現在30代で、大学時代に第二外国語でドイツ語を取った人の、約6割(数字は個人的な偏見によるもの)に心当たりがあると思う。

銀河英雄伝説である。これを読んで、うっかりドイツ語を取ってしまったという人は少なくないだろう。

夏休みの自由研究課題にそって、とにかく読んでいる私だが、ほぼ10年ぶりに銀英を手に取った。いや、取ってしまった。

お、面白い。確かに高校時代に初めて読んだときも、時間を忘れるほどにのめりこんだが、今読んでも面白い。とにかく登場人物のキャラクターが豊かで、個性的なのだ。ひとつ苦言を呈するなら、登場する女性にいまいち魅力が感じられないことなのだが…

(この辺りの言い回しが、何やら銀英風になっているのはご愛嬌)


ちなみにお気に入りのキャラはWolf der Sturm疾風ウォルフこと、ヴォルフガング・ミッターマイヤーさま。Sturmが男性名詞であることも覚えられる、なんて素適なSpitznameでしょう。加えて第3巻の雌伏編に登場する、愛妻エヴァンゼリンとのなれそめのシーンでも、明日から使える(?)ドイツ語フレーズが出てくるのだ。

父親を戦争で亡くし、遠縁であるミッターマイヤー家を頼ってきた少女エヴァンゼリン。すでに士官学校に入学していたヴォルフガングが里帰りしてきたときの朝のシーンである。エヴァンゼリンがヴォルフガングを起こす。

「ミッヘル、ミッヘル、ミッヘル―起きなさい、とっても明るいよい天気……」


ミッヘルって誰よ?w


いや、突っ込みどころはそこではなくて、後半の「起きなさい、とっても明るいよい天気……」につけられたルビである。


シュテー・アウフ、スイス・ヘレル・リヒテル・ターク


Stehe auf, es ist heller lichter Tag.ですね。

es istに「スイス」とルビを振るあたり、なかなかやるな、おぬし。Schweizとは全く関係ないが、雰囲気が出るというもの。

heller lichter Tagとは、くどい表現かと思いぐぐってみると、よく使われる組み合わせのよう。

まあ、私ならschöner Tagと言うかな、などと想像を膨らませるのも、また一興かと。


しかし、ミッヘルって誰なんだ。正式名はヴォルフガング・ミヒャエル・ミッターマイヤーなんだろうか、うーん…

いったい、いつから更新していなかったのだろう…

そんなことは以前書き込んだ部分を読めば一目瞭然なのだが、そういうところにはできるだけ目を向けないようにして、何事もなかったように更新することにしましょうね。


今日までの変化を箇条書きにしてみると

・1日10時間以上、年末年始は休みなしで働く

・松が取れた頃から、受験勉強開始

・受験生にもかかわらず「滑って」「落ちる」競技を観に行く

・受験、無事合格

・都民&大学生になる

・夏休み←今ココ


というわけで夏休みです。

大学生の夏休みといえば「バイト」と「ひと夏の恋」ですが、私に関係あるのは前者のみ。加えて夏休みの宿題なる、十数年前に別れを告げたはずのイベント(?)にも遭遇中です。一応ドイツ語専攻なのに、英語の宿題なんだな、これが。

さすがに英語だけやっているわけにもいかないので、自主的に自由研究課題なんかを定めてみようかと、ついつい真面目で(色恋に縁のない)大学生は考えてしまうわけです。この夏のテーマは読む。特に今までは「辞書を使わずに、どんどん読む」というポリシーを貫いてきましたが、あまりに自分のドイツ語が雑(あれ、この単語のつづりってどうだったっけーとか、同じ表現を何度も繰り返し使うなど、中級レベルから抜け切れていない)なので、時間もまぁあることだし、辞書とネットを駆使して、じっくり文章と向き合ってみようじゃないか、という姿勢。目指せ、上級者!

