本日(27日)、自民党総裁選の投開票が行われるというので、テレビ中継を見ていた。

もちろん、私は、自民党員でも何でもない。かつて、立憲民主党の党員・党友のようなものになっても良いと思ったこともあったが、それも一瞬のことである。

 

決選投票に、高市、石破両氏が勝ち進んだ。

政治にあまり関心がないカミさんが、たまたま、一緒にテレビ中継を見ていたので、私は、『石破に勝ちの見込みはないのでは』『あまり好かんが、高市に決まり何だろうな』などと言っていた。

(01)画像

 

画面では、高市は明らかに『有頂天』になっている感じだった。

『決選投票』に向けた演説(以前、自民党では、立憲民主党と違って、このタイミングでの候補者の演説は『行われない』と聞いていたが、変更になったのだろうか。『立憲民主党』の代表選挙が、それなりに話題を呼んでいたみたいなので、そちらを意識して、自民党のほうも『やり方を変更した可能性』はあるだろう)を石破と、高市がそれぞれ行った。

 

(02)画像

 

『石破の演説』は、『打ち首』を覚悟した(江戸時代?の)死刑囚が、最期に行う演説?のように、悲壮さが込められている。

『私の心無い発言や、至らない振舞に傷ついた同志、同僚の皆さんがおられるかもしれない。私自身の不徳の結果だということで、どうかお許し願いたい』

こんな趣旨のことを言っていた。

 

それに対して、高市氏の演説のほうは、『絶対に当選できそうだ?』という『ハイな気持ち』の現れなのか、とりとめがない。

 

挙句の果てには、選挙管理委員会から、『(一人5分の予定)時間が超過しているから、もうやめなさい?』というような注意の『メモ』を見せられて、あわてて、そこで『取りやめる』という有様である。

 

こうした様子を見て、私は、『もう高市に決まりだな』などとカミさんに対して、わかったようなことを言っていた。

カミさんのほうは、政治に関心がないから、『高市って、こんな声をしていたの』『随分、男みたいな太い声ね』などと言った。

 

その後、カミさんは用事があって外出したから、『決選投票の結果』などは知らなかった(いちおう、『びっくりするだろう』と思って、LINEで結果を、知らせた)。

 

今回の結果を見て、私は、『これは、今回、派閥の締め付けがなくなった結果かもしれない』という気がしていた。

 

 

今回は、そもそも、9人も立候補するというように、通常の『自民党総裁選』では考えられないような状態である。

これでは、『票読み』も何も出来やしないだろう。

 

それに、4人しか候補者がいなかった『立憲民主党の代表選』でも、『票読み』が出来ず、『開票結果』に国会議員自体が驚いている様子も、『テレビでの中継』ではうかがえた。

例えば、枝野氏などは、『もっと票を取れるはず』と思っていたのではなかろうか…。

 

 

今回、石破氏の第一回の投票での国会議員票は、??票だったのに、決選投票では、??票で??の上積みである。

それに対して、高市氏の場合は、それぞれ??票と??票である。

 

つまり、両氏の国会議員票の差は、??票に過ぎない。

 

今回、決選投票で石破氏に投票した議員たちは、必ずしも、『石破氏をぜひ、総裁=首相にしたい』という思いからではなく、ただ(結果をそれほど意識せず)、『どうせ、高市が勝つのなら、俺=私くらい一票を、石破に投票してもいいだろう』くらいの気持ちで投票した国会議員もそれなりにいたのではないかと、推測する。

 

それは、『石破が可哀そうだから』という理由からかもしれず、『高市が気に入らないから…』、『安倍晋三あるいは安倍派が、自民党に及ぼした害悪、罪悪に対する反発』からかもしれない。

 

あるいは、小泉、その他の候補者を(本心では)推していて、『高市が、総裁=首相になると、政権が長期化して、自分の推している候補者が、総理=総裁になる目が消えてしまう?』が、『石破なら、どうせ、長期政権は無理だろうし、自分の推している候補者が、政権幹部として登用されたり、あるいは石破が、総理=総裁を途中で引きずりおろされて、次の総裁選がそれほど遠くない未来にある可能性があるのではないか』、そんなことを考えている可能性もあるだろう。

 

ともかく、これほど、従来の派閥や、自民党内の実力者?たちの支配が崩れてきた状態だと、どんな異変が、その内部で生じているか、わからないという気がしている。

 

もしかしたら、『石破が総裁になってしまう』ことを予想しておらず、また、それを(必ずしも)望んでもいない、『個々の投票』が積みあがって、今回のような『番狂わせ』を生んだ可能性もあるような気もしている。

 

もっとも、私が感じた『高市の(勝利を予感した)有頂天?』というのは、勘違いであったのかもしれない。

 

しかし、彼女の様子をテレビカメラが映し出していた画像から判断すると、彼女が『極度の睡眠不足』によるものか、何なのか、『非常に眠たそうにしていた』のは間違いがない。

(もしかしたら、彼女は、『決選投票で彼女に投票してくれる国会議員票』をなかなか上積みが出来ず、徹夜して、その『説得活動』などに追われていたので、あのように『憔悴しきった様子』に見えていたのかもしれない。後で考えると…。)

 

どちらか、わからないが、私は、仮に『石破が総裁=首相になる時』があるにしても、『もっと、自民党が追い詰められて、<表紙だけでも変えなければ、自民党が政権を失うこと必至の状態>にならなければ無理だろう』と思っていた。

 

あるいは、現時点が既に、そのような状態になっていると、『自民党内部』では考える(感じる)国会議員たちが多かったということなのかもしれない。

 

また、これはよく言われることだが、先日の立憲民主党の代表選で野田氏が代表に当選したということも、影響を与えているのかも知れない。

 

 

例えば、小泉進次郎氏のような人物では、野田氏との国会論戦で『太刀打ちできないだろう』と国会議員たちは、判断したのかもしれない。

 

だから、自分たちの選挙にとって、少しでも有利にしたいために、『ここで、石破氏を総裁=首相にしておこう』と思ったのかもしれない。

(そういう意味では、石破氏は、『立憲民主党の野田代表に感謝?をしたほうがいい』ということになるのかもしれない。)

とまた、そんなことを思ったりする。

 

しかし、他方では、石破氏が総裁=首相になった以上、そのことによって、『思わぬ効果』というか『思わざる結果』が生み出される可能性もある。

 

例えば、(いわゆる)『リベラル』で石破氏に好意を感じて、期待を感じている人も多いようにも見える。

 

だが、石破氏が総裁=首相になった以上、彼に対して『自民党内から挙がる要請・期待』も多いことだろう。

例えば、『憲法の改正』についても、『自衛隊の明記』とか、『緊急事態に対する対応』などについて、むしろ、『石破氏だからこそ、実現が出来るのではないか』と期待する声が高まっていく可能性がある。

 

そうすると、石破氏の『任期中』に、『憲法の改正条項』について野党との間において、『合意』をとりまとめて、(例えば)『衆参同時選挙』と『憲法改正の国民投票』の同時実施を求めるような声が(一挙に)高まってくる可能性もありうるような気もしている。

 

そのように考えると、今回の『石破逆転』によって、何が今後、波及効果として生じるのか、そのことはまだまだわからない、という気もしている。

(なお、既に今回の『2位石破候補の大逆転の裏側』に関して、石破氏が岸田氏、菅氏などと手を結んで、『石破に乗る』ことに決めたという解説もされ始めているが、ここでは、自民党の決選投票の投開票時点で、わかっていたことにしぼって、記している。)

 

(比較的年齢の高い女性層を中心に?)これまでになく、反響を呼んでいるらしい『朝ドラ』<虎に翼>も、今週、金曜日(『明後日』ということになる)で『最終回』『大団円』を迎えることになっている。

この『朝ドラ』は、日本で最初の女性弁護士、女性裁判官に任官された『三淵嘉子さん』(1914年~1984年、69歳で死去)をモデルとしたヒューマンドラマ?である。
 

吉田恵里香さんのオリジナル脚本らしく、また、伊藤沙莉(さいり)さんという、私も、(2017年放送の『朝ドラ』)『ひよっこ』での『安部さおり』=『安部米子』役あたりでそのユニークな存在に気が付いた、極めて『個性的』な女優を主人公にしている点でも、『ヒットの要素』を含んでいた。


今回、どういういきさつでなのか知らないが、たまたま、(普段、テレビなどほとんど見ない)カミさんがこの放送を見始めたもので、私も気にし始めた。
(カミさんは、最初、私の部屋のなかに設置されているテレビで見ていたが、その後、『NHK+』を使えば、カミさんの持っているスマホでも見れることを、教えたらもっぱら、そちらで見ている。)

私は、どちらかというと途中から見始めたもので、最初のほうは、見ていない回もあったのではないかと思っている(途中から、バックナンバーを見始めたのだが、途中は見るのをあきらめて、すっ飛ばしたものもある)。

ともかく、このドラマ、『極めてユニーク』なのはたしかである。
 

特徴的なのは、『民法』とか『憲法』の改訂、変化というものを正面から取り上げながら、それと相通じるように、『日本の女性の歴史』『家族の歴史や変化』を描いていることだろう。
このドラマほど、法律の条文そのものを『素材』として取り上げたものも珍しいのではなかろうか?


