拙宅は幹線道路に隣接しているので、土日ともなれば夜は暴走族の空ブカシと、昼間は右翼街宣車のラウドスピーカーに悩まされています。
 
実に騒がしいのだが、時折この「出征兵士を送る歌」を耳にすることがある。
 
勇ましい曲想なので、彼らは使っているのだろうが、いかにも休日の昼下がりに似つかわしくない。
 

 
出征
下丸子駅で出征兵士の壮行(昭和12年)
歌詞だけを聴いていると戦争を賛美するだけの歌に聞えるが、実際にはこれから戦場に出征する兵士を送る歌なのだ。
 
言い換えれば、戦場に行くかどうか迷っているときに聞かされる歌ではい。すでに出征を決意した兵士が「向後こうごうれい」なく戦場に向かうための儀式で歌われた歌なのだ。故郷を後にして出征する兵士の身になって考えると、まことにうなづける歌詞であることがわかった。
 
昭和12年(1937年)に始まった支那事変の戦時歌謡として、大日本雄辯會講談社(現在の講談社)が陸軍省と提携して歌詞と曲を公募して、昭和14年(1939年)にキングレコードの人気歌手が総動員して発表されたようだ。
 
 
当時キングレコードの女性人気歌手であった長門美保、三門順子、井口小夜子、横山郁子などが歌っている。このYoutubeは誰が歌っているか不明ですが、出征兵士を送るのに、女性の声がふさわしいと思いました。
 
 
出征兵士を送る歌(昭和14年)

作詞:生田大三郎
作曲:林伊佐緒
 
  1. 我が大君おほきみに されたる
    生命いのち光榮はえある 朝朗あさぼら
    たゝへて送る 一億の
    歓呼は高く 天を
    いざつはもの 日本にっぽん男兒
     
  2. はなと咲く身の 感激を
    戎衣じゅういの胸に 引きめて
    正義のいくさ 行く処
    たれはゞまん この歩武ほぶ
    いざつはもの 日本にっぽん男兒
     
  3. 輝く御旗みはた 先立さきだてゝ
    越ゆる勝利の 幾山河いくさんが
    無敵日本にっぽんの 武勲いさおし
    世界に示す 時ぞ今
    いざつはもの 日本にっぽん男兒
     
  4. 守る銃後じゅうごに うれいなし
    大和魂やまとだましい ゆるぎなき
    國のかために 人の
    大盤石だいばんじゃくの そな
    いざつはもの 日本にっぽん男兒
     
  5. あゝ萬世ばんせいの 大君おほきみ
    水漬みづ草生くさむす 忠烈ちゅうれつ
    ちかひいたさん とき至る
    勇ましいかな この首途かどで
    いざつはもの 日本にっぽん男兒
     
  6. 父祖ふそ血汐ちしほに 色映いろはゆる
    國のほまれの 日の丸を
    世紀の空に 燦然さんぜん
    げて築けや 新亞細亞アジア
    いざつはもの 日本にっぽん男兒

 
養父
支那事変で出征する養父
軍歌という定義も難しいが、この「出征兵士を送る歌」は、どちらと言えば銃後の国民が歌った「戦時歌謡」になるのでしょう。
 
右の写真は、養父が24歳で昭和14年(1939年)に出征する時の記念写真です。支那事変で輜送係(慰問団輸送の運転手)として南京に駐留したようです。
 
詳細は当ブログ「支那事変の輜送係」をご覧ください。
https://ameblo.jp/japanism2020/entry-12549882663.html
 
兵士一人ひとりが、家族を守り、故郷を守り、国を守るために、銃を持って立ち上がらなければならない刹那で、さぞかし歌が励みになったのか…はかり知れません。
 
以前に書いた「硫黄島からの手紙」で、二宮和也が演ずる西郷が米軍の爆撃を受けて「戦場での死の覚悟」を実感したとき、妻とまだ見ぬ子どもが浮かんだようだ。故郷に残した家族がどれ程兵士たちの支えになったことだろう。
 
詳細は当ブログ「硫黄島からの手紙」をご覧ください。
https://ameblo.jp/japanism2020/entry-12602625932.html
 
端々にこぼれる兵士を送る家族の想いが、歌詞から伝わってくる歌だと感じました。
 
 
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