党側の誰かの、別のスキャンダル記事をいきなり、出してきて、<帳消し?>をはかる』あるいは、野党の国会議員など、こうした『キャンペーン』に乗っかって、『追及しすぎた、やや軽はずみな議員さん』が、最後は、『自責の念から?』『飛び降り自殺など、不幸な末路』を遂げてしまい、かえって、真相が全く分からなくなり、『嫌な印象、政治不信』だけが残ってしまう…ここらあたりが、『文藝春秋社のキャンペーン』の末路であることが多いような感じがしている。

 

果たして、今回は、もう少しまともな『決着』を見ることが出来るのか、問われているのは、『文藝春秋社』の編集方針、キャンペーン路線そのものであろう。

(下手をすると、『廃刊への道』すらありうる、そして、『芥川賞』『直木賞』などは、文藝春秋社内から分離して、別のところに移す、ということだってあり得ないことではないだろう。)

 

菊池寛自身も、『スキャンダル大好き体質』(はっきり覚えていないが、読者は、『1割くらい本当のことをまぜれば、あとは、適当なことを書きまくれば、喜んで読んでくれる』そんな存在だと、みなしていたらしい。

そして、架空の『文人、性豪番付』などをでっちあげて、発行部数を伸ばしていたのだという。

 

 

 

 

 

国立映画アーカイブで『映画監督 是枝裕和』という特集をやっているので、何本か、是枝監督の作品を見たことは、昨日(6月16日)の記事にも書いた。

 

面白かったのは、以前、見ていたにもかかわらず、すっかり忘れていた作品があったことだ。

しかも、今回、『見直してみて』、前よりずっと『わかった』というか、『作り方』に納得したような気がした。

 

これは、不思議な体験だった。

その作品は、『怪物』(2023年製作)である。

 

国立映画アーカイブ作成の『リーフレット』には、その紹介として、<小学生の息子(黒川)の異変を察知し、担任教師(永山)からのいじめに遭っていると確信した母親(安藤)は学校に訴えたが、校長が当事者たちに事情を聞けば聞くほど、事態は混迷を極めていく…。><第76回カンヌ国際映画祭で脚本賞、およびクイア・パルム賞を受賞>などと書かれている。

 

 

この映画は、たしか、日本アカデミー賞でも、たくさん賞を獲ったので、私も『面白そう』だと思い、どこかの映画館で見たのだった。

 

ところが、すっかり、(見たことを含めて)忘れていた。

おまけに、ストーリーもほとんど忘れてしまっていたので、結果的に、『二度、楽しめた』。

 

これは、私自身の『老化』と『早期認知症の疑い』も影響しているとは思うが、しかし、それだけではない。

 

<以下、やや『ネタバレ』的なことを書く。>

そういったことを読みたくない人は、ここで、『読むのをやめて、ください』。

 

『すでに見た人』あるいは、『そういうことは、あまり気にならない』という人は、続けてお読みください。

 

すっかり、忘れていたのは、この映画が、かなり『複雑な作り』方が、されていたからだ。

 

『母親』役の『安藤サクラ』は、すっかり、自分の子供がいじめられて、『教師が悪い奴だ』という確信を強めながら、学校に乗り込んでいき、その後、『大暴れ?』するのだが、この映画を見ていくと、『物事』には、『いろんな見方』が出来るのだということが、徐々にわかってくる。

 

『教師』の『永山瑛太』は必ずしも『悪い奴』ではない。むしろ、『生徒思い』であり、彼は彼なりに、いろんなことをしている(『いじめ』以外のことを)。

 

にも、かかわらず、『教員たち』(特に管理職クラス)の『集団無責任』によって、『とりあえず、謝りなさい』という指導が、教師に対してなされる。

 

その結果、むしろ、『教師の永山』は、精神的な孤立で、『ノイローゼ』になり、一時は、『死のうとさえしてしまう』というのが、この映画のなかで、語られる『もう一面』である。

 

そして、そのためには、ちょっと『変わった生徒』、『生徒同士のある種の、同性愛的な感情のやりとり』も関わってくる。

『女子生徒』などのなかに、『いい子』ぶって、『誰かを<悪い子>にして、糾弾する側にたちたい』というような感情も芽生えてくる。

 

そして、興味深いのは、『いじめられた』とされている、『黒川想矢』演じる少年と、もう一人の『冬?木陽太』演じる<屈折した性格の少年>の二人の、絶妙ともいえるような『絡み合い』とがある。

 

なお、この映画を『複雑』にして、『容易に把握しにくい』ようにしているのは、この映画は、必ずしも、『時系列順』に物事が展開していない、ということである。

 

『現在』、『過去』、『大過去』みたいなものが、複雑に交錯し、あるいは行ったり来たりしている。

(しかも、複数の人々の視点で、それは描かれている。)

 

その結果、ある意味では、『非常にわかりにくく』、下手をすると、『眠たくなってしまう』(いわゆる、『寝落ち』というやつ)ような物語られ方がしている。

 

しかし、(私もさすがに、二度見て、気が付いたのだが…)このような『物語り方』をしている映画であることがわかれば、その『虚構の世界』(結局、映画とは、『虚構の世界』である)を楽しめる。

 

むしろ、このような描き方をするからこそ、『今の世の中』の複雑性をとらえることができる。

というような気がしてくる。

 

この映画は、当初、感じた『安藤サクラ』の視点からの、『いじめを糾弾する、正義の母親』というとらえかたが、むしろ、『モンスターの視点』だったかもしれない、という気がしてくる、不思議な映画、『見直すことで、より楽しめる映画』である。

 

そして、是枝監督というのは、これより、もっと『複雑な実験映画』みたいなものを、次々と、『平気で作り出してしまう』ような映画監督なのである。

(もちろん、それらすべてが『成功』しているわけではない。しかし、その『試み』そのものが楽しそうだ。)

 

こうした『映画の構造』を感じ取ることができたのが、この映画を、(前に見ていたことを、すっかり忘れて)『二度見』したことによる、『楽しさ』だった。

 