だが、このドラマ、『ドラマ』として見るとかなり、『破綻』している。
 

また、主人公のモデルとされている『三淵嘉子さん』自身と比較すると、この主人公『猪爪寅子』(いのつめ・ともこ)→『佐田寅子』(さだ・ともこ、最初の結婚による『改姓』、最終的には、夫との死別、再婚によって、『星寅子』(ほし・ともこ)と改姓することになった模様(ドラマでは、二度目の『改姓』をしたくないために、わざと、『事実婚』の道を選択したことになっている)。
 

もっとも、彼女は、『旧姓』にこだわり、『佐田寅子』のままで裁判官の仕事を続けることを、上司に対して申し出たらしい。

『破綻』した部分は、このドラマ、もともとどの辺の『構想』について、脚本家の吉田恵里香さんとNHKの現場、上司との間で合意がとれていたのか、よくわからないのだが、(私から見ると)ある時点から、『同性愛』というか『恋愛(ジェンダーを含めて)の多様性』のほうに、思い切り振れ?て行って、ドラマの主要メンバーがことごとく、『同性愛』を含む『多様なジェンダー?』の支持者であるかのように、なってしまった点にある気がする。

日本では、特に『同性愛』と呼ばれるものに関しては、戦国武将のころから、(織田信長、森蘭丸の事例に見られるように)比較的、広範囲に見られたらしい。
 

また、戦前、戦後においても、著名な文学者等について、そうした『噂』(あるいは『公然の秘密』?)が指摘されてきたことも事実らしい。

だが、このドラマでは、ドラマの主要人物が、実はこうした『傾向』の持ち主であることが、さかのぼって指摘され、その結果、例えば『闇米を食べることを拒否』して『栄養失調死』したと伝えられる裁判官(をモデルとする登場人物)も、そのような人物の一人とされていた。

しかし、これは(どこまで事実に基づいて、このようなストーリーにしたのか、よくわからないが…)いささか、『やり過ぎ』というか、『現在における世の中の事情、人々の志向性』を過去の歴史に『投与』することで、過去を変えてしまっているのでは?という気がしなくもない。


(03)『脚本の遅れ?』のネット記事
いずれにしても、このドラマ、最後の部分の『脚本の確定』がなかなか進まず、(ネット等でのうわさっぽいニュースによれば)『ドラマ撮影のクランクアップ』が終了したのは、極端に遅かった。
(その後、撮影した映像の『編集作業』あるいは、『セリフの最終確定』などで、てんてこ舞いしたであろうと、十分、推察がつく。)

そうした『混乱』のせいであろう、(私は、今週、『最終週』の内容をまだ、一回分も視聴していないが…)今週は、まさに怒涛の如く、というか、『何とか、ゴールに達せざるを得ない』ということで、かなり無茶苦茶なドラマの展開のようである。
(これは、先週の『金曜日』の回の終わりに付けられた『次週の予告』の部分で、十分、推測がついたのだが…。)

さて、『朝ドラ』というものの、『芸能界』というか『テレビ業界』における『ステータスの高さ』のなせるわざか、これまで、ネットにアップされてきた『業界人の記事(ほとんどが宣伝のためのもの)』においては、総じて言うと、『すばらしい』とほめたたえるような記事(これも、ある種の『忖度記事』と言えよう)ばかりだったというのが、率直な印象である。


(04)批判記事?もちらほら
しかし、もはや、『虎に翼』の撮影も終了し、次の『朝ドラ』の宣伝も、既に相当、氾濫しているというタイミングのためか、ついに、最初のほうで述べたような、『ドラマとしてどうなのか?』という極めて、(私から見ると)常識的な記事もアップされるようになってきたという印象だ。

このドラマ、全体として言うと、『60年代以降』という(1948年生まれの)私の知っている時代について描くようになっていくと、私自身の体験したこととのギャップが大きくなってきた。


(05)学園闘争の漫画的描き方

例えば、『東大闘争』『安田講堂事件』の描き方など、初期の『医学部における闘争』の段階では、『医学部教授会の閉鎖性』とか、文学部も含めて、『事実に反した処分まで敢行してしまう』という『大学教授会の閉鎖性、傲慢さ』が問題をこじらせていたという、『日大闘争も含めて』当時の学園闘争で広く指摘される問題点を、すっ飛ばして、あたかも、『70年安保闘争』と直結した形で、当初から、学園闘争、大学闘争が燃え広がっていたかのように描いている。)


つまり、事態を(悪い意味で)『漫画化』してしまっていて、『歴史、史実から遊離していた』というのが、私自身の体験に基づいた感想である。
 

(この本は、編集がどこか、『ヘイト本』のスタイルと似ているところがあるが、中身は比較的、まともなものである。私も、購入した当初は、本のスタイルにばかり気を取られ、しばらく読むのを躊躇していた。)

 

それに、彼女が手掛けたという『原爆裁判』についての描き方というのも、(私は、上記の『原爆裁判 ~アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子~』という本も購入して、斜め読みしていたが)『判決文』に対して、いわば『推理』『推察』でもって、彼女の果たした役割を、ドラマのなかでは、強調していた。それは、この本などの解釈を取り入れた結果とも言える。
(実際は、彼女は、『判決を言い渡した日』=1963年12月7日=にはすでに、『東京地方裁判所』から『東京家庭裁判所』に異動していたのであり、彼女自身が、中心となってまとめた判決文であったかもしれないが、あの日の裁判所の裁判官席に、ドラマのなかのように『彼女の姿』があるということは、『ありえない話』であった。ただし、判決文の中に、彼女の名前は入っている。)


こういう調子で、『どうも事実から遊離した話』が結構、多いような気がする、というのが、このドラマに対する『不満』『危惧』である。

『描く姿勢?』が素晴らしければ、どのような『歴史・史実の読み替え』も許されるというのは、『傲慢すぎる』という気がする。

(それに、『モデル』とされた人物の遺族から、状況によっては『裁判』を起こされる危険性もあるかもしれない。もっとも、日本ではそれほど、『裁判沙汰』が一般的ではないので、その心配は小さいのかもしれないが…。)


そのため、『これはあくまでも、ドラマであり、ドキュメンタリーではない』ということを、もっと強調すべきではなかろうか?というのが、私の意見である。
(もっとも、『ドキュメンタリー』だからといって、『歪み』の存在しないものではなく、『ドキュメンタリー』と称していても、いくらでも、『改変』『解釈・編集』を加えうるというのが、実情ではあろうが…。)

 

このブログ、かなり長期間、更新しないでいて、申し訳ない。

今日から、再び、ときどきアップするようにしたい。

(もっとも、『歳をとった』のと、最近、アクセス環境がいろいろ変化してしまい、以前よりも記事をアップするのに、やけに時間がかかるようになってしまった。

そのため、一週間にアップできる記事の数は限られたものになると思うが、なるべく継続的に更新するように心がけたい。)

 

 

いろいろ書きたい話題はあるが(『好奇心』だけは旺盛なつもりなので…)、今回は立憲民主党の代表選について。

 

23日に、立憲民主党の代表選挙(投開票)の模様をNHKのテレビ中継で見た。

(相撲とか、野球中継とかを連日見て、『にわか応援』している千葉ロッテ・マリーンズがいらいらするような試合の連続もあって、夜更かしと『昼夜逆転』生活が続いていたが、この日ばかりは、寝ぼけ眼でこの『中継放送』を見ていた。)

 

 

結果は、ご存じの方も多いかと思うが、野田佳彦氏(元首相、元代表)が新代表に選出された。

 

面白かった(そもそも、この選挙の情勢分析がどうなっているか、立憲民主党内の各グループがどのように動いているのか、あまりニュースを追いかけてなかったのでほとんど知らなかった)のは、枝野氏が終始、『さえない表情』を浮かべていたことである。

 

自民党の総裁選では、(決選投票となった場合に)第1回投票と第2回投票の間で、勝ち残った二人の候補が、『最終的な演説』をやることなく、そのまま『決選投票』に突入するらしい。

ところが、立民党の場合は、(律儀というか)この間に、野田氏と枝野氏は、もう一度演説を行った。

 

このとき、野田氏のほうは、『自分がどうしても、代表=首相にならねばならない』という思い、『自分が当選したら、どのような可能性が開けるのか』という点について、かなり突っ込んだ演説をしていた。

(『この人は、本気で、代表になりたいのだな』と感じさせるものがあった。)

 

ところが、枝野氏のほうは、いつもの、『あなたが、主人公』『あなたが、推してくれれば世の中は開ける』というトーンの、『聞いた風な演説』だった。

 

おまけに、アメリカのカマラ・ハリスを思わせるような、『新しい時代のページが開ける』『右でも、左でもなく、前へ』というような『新曲のイメージ』も多少、取り入れはしていたが、基調は、(『昔の名前で出ています』ではないが)相変わらずの『枝野節』である。

 

あるいは、この時は、既に、枝野氏の方は、『敗北』を予想していたのかもしれない。

 

そもそも彼の演説のトーンは、(『野党共闘』に関して)方向を示すことなく、『主体性強化』、『わが党の力量強化』が基調でしかない。

 

露骨にいうと、『野党共闘に期待するのは、無理でしょう』『政権交代など、とてもではないけど、出来そうにない』というのが本音のようだ。

(この『現情勢の見方』そのものについては、私は、必ずしも反対するものではない。しかし、それでは、『野党第一党』として、『政権交代の選択肢を国民に提示する』という立民党の建前というか、『原則的な方向性』と大きな矛盾や齟齬があるのも事実であろう。)

 

 

私は、前回、執行部から辞任した時の『辞め方』が良くなかったと感じている。

(福山幹事長ともども、『仲良し執行部』が『もうやってられない』とばかりに、放り出した感があった。それに、今回の代表選に『出馬』を決めたいきさつも、よくわからない。)

 

彼の演説は、『オバマの演説』に多少、似た所があり、『演説はお上手』だが、あまりにも『ワンパターン』である(これは、オバマ氏のほうが、もっと『お上手』ということかもしれない)。

 