ありがたいことにマテリアルはインターネットでも拾えるし、大学図書館でSternが借りられるので、そこから。最新号は借りられないので、先週号のSternを借りてきて、気になった記事をとにかく読む。いま読んでいるのがDeutsche Bahnの民営化・株式公開事業をひっぱっているらしいMehdorn氏のインタビュー。これが面白い面白い。Sternもいいツッコミをするし、返すほうも負けてない。表現がまた面白いのですな。Die Heuschrecke(いなご、ばった)という単語がちょこちょこと出てくるのですが、どうも「獲物に群がって、食い尽くしてしまう人々」という意味で使われている様子。Punkt, aus, Feierabend.なんかは、「はい、マル、終了、店じまい!」といった感じか。言葉に勢いがあって、とにかく歯切れよい。


うーん、目指しているのは美しいドイツ語使いなんですが、夏の終わりにはべらんめぇドイツ語使いになっているかも…

常々、ドイツ語と日本語は似ていると思っている。

どこがと、突っ込みが入りそうだが、2つもしくはそれ以上の単語をつなげて新しい単語を作ったり、動詞を簡単に名詞化できたり、規則を守れば融通がきくという点は日本語と似ているといえる思う。なかでも私が一番好きなのが、verで始まる動詞たちだ。verbessernとかverstärkenとか、どこかでみた覚えのある形容詞が組み入れられた動詞のことである。お好みの形容詞とverをちょちょいと加工すると、あら不思議、「形容詞」にするという動詞の出来上がり。その辺りは、日本語と全く同じである。「形容詞」になると、自動詞ふうに使いたいときは再帰代名詞を加えてやればいい。この法則を知ってからというもの、ドイツ語学校での授業中、適当な形容詞を組み合わせて動詞を作っては「こんな動詞ある?」と質問。先生に「あるわよ」と言われると、ニヤニヤしてしまうという変な生徒だった。使い慣れてくるとverdoppelnなんていう応用編もあって大変楽しい。verさまさまである。

このverという前綴りは他にも効能があって、「誤って」という意味を持つ動詞を作る。例えば、versprechenは、普通「約束する」という意味だが、再帰代名詞をつけて使うと、「言い間違いする」という意味になる。verhörenなら「聞き間違う」、verschreibenなら「書き間違う」である。

先生がこの説明をし、「他にもある?」と訊ねると、すぐに生徒から「verheiraten!」と声が飛んだのは、あまりにお約束な展開であった。

こんな基本的な言葉について、普段まったく気にしていなかった。「水」である。

水、と聞くと、まず思い浮かべるのはガラスのコップに入れられるような冷たい液体である。

辞書風に表すとしたら、

水 【みず】

1、透明で冷たい液体。「のどが渇いたので、―を下さい」

2、H2Oで示される物質。「人間の身体の60パーセントは―で占められている」

といった感じ。

ドイツ語ではdas Wasserであるが、これを日本語の「水」に当てはめるには、少々抵抗がある。なにせheißes Wasserなんてものがあるからだ。「熱い水」なんて、日本語ではありえない。それは「湯」だ(裏切り者、なんちゃって)。

英語でもhot Waterというし、日本語における「一般的に、水は冷たい」という認識が特殊なものなのかもしれない。同じ物質なのに温度によって呼び名が変わるというのは、日本語の語彙の豊かさを感じさせるところでもある。「水が沸騰する」というと、なにやら化学の実験ふうだし、そこからお茶をいれるという動作は浮かばない。ところが「お湯が沸く」というと、ちょっといいお菓子をいただいたのでお茶でも入れますか、となる。


ところで、その「沸かす、沸く」である。実はドイツ語の授業で一度、ドイツ人教師から「Wasser kocht. Aber "man kocht Wasser." Das geht nicht.」と(いうようなことを)言われた。「えー、Wasserは沸かせるでしょう」とクラス一同騒然となったが、結局その場では決着がつかなかった。気になって、タンデムパートナーさんにも質問してみたが、首を傾げつつも「WasserはKochenできる…よ」という返事だった。そのドイツ人教師も、日本人と同じように「水を沸かすとはいわん、お湯を沸かすじゃ」という感覚の持ち主だったのだろうか?