現在、東京・京橋の『国立映画アーカイブ』で『映画監督・是枝裕和』と題する特集企画をやっている。

(6月2日~6月28日)

 

『一作ごとにアクチュアルなテーマ性と繊細な映像表現を打ち出し、国内外において現代日本を代表する映画作家と評される是枝裕和(1962~)。

このたび、国立映画アーカイブと株式会社分福は、現在に至るまでの是枝の業績を振り返る特集企画を共同で開催します』

 

ということで、『長篇映画11作品について新たにニュープリント・DCPを作製、初期のTVドキュメンタリー、TVドラマなど含め、24プログラム(30作品)を編成し、是枝裕和の作家像を紐解きます』(本企画のリーフより)

(01)リーフの画像

 

実は、私にとっては、今は、6月24日に(川崎市民アカデミーの『文学のワークショップ』で)大江健三郎の作品について、『ミニ発表』をしなければならない、いわば『試験前の時期みたいな状況』なのだが、こういう『追い詰められた状況』だと余計、映画など見たくなってしまうものなのか、この企画で、既に『ベイビー・ブローカー』、『怪物』、『幻の光』、『誰も知らない』、『DISTANCE』と5本の作品を見た。

 

どれも、『実験的な作り方』を取り入れたりして、何となくおしゃれな感じのある作品ばかりである。

(何を言いたのか、さっぱりわからないようなモノも多い。)

 

何となく、『糸をひいた感じ』で後ろ髪をひかれて、もう一度見たくなる、あるいは解説みたいなものを聞きたくなるような作品が多い。

 

(02)現場で撮った写真

それで、16日には、『DISTANCE』上映後に、一時間近く(実際は、一時間をかなり超えていた)是枝監督自身を含めた『トークイベント』が予定されていたので、それに申し込んで、最後まで見聞きしていた。

 

驚いたのは、当日、ほぼ満席の状態だったこと(当日、欠席する人は、ゼロにはならないので、それにしても異例である)、しかも、『若い人』、特に女性が多いことにはびっくり。

 

さらに、驚いたのは、この『若い女性たち』がどんどん手を挙げて、『質疑の時間帯』に参加してくることだった。

 

私は、どちらかというと、(子供のころ)アメリカからの『帰国子女』だったもので、『日本人というのは、何でこんなに自分の意見をいわないのだろう』とイライラさせられる経験の多い『老人』(最初にアメリカから帰国してから、『60年以上が経過』している)である。

 

ところが、この日は、『若い女性たち』が、手を『ミュージック・イベント』か何かのように、両手を大いに振り回して、『自分にあててくれ』というサインを送っている(しかも、そういうのが、会場中にいる)のに驚いた。

 

少々、大げさに言うと、『これは、私の知っている<日本>ではない』といった感じすら受けた。

 

そして、それに輪をかけておもしろかったのは、『是枝監督』あるいは、井浦新さん(主演の俳優)、山崎裕・撮影監督などのゲストたちの、『思ったことを率直に話す、トークぶり』であった。

 

あまりに面白かったので、その後も、同様の企画に参加してみようと思ったくらいだった。

(その模様を、この記事の後編でも続けて紹介したい。)

 

なお、この映画は、『無差別テロの末に集団自殺したカルト教団の加害者家族が、年に一度の慰霊の日に過去と向き合う姿を描く』(リーフより)『本作で是枝は、脚本を用意せず役柄と設定のみを演者に伝え、自発的に生起する感情や即興的な演技によって、作品を生み出す実験的な手法を試みている』。

 

 

 

 

 

ここしばらく、このブログにまとまった記事を書いていないもので、アクセス数が非常に落ち込んでしまっている。

 

私が、何も発信していない以上、『やむをえない』という感じだが…。

それで、ぼちぼち、更新することにしたい。

 

(01)

最近、NHKなどのニュースで、AIを活用などと称して、妙なニュース、報道番組の作り方をしている。

 

たとえば、最近の『イラン、アメリカ、イスラエルなどを巡る(戦争ときどき、静かな日)状態』に関する報道に典型的だが、『アナウンサー』などが全体を仕切るという姿が、はっきり見えてこない番組が増えてきている。

 

そういう番組では、『トランプ大統領』『イランの側の報道』『ナフサなどの不足の状況』『日本の生活への影響』などが、一連の、頭としっぽのはっきりしない『鵺ぬえ的』な動画編集によって、紹介される。

 

そういう形なので、例えば、途中で『高市首相の自民党総裁選』あるいは、『先の解散ー総選挙』時の、『法的に疑問のある、動画キャンペーンで政敵に対して、マイナス・イメージを塗り付けた疑い』についても、何だかよくわからないままに、その報道の部分が、終わってしまい、いつの間にか、『株価は今日も上がっています』みたいな話になってしまっている。

 

そこの部分では、『株価があがって、もうかったから、海外旅行とか、国内旅行に出かける』という、『資産家?』のにやにやした画像が紹介される。

 

(02)鵺的な画像

本来、一つ、一つの問題について、きちんと報道すべきなのに、『一連のぬるぬるした蛇みたいな動画の編集』によって、何だかよくわからないままに、話が進んでいく。

 

こうしたことは、一人の『人間』であるアナウンサーが自身の言葉で伝えれば、成立しえない(少なくとも、成立しにくい?)と思われる。

 

ところが、現在では、『AIが編集した』とか、『AIが音声部分を一部担う』ことによって、こんなおかしな手法がまかり通っている。

 

しかも、NHKでは、『同じ画像の塊』を編集して、一日のなかで、何度も使用している。

(その頭に、『AIによるナレーション』がつくので、何となく、まとまった報道のように見えてしまう。)

 

(03)AI万歳の風潮

NHKは(あるいは他の局でもやっているが)このような、『AI活用』を口実にして、『無責任な映像垂れ流し』をするのを、やめるべきである。

(NHKのアナウンサーたちは、『AIがあれば、自分たちは不要である』ことを自ら証明するような愚かなことをやっている。)