いわゆる、『リベラル?』の『きれいな演説』というのは、『現実の世の中の空気感』とずれてくると、とんでもなく、『浮き上がってしまう』という気がしている。

 

それに、枝野氏の演説は、(一方に)『安倍政治』というものが厳然としてそびえたっていた時代には、それなりの『重み』があったと思う。

しかし、今や、安倍氏は『暗殺されて、2年余』が経過し、彼の政治(及び、自民党内の『統治能力』)に多くのボロがあったことが、ますます明らかになっている。

(ただし、そこを安倍氏の『人間味』と感じる人も、それなりにいるのだろう。)

 

こうした状況で、『安倍氏が、存在して、ナンボかの価値』が存在していた枝野氏に、現在、どれほどの『政治的重み』が存在するのか、これは、かなり微妙な話であろう。

 

ともかく、立憲民主党代表選の『二回目の演説』において、野田氏の演説のほうに『それなりの迫力』があったのに対して、枝野氏の演説が『空転』していて、その場でも『シラケた雰囲気が漂っていたらしい』というのは、『NHKの中継』を通しても感じ取れる気がしていた。

(もっとも、これらは、『最終結果』を知っているので、私自身が『記憶の書き換え』をやっている可能性があるが…。)

 

 

さて、野田氏は、党大会の場では、『代表選が終わったら、ノーサイド』などと言っていたが、野田氏自身、(安倍氏に追い詰められて?)『解散・総選挙』で敗北していた時は、あるいは『馬鹿正直で、騙されやすい政治家』であったかもしれないが、その後、12年?が経過して、野田氏も、『自称、ドジョウ』の政治家ではあるが、前よりは、『人に騙されないテクニック』も身に着けてきているようである。

 

今回の党内人事は、野田氏を代表選において、当選させた人物に対する『論功行賞』の性格が極めて強いようだ。

 

これに対して、枝野氏を応援していた、(いわゆる左派系の党内最大グループだという)『サンクチュアリ』が猛反発しているというが、これなど『ボケている』と思う。

 

代表選で、それなりに激突して、なお勝った候補の『政治構想』を実現することが出来ないのであれば、『何のための代表選』なのかと思う。

 

野田氏が、(自民党総裁選で)小泉進次郎氏あたりが当選すること(高市氏あるいは、石破氏が仮に当選したとしても、『面白い』かもしれないが)を予測して、『思い切って、右にシフト』した路線を採用し(というよりも、野田氏自身が、こうした『右寄り路線』を立憲民主党内で代表する立場にあるのだろう)、『改憲』、『原発』、『安全保障』のいずれに対しても、『ノー』と言わない路線を採用し、それに基いた『野党共闘』の布陣を敷いたとしても、それに対して、『根本的な批判』を加えることは、(少なくとも、『サンクチュアリ』グループにとっては)『難しいのではないか…』という気がしている。

 

もっとも、こんなことをしてみても、当然、『サンクチュアリ』は元より、『共産党』も『社民党』も反発するだろうし、『維新』にしても、野党第一党を競い合う立場なので、(『国民民主党』を含めて)誰も応援してくれず)かえって、『野党共闘』がうまくいかず、(結果として)立民党の議席も伸びず、また、『自民党・公明党』の反撃を許してしまう可能性もある。

 

どちらにしても、今回の人事で、(この人も、『演説男』という評判もあるのだが)一部で人気のあった小川淳也氏(衆院香川1区、53歳)などが、幹事長に抜擢されるというのも、『面白い』という気もする。

(もっとも、この人は、『看板だけ』という気も一方ではするが…。)

 

他方では、(私としては、あまり『好きな政治家』とは決して言えない)笠(りゅう)浩史氏(衆院神奈川9区、59歳)が今回、(国対委員長代理から)国対委員長に就任するというのも、『まあ、こうなるのだろうな』という印象を受ける。

 

もっとも、私がなぜ、この人があまり好きではないのか、というと(何らかのスキャンダル記事の影響があったという気もするが)どうも、はっきりしていないというのが、正直なところである。

(やはり、歳をとると不便なことも多いものだ…。)

 

最近、私は、アメリカの大統領選挙についてばかり、ここに書いている印象を与えているのだろう。

『アメリカの市民権をもっているわけでもないのに、なんと物好きな?!』と奇異に感じる人も多いことだろう。

 

(01)二重国籍?の父(パスポートが二つあった)

私自身は、(2015年?に〇●歳で亡くなった)父親が(死後に)実は日本とアメリカの『二重国籍者』だったことがわかったりして(もともと、父は戦前、出稼ぎというか『移民』労働者としてアメリカにわたった、祖父母のもとで、カリフォルニア州で生まれているのだが)、また私自身も、子供の頃に、『アメリカに移住するぞ』といわれて(小学校で、わざわざ送別会をやってもらって)アメリカに渡った思い出まであるので、もしかしたら、(私の人生のなかで)どこかで『アメリカの永住権を取得』して、その後、『アメリカ人』となって人生を送っていたという『別の人生』の可能性があったという気もしている。

 

だから、アメリカに対しては、(いわば)愛憎を含めて感じてきているので、(矛盾だらけの)『アメリカ合衆国』という国家のトップ(であり、同盟国である日本にとっても、利害関係の多い)=大統領選挙に対して、『意見、希望、関心』を寄せることが、『悪いこと』だとは思っていない。

 

むしろ、『日米同盟は当然』と感じているらしい多くの日本人が、『日本を振り回す、アメリカ大統領選挙』に対しては、『あまりにも、文句をいわずおとなし過ぎる』という気がしないでもない。

 

とはいえ、毎回、このブログに同じようなことばかり書いていてもしようがないので、今回は、日本国内の選挙について書く。

 

つまり、自民党と立憲民主党の二つの代表選挙に関してである。

 

だが、こちらも、自民党員と党友?、あるいは立憲民主党の同様の立場の人しか、投票権(あるいはそれに類するもの)は全くないのだろうから、これらについても『お前は、関係ないのだ』といえば言える。

 

(03)立憲民主党からの案内

もっとも、『立憲民主党』については、近年の選挙では、私は『立憲民主党』の候補ないし、『立憲民主党』に近い候補者に投票することが多かったような気がしているので、『全く関係がない』ということもないだろう。

 

それに、昔、やっていた『学生運動』とか『労働運動』の関係で、神奈川県内の『立憲民主党』の国会議員の一人の『シンパ名簿?』に登録されているようで、しょっちゅう、そこから『各種の資料、案内』などが送られてくる。

(ただし、私は、現時点では、その人の主張していることとは、かなり隔たった考えを持っているつもりなので、仮に、『立憲民主党』の関連でカンパをすることがあったとしても、この人の『人脈』を通して、送金などするつもりは、全くない。『おあいにくさま』というか『申し訳ないが』というしかないが…。)

 

 

まず感じる疑問として、自民党が9人もの候補者をたてて、『総裁選』をやるというのは、一体、どういう了見なのかと感じる。

 

常識的に考えて、(全員を集めての)密度の高い『討論会』といったものが成立しうるのは、せいぜい、5~6人程度が限度であろう。

それが、9人も候補者がいるというのは、ただの『交通整理がつかない状態』『混乱の極み』に過ぎない。

 

いちおう、『派閥』というものが、ほとんどなくなったということになっているので、『総裁選』というものに、『一度だけでも出てみたい』と考える人が、たくさんいるのだな(『老い』も『若き』も)という感想しかわかない。

 

仮に候補者全員に、一度ずつ、同じ論点についてしゃべらせるとしても、かなりの時間がかかってしまう。

この9人の立候補者については、『名前を国民に覚えてもらうため』あるいは『入試の記念受験』ではないが、『一度は立候補してみたかった』という『記念立候補』的な人が、かなりいるであろうことは間違いがないだろう。

 

それに、一回の投票で、過半数を制して、当選する者が出なくて、(一位と二位の)『決選投票』に持ち込まれるというような場合、その間、『何日か間をあけて』(誰が、総裁=総理大臣として真にふさわしいか)国民的な議論が展開される、そのような『間隔』『余裕』というものをもうけるというのならば、まだ(話としては)わからなくもない。

 

(05)決選投票のプロセス

ところが、実際は、同じ日に(大した時間もあけずに)今度は、『国会議員票』プラス『都道府県代表の票』の投票を実施してしまい、その日のうちに、『新総裁を決めてしまう』というではないか。これでは、(投票する自民党の有権者にとっても)ほとんど、考える間を与えられずに、再投票を行うのと、『同義』であろう。

 

全く意味がないというか、『わけのわからぬまま』にでんとう石化?で決めてしまう、単に(どさくさに紛れて)『流れ』にうまく乗った者が勝ち抜けてしまえるような危ない選挙になってしまうであろうことは、(半分以上)明らかだといっても良い。

 

なお、候補者についての個別のコメントは、また次回でも、書くつもり。

 

他方、立憲民主党のほうについて。

(こちらも、詳しく論じるのは、別の記事にしたいが…。)

こちらは、人数だけは、4人?と比較的まともな数ではある。

しかし、……

 

そもそも、この党は(野田氏にせよ、枝野氏にせよ)、『政権の受け皿』となる用意をするために、『自分を代表に選んでくれ』と言っているようである。

 

しかし、現在の政党(特に野党)の状況は、全くバラバラと言っていい。

『立憲民主党』にしても、国会議員は〇●人(衆議院、?人中?人、参議院、?人中?人)しかいない。

 

このような体制では、(仮に)政権をとった(というか『与党』の一員となった)としたら、そのほうが、むしろ『危ない』(すぐ、内部対立が生じて、『連立の枠組み』が変化するであろうから、何が起こるかわからない)と思われるような状況ではないだろうか?

