Letters from Iwo Jima
硫黄島からの手紙
2006年公開
クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)監督
 
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ワーナー・ブラザース配給「父親たちの星条旗」より
 
今回は、アメリカ人自身の映画ではなく、アメリカ人が捉えた戦前の日本人がテーマになっている。
 
大東亜戦争(第二次世界大戦)の末期、本土防衛の要となった硫黄島いおうとうの戦いを描いた「父親たちの星条旗」(Flags of Our Fathers)と「硫黄島いおうじまからの手紙」が製作された。
 
それが日本人の監督ではなく、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)と聞いて驚いた。しかも「硫黄島からの手紙」は、日系アメリカ人のアイリス・ヤマシタの原作脚本だった。
 
アーリントン国立墓地の近くにある合衆国海兵隊戦争記念碑は、硫黄島の摺鉢山すりばちやまに星条旗を立てた兵士達だ。猜疑的さいぎてきになっていた米国民に再び火を点けた「硫黄島の戦い」をどう見たのか興味を覚えた。
 
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硫黄島からの手紙」は、平成17年(2005年)日本の遺品捜索隊(おそらく遺骨収集団?)が洞窟通路の土に埋められた古い袋を発見するところから始まる。
 
01
捜索隊が土に埋もれた袋を発見
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
画面は薄暗い洞窟の坑道から、日差し眩しい海岸線の砂地に塹壕ざんごうを掘る兵士たちに変わる。昭和19年(1944年)の硫黄島である。
 
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大東亜戦争の末期、絶対国防圏であったマリアナ諸島を失った。本土への最後の砦となった硫黄島に陸軍第109師団長兼小笠原兵団長の栗林忠道ただみち中将は、硫黄島守備隊の最高指揮官として赴任する。
 
03
栗林忠道中将(渡辺謙)が硫黄島に着任
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
栗林中将の役は、ワーナー・ブラザース配給「ラスト サムライ」(The Last Samurai)でトム・クルーズと共演し、米国でも人気を得た渡辺謙が演じている。他の出演者は、全員オーディションで選ばれたようだ。
 
陸軍機関銃中隊に所属する一等兵の西郷昇は海岸線の塹壕を掘りながら「クソ…こんな島…アメ公にやっちまえばいいんだいよ」と軽口をたたく。これを耳にした機関銃中隊長の谷田大尉は、ムチで制裁を加える。制裁を栗林中将に見とがめられて西郷らは救われる。
 
昭和19年(1944年)6月に現地に着任し、それまでのバンザイ突撃のための陣地構築の計画を撤回させ、内陸部に誘い込む持久戦やゲリラ戦を基本方針に変更した。これには大杉海軍少将以下、大多数の陸海軍の士官が反対したが、栗林中将は「無駄な浪費」として退ける。
 
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栗林中将は着任間もなく、島民を戦禍に巻込まないために、本土または父島へ全員を避難をさせた。
 
07
避難した住宅資材を整理する西郷昇陸軍一等兵(二宮和也)と機関銃中隊の隊員
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
西郷昇陸軍一等兵の役は二宮和也で、アイドルらしからぬ卓越した表現力がストーリーの中心人物に仕上げたのだろう。
 
召集で硫黄島に配属された西郷は、戦場の経験がないため、軽口をたたいて仲間を和ませていた。また栗林中将には上官の制裁から助けられたこともあり、特段の敬意をもっていた。
 
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栗林中将(渡辺謙)と五輪金メダリストの西竹一中佐(伊原剛志)
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
戦車第26連隊長西竹一中佐の役は伊原剛志が演じる。西中佐は昭和7年(1932年)ロスアンゼルス・オリンピックの馬術障害飛越競技の金メダリストであった。
 
栗林中将は騎兵隊出身であったこともあり、意気投合してその夜、酒(ジョニ黒)を酌み交わす。その場で栗林中将は、マリアナ沖海戦での「連合艦隊」の壊滅的な損害を知る。
 
硫黄島の守備隊に欠かせない連合艦隊の援護が期待できないことを知って、初めて栗林中将は硫黄島守備隊の玉砕を覚悟する。
 
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千鳥飛行場の確保に固執する海軍は一部の水際みずぎわトーチカ、飛行場陣地の構築を譲歩したが、後方陣地および、全島の施設を地下で結ぶ全長18kmの坑道構築を計画した。そのために史実によると鉱山技師も現地に送込まれた。
 