 

NHKには、『労働組合』はないのか、『仕事をする人間としてのプライド、誇り』を重んじる組織はないのか?というと、『日放労』とかいうのがあるらしいが、それも、何を主張しているのか、よくわからない。

 

(04)人間はいらない?という実験

今日、『AI活用』を名目にして行われていることは、『人間のアナウンサー不必要宣言』みたいなことであり、極めて、不適切である。

 

しかもそのことによって、『視聴者の満足』が得られるようなサービス提供が行われているかというと、その真逆のようだ。

 

(05)NHK ONEの不評

おまけに、『NHK ONE』なる仕組みを導入したが、視聴者の理解が得られず、むしろ、反発を買っているようだ。

 

NHKのアナウンサー、記者諸氏は、『人間宣言』を発し、『AI活用の不適切な側面』に対して、堂々と意見を発表し、その暴走に対して、抵抗すべきである。

 

少なくとも、『どこが、不都合なのか』それをていねいに掘り出して、視聴者の共感を得るようなことを『やろうとするべき』であろう。

 

今、行われていることは、『人間性の放棄』『いわゆるAIへの全面降伏』であって、いかにも、『日本人らしい』(『時流』に乗って軽薄極まりない)と一方では感じるが、馬鹿馬鹿しくかつ、嘆かわしいような状況である。

 

 

 

先週は、NHKでやっている『国会中継』を何度か見た。

(自分で、国会のインターネット中継をたどってみるのが本当なのだろうが、正直、それだけの気力も『まじめさ』もなくなってしまっている。)

 

6月4日(木曜日)の『衆議院予算委員会質疑』を見たときは、『何が問題とされているのか』あるいは『文春の疑惑報道』の中身も、ほとんど把握できていなかった。

 

私が、テレビを見始めて、しばらくして『伊佐進一』議員がこの疑惑に関連した追及の質問を開始したのだが、私は、そのちょっと前から、ウトウトしていたせいもあって、『伊佐進一』議員が、何党なのかも、どういう立場なのかもよくわかっていなかった。

 

(01)伊佐進一議員の質問

 

この議員は、中道改革連合の所属議員で、中道改革連合の広報委員長、元公明党の広報委員長だと(ネットを調べると)経歴が出てくる。

 

正直、私は、玉木雄一郎氏の『国民民主党』などから追放された『不平分子』かと思った。

それで、『スキャンダル』に嚙みついて、国会を引っ掻き回すために、『嫌がらせ』質問をしているのかな、とさえ、感じた。

 

何しろ、『(現も元も)公明党』の人たちは、ていねいな口ぶりで発言し、高市首相を(本当に)困らせるようなことは、滅多に言わないという印象である。

だから、『公明党』などを除名とか、追い出された『不満分子』が、(『株主総会』で活躍した、昔の)『総会屋』みたいな連中が、騒いでいるのだろうと『勘違い』した。

 

(02)困った高市首相

ところが、伊佐進一議員は、まじめに『文春の報じた疑惑』に関連して、答弁を求めている。

 

それで、むしろ、高市首相のほうが、『なぜ、文春に金を払って』(『文春オンライン』の有料会員にならないと、『スクープの音声ファイルの内容を聞くことが出来ない』から)彼女から見たら、『嘘の報道』の『音声ファイル』や『動画ファイル』を見なければならないのか?!などと文句を言っている。

 

それを言うのなら、『こちら』(私自身のこと)も同じである。

こちらも『しようがない』から、『文春オンライン』の有料会員になって、『問題の音声ファイル』の中身を聞いた。

 

ところが、『文春』の側も、『スクープ』を小出しにしている。

そして毎日のように、『スクープ』と銘打ってネットに挙げているが、これが、『有料会員を獲得したい』から、また、『スクープ』と称して今の状態を少しでも長く継続したいからなのだろう、『細切れ』的で実にわかりにくい。

 

『文春』の(紙とネットでの)スクープ報道を何回分か、継続して見ることで、ようやく、『追いついた』状態だ。

 

たしかに、『木下剛志・高市事務所長(公設第一秘書)』のしゃべり方には、かなり癖(特徴)があるし、しかも、自信をもって、しゃべっているようである。

(これが、『自分の知っている秘書』のしゃべり方と同一であるのかどうか、『判断』ができないという、高市首相の国会答弁にはかなり無理があるという気がする。)

 

直接、秘書をつかまえて、『これ、あなたがしゃべっているの』と聞けば良いではないか?

 

『なかなか、そういうことが出来ない』というのであれば、『それはなぜなのか』、高市首相のほうに、国民(国会)に対する『説明義務』があると言わざるをえない。

 

二人は、『何か対立する要因』があるのかどうか? そもそもこんなに『秘書が偉そうにしている?』というのは、何か『高市首相の側』に、『約束を守らなかった』あるいは、『高市事務所の維持・統制』に関して、『手落ち・不始末』でもあるからなのだろうか?

(この辺が、全くわからない。)

 

私は、国会での質問状況を聞いていて、『なぜ、伊佐進一議員だけが、同じ公明党出身なのに、一人、激しい追及口調で質問できるのかどうか』それを不思議に思った。

 

もしかしたら、『公明党』のなかは、(『仕事分担の違い』とか『分業』かいうことでなくて)、『分裂と対立』が進行しているのだろうか?