 

逆に、こういう状態では、『政権奪取などに向けて、あわてふためくのを止めよ』『少し、頭を冷やして考えてみよう』というのが、基本線ではなかろうか?

 

現在のような選挙制度で、理屈の上では、『政権がころがりこむ』可能性があるのだから、それに備えようなどというのは、あまり賢明な判断とはいえないような気がしている。

 

それに、立候補者を見ていくと、(自民党以上に)『面白味がない』選択肢ばかりが並んでいるという気がしてならない。

 

あるいは、この際、『自民党の総裁選』を盛り上げる『引き立て役』として、立憲民主党の代表選をやろうという趣旨なのだろうか?

ともかく、『よくわからないこと』ばかり、『当たり前』のように行われているという気がしている。

 

11日、候補者が、ハリスvsトランプに入れ替わったアメリカ大統領選の(通算)第二回目の討論会を見ていた。

例によって、CNNの放送を英語のままで見た。

 

NHKでもこの討論会の中継放送をやるというので、どちらを見るのか少し、とまどったが、CNNを見ていて、正解だったようだ。

 

というのは、この種の討論会では、(高齢により、ろれつが回らなくて?)沈黙の時間が異様に長かったバイデン氏を例外として、候補者たちは、やたらに早口でその主張をまくしたてるのが通常である。

(事前に、原稿が同時通訳者たちに渡されているわけでもないので)日本語と英語のように、主語と述語(というか、動詞とそのあとの目的語等)の語順が全く異なっている言語間で同時通訳をやるのは極めて困難であろう。

 

それに、この種の討論では、日本の視聴者にとって(全く)なじみのない、人名、地名、その他のキーワードが雹かあられのように降り注がれるから、これらをどう訳すかも、同時通訳者にとって悩みの種であろう。

 

結局、NHK総合テレビの中継では、(そもそも二か国語放送ではなかったので)原語のみを聞くという選択は許されなかったようで、(英語のやりとりを聞きたいという)多くの視聴者が、(同時通訳者が)たどたどしく?説明する音声と、原語のやりとりが重複して聞こえざるを得ない放送に嫌気がさして、途中で、他の放送とか、ネット中継などに切り替えて、原語のみの中継コンテンツに切り替えるのに苦労したらしい。

 

私は(うちのテレビでは、二つのチャンネルしか同時に、録画しながらの視聴は出来ないために)CNNによる中継のほうをメインに切り替えて、もっぱらそちらのほうで、(よくわからない表現が多数出てくるために、わからないところがたくさんあるのだが)原語のやりとりを聞いていた。

 

なお、どちらにしても、元々の放送は、ABCテレビが中継しているものなので、CNNはそれに対してどのような処理をするのか、少し気になっていたのだが、結局、CNNのマークが絶えず、画面の片隅に写っているというだけの問題で、実質、ABCの放送をそのまま流しているのだった。

 

今回、見て感じたのは、以前の放送(バイデン対トランプだった討論会)と比べると違いは、『高齢により?』無力に立ち尽くすという局面が多かったのが、今度は、(バイデンではなく)トランプに入れ替わっていたという(だけの)話だった。

 

これは、ある意味では、当然の話であろう。

トランプは、ハリス氏(現時点で59歳)と比べると、19歳年長であり、(自身の誕生日である6月14日を過ぎたため)間もなく78歳に達したという高齢者である。

 

たしかに、共和党大会で銃撃を(かろうじて)免れて、いわば死に損なったときは、(年寄りにしては)『身体が敏捷に動くな』と感心したものだが、(もしかしたら、その時の、ダメージなり『恐怖体験』がトラウマとなっている可能性もあるが)『臨死体験』を経て、(唯一の神=ゴッドに祝福されて?)『蘇って?』以降、彼はどっとふけてしまったように見える。

 

今回の討論会では、まさに、トランプこそが、『老いぼれた老人』となって、(まだ若い)カマラ・ハリスの容赦のない、『言語』『非言語』の両面からの攻撃に対して、打たれ続け、立ち尽くすという局面が多かったと感じた。

 

 

しかし、この討論会、もともと極端に世界観というか『感覚』の異なっている、トランプ支持者とトランプ反対者の見えている世界が、そもそも異なっているようだ。

 

だから、(例えば、日本の『良識ある』また『中立・公平であると、自分たちで思い込んでいる』)多くの人々が感じる感想と、アメリカ内部の人々の感想は、かなり異なっている可能性があるだろう。

 

アメリカでも、『トランプが好き』と『トランプが嫌い』、さらに『トランプも、ハリスも言っていることが信用できない』など様々な立場の人がいるだろうが、もともと、それらの人たちがもっている『考え方』『感じ方』が、一回だけ(しかも、全体で1時間半程度で、さらに途中しか見ないで、チャンネルを切り替えてしまうであろう人も多いことだろう)のこうした『ショー』で、支持率が大きく変動するだろうと思うこと自体が、間違っているのかもしれない。

 

 

さらに、何度でも強調したいが、アメリカの大統領選挙は、州ごとに『代理人』を『総どり』する仕組みであり、ほとんどの州が、あらかじめ『民主党』『共和党』のどちらが勝つかは、ほぼ決定しているので、(今や)問題となっているのは、『スイングステート』などと呼ばれる『接戦州』における『数パーセントの投票者の変動』がどちらにどう動くかが、『キー』となっているということである。

 

つまり、『全米レベルの支持率』がどうなっているかなど、ほとんど関係がない、という話だ。

 

 

今回、見ていて感じたのは、『ハリス氏は、討論会の準備と対策を徹底してやっていたな』ということであるが、しかし、どちらにしても、彼女が、『経済』とか『ビジネス』など不得意分野が幾つもあるのを、必死になってそれらを覆い隠しているのがわかった。

 

また、明らかに、『イスラエル、中東問題』なども『弱点を抱えている分野』であり、彼女は、『私ほど、イスラエルを一貫して支持してきた候補者はいないだろう』みたいなことを言わざるを得なかった。

 

 

彼女は、トランプに対して、『ウクライナが敗北すれば良いと思っているのか』などと迫っていたが、彼女に対しては、『イスラエルとハマスあるいはパレスティナという対立』のなかでどういう立場を取るのか『結局は、イスラエルを支援し続けるのか』という疑問が、米国民のなかで(彼女に投票しようと思っている人々の間でも)起こっていることは、疑いがないことだろう。

 

 

それに、例えば、『銃規制問題』や『妊娠中絶問題』においても、トランプとハリスの差というのは、大きいようで、意外とそうでもない?という気がしている。

 

ハリスにしても、『アメリカ市民が銃を持つ権利』に対しては、根本的な規制は加えにくい。

(もっとも、アメリカで、『さまざまな機能を持った銃を所持している人々』がアメリカ人口の何倍もいるような言い方が、よくわれているが、『銃が好きな人々』は、一人で幾つも持っているのだろうから、意外と、『都市部』などでは、『銃を全く持たない人々』の数も多いのではないかという気もしている。)

 

さらに、『レイプされた人々』が『人工妊娠中絶をする権利』に関しては、そもそも『州ごとに規制の在り方が異なっている』のであるから、『州を超えた移動』さえすれば、『人工妊娠中絶を受ける権利』を行使できるケースもかなりあるだろうと思われる。

(そのような行動をサポートするネットワークは、恐らくほとんど全米的に存在するのだろうから、そのようなサポートを受けることが出来れば、『望まない出産を強制される』というケースも、その分、減少されるのである。)

 

今回、話題になっていたのは、トランプのほうで取り上げたのだったのか、あるいはむしろ、ハリスが『仕掛けた』のだったのか、よく記憶していないが、『スプリングフィールドでは?』不法移民した人々が、犬だか、猫だかを殺して?食べているというような話である。

 

これも、トランプが、『そうした場面を目撃した人々が、テレビだかで証言していた?』というような危うい話(トランプ自身は、それを信じているというような口ぶりでしゃべっていたというように記憶がするが)をしていたのに対して、ハリスがわざわざ、これを取り上げて、揶揄するというか、『やり玉に挙げている』というような印象を受ける場面だった。

 

これなど、日本では、『とんでもない』などと思いかねない場面であるが、そもそも『どんな話』だかわかりはしない。

 

日本人も、戦争中、『捕虜』に対して、『木の根っこを食わせて、拷問をした』というような嫌疑をかけられたこともあった(いわゆる、B、C級の戦犯裁判などでは)ようだ。

(実際は、例えば『ごぼうの料理』とか『山菜の料理』などをふるまったケースも含まれているようだ。)

 

また、これは、実際どこまであったのか、不明の部分もあるのだが、全く食べるモノのなくなってしまった極限状態では、日本軍の兵士などが、先に亡くなった兵士の『人肉を食べた?』などの話がされることさえもある。

 

このように、『戦争』などでは、『文化の違いとか偏見』などに基づいて、誤った情報が流されたり、誤解を生むケースもあるので、こうした話を『政治的な攻撃の弾丸』としてお互いに投げ合うこと自体に、ためらいを感じるのが、むしろ『当然』だと思われる。

(つまり、トランプの発言もおかしければ、そうした『おかしな対応』を引き出すのが目的だと思われるような、ハリスの攻撃の仕掛け方にも、問題ありと感じさせられる。)

 

どちらにしても、『アメリカの利益を守る』という点については、途端に『愛国心を競い合う』かのように見える、トランプとハリスの両者に対して、『違和感』を禁じ得ないのも事実である。

 

結局、昨日のような『討論会』を経ても、それぞれの陣営の『支持者』というものは、さほど動じない可能性が高い。

 