その疑問は先日、「日本語の森を歩いて」(日本語をフランス語と比べつつ説明した本。面白い)を読んでいたときに氷解した。そのものずばり、「お湯を沸かす」という表現についての説明で、である。要約すると、「沸かす」という他動詞は、「沸く」という自動詞に「させる」という意味の「す」を加えて作られたもので、「お湯を沸かす」というのは、「お湯が沸騰する状態にさせる」という意味なのだ、ということである。これを読んだ瞬間、膝をうった。これだ!

kochenは、普通「料理する」などの意味で使い、他動詞のようなイメージがある。実際、水に近いKaffeeやTeeをいれるというときには、他動詞として働く。しかし、Wasserとつながるような場合(温度が100度になって、水蒸気に変わっていくような状態になる場合)には自動詞なのだ。つまり、沸くという意味なのである。

ドイツ語教師の言いたかったのは、これだろう。「水を沸く」とは言えない。そりゃそうだ。あのとき「何言ってんだ、このドイツ人?」と思ってごめんなさい、先生。

自動詞と他動詞なんて用語は、ドイツ語を学び始めるまで自分には無関係だと思っていた。そんな難しい用語で説明される現象は、私の日常には起こらないと思い込んでいた。気がついてみれば、自然に使いこなしていただけの話である。母国語だからそうであり、そうであるから文法など意識しないで使っている訳だ。


ところで、そもそも「お湯を沸かす」はドイツ語でなんと言うんだろう?

Ich lasse Wasser kochen.だろうか?

不規則変化動詞同様、基本に弱い私である。

以前からよく、そういう話は聞いていたのだが、試してみるのは初めてだった。

大学センター入試のドイツ語の問題である。「英語よりレベルが低い」「1年みっちりドイツ語をやれば、対応できる」などの噂はよく聞く。しかし、一応は大学の入試問題である。そうは言っても、というより、そういう話をしている人は、ドイツ語上級者なのだろうと思っていた。

しかし、である。

たまたま、いつもよく見ているドイツ語のサイトに、大学センター入試過去問へのリンクが貼ってあった。それを見つけたのが、午前0時を過ぎたあたり。つい30分前にビールを1缶あけて、ちょっといい気分になっていた。「おっ、ちょっくらやってみようか」という気になったのである。

メモ帳に答えを書き込みながら(ご存知かと思うが、大学センター入試はマークシート方式なので、基本的には全ての問題が4択である)、解き始める。…あれ?なにこれ、簡単じゃん。

噂は本当であった。なにも、「私もドイツ語上級者だから、こんなのらくらくなのよ~」と言いたいわけではない(だいたい、私のドイツ語は中級に毛が生えたくらい)。高校時代に英語が苦手で、実際に受けた大学センター入試で苦労させられたからかもしれないが、ドイツ語の問題はいやに簡単であった。いや、直球な感想は、レベル低っ!!

長文問題で出てくる単語も頻出のものばかりだし、「注」とあって訳がかかれている単語にしたって、「そんなの知ってるわい」というレベルだし、会話文の問題などもシンプルで「問題ない」問題なのだ。NHKのドイツ語講座入門編・後半のスキットという感じ。確か英語の問題では、新聞記事か何かから取ってきたような文章が長文問題に使われていて、読んでも「何がテーマになっているかはわかるが、肝心の内容は…うーん」といったレベルだったように思う。ZMPなどの問題文では新聞記事(Goethe-Institutはミュンヘンに本部があるからか、Süd Deutscheの記事ばかり。笑)がよく使われるし、そうなると結構知らない単語も出てきて、想像力の勝負になることもある。が、センター試験ではそれがないのだ。

30分ほどで全問解き終わり、答えあわせをすると、ほぼ満点の195点。実は1つだけ間違いがあり、「えっ」と思って問題を見直すと、「適当でないものを選びなさい」なのに、適当なものを選んでいた。確かに、解きながら「この選択肢は微妙だなぁ。他のでも間違いではないのに」と思ったので、問題文をちゃんと読め、ということである。

大学センター入試のドイツ語について、私の感想を総括すると

英語より格段にレベルが低い。これは断言できる。

高校生の柔らかい頭なら、1年みっちりドイツ語を勉強すれば、満点も夢ではない

その際は、ZMPを念頭におくと目標が立てやすいかもしれない。

そして、

私は長文問題に対しては全く問題がないが、動詞の不規則変化がいまだあやふやである。

ということもわかった。問題のはじめのほうで、単語の発音や動詞の変化を問う基本的な問題があるのだが、「あれ、不規則変化はどうだったっけ」などと時間を食ったし、正直にいうと、答えあわせをするまで回答に自信がなかった。うーん、盲点である。