 

(03)文春オンラインの『スクープ』報道

『文春』の側が、自分たちの『経営方針』『編集方針』の都合上なのだろう。

 

『スクープ』を小出しにして、なおかつ、『文春オンライン』のネット会員の維持、増加につなげようと『必死』にあがいているように見える。

 

しかし、それは必ずしも効果を上げているようにも見えない。

『文藝春秋社』の発行する『月刊文藝春秋』も『週刊文春』もどちらも、『印刷部数』『発行部数』など低迷しているようだ。

 

むしろ、これまで、『有料会員』に契約していた人たちの間でも、『期待していたほどではない』ということで、『解約する』人たちも出ているようなのである。

 

(04)

私自身も、『有料会員の契約』をしてみたということは既に書いた。

 

ただし、『起業家の松井健氏』(ネガキャン動画のを請け負ったり、その作戦をアドバイスしたという人物)とか、秘書の『木下剛志氏』など、誰がどういう、上下関係(契約関係)などで、作戦を進めていたのか、さっぱりわからない。

 

あるいは、この『動画全体』が、『大きな作戦』(キャンペーン)のなかのほんの一部にしか過ぎないようにも見える。

いつどんなドンデン返しが起こるかわからないような、『チープ』な『サスペンスドラマ』のようにも見える。

 

ただ、わかるのは、『高市という人は、どうも、パニックに陥りやすい人』らしいな…、ということ。

『高市陣営には、全体を通した参謀』というか『相談役』的な存在が不在のようだ。

 

そのため、『ひどく不安定な印象』を受けてしまう。

 

こんなことでは、『悲願とされる憲法改正』とか、その他、いろんなことでも、『詰めが甘くて、途中で挫折』ということになるか、『わけのわからぬ憲法改正』をしてしまって、かえって、日本の『法律』とか『理念』とか『政策の整合性』を失って、よけい、『混乱が加速してしまう』ような状態になりかねないといった印象を受けている。

 

私は、別に現状では、『護憲派』ではないし、GHQの占領下において、実行された『日本国憲法の制定』は、実質的に、『マッカーサー』の圧倒的な『権力支配下』で行われたのであって、それに『逆らうことは決してできない』ということ自体、『制定された憲法草案そのもの』に『歪み』があったことは否定しえない、と思う。

 

したがって、いかに、『憲法第9条』など、『日本国民にとって、トクをする内容』『そうあってほしいという条項』であっても、一度は、『憲法の条文』が今日的に、『改正の可否、どの条文をどのように改正するのか』を含めて、『国民投票』にかけられるべき(そして、最小限の『改正』はなされるべき)と考える立場である。

 

ただし、『ムードに乗っただけで』『緊急条項』とか、『将来に禍根を残すような条文の改正』はすべきではない、とも感じている。

(この辺が、私の『揺れている部分』である。)

 

何だか、最近、何度も書いた内容と重複が多い、という気もするが、とりあえずアップをしておきたい。

 

6月4日、(NHKで)国会中継をやっていたので、久しぶりに見た。

衆議院で、『補正予算案』の採決直前の『予算委員会』での審議だったために、NHKも中継をやっていたようだった。

 

(01)NHKの審議中継

朝、9時からの『国会中継』だったが、私も、最近、睡眠不足だったりして、この時間は、寝ていることが多い。

 

そのため、寝転がって、『国会中継』を見ていたら、ついついウトウトしてしまった。

(ほとんど、頭がぼけた状態で、見ていた部分が多かった。)

 

それで、よくわからなかったのだけど、国会の議席数で言うと(特に衆議院など)『高市支持勢力』が圧倒的な議席数を獲得している。

 

しかし、『週刊文春』が、『中傷動画スクープ第5弾』ということで、『高市事務所』の公設第一秘書、木下剛志氏がかかわっていたとされる<『Zoom音声』を誌上公開する>と息巻いているらしい。

(02)文春の紙面から

 

実をいうと、私は、毎週のように『週刊文春』を買っているのだけど、連載のコラムとか、エッセーなどを読むのが中心となってしまっていて、今回の『中傷動画スクープ』というのは、あまり読んでいない。

 

そもそも、この記事、誌面では、三番目の記事になっている。(トップは、ONスペシャル特集の一本目で、一周忌スクープ秘話<長嶋茂雄と大谷翔平『最期の面会』>というもの。

 

二番目も、ONスペシャル特集<王貞治、18歳下再婚妻と『美しき終活』を始めていた>というもの。

 

そして、三番目がようやく、この『中傷動画スクープ第5弾』の記事になる。

 

この間、学生時代からの友人、3人と定期的に行っている『飲み会(ただし、一人は、ノンアルコール派だが)=放談会』での話で、『月刊文藝春秋』も『週刊文春』も発行部数(ABCとかに申告、公表している一番、権威のある数字らしい)を最近、大幅に減らしていて、『遂に文藝春秋まで経営危機なのか』『出版冬の時代もここまで来たのか』と業界でも、『噂の的』になっているらしい、という話を聞いた。

 

私は、前から、『月刊文藝春秋』も、『芥川賞発表』のときだけ、大量に発行しているようだが、あまり売れていないらしいということは、気になっていた(だいたい、近所の『有隣堂書店』あたりでも、それほど大量に陳列しているわけではない。コンビニでもさほど置いてないし、先日の『芥川賞発表』の号が出たときは、買うのに一苦労したくらいだった)。

 

また、『週刊文春』にしても、だいたい、『スクープ』というか『タレコミネタ』で、毎号、何とかして売ろうとしているようだが、最近は、『パワーのないネタ』ばかりで、苦労をしているのが、感じられた。

(そもそも、何年か前から、『定期購読』すると大幅値引きで購入できるのを売りにしていたのだが、その割には、『中身がない』『スクープがない』というので、読者が不満に思っているらしいという雰囲気が、私にも感じ取れていた。)

 

それで、この間、『飲み会』でこの話を聞いたときは、『本当なのだろうか?』という気もしていたのだが、どうやら、最近のこの『中傷動画スクープ第〇弾』を巡る、騒ぎぶりを見ると、たしかに、『文藝春秋』社は難しいところに来ているらしい。

 

なぜなら、『高市事務所』の側では、これは『相手にしないで、完全無視』したほうが、『作戦上、うまくいきそうだ』と踏んでいるようだ。

 