今後、『副大統領候補同士の討論会』なども予定されているようであり、(副大統領候補は二人とも『強烈な個性』の持ち主である。

トランプ陣営が仮に勝利したら、JDバンスが副大統領になったとしたら、トランプにもしものことがあった場合、あの(トランプよりも得体のしれない?)バンスが、アメリカ大統領に就任することになってしまう。

(これはこれで『恐ろしいゲーム』のような気がする。)

 

また、今では、『中西部の人の好いおじさん』のように評されているウォルズ氏にしても、彼がなぜ、何年間も(あるいは何度も)中国にまで出掛けて、『英語の教師をやっていたのか』(もしかしたら、彼は、中国の体制、社会システムに対して、『幻想』を抱いているのではなかろうか?)気になって仕方のない部分もある。

 

 

私は、バイデン氏が、候補者として『最悪のパフォーマンス』を見せた、前回の『大統領候補の討論会』を見ていた時は、トランプの『共和党』が、大統領と上院、下院双方多数派を占めてしまう事態をさけるためには、『バイデン氏を候補者から、引きずりおろすしかないないのでは…』と感じていたのも事実である。

 

しかし、最近では、民主党と共和党双方が、『自分たちが、政権を取っていた時は、最高の状態だった』『相手が政権を取っているときは、最悪の状態だった』と極論ばかりを言い合う、『討論の仕方そのもの』に欠陥があるのではなかろうか?という気もし始めている。

 

トランプにしても、ハリスにしても、物事の一面しか見ていない、自分たちの陣営にとって都合のいいことしか言わないという点では、(むしろ)共通しているのである。

 

かつて、日本にとって『民主主義の見本』のような存在であった、アメリカにおける大統領候補、討論会は今や、『こういう討論の仕方をしてはいけませんよ』という見本になってしまっているようにさえ感じられるのだ。

この記事の続きである。

 

 

 

この映画と同じ内容が、NHKのBSで『実録マリウポリの20日間』と少しタイトルを変えて、放送されたようである。

また、それと同じ内容をネットで見ることも可能なようだが、その後、特に見直してはいない。

一回だけ見て、あのもやっとした感じにむしろリアルティがあったように思うからだ。

 

 

私が新百合の川崎市アートセンターに見に行った日は、上映の最終日だったせいか、意外と人が入っていた(といっても、せいぜい、2割くらいの入りだったような気がする)。

若い人たちが、意外とまとまってきていたのが印象的だった。

(もっと年寄りばかりかと思っていたのだけど…。)

 

最近、名古屋市内で会った、私自身の孫娘の上のほう(今年、大学に入ったばかりだけど…)とそれほど年齢の変わらなそうな若者も来ていた。

それも、仲間と集団で来ているという感じで(あとから遅れてきた人に、仲間が『ここにいるぞ』と合図を送っていた)あった。

 

最初は、ざわざわとした感じもあったが、やがて、訳もなく人が殺されるシーンが続出すると彼らもおとなしくなった。

 

彼らは、もしかしたら、大学とか専門学校の課題か何かで見に来たのかもしれないな、という気もした。

ここらには、『日本映画大学』もあるし、その他、ドキュメンタリー映画製作の専門学校のようなところに通っている学生もいることだろう。

 

そうした若者たちであれば、この映画を見て感想を書いたり、あるいはその後、仲間でディスカッションをしたりすることが課題と課されるようなことがあっても、おかしくない。

 

この映画を見ながら、感じたことだが、もちろん、私自身、戦争体験などないし、彼らと比べても何も、(情報の)優位性などありはしない。

 

かえって、例えば、川崎市民アカデミーなどの東欧関係の講座に出掛けて、下手に歴史などを知っている(といっても、単なる『聞きかじり』に過ぎないのだが…)分だけ、『わかったような気』になっていて、逆に問題なのかもしれない。

 

この映画を見て感じたのは、現実に『戦争がやってきた時』、ほとんどの場合は、渦中の人々にとって全体像はわからず、人々は、情報から遮断されて、『恐怖』に閉じ込められるのだろうな、ということくらいである。

 

なお、その後、もう一度、この映画について調べていて、わかったことがある。

前回、書いたことを考えると、やや訂正しておいたほうが良いと感じるところもあるので、触れておこう。

 

まず、このクルーは、AP通信のウクライナ人記者であるミスティスラフ・チェルノフ(この映画の監督となっている)がロシアのウクライナへの侵攻を察知して、仲間とともに現地に向かったということらしい。

したがって、チェルノフ自身が手カメラ?みたいな形で撮ったものもあれば、あるいは彼が別のカメラマンの画像を編集して、映画に取り入れたものもあったようだ。

 

 

NHKのBS放送の『BS世界のドキュメンタリー』という枠組みで、『実録マリウポリの20日間』(前篇、後篇)というタイトルで少し編集を変えたものが、放送されていたりしたことがあったのも、AP通信以外と契約したコンテンツもあったためということのようだ。

 

そのため、彼らは基本的にウクライナ軍サイドの情報を得ながら、現地に向かったようである。

それなりに、軍に保護されながら向かったのかもしれないが、ともかく、現地は混とんとしている。

生命の危機にさらされていたであろうということはいうまでもない。

 

しかし、このような状況は、その内容について、一定の偏りがある可能性も残している。

端的にいって、ある種の局面では、ロシア側も、あるいは反ロシアの側も、どちらも『虐殺』ととられかねない行動を取る(取らざるを得ない?)可能性もある。

 

当然、ウクライナ軍について取材をしていれば、仮に反ロシアの側が、このような行動を取った現場があったとしても、そうした場所には、『案内してもらえない』可能性も残っている。

 

しかし、この映画は、比較的『中立』というか、『公正であろうとしている』と私自身は感じた。

というのは、ロシアからの攻撃を受けて、町中が混乱に陥る中で、このチャンスにとばかりに、商店を襲い『略奪』にはしる人々(人々に『識別票』がついているわけではないが、明らかに、本来、『ウクライナ人』という自己認識を持っている人もかなり含まれているようだ)の様子も、この映画では伝えている。

 

おまけに、『商店の女店主?』などが、『何と情けない』と泣き叫ぶと、その勢いに押されて、(子供のために?)略奪したサッカーボールなどを、わざわざ『返却する者』までもが描かれている。

(このシーンは、録画映像から再現できないこともないのだが、『著作権』の問題もあるだろうから、ここに添付するのは、控えておきたい。

ただし、前回のこの記事の『前篇』の画像に一部、プラスをしておいた。

病棟が攻撃の対象となったために、出産途中の女性さえもが、『緊急に搬送』せざるを得なかったことが

わかる。ただし、ロシアの側は、これも『フェイク画像』と主張する可能性があるが…。)

 

だが、略奪した者の大半は、返却などしない。

ここぞとばかりに、いろんなモノを持ち出している。

 

商店主との関係を見ていると、普段、この店で買いたくとも買うことの出来ない人々(ある意味では、『顔を知っている人々』なども)が、この際、こうした商店を襲っているようである。

 

恐らく、ロシアサイドの映画であれば、『ロシア支持の人々』『反ウクライナの人々』あるいは『ロシア軍』が商店の略奪をするさまは、描かないことであろう。

(仮に、描いたとしても、『不可欠な、戦時調達の一環』という描き方をすることだろう。)

 

しかし、この映画は、そうした『ウクライナ・サイドの内部矛盾』のようなものも描いている。

 

明らかに戦争状態というのは、『公平なもの』ではない。

正しい人たちが、生き延びるという保証はなく、むしろ、すばしっこく、ずるく、運が良い人々が生き残るかもしれない。

 

そのようなことを含めて、描いているのが、この映画が、(比較的)信用が出来そうだ、という気がした根拠でもある。

 

 

しかし、もちろん、この映画が描いているのは(意識的に、何かを隠したり、偽ったりしていないと仮定しても)、ある意味では、『お釈迦様の手のひらのなか』の話に過ぎない。

 

ゼレンスキー政権内部にどのような矛盾とか、腐敗があるか、などといったことは描きようがない。

この映画自体が、何か大きな『フェイクニュース』の一部ではないという保証は、あるものではない。

 

戦争とは、そういったことも含めて、大勢の人たちが、『訳のわからないまま』に理不尽に命を落とすことの可能性がある状況らしい、ということを改めて感じた。

 

 

ウクライナへのロシアの侵攻(侵略といってもいいと思うが…)が始まってから2年半以上が経過している。

日本では、『ウクライナはやり過ぎだ』というような声が何となく、聞こえてきそうな報道、というか空気感が、広がっているように感じる。

 

もともと、『反戦派』と称する人々(端的には、『憲法第9条改正反対』を信条とするらしい人々)が、日本の報道のなかに一定の比率を占めているせいもあるのかもしれない。

特に、最近、ウクライナ軍があえて、『ロシア領内』というか『ロシアの支配地域内』に侵攻して、そこから(例えば)モスクワなどロシアの中心部に対する(種々の)武装攻撃を仕掛けている。

 

それに対して、『そんなことをやれば、ロシアを硬化させるだけ』『停戦(終戦)がますます遅くなってしまう』あるいは『ロシアが核兵器を使用するように仕向けているようなものだ』などの批判をする人々がいるようだ。

 

しかも、そのような攻撃も必ずしも効果をあげていないとの話も聞こえてくる。

それでは、ウクライナはどうすれば良いのか?

ロシアに蹂躙されるのをあえて『耐えろ』というのか?