外来語というものがある。

最近の日本では「カタカナ語をそのままではなく、日本語に言い換えて使おう」運動のようなものが盛んで、例えば(うーん、上手い例文が考え付かない)…「インフラのプライオリティーはやっぱりそれぞれのスタンスで違ってくるわけで」のような、あれですよ「ナントカがナントカしてナントカだ」の『ナントカ』の部分が全部カタカナ語というのは、まずいだろうという話だ。確かにまずい。意味がわからなくても、わからないというのは癪で、ついつい「ふんふん、そうだね」などと相槌を打ってしまう。今はインターネット(あ、これもカタカナ語だが、日本語に言い換えると『国家間網』?)があるので、わからない語は検索すると意味を調べられるということはある。

世界が一つの言語で話すようにならない限り、外来語というのはなくならないはずだ。フランス人は、いってみれば『愛語心』のようなものが強く、フランス語には外来語が入りにくいと聞いたことがあるが、全くないということはないだろう。

ドイツ人の愛語心はわからないが、ドイツ語でも外来語がかなり入り込んでいる。一度、ドイツ語の授業で出てきた聞き取りテストが、ドイツ語の中の外来語という内容だった。最近のというくくりでなければ、何百年も前にイタリア語やラテン語、アラビア語やペルシャ語から、よく使う基本の語が入ってきている。最近ではもちろん英語の影響が強い。英語もドイツ語もアルファベットがあり、ほぼ同じ文字を使っているにもかかわらず、少々読み方が違う。その差が出てくるときがあるのが面白い。

例をあげよう。バスケットボールはNBAにDirk Nowitzkiというドイツ人選手がいるくらいで、ドイツでは大人気である。英語ではbasketball、ドイツ語ではBasketballと同じように書くが、読み方は違う。ドイツ語ではバスケットバルである。では、野球はどうであろう。野球はドイツでは全く(と言っていいだろう)人気がない。ドイツにいた11ヶ月間、野球のニュースは一度も聞かなかったし、見なかった。表記はドイツ語でもBaseballと書く。以前、ドイツ語の授業で「バ、バセバル?」と読んだら、先生がにやりと笑って「ベースボール」と言った。そのまんまなのである。

バルボールか。この差は、ドイツ語としてすでに受け入れられているか否かの差だと思う。日常的に使われ、ドイツ語として認められた外来語は、表記が同じでもドイツ語の基準で発音されるのだ(たぶん)。ドイツ人にとってBasketballをバスケットバルと読むことは、日本人がBaseballを野球と読むのと同じことなのかもしれない。

日本人として嬉しいのは、柔道がドイツ語ではJudoと書き、ユードーと読まれていることだ。Baseballがバセバルと呼ばれる日は永遠に来ないと思う。

今朝、地震で目が覚めた。

たぶん、第一波の縦揺れで起きたのだと思う。気がついたら、ゆーらゆら揺れていた。我が家はマンションの6階、床に布団を敷いて寝ていたので、私の体感震度はかなり大きかった。発表された震度3はかなり甘い。


それはともかく、ドイツではほとんど地震das Erdbebenがない。地震を体験することなく生涯を閉じる人が大多数であろう。私のタンデムパートナーさんは、大学進学前にアメリカでAu-pair(お小遣い程度のお金をもらいつつ、その家の子供の面倒を見るベビーシッター。若い女の子で住み込みの場合が多いよう。語学学習のために行なう人が多い。ドイツでも盛ん)をしていたときに地震を体験したというが、大抵の人が地震に未知の恐怖を抱いているようである。

昨年末、スマトラ沖地震で津波による大被害が出たのはちょうどクリスマスだった。クリスマスといえば、ドイツはほぼ全店休業、各TV局もやる気のない番組構成になっている。おそらくほとんどのスタッフが休みを取っていたのだろう、災害が起こってからの反応も遅かった。確か災害の当日は、終日ニュースを流している局が、同じような状況説明を何度も伝えていたくらいである。しかし、次の日あたりからは各局総出で報道。クリスマス休暇を利用して、東南アジア旅行をしていたドイツ人が相当いたようであった。