今日の国会審議でも、中道改革連合の小川淳也代表などが、このネタも使って、高市首相に対して『斬りこみ』をはかっていたが、高市の側では、『事前通告』があったにもかかわらず、『このような嘘だらけの音声データは、文春の有料会員にならなければ、聞けないというが、このようなものを聞くために、有料会員になるというのは、筋が通らないから、まだ聞いていない』という妙な、『理屈』で、『聞いていない』『確認が出来ていない』の一点張りだった。

 

午前中の『やりとり』では、小川代表が、『本当に高市さんの公設第一秘書の発言なのか、ご自分で聞いて確認してくれ』また、『中傷動画の作成者』で起業家の松井健らの人物と、行った『Zoomによるウェブ会議の音声データ』を公開しているというので、それを聞いて、『高市陣営で行ったという自民党総裁選での中傷動画をSNSを通じて拡散したという報道』に対しての『所感』を述べてくれ、そのように高市首相は迫れていた。

 

私は、この『文春の記事』もまともに読んでいなかったし、高市首相が、ある意味では、『非常に追い詰められている』ということにも、無頓着だったのだが、しかし、今日(6月4日)の彼女の答弁ぶりを思い返すと、明らかにおかしかった。

 

 

 

普段の『動揺していないとき』の声のトーンや、『ある意味で軽やかで、相手をあしらうような答弁ぶり』からすると、『話がヨレヨレ』になっていたり、『論理が支離滅裂』になりかかっていたような気がする。

 

結局、『下手に聞いてしまう』とその『何を聞いたか』『どこがどのように事実と異なっているか』などについて、『矛盾が出てくること』を恐れて、『丸ごと否定して、それで押し切ろうという作戦』のようであった。

 

しかし、この日は、その他にも、『消費税をどうするかという問題』、『中東の石油危機の問題などについて、適切な対応がされていないのではないか(流通の目詰まりなどという言葉で、問題を覆い隠している?)』『インフレや、生活危機に対しての対応もできていない』『なぜ、女性天皇をかたくなに拒否するのか』こうしたことが、一挙に噴き出して、高市サンは、いつもの『平常モード』と比べても、『相当、おかしくなっている』のが読み取れるような状況だった。

 

もっとも、こんなことが起きても、『高市政権』は衆議院で圧倒的多数の議席を保持しており、また参議院でも、『高市政権の友党みたいな存在になりたい』という政党ばかりという状況なので、当然、『高市政権』が危機に陥るということは、なかなか考えにくい。

 

それに、高市政権に対して(ある程度)批判的な発言をする、中道改革連合や、立憲民主党、公明党などにしても、『返り血』を浴びないように?と『おっかなびっくり』での『発言』に終始しているのは明らかであろう。

 

だから、最終的には、『秘書のしっぽ切り』とか、『誤解や不安、不信を与えたとしたら、その点は、お詫びをしなければならない』『今後とも、日本列島を、強く豊かに、世界の真ん中で日本が輝けるような政策を、全身全霊をかけて推進してまいります』などと言って、『居直り』『逃げ切り』を図るであろうことは、明白であろう。

 

それにしても、『高市政権の意外な弱さ、もろさ』『自民党の内外に秘められたバラバラぶり』が露呈したともいえる。

(国際情勢の展開如何にもよるが、2年後の総裁任期終了時点で何が起こるかは、わからないという気もする。)

 

 

こんなことを書いてみても、どうせ、株を持っていない奴のひがみ、と言われそうだが…。

 

今、新聞その他メディアの論調を見ていると、『株価』がどんどん上昇していくことをもって、『日本経済』あるいは『高市政権』がうまくいっていることの『証明』であるかのように言っているものがあるようだ。

 

しかも、それは、いわゆる『イデオロギー』『政治的立場の左右』を問わず浸透しているようだ。

 

(01)マーケットの上昇を示すもの

 

しかし、私は、それは『作られた幻想』のようなものだと思う。

なぜなら、マーケット(株価)というのは、どんどん累積していくような数字として設定されている。

 

【株価】は、『期待』によって『上値』が作られていくみたいだ。

たとえば、『イランとアメリカの戦争』に関していうと、『ホットな戦争の危機が遠ざかれば、株価はあがる』し、逆に、『どこかで局地的な実弾戦が起こる』と、『懸念材料が出尽くした』などといって、株価はあがる。

 

つまり、どんな状況になっても、それは、『ある種の株』にとって、『買いの材料』になる。

『すべてに近い株式』が、継続的に、『かつてない低価格』を低迷し続けるということは、ほとんど【ありえない状況】であるようだ。

 

【株価】が下がったら下がったで、『低価格で仕入れるタイミング』になるようである。

【株価】というのは、継続的に、『相場』が上向いていくように、作られた『構造』のようなものがあるようである。

(私は、昔、一時だけ、『株を持っていたこと』があるが、それで『損をして以来』、『株の売買』などやっていないので、いまだに『株式売買』のことなどわかってはいない。)

 

しかし、一種の勘で、『強者あるいは金持ち』がより一層、『富を増しうる』というのが、『株式の本質みたいなもの』だと思っている。

 

その証拠ではないが、『株価を左右するようなこと』をしょっちゅう自由自在に行っていて、しかも同時に、『株式の売買』をもやって、『大儲けしているらしい』ということを、あのトランプ大統領に関して、『良く聞く』。

 

たしか、『資本主義』には、『インサイダー取引』とかいう概念があって、それは、『コーポレート・ガバナンス』などという面倒くさい概念でもって、厳しく禁じられていたのではなかったのかと思ったが、『トランプのアメリカ』では『何でもあり』の状態であるらしい。

 

(02)インサイダー疑惑もくそったれのトランプ

 

それでは、『トランプ』は恣意的な『関税政策』やら、『戦争政策?』やらで、『大儲けをしてしまうはず』だと思うが、今のアメリカでは、それも『あり』ということらしい。

 