この辺に対する回答は(どうやら)ないようである。

 

それに、いくら『日本国憲法第9条の論理』を宣伝したところで、(私自身は)あれは、第二次世界大戦(あるいは太平洋戦争、人によっては『大東亜戦争』という呼び名を好むのであろう)が、極東地域において、『日本の敗戦』で終結するという『特殊な状況』で成立し得た『憲法』だという気がしてならない。

 

実際、それが誕生した時点で既に、日本の周辺でも、アメリカ、ソ連、毛沢東、蒋介石、金日成、あるいは『韓国』につながる勢力などが、相互に戦い、けん制し合っていたのだろう。

『日本国憲法第9条』が果たして、諸列強に対して適用しうるような『普遍的な論理』なのかどうか、私には疑問である。

 

つまり、『日本国憲法第9条の論理』は、ロシアに対して効果を発揮しないし、逆に、『第9条の論理』があるから、ウクライナがロシアに対して反撃できない(とか『すべきでない』)というようなことを主張したら、ロシアのプーチン大統領の主張のほうが、今後、通用してしまうことにもなりかねない。

 

まあ、こんなことを書いていると話が広がりすぎるが、実は、私自身ウクライナの現状について、あまりにも知らないことが多すぎる(パレスティナとか、イスラエル、イラン等の状況については、さらに『知らない』のだが…)もので、何か、この映画を見れば、わかることがあるかもしれないということで、8月23日(今から10日ほど前になる)夜、『マリウポリの20日間』というドキュメンタリー映画を、新百合ヶ丘の川崎市アートセンターに出掛けて見てきた。

 

実をいうと、この日が、上映の最終日であった。

(なかなか行く踏ん切りがつかなかったもので、遅くなってしまった。)

 

この場所は、『新百合映画祭』という地域の映画祭が実施される際に、時々出掛ける場所である。

それで(新百合映画祭というのは、だいたい、10月とか11月に実施されるものなので)久しぶりにここまで出掛けた。

 

この映画、見た時には衝撃を受けたのだが、実をいうとよく覚えていない。

また、『パンフレット』など特に買わなかった(いつも、パンフレットを買うとそれで、中身が分かった気になってしまう傾向もあるもので、今回は、意図的に買わなかったという側面もある)。

 

それで、映画のチラシや、ネットの記事などを見て、見た内容を『再構成』しようとするのだが、どうもうまく行かない。

それは、私が、高齢化でぼけてしまっている面もあるが、それだけではないようだ。

 

この映画は、今年の第96回アカデミー賞授賞式(『ゴジラ-1.0』が視聴効果賞を受賞、また『君たちはどう生きるか』や『パーフェクトデイズ』なども受賞したりしたので、『日本映画界』が何となく喜びにあふれた授賞式だった)で、ウクライナ映画史上初めて、アカデミー賞(長編ドキュメンタリー賞)を受賞

した映画だということである。

 

しかし、ネットの記事によると壇上に上がった人々の表情は決して喜んでいなかったと書かれていた。

(私も、その授賞式は、『WOWOW』の生中継で見ていたし、何度か同じ場面を繰り返し見たりしたのだが、詳細はあまり覚えていない。映画『オッペンハイマー』がどのように遇されるか、あるいはまた見ていなかった、映画『オッペンハイマー』がどういう映画なのかのほうに、気をとられていたせいかもしれない。)

 

ともなく、ウクライナのスタッフが喜ぶことができなかったのに、それなりの理由がある。

この映画は、ロシアがウクライナに侵攻した最初の20日間を描いている。

 

 

2022年2月、ロシアはマリウポリへの侵攻を開始。ミスティスラフ・チェルノフ監督は、(おそらく)少数のスタッフとともに現地に向かった。

 

突然のロシアの侵攻に、人々はパニックに陥る。

それに対して、着のみ着のまま、半狂乱になって路上をさまよっていた老女に対して、監督は、『自宅に戻りなさい』『ロシア軍は民間人は攻撃しないと言っている。ここより自宅のほうが安全だ』などとアドバイスする。

 

しかし、その後、(たしか負傷して)病院に運び込まれてきた同じ老女に対して、監督はわびることになる。

なぜなら、ロシア軍は、民間人であろうとなかろうと、むしろパニックをあえて起こさせるのが狙いといわんばかりに、爆撃や銃撃を加えていた。

大勢の民間人が亡くなった。

 

この映画の特徴は、カメラの視線が、『神の眼』の視線ではないことだ。

地べたをはいつくばっている。

カメラマン、あるいは監督(はっきり覚えていないが、ほとんどカメラマンと監督は、一体化していたようにも思える。監督自身が手持ちのカメラで撮影している場面も多かった)は、自分たちがいつ攻撃を受けるか、あるいはどこが安全なのか、全く把握していない。

 

泣き叫ぶ子供。

あるいは、吹き飛ばされる女性、老人、子供。

 

ロシア軍は、容赦ない攻撃を仕掛けてくる。

その結果、最初の数日間で、マリウポリの住民43万人のうち、約4分の1が避難した。

戦争が近づいていると理解していた人は、ごくわずか。

大部分の人が取り残され、気づいた時は手遅れだったという。

 

この映画が、映し出しているのは、最初の20日間だけである。

というのは、監督たちとしては、自分たちがカメラにおさめた『真実の映像』を世界に発信したい。

 

それを見れば、『ロシア軍が、いかにパニックを醸成しようとして、滅茶苦茶な攻撃を仕掛けているか』が

容易に理解できる。

しかし、ネットの通信ができる設備はほとんど破壊されていて、マリウポリ市内からは、監督たちが撮った映像のほんの一部しか、外の世界に対して発信することができなかった。

そのような映像の一部が、これだ。

これは、産院の病棟が砲撃され、危険になったために、緊急に妊婦(出産途中の女性である)を運び出して退避させているシーン。

 

NHKのBSで放送された番組中でも、このシーンは取り上げられていた。

 

しかも、その一部の映像(ロシア軍が、民間人に対して攻撃し、また病院や産院なども攻撃の対象としていたことがわかる)に対しても、ロシア政府は、『フェイク映像だ』、『この病院は、いまでも立派に機能しており、ロシア軍が破壊したなどということはありえない』などと主張する映像を、わざわざ用意してまで(どこか別の病院で、撮影したものなのだろう)反論していた。

 

これに対して、さらに詳しく反論し、ロシア軍の暴虐を伝えることが、監督たちに求められていた。

そのため、マリウポリから赤十字の関係者などがまとまった退避する瞬間をとらえて、監督たちも逃げざるを得なかった。

 

そのとき、監督たちは、ある種の『戦友』という仲間意識で結ばれた、医師とか看護師たちと別れを告げねばならなかった。当然、『生きて再び会うことは出来ないだろう』というような別れである。

 

こうした姿を描いているのだが、これを見ていると、戦争というのは、『自分が現にいる小さなスポットのことしかわからないのだな』という思いが募る。

 

なんとも重たい映画である。

しかも、この映画が映し出したのは、たった20日間だけ。

実際には、既に2年半以上、900日以上が経過している。

(つづく)

 

 

最近のアメリカ大統領選に向けた、民主党内の動きを見ていると、いかにいろんなタイプの政治家がいるかが、改めて認識される。

(まあ、もともとアメリカの政治家など、良く知らなかったので…。それに、さすがにアメリカというのは、新陳代謝が激しくて、次から次へといろんな人物が舞台に登場してくる。)

 

そうしたなかで、(悪い意味で)印象に残ったのが、この男だ。

 

 

この人は、ラーム・イスラエル・エマニュエルという名前だ(『イスラエル』というのが名前のなかに入っているのに、びっくりしてしまうが…)。

アメリカのイリノイ州シカゴ出身で、第55代シカゴ市長を務めた。バラク・オバマ政権では、大統領首席補佐官を歴任。

 

2022年から駐日アメリカ大使を務めた。『政界のランボー』というあだ名のある人物らしいが、日本においては、『ボケてる?日本人を覚醒させてやる』と言わんばかりの言動を繰り返してきた気がする。

以前から、何となく『GHQ占領下の日本』におけるアメリカ人のふるまいのような雰囲気を漂わせた言動を繰り返しているので、『気に障る人物』だと思っていた。

 

 

 

それが、今年の8月9日の長崎での原爆犠牲者慰霊平和祈念式典への出席をボイコットする動きの先頭にたっていた。

パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待しなかったこと(ロシアとベラルーシについても3年連続で招待していないのだが)をもって、『式典が政治化された。参加を見合わせる』と表明した。

 

そればかりでなく、米欧6か国の大使が、長崎の式典へのボイコットをするように呼び掛けていた。

さらに、9日に東京の芝・増上寺で開催された『長崎原爆殉難者追悼会』にはイスラエル、イギリスの両国大使と共にわざわざ参加していたというのだから、何とも嫌味っぽい行動を取る人ではある。

(つまり、彼としては、こちらのほうが、長崎の被爆について慰霊する『正しい方法』だと主張したいのだろう。)

 

こうした行動は、同時に(彼が広島の式典には参加していたこと、そして広島のほうでは、イスラエルを招待していたことなどを踏まえると)彼らの行動も要因となって、『広島と長崎』が分断されていたようにも見えた。

 

広島と長崎は、それぞれのこれまでの式典の作り方も異なるようである。

 

広島では、どちらかというと『市主導』の式典といったニュアンスを感じるし、またそのカラーには、もともと中央の役人(=厚生労働官僚、中央労働委員会事務局長)だったのが、前の革新系秋葉市長の市政を批判して、自公の候補として2011年に初当選したというように、保守系の市長であるという松井一實(かずみ)氏自身の色もにじみ出ていたようだ。

 

 

そのような松井カラーというのは、(広島を選挙区とする)岸田首相が『被爆地でのサミット開催』を実現した昨年の5月を期にますますエスカレートしているようである。

 