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洞窟を利用した地下坑道の構築
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
自然の洞穴や地形を生かして。硫黄ガスや、30℃から50℃の地熱にさらされることから、連続した作業は5分間しか続けられなかった。また飲用となる水の入手方法が雨水程度のため、将兵は塩辛く硫黄臭のする井戸水に頼らざるを得ず、激しい下痢に悩まされた。
 
栗林中将は、海岸線守備にこだわる大杉海軍少将を本土に帰し、新たに市丸利之助いちまるりのすけ海軍少将を指揮官に迎えた。
 
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新たに赴任した市丸利之助海軍少将(長土居政史)と栗林中将(渡辺謙)
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
市丸利之助海軍少将は長土居政史が演じた。長土居はロサンゼルスで活動する日本人映画監督でもある。
 
映画には出てこないが、海軍の指揮官として赴任した市丸少将は、最後に「ルーズベルトニ与フル書」で日本人の心情を残している。
 
ルーズベルトニ与フル書 当ブログ
https://ameblo.jp/japanism2020/entry-12549882790.html
 
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元々、日本領土である硫黄島の決戦に備えて、本土からはできる限りの増援部隊が次々と到着した。これは後の沖縄本島守備隊も同様で、全国各地から沖縄に増援されたほか、本土からの特攻部隊も編成されて、数多くの若者たちが散華さんげした。
 
12
増員で硫黄島に配属した清水洋一陸軍上等兵(加瀬亮)
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
清水洋一陸軍上等兵の役は加瀬亮。清水上等兵は後方勤務要員(憲兵隊)出身で、西郷らの素行を監視するために送込まれたのでは…と疑う。
 
大宮でパン屋を営んでいた西郷は、憲兵隊への恨みつらみを仲間の野崎陸軍一等兵(松崎悠希)に話す。そして西郷は戦場での死を覚悟し始めた時期で、大宮に残してきた身重だった妻とを思い出す。
 
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召集令状を受取る西郷昇(二宮和也)とその妻花子(裕木奈江)
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
西郷の妻、花子役は裕木奈江。出征後、花子は無事に女の子を生んだようだが、西郷はまだ見ていない。
 
冒頭に出てくる栗林中将の台所修繕の話もそうだが、家族の話を差込むところは、いかにもハリウッド映画ならではといえる。
 
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硫黄島の火山岩は非常に軟らかかったため十字鍬つるはし円匙えんぴ(シャベル)などの手工具で掘ることができた。しかし坑道構築の計画が完了する前に米爆撃機が飛来し始めた。
 
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米軍の空爆が始まる
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
米軍に制空権と制海権を奪われ、資材も滞り、最終的に摺鉢山の坑道は、司令部の坑道と残りわずかでつながらなかった。
 
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米軍の空爆と艦砲射撃により、摺鉢山は集中砲火を浴びて、地形が変わるほどであった。
 
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集中的に艦砲射撃を浴びる摺鉢山
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
この砲撃で、海軍が譲らなかった水際のトーチカと飛行場は大きな打撃を受けたが、深さ12~20mにはりめぐらされた坑道は、ほとんど損傷がなかった。
 
艦砲射撃に次いで、日本軍からの大きな反撃がないのを見て、米海兵隊の上陸が始まる。沖合の艦船から上陸用舟艇、戦車などが海岸線に殺到して順番待ちをするほどだ。まったく攻撃が行われないので海兵隊員は海岸線から徐々に陸地に向って展開する。
 
20
米海兵隊が上陸を開始
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
坑道でつながった山腹に点在する堡壘ほるいやトーチカの銃眼から、榴弾砲りゅうだんぽう迫撃砲はくげきほう、機関砲、戦車の砲塔などの火器が静かに指示を待っている。海兵隊、戦車の上陸する様子を見計らって、栗林中将は砲撃開始を発令する。上陸部隊への一斉射撃が始まり、初戦は米軍側に甚大な被害を与える結果となった。
 
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その後、物量にまさる米軍は次第に巻返して攻勢に出る。トーチカは火炎放射器と手榴弾しゅりゅうだんの的となる。日本軍は限られた火砲、火器で対抗するが、ついに摺鉢山守備隊は弾薬がつき、兵士達も次々に倒れていく。
 