他方、トランプは、従来の『トランプ支持者も含めて』、多くの『かつてトランプに投票した人たち』が、『トランプは戦争をしないはずだったのではないか』とか、『結局、アメリカの国内産業の立て直しなど、トランプはやる気がないのではないか』と、『トランプも、民主党のエリート支配者層と同じ』で、『自分の支配力と、儲けを追求しているだけではないか』と『見放しつつあること』を感じ始めているようだ。

 

それで、『トランプは、せめて今だけ、支配者=キングとして好き勝手なことをやろう』とばかりに、『新しい紙幣に、自分の肖像を入れる』とか、まるっきり、『子供じみたこと』ばかりやるようになってきている。

 

トランプは、トランプで、『プーチン』や『習近平』や『ネタニヤフ』、『金正恩』などと、『取引ごっこ』をするのを、楽しんでいるのかもしれないが、自分自身の『やれること』には『限界があること』をしみじみ、感じ取り始めているのだろう。

 

これまで、強烈な『コンプレックス』とその裏返しの『絶対に、見返してやる』という『動機付け』でもって、『世界の王様の一人』というゲームを楽しんできたが、『年齢的』にも、『大統領の任期の限界』などからも、『そのうち、年貢の納め時』にさしかかりつつあるのは、(すくなくとも、頭のどこかで)自覚しつつあるのだろう。

 

最近では、ますます、表情に『元気、覇気』がなくなりつつあって、『大統領としての最後の恰好づけ』をどのように演じていくのか、その『エンディングの自己演出』に余念がない、という『雰囲気』を全身に漂わせている。

 

さてさて、『トランプの任期の最終段階』はどうなっていくのか?

また、いままでのところ、『切れ味のよい答弁ぶり』と『日本初の女性首相』という『下駄』をはかせてもらって、『空前絶後?の高支持率』をエンジョイしてきた高市早苗総理大臣が、どうなっていくのかというのも、間違いなく、『みもの』であるとは思う。

 

最近、テレビで流された、『与野党の女性政治家たちの本音トーク』をきいて、彼女たちの間で、『高市早苗』というのは、意外と『人気が高い?』らしいといった感想を私は抱いたものだが(同じ番組を見ても、全く異なる感想を抱いた人も多いのではなかろうかとも思うが…)、どちらにしても、今後の、日本また、今後のトランプがどうなるかは、『興味がつきない』。

 

大相撲夏場所(5月10日~24日)が昨日、千秋楽を迎えた。

 

私は、以前は『照ノ富士ファン』を公言していたが(『公言』したほうが良かったかどうかは、その後、いろいろ考えさせられた)、照ノ富士も引退して、『伊勢ケ浜部屋』を引き継いだことから、正直言って、大相撲には、さほど興味が持てなくなっていた。

 

ところが、今場所は、逆に、『伊勢ケ浜親方=照ノ富士のこと=の暴行疑惑』などが報じられ、下手をすると、『廃業』『相撲業界からの追放』すらさせられるのではないか、という危機感を抱いて、果たして、『照ノ富士』だけでなく、『伊勢ケ浜部屋の力士たち』(特に、いわく因縁の『伯乃富士』や、『義ノ富士』、『熱海富士』、『翠富士』など)の成績はどうなるのかと気になった。

 

彼らの戦いぶりで、『伊勢ケ浜親方に指導力があるのか』それとも、『部屋はバラバラになりかかっているのか』がわかるような気がしたからだ。

 

(01)夏場所星取表

だが、結果は、この通り。

(細かすぎて、見ずらいとは思うが…。)

 

もちろん、力士たちは、『部屋とか親方のため』というよりは、『自分たち自身のため』に第一義的には相撲を取っているのだろうが、懸念した『照ノ富士離れ』といったものは、表面化せず、むしろ、『熱海富士』など中心に、『照ノ富士に指導されたとおりに相撲を取らないと、勝てないから、親方の指導を常に頭に置きながら、頑張る』といった雰囲気を感じることが出来た。

(もっとも、『熱海富士』は、『照ノ富士』に対して、忠義心のあるタイプの力士のようだから、彼のふるまいかただけで、部屋の雰囲気全体を推し量れないかもしれないが…。)

 

それ以上に、『照ノ富士』が語っていたという、『俺の処分がどうなるかは気にするな』『暴行についても、認めているし、いわば俎板の鯉の状態だ』『自分たち自身のために、全力で相撲に集中して、いい相撲を見せてくれ』という、(いささか『美化されている言葉』かもしれないが)『発言』が印象に残った。

(彼は、大いに頑張って、『番狂わせ』などどんどん起こして、『場所を面白くしてくれ』などとも発言したと報じられている。)

(02)照ノ富士

 

それで、結果としては、(若隆景が優勝したものの)『熱海富士9勝6敗』『義ノ富士11勝4敗』『伯乃富士11勝4敗』(しかも、14日目には、霧島を破って、彼が今場所、優勝をのがした大きな要因の一つとなった)といったなかなかの成績であった。

 

さらに、『5勝10敗』とふるわなかった『錦富士』も、14日目に、『幕内での勝利数』の記録のかかった『玉鷲』(『鉄人』と称されたが、さすがに41歳になった今場所は、『一挙に幕内最年長による老化、劣化』が襲い掛かったようで、2勝しかできなかった)に対して、手加減などすることなく、『叩き込み』で退けたのは、『立派』だと感じた。

(03)玉鷲

 

そういう意味では、『最後まで、番狂わせをどんどん起こして、場所を面白くしてくれ』という『照ノ富士の指導(予言)』が現実化したようで、『今場所の乱戦模様のその一因は、照ノ富士の相撲協会指導部に対する、反骨心の結果』なのかという気がしなくもない。

(もっとも、逆にいうと、『相撲のもっている、競技環境の整備、怪我対策、公傷、休場への対応』など、いろんな問題について、さっぱり、『長期的な考慮、対策の検討』などをしようとはせずに、ただ『満員御礼が続けば良い』『来場している観衆の目先だけ、喜ばせればいい』といった程度しか、考えようとしないらしい、『現指導部』の『刹那主義』『精神主義』みたいなものには、『辟易』させられるが…。)