それは、バイデン大統領らが『被爆者に寄り添う』というよりも、『岸田首相の置かれた政治的状況』と『バイデン大統領の置かれた政治状況』が互いに寄り添いあって、彼らが(ほとんど被爆資料館を見学していないのに)あたかも『見学したかのように装う』偽装工作まで行う(つまり、広島の被爆者や、日本の国民を欺くという)レベルにまで至ってしまった。

 

 

そして、今回、その延長線上としてか、さらに『広島と長崎』の分断と対立が生み出されているように感じてしまった。

 

私は、(2016年に亡くなった)母親が長崎の被爆者であったために、どうしても長崎の事情のほうに引き寄せられてしまうような傾向がある。

 

今回の被爆の式典で、広島では『被爆者代表』の生の言葉が発せられることはなかったようだが、少なくとも長崎では、『被爆者代表』のかたが自らの言葉で式典のなかで語っていた。

 

『被爆者』のかたが生きている限り、その生の声を発言してもらい、それを聴こうとする努力は必要ではなかろうかと感じる。

 

一方では、こうした式典を(『被爆者』が亡くなりつつあることから)どこかで『終止符』を打とうとさせようとする傾向もあるようだが、しかし、『被爆者』の意思を受け継ぎ、その遺族であれ、あるいは直接、血筋がつながっていなくとも、その『思い』を受け継ぐ者を育てでもして、こうした活動を伝えていく工夫は必要だと思われる。

 

そうでないと、『核兵器は必要』あるいは、『核兵器の使用も可能』と考える力の前に、いつか、『長崎が最後の戦争のための核兵器の投下』ではない瞬間がやってくる可能性が常にあると思う。

 

そのような状況を作り出すためにも、(もしかしたらそれは彼に対する過大評価なのかもしれないが)ラーム・イスラエル・エマニュエル氏(今後、カマラ・ハリス氏がアメリカ大統領選に勝利したあかつきには、『大統領補佐官』のような地位に就く可能性があるともいわれている)のような人物に対する警戒心を抱くことが常に必要だと思われる。

 

 

8月5日にこの映画についての記事(前篇)を書いて以来、それっきりになっていた。

いろいろ感想の湧いてきた映画だったので、ついでにその続きを書いておきたい。

(なお、前篇の記事で、写真を入れないままに放置していたところがあるが、それも最低限は入れるようにしたい。)

 

この映画、見た直後は、正直言って、『散漫な映画』で『失敗作ではなかろうか』と感じていた。ところが、その後、思い返したり、パンフレットの内容などを見ていると、『意欲的な作品ではなかったのか』という気がしてきた。

 

この映画、『早稲田大学における川口大三郎さんの死』という出来事?から端を発した、『革マル派の暴力的な支配』(実は、大学当局自身がそれに加担していたといえる)に対する早稲田大学生たちの戦いを延々と描いている。

 

しかし、この闘争は、『いったんは、敗北させられた』といっても良いのだろう。

 

だが、より長期的に見ると、『革マル派の内ゲバの歴史』はここから発したといってもよく、(革マル派は、極めてこ利口なので、彼らは、『内ゲバ殺人事件』の加害者となることは比較的少なかったが、確実に、『内ゲバ』により他党派に打撃を与え、特に、『中核派』の最高幹部を殺害するなど、『踏み越えてはならぬ一線』など彼らにとっては存在しないようだったので、『内ゲバ』を期にして、『最も嫌われる党派』の一つに転落したといって良いだろう)また、『革マル派』の言い分では、理性的に『革命的暴力を行使』しているかのように言いながら、『川口君事件』に見られるように、実際は、『無知』と『パニック』の挙句、若者を殺したりしてしまっているので、彼ら自身の『理性的な装い』もメッキがはがれてしまったとも言いうる。

 

ともかく、『川口君事件』は、『内ゲバ』によって最終的に破綻したと言って良い、(反代々木系、反日本共産党系とも言われた)いわゆる『新左翼諸党派』の無残な歴史の終焉に向かう転機となる事件だったと言えるのだろう。

 

 

私自身は、この事件があった当時、(いつのまにか、『中核派の宣伝』に乗せられていたのかもしれないが)川口君というのは、『中核派のシンパか何か』の学生だったのかと思い、この事件にさほど、注意を払わなかった。

 

(既に、私のいた大学の内外で『内ゲバ』はある種、日常茶飯事と化していたので、感覚がマヒしていたのかもしれない。もっとも、川口君事件が起こった1972年には、私は既に就職していたので、学生運動のことなど、あまり知らなかった。もっとも、その数年後には、私は、再び、昔接触のあった党派と、そこが『労働運動中心』でまともな運動をするようになったのかと錯覚して、いつの間にか、『深入り』をしてしまうようになっていくのだが…。)

 

まあ、こんな細かい思い出話はどうでも良いのだが、この映画は『川口君を巡る早稲田大学における闘争の顛末』ということに、こだわっているところに、一つの特徴・長所があると感じた。

 

そして、この映画の元になった、『彼は早稲田で死んだ』(文藝春秋刊)の著書である樋田毅という人自体が、極めてユニークな人のようである。

 

この人は、『自治会再建運動』を担った無党派学生の一人なのだが、徹底した『非暴力主義』の思想の持ち主で、その結果、『革マル派の暴力』に対して、『暴力でもって反撃すべし』という多くの(その時点で運動を担っていた)学生たちの主張にも決して同意しなかった。

 

そのため、『早稲田大学民主化闘争』を担っていた学生たちのなかには、『樋田が非暴力にこだわったから、我々の闘争は敗北してしまったのだ』と思い込んでいて、いまだに(樋田氏が、この本で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した際にも)祝いの場に乗り込んで?樋田氏に『謝罪』と『自己批判』を求めた人もいたらしい。

 

ところが、樋田氏は樋田氏で徹底している。

 

彼は、『朝日新聞』の記者として在職している間も、(当時、彼が自身で体験することになった)1987年の『赤報隊』による朝日新聞阪神支局の記者・小尻知博さんの殺害事件を追及し続けると同時に、『川口君』の殺害に関与した、革マル派系学生たちのその後を追い続けたようだ。

 

その結果、(事件当時)革マル派系の自治会の責任者であった人物?などは、その後、『自分の人格が崩壊する』かのような精神的危機に遭遇し、運動から手を引いていたことなどが明らかになっている。(私がこの本や、映画を見てから時間がだいぶたっているので、細部については記憶違いがあるかもしれない。)

 

また、革マル派系学生の一人(一文自治会副委員長)であった大岩という人は、その後、組織を離れ、早稲田をやめて、アメリカの大学で文化人類学の博士号を取得。日本に帰国して以降は、明治学院大学で教鞭をとりながら、『スローライフ』を提唱する思想家、環境運動家として、いわば『華麗なる転身?』をとげたのだという(『辻信一』名で著書も出している)。

 

しかし、この大岩という人も、樋田氏からの追及?の前に、自分自身の経歴を認め、長時間の対話と、その内容を世間に公表することを認めている(『彼は早稲田で死んだ』の本の末尾にも、その経緯の詳細が記されている)。

 

こうした(ある意味での)しつこさは、同時に、(樋田という人物自身に対して、彼が)『朝日新聞記者』として何をやったのか、あるいはそこを退職して以降、何をやっているかと問い返すものになる可能性がある。彼は(見方によっては)いつまでも『若い時の体験』を引きずっている人のように見えるかもしれないが、その不格好さを含めて、彼の生き方そのものが、『内ゲバ殺人事件』川口大三郎君事件のもたらしたものを、表しているように感じた。

 

それだけでなく、この映画のもっている普遍さというか広がりは、いろんな人たちにこの事件(あるいは『内ゲバ殺人事件』)というものの持っている意味(または無意味さ)を語らせている点にあるように感じる。

 

そのなかには、(ここで例として出すのは、少し)気の毒な感じがしないでもないが、池上彰さんなどもいる。

 

彼は、1969年慶応大学入学らしくて、そもそも、NHKに入社して、ジャーナリストっぽい仕事を(実際に)始めたのは、『川口君事件』よりずっと後のことだったのではないか。

それに、『中核派』と『革マル派』の比較など次のように、もっともらしく語っているが、彼が在学していた慶応大学など、そのどちらもほとんどいなかったはずだ。

 

映画『ゲバルトの杜』のパンフレットには、<中核派はとにかく激しい運動をし、激しい衝突をすることによって組織を増やしていこうじゃないか。それに対して革マルは、それぞれの大学で、地道に組織を作り、自治会を支配し、自治会を牛耳ることでさらに仲間を増やす、これが革マルの組織論>という池上彰さんの言葉が収録されている。

 

実は、この映画の『再現ドラマ篇』の部分を、現代の若者たちに演じさせるにあたって、彼らが『学生運動とは』とか『中核派とは』、『革マル派とは』、あるいは『なぜ、もともとは同一組織から発した、中核派と革マル派とが、相手を殲滅するような内ゲバを展開するようになったのか』について、池上氏らが 、『そのような事情』についての講義を行ったらしい。

 

先の部分は、池上氏の『講義』の一部を収録したものだが、池上氏のような説明の仕方は、いかにも『後知恵的』な気がする。

たしかに、『中核派と革マル派』の運動論、組織論にはそのような差がひそんでいたかもしれないが、しかし、それはお互いが、『殺し合い』を繰り広げるにいたる理由を説明するには、『薄弱すぎる』という気がしている。

 

所詮、池上氏は、学生の頃も、『中核派』とか『革マル派』の血で血を洗う戦いとは、『無縁の大学』で学生時代を経験した人のようである。彼のいた慶応大学では、せいぜい、(もともと、イタリア共産党系の先進国革命路線を信奉していたはずの)『フロント派』(ただし、学園闘争の激化のなかで、ここも『過激化』していったが)の学生部隊が、自治会の主流派であったのではないかと記憶しており、そもそも、学生同士の激しい内部対立が、あったとは思えないのである。