摺鉢山陥落の報を受けて、栗林中将は「北の陣地に合流せよ」との退却命令を出す。しかし摺鉢山の足立守備隊長は「全員玉砕」の指示を出す。伝令として傍にいた西郷は栗林中将の「退却の命令」を無線で聞いていた。谷田大尉の指示で、洞窟内では手榴弾による自決が始まる。戦友が次々と自決する中、清水も手榴弾の安全ピンに指を掛けるが、中々決心がつかない。
 
24
機関銃中隊長の谷田陸軍大尉(坂東工)が拳銃で自決する
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
西郷と清水の上官で機関銃中隊長の谷田陸軍大尉の役は坂東工。陸軍軍人としての規律と誇りを持った中隊長を好演している。鬼のような上官を演じながら、6歳の子供と家族への思いを断ち切って中隊をまとめる姿を見事に表現している。
 
中隊長の谷田大尉が拳銃で自決し、その血しぶきが西郷の顔に飛散る。ふと我に返った西郷は栗林中将の命令を思い出し、摺鉢山の洞窟から抜出して北陣地に合流しようと清水を説得する。
 
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西郷と清水の二人は、途中合流した残存兵と一緒に、指示された「東の洞窟」に向かう。そこから敵弾の飛交う中を抜け、多くのしかばねを越えて二人は元山陣地までたどり着いた。
 
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摺鉢山からの二人を切殺そうとする伊藤海軍大尉(中村獅童)
ワーナー・ブラザース配給「硫黄島からの手紙」より
 
元山陣地指揮官の伊藤海軍大尉役の中村獅童しどうは眼光鋭く迫力満点である。自らの確固たる信念のためなら、上官の命令にも逆らうことが多い役柄を演じている。
 
栗林中将の作戦に真向から反対していた伊藤大尉は「摺鉢山から逃げてきたのか?」「死んでも山から離れるなという命令だ」「恥さらし」といって刀を抜いて、首を切り落とすために西郷と清水の二人を土下座させる。
 
この戦いでは、連合艦隊と本土からの援護がないことを知り、日本軍の全員が死を覚悟していた。そして士官から兵卒まで、ほとんどの軍人は家族や故郷に帰ることができなかった。戦争は悲惨だが、家族を守り、故郷を守り、国を守った兵士達の心情が伝わってくる作品だと感じた。
 
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硫黄島の地図
硫黄島の地図(硫黄島戦当時)
硫黄島の戦いでは、米軍兵力11万名に対して日本軍は22,786名。戦死者は米軍6,821名、日本軍18,375名であった。更に米軍の戰傷者は19,217名で、日本軍は捕虜1,023名であったがほとんど重傷者だったようだ。
 
米軍は圧倒的な空爆と艦砲射撃で島中を殲滅していたので、上陸部隊のホーランド・スミス中将は「攻略予定は5日間」としたが、実際には組織的な交戦終了まで35日間を要した。
 
矢玉が尽き、糧食だけでなく水が尽きても、1日でも多く米軍の侵攻を止めることが、本土に暮す家族や国土を守ることだと考えたのだろう。
 
昭和20年(1945年)3月26日、最後の関頭かんとうに直面し、栗林中将は「日本がいくさに敗れようといえども、いつの日か国民が諸君らの勲功くんこうをたたえ、諸君らのれいに涙し黙祷もくとうをささげる日が必ず来るであろう。やすんじて国にじゅんずるべし。は常に諸氏の先頭にあり」と言葉を残した。
 
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日本側に残っている歴史資料を読むと、史実に沿っていた。更に日米双方の視点から、極端な偏りもなく、大変にフェアーな作品であることに驚いた。
 
戦争は残酷で悲惨だ。その通りだが…では戦争を起こさないために何をなすべきか?
国民一人ひとりが、この悲惨さ、残酷さと正面から向き合わない限り結論は導けない。
襲いくる外敵がある限り、理想論やお題目だけで戦争は防げないのだ。
 
この映画を観て、平成27年(2015年)4月29日に行われた安倍総理の米国連邦議会上下両院合同会議の演説で、海兵隊中隊長として硫黄島上陸に参戦したローレンス・スノーデン中尉(当時)と、栗林忠道中将の孫である新藤義孝氏が硬い握手を交わす場面がよみがえった。
 
『希望の同盟へ』米国連邦議会上下両院合同会議
安倍総理演説-平成27年4月29日 - 首相官邸
https://www.youtube.com/embed/HpLDJ_J-V88
握手の場面は13分15秒頃から
 
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