 

ちょっと話が、どんどん、大きな方向にそれてしまいそうだが、『照ノ富士の暴行問題』についても、『それに類した行為』は他にもありそうだが、『白鵬』やら『照ノ富士』などの『モンゴル勢』をこの際、『整理していく』のには、『これを利用しない手はない』といった『井の中の蛙』的な発想で、相撲協会指導部がこういう事件を『利用』しているような気がしてならないのも事実である。

 

本来、『大の里』『豊昇龍』『安青錦』など、看板力士の『休場』が相次いでいるのは、『なぜなのか』『どこに問題があるのか』などについても、『検討』を加えるべきだと思うが、そうしたことは、『とりあえず、考えようともしない』というのが、この業界の『刹那主義』的体質のようである。

(そして、『日本人力士』以外は、ほとんどすべて、『引退後』は『相撲協会』から去っていく、『第二の人生』を『相撲の外』に求めざるを得ないらしい、というのが、この業界の『闇』を表しているようでもある。)

 

これ以上、書くと、『どうせ、お前は相撲などわかっていないのだろう』『単なる外国人びいきの年寄りの愚痴に過ぎない』と言われてしまうかもしれないが…。

 

 

今日(5月14日)は、北京でトランプと習近平の会談があるということなので、一体、どうなることかと注目した。

 

ところが、朝のテレビ番組表を見ても、NHKなど全くといっていいほど、この関係のニュースのための報道枠が設定されていない。

 

それで、前日は、(例の)『川崎市民アカデミー』で大江健三郎関係のWS(ワークショップ、参加者の発表、発言が重視される『演習』みたいなもの)があって、それに向けて(例によって)直前になって、『課題の大江の小説やエッセーみたいなもの』を詰め込みで読み込みをして、その結果、『極度の寝不足』になっていたため、本当は、ずっと寝ていたかった。

 

しかし、『トランプと習近平の動向』(ならびに、NHKあたりがそれをどう報道するかも)が気になっていて、今日は、『寝たり起きたり』を繰り返していた。

 

 

(02)歓迎シーン

 

私は、(前から書いているように)北京や上海近郊に住んでいたこともあるし、台湾にも、『新型コロナ』が蔓延して、『日本に帰国したほうが良い』と言われる直前まで、カミさんと一緒に、アパートというかマンションというか、そういったものを借りて、(間に、しょっちゅう、『一時帰国』をはさみながらであったが)住んでいたこともある。

 

だから、中国についても、台湾についても、何となく知っているつもりになっていたが、しかし、それから(中国を去ってからは)はや、13年、あるいは(台湾を去ってからでも)はや、6年?という月日がたってしまった。

 

そのため、もはや、『中国や台湾の状況について知っている』といえるような状態ではない。

 

しかし、昨日や今日になって、『北京と日本との時差はどうだったかな』とか、『北京と台北との時差は?(実は、存在しない、どちらも、日本時間マイナス1時間である)』などと考えていると、改めて、『いろんなことを忘れてしまっている』ことに改めて気が付いた。

 

(03)台湾の様子

テレビでは、特に台湾の人々の様子などを中継したり、『どのような見解を持っているのか』などとレポートしていたが、これは、台湾にはすでに、『中国側の工作』もあって、『政治的分断が拡大』しているから、当然、『人によってバラバラである』はずだと思う。

(特に、どの国でもそうかもしれないが、『一番、貧しい人たち』こそ、『台湾』から脱出する手段をもたず、万一、『戦乱』に近いような状態になったとしたら、その『犠牲』となる可能性が大であろう。

 

(04)頼清徳・民進党政権

いや、もしかしたら、『生活の苦しい層』に対してこそ、『中国共産党』による『甘い工作』が作用し、浸透している可能性もあるから、『台湾独立分子を許すことはできず、愛国的な行動の対象として、頼清徳・民進党政権に対して蹶起することこそ、私の民族的使命であるはず』などと思い詰めている若者(老人も?)それなりにいるはずだ。

 

それに現実としては、『金持ちであるほど』、資産とか人脈とかなどを、台湾以外の各地にも持っていて、『アメリカ』『日本』『カナダ』などに『逃げ出す準備を怠っていない』ことも考えられる。

 

こんなことを考えると、『米中会談』のニュースを見ても、おだやかな気持ちには、なれないが、今日思ったのは、相変わらず、習近平は『したたか』であるが、しかし、今日の読頃は、『習近平もトランプもどちらも』イライラして、すんなり、『二つの超大国』が世界を分割して統治するという話にならないことに、『不満をつのらせている』ように見えたことだ。

 

明らかに、(台湾はさておいても)中国自身、そしてUSA自体に『不満や矛盾』が蓄積していて、それぞれ『人々の不満の爆発』をおさえるためにも、『トップ同士の取引』で『誇ることの出来るような成果』をあげたいと思っているのだろう。

 

しかし、そうした『目に見える成果』をなかなか、あげられそうにないし、トランプも習近平もどちらも、『いらいらしている』『ビッグ・ディールのぎごちない演技』をしているのは、明らかなように思える。

 

はたして、最終的にどのような結果になったと彼らが『発表』し、そして、日本政府(高市政権)やNHKなどが、どのような報道の仕方をするのか、『興味』と『心配』は尽きない。

(とはいえ、私は、日本で、『ニュース』を見ているだけに過ぎないので、いわば、『高みの見物』みたいな状態に過ぎないのだけど…。)

米原万里(よねはら・まり)という人が、昔いた。

父親は、日本共産党の元幹部。

米原昶(いたる)という。

(01)米原昶の選挙

 

衆議院議員として、当選活躍したのは、大きく分けて3回ということで、選挙制度とか日本共産党の党勢が大きく変わってしまった現在では、信じられない思いもするが、1969年には、東京2区で当選(第32回衆議院選挙)7万1357票を獲得している。

 

また、次の1972年の第33回衆議院選挙でも8万5667票で当選と(ネットの記事には)ある。

 