 

そうした人に、『日本の内ゲバの歴史』を語らせというのは、ただ、どこかで調べたことを『物知り』風に語ることしかできないと思うし、実際、そのような語り方を彼は映画の中でしていたと感じた。

 

それに対して、例えば、鴻上尚史氏(この映画の、『リンチ殺人事件』の再現ドラマの演出を担当したらしい)などは、1978年早稲田大学法学部入学と、世代的には少し下なのだが、(俗っぽい)表現になるが、『自分事』として受け止めるような語り口をしているのが、私としては、印象に残った。

 

このように、この映画は、『どのような映画として構成するか』『はたして、これはドキュメンタリー映画といえるのか』など、議論をいろいろ呼びそうな部分をたくさん含みながら、きれいにまとめあげられていないからこそ、『積み残されていること』がたくさんあることを示していて、逆に印象的な映画になっているという気がした。

 

こうした問題に関心のあるかたは、この映画を一見することをお薦めしたい。

(一般の映画館で上映される機会は、なかなかないのかもしれないが…。)

 

一昨日(27日)、カミさんと二人で東海道新幹線に乗って、名古屋に住んでいる孫娘ふたりに会いに行ってきた。

彼らと会うのは、(たしか)4月に(彼らが横浜にやってきたとき)以来なので、4カ月半くらいしかたっていない。

でも、この短期間に、すっかり彼らが『変身』しているのにびっくりした。

 

もっとも、彼らは、今年、それぞれ大学と高校に進学したばかりなので、いわば『青春まっさかり』だから、それも無理からぬ話である。

 

前回、横浜で会ったときは、彼らは『アフタヌーンティー』のケーキのセットに心を奪われていて、『食い気』ばかりが目立つ、子供っぽさが残っていた。

 

今回も、名古屋駅から比較的近い栄町の三越のライオン像のそばで待ち合わせをし、その後、松坂屋まで歩いて行って、そこのランチセット(カミさんがネットでせっせと調べて、見つけたもの)を4人で食べた。

 

 

 

このようにパスタもかなり(私たち、老夫婦にとっては)ボリュームが多く、おまけにケーキなどいろいろ付いていた。

すると、彼らは、ペロリと平らげて、もっと食べたそうにしていたのにはびっくり。

 

 

特に、お姉ちゃんのほうが、食べるスピードが早い。しかも、『色気より食い気』といったりするが、彼女は、いつの間にかおしゃれになって、ピアス(?っぽい、耳飾り)とかいろんなものを身に付けている。

(大学に入って、『塾のアドバイザーというか、塾の生徒たちに対するフォロー役』のバイトをやりだしたので、小銭が入るので、それで買っているらしい。)

 

気がついて見ると、妹(今年、姉ちゃんと同じ、県立高校に入学した。もっとも彼女は、本当は、もっと『偏差値が上の学校』に行きたかったらしいが、成績がおいつかず、『第二志望先』のこの学校に落ち着いた。)のほうも、いつの間にか、おしゃれな感じになっている。

 

ただし、一方では、妙に引き締まった感じで、スポーツマンタイプになっており、私は、三越のライオン像のそばで、彼女たちが来るのを迎えに行ったのだけど、妹のほうについて『初見』で別のどこかの女性だと思って気が付かなかった。

 

聞いてみると、妹のほうも、陸上競技で、投てき(ハンマー投げとか、砲丸投げとからしい)をやりだしたようで、その関係で、筋トレもいろいろやりだしたらしい。

それだけでなく、姉ちゃんと同じ美容院に通っているようで、おまけに、おしゃれにも目覚めて、化粧を始めたらしい。

(彼女に言わせると、今時、小学生でも化粧をしているのがいるから、別に『どうということはない』という感じらしい。)

 

 

実は、前回、横浜で会って以降、彼女たちが、『進学先での不安』みたいなのをLINEでカミさんとやりとりしているらしいことを聞いていた。

 

『なかなか、学校で新しい友達ができない』

『一緒に、昼食を食べる人もできない』

『勉強についていけるかどうかも不安だ』

『みんな出来る人ばかりで、ついていけるかどうか不安だ』

『部活で、どこに入ろうか迷っている』

そんな悩みを抱えているらしいことを聞いていた。

 

それで多少心配していた(とはいえ、彼女らはそれほど『強烈な個性の持ち主』でもなさそうだから、しばらくすれば慣れるだろうとは思っていた)のだが、今回、会ったらすっかり『それなりに自信を持っている』『居場所をみつけつつある』ような感じになっていた。

 

 

妹のほうは、お姉ちゃんと一緒の高校で(結果的には)良かったらしい。

教師たちの間でも、『あの〇●の妹が、今度、入ってきたらしい』と話題になっているようだ。

 

何しろ、お姉ちゃんのほうは、最初は勉強がぱっとしなかったのが、ある時から、急に成績が『急上昇』した。

(それは、途中で通い出した『塾』が彼女にあっていたという面があるらしい。)

いわば、映画の『ビリギャル』的な状況だったようで、高校の教師の間でも話題になっていたらしい。

 

もっとも、『塾』の方でも、こういう子は、宣伝素材としては好適だということで、いろいろおだてられて、合格以降(後輩たちの『相談相手』となる?)ようなバイトを提示されたらしい。

 

しかし、こういうバイト先は、そもそも低賃金で成り立っている業界(私自身、『中小企業診断士』の資格を昔、取得して以降、生活のために、『資格取得の予備校』みたいなところでバイトをしていた経験があるので、こういった業界の体質は、ある程度、承知しているつもりだ)なので、『お姉ちゃん』のほうも、『後輩たちを教えたりするのは、それなりに面白いのだけど、しかし、<言ってはいけないこと>などしばりも多く、おまけに低賃金なので…』ということで、半分、嫌気がさしているらしい。

 

とは言え、その結果、『お金を稼ぐことの大変さ』は身に染みて感じるようになったようだ。

 

 

他方、妹のほうも、『姉ちゃんと同じ学校』に行くことで、『教師の癖』とか、『試験の傾向』など、いろいろ姉ちゃんから情報を入手できることも多く、勉強をそれなりにこなしながら、『学園祭みたいなものの準備』などを楽しむというように、『高校生活をエンジョイする知恵』を教わることもあったらしい。

 

おまけに、『姉ちゃん』がビリギャルなみに、成績が急上昇した子の妹ということで、(一部の教師たちに)注目されることも多いようで、それも彼女にとって、必ずしも『悪くない気分』のようである。

 

それで、『陸上競技』の部活に参加して、早速、長野かどこかでの『合宿』にも参加したらしい。

すると、そこでかなりハードなトレーニングを課され、それを割合、すいすいと対応できる生徒たちが多数いること、あるいは、食事のときに他の生徒たちの食べる量が、半端なく、多いことにびっくりしたらしい。

 

そのため、(今でも、食べ物に『好き嫌い』は非常に多いようだが)相撲部屋ではないが、これまで以上に『食べること』、あるいは筋トレなどをやることに、取り組み始めたらしい。

 

その結果、私が、三越のライオン像のところで、待ち合わせていた時に、ぱっと見で気が付かなかったくらい、細身で、大人っぽい雰囲気に、いつの間にかなっていたようである。

(どちらかというと、『女三四郎』みたいな雰囲気を身に付けていた。少し褒め過ぎか?)

 

このように、彼らは、それぞれ『青春の新たなステージ』にそれぞれ到達し、また、目標などを持ち始めているようである。

 

 

今回、台風が来ているということもあって、『新幹線の運行状況』も不安定で、一時は、『直接、会いに行くことを今回はやめて、ZOOMか何かで顔合わせをして近況を聞くことにしようか』という話も、カミさんとはしていた。

 

しかし、実際には、今回そばにいて、『同じ空間を共にする』ことによって、はるかに多くの情報を得られることが出来たことは言うまでもない。

そういう意味で、(一緒にいたのは、たった二時間程度に過ぎなかったが)名古屋まで出掛けて良かったと思った。

 

ただし、例の台風10号のとんでもない迷走によって、行きも帰りも東海道新幹線は相当、混乱していた。朝は午前8時ころに家を出たのだが、最終的に帰宅するのが出来たのは、午後11時過ぎになってしまったのだけど(その結果、帰りに乗車した新幹線については、『乗車時間が、2時間以上の遅れが生じたため』ということで)特急券の料金の払い戻しを受けることが出来、カミさんは、それですごく喜んでいた。

 

この規定、『有難い』ことは有難いのだが、非常に多数の乗客に払い戻しが生じているらしいことから考えると、そのうち、『乗車の規定』を変更して、『払い戻しの急増』に対処しようとするのではないかという気もした。

(それに、外国人に対しては、この『払い戻し』のことを丁寧にアナウンスはしていなかったような気もするので、外国人でこの情報を、得られなかった人がいた可能性もある。)

 

我々は、『払い戻しは1年以内にすれば良い』という話だったが、さっさとしなければ『忘れてしまう』ことにもなりかねないということで、当日、新横浜駅に到着直後に、窓口で返金を受けた。

その結果、多少、列に並ばざるを得なかったが、ともかく、1万円ちょっと、払い戻しを受けることができた(カミさんは、すごく喜んでいた)。

 

ともかく、今回は、成長した孫娘たちの様子を見ることが出来て、良かったという感想だ。

この時期、若者たちの成長は、はやいのでちょっと会わない間に、すっかり変身してしまう可能性のある『微妙な時期』なのだという思いを新たにした。

(そういえば、自分自身でも、高校に入ったばかりとか、大学に入ったばかりの時期というのは、『不安定な時期』だったという記憶が、ある。)