何となく、昔、米原昶の選挙ポスターなど見た記憶などあるような気もする。

 

それで調べてみると、当時は(当然ながら)中選挙区制で石原慎太郎とか、宇都宮徳馬などと争っていたようだ。

 

品川区と大田区を地盤とする選挙区ということで、私も、この両区に住んでいた時の記憶はある。

(特に、72年は、私がカミさんと結婚した年にあたる。そのころは、横浜、川崎を転々として=というのは、娘が生まれそうになったので、結局、次第に義理の母親、カミさんの母親であるが、の住んでいた品川区に徐々に近い場所に住むようになっていった。)

 

このころ、私は、必ずしも『左翼』ではなかったが(その後、一時的に『左翼』にいつのまにか、なってしまったが…)、どちらにしても、『日本共産党』に投票するような気分ではなかった。

 

そのため、米原昶氏に投票することもなかったし、(どうせ、立候補した場合は、ひらがなでも書けるような選挙用の登記をしていたと思うが)、米原昶を漢字で書くとすれば、どういう字なのか、それに迷うこともなかった。

(それに昶などという、不思議な字は、今回、ほとんど初めて『認識』したのに近い。

昔、米原万理さんの文章を読んでいた時は、ポスターなどを見かけていた地だっただろうとは思うが…。)

 

この米原万里さんが、出演というか登場した、テレビ番組を先日、NHKでやっていた。

(これは、米原万里没後20年を記念した出版社のサイトから。いろんな情報を提供している。

彼女の若い時の写真だ。)

 

 

米原さんの没後20年を記念して、また、彼女がNHKの『ロシア語講座』の講師をやったこともあって、『時をかけるテレビ ~今こそ見たい!この一本~』という企画のなかで、昔のNHKの『ドキュメンタリー番組』を再放送していたのである。

 

何だか、今、NHKが語学番組とか、ドキュメンタリー番組の放送枠をどんどん減らしていっているときに、こんなのをやっているのも、腐肉な気もする。

(最近では、NHK特集とか銘打っていても、割合、お手軽に作れる内容であったり、政権などの意向に忖度した放送内容であったりすることが多い気がしている。

さすがは、『高市政権』という気がしてしまうところがある。)

 

ともかく、この番組は、1997年に放送されたものの再放送(それを彼女の妹である井上ゆりさん=故・井上ひさし夫人=が、司会の池上彰氏と一緒に見ていく形式で放送された)

であった。

 

米原万里さんは、少女期(1960年~1964年の時期、彼女は、当時、10歳~14歳前後だったはず)に、父親の赴任先であったプラハのソビエト学校(ソ連共産党版のインターナショナルスクール)で、主に東欧諸国から集まった多くの友人たちとともに、ロシア語とロシア文化の知識を叩きこまれたという。

(音楽を学んだ者たちは、その方面でもエリート教育を注入されたのであろう。)

 

ただし、みんながみんな(ソ連共産党流の)エリートというわけでもなく、いろいろな事情があったようだ。

 

この番組では、『31年の時が流れ、消息が絶えていた3人の同級生を探し、米原さんがヨーロッパ各地をめぐる』という構成になっていた。

 

このとき、米原さんは、45歳くらい(亡くなる10年ちょっと前)。

肩パッドが目立つ服を着るなど、当時のファッションがしのばれる服装をしていた。

 

このとき、彼女は、旧友たちを訪ねて、逆に、彼女らがそれぞれさまざまな事情を抱えていたことを、初めて知る。

(ユダヤ系であることとか、ムスリムの家系であることなど、在学当時、彼女らが隠さざるを得なかった事情も、ある程度、わかってくる。)

 

『消息が途絶えていた3人』はそれぞれ、大変な状況をかかえていて、なかには、到底、『テレビの前』でなど話せないようなことばかりのようだった。

 

逆に、いうと、この時点では、米原万里さん自身が、通訳としても、作家としても売り出していて、いわば『羽振り』のいい時期だったということになってしまう。

 

何しろ、当時、橋本龍太郎などが首相をやっていて、まだ、『北方領土』について、ロシアとの交渉の余地があると見ていた。

社会全体でも、ロシア文学とか、ロシア文化に対して、好意的な時代だったような気がする。

 

ところが、彼女が追跡した友人たちは、ユーゴスラビア崩壊とか、その他の事情で、『命からがら、逃げ回った』とか、『自分の過去をどのようにして消すか』『家族を守るためにどうするか』あるいは、『祖国を捨ててでも生き延びなければならない』と必死だった人々がいたようだ。

 

そういう意味では、『米原万里』は、このころは、『平和な日本』『平和憲法で守られる日本』というイメージの最後のところにいた気がする。

 

父親の米原昶氏について。

 

彼自身は、本当は、当時の日本共産党の路線(外交や安全保障等)に対しても、いろいろな意見を持っていた人のようだが、『温厚な性格』と、『党の内部対立を外に出したくない気持ち』などもあったのか、幸い、除名などにもならず、無事、党の幹部としての生活を全うした。

 

皮肉ではなく、これは、あの党の幹部としては、稀なことのような気がする。

 

米原万里さんが、『父親の失脚』とか、『共産党内部の対立』などを見ることなく、2006年に56歳で亡くなったのは、まだしも、『幸運』だったような気さえする。

 

ソ連がゴルバチョフも、エリツィンも失敗して、ついにエリツィンが後継者にプーチンを指名して、その後、さらにおかしくなっていることを、ある意味では、知らずに済んだ。

 

しかし、彼女の書いた『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』という本は、彼女が、今回、探し続けた友人たちについての、詳しい事情等を書いたもののようだ。

(たしか、以前にも読んだような気がするのだが、そのときは、この『テレビ番組』を見ていなかったし、そうした複雑な事情も知らなかったので、もう一度、『読んでみたい』という気がしている。)

 

また、米原昶についても、彼の詳しい人生について書かれた著作があるようなので、それを読んでみたいという気もして

いる。