これは広く知られていると思うが、津波Tsunamiはすでに世界の共通語である。一番有名な日本語かもしれない。ドイツでも同様で、das Tsunamiで通じる。しかし、その認識は日本人のそれとかなり違う(と思う)。

地震観測のシステムが整備されている日本では、地震発生から数分で各地の震度が表示され、津波がくるかどうかが注意報などの形で示される。TVがあれば、NHKをつければ確実。早い。そして大抵は「津波っていうから凄いのがくるのかとおもったら、15センチかよ」と、陸上で暮らす人間には鼻で笑ってしまう結果に終わることが多い(もちろん、漁業にたずさわる方々にはその重みは違うだろうし、何もないに越したことはないのだ)。

しかしドイツ人(というより、日本人以外)は違う。Tsunamiがくれば、沿岸の街は破壊され、人々は逃げ惑い、阿鼻叫喚の地獄絵図だと思っている(らしい)。一度授業で、die Naturkatastropheがテーマになったとき、津波の話が出た。ドイツ人の教師が、TsunamiとはおそろしいNaturkatastropheだと説明しやがるので、「全部の津波がそういうもんじゃないのよ。まれにNaturkatastropheを引き起こすだけで、高さ4センチなんていう津波もあるのよ」と反論したが、ぴんと来ないらしい。「Tsunamiってのはgroße Wellenだろう」というので、「だからー、そんなのは普通じゃないの。大抵は何センチなのっ」とほとんど言い合いになってしまった。見ていたロシア人のクラスメートが、「日本人の津波の感覚と、われわれのは違うのよ」と大人な仲裁をするほどであった。「地震も全てがNaturkatastropheって訳ではない。もちろん時々はあるけれど」と言うと、「でもKobeはNaturkatastropheといえるだろう?」と反論された。だーかーらー、あれはかなり特殊な状態で、地震が起きるとみんなあんな大災害になるわけじゃないのっと強く言ってみたのだが、わかってもらえたかどうか。

まあ、地震が起きても、お陰でいつもより早く目が覚めたってくらいの日本人が災害ボケしているのかもしれませんが。


追伸:

ドイツのWikipediaサイトでTsunamiの項を見るとTsunamis sind nicht mit sogenannten Riesen- oder Monsterwellen zu verwechseln.と書かれていた。このサイトのリンクを、件のドイツ人教師に送ってやりたいくらいだ。ふふふ。

私が通っていたVolkshochschuleのDeutsch als Fremdsprachでは、初級、中級、上級、その上とゲーテインスティテュートが行なう検定試験にそったクラス分けが行なわれていた。小さな都市のVHSでは、クラスが中級までしかないということもあるようで、その点では恵まれていたと思う。

加えて、上級といわれるクラスにはZOPを目指すOberstufeと、TestDaFを目指すTestDaFクラスに分かれ、それぞれの試験内容、日程に沿ったプログラムが用意されていた。漠然と「中級クラスが終わっても、もう少し先まで勉強したいな」という人には、Oberstufeが推奨されていたようだが、実際はOberstufeは文法中心なカリキュラムに加えて、担任がお堅い、授業が面白くないとのもっぱらの評判で、TestDaFを受ける予定はないものの、TestDaFクラスを取るという人もいたようである。


中級クラスの2学期目に入る頃から、次はどちらのクラスを取るかという話題が出始める。周りの影響もあって、上級クラスに進もうと決めていた私もクラスメートから質問されることが多かった。そのたび、「実践的なTestDaFよりも、文法中心のZOPのほうが私に合っていると思うから、たぶんOberstufeにいく」と答える私であった。その上、ZOPは合格さえすれば大学入学に必要な語学資格として認められるものの、TestDaFではかなり良い評価を取らなければならない。具体的にいうと、ZOPなら合格さえしていれば、評価が優、良、可いずれも大学入学OKとなる。しかし、TestDaFでは4項目(読む、聞く、書く、話す)全てで良以上の評価を取らないと意味がない。たとえ3項目で優を取っても、1項目が可であれば、その合格証明書は単なる紙切れに過ぎないのである。(大学によって差があり、1項目だけ可でも入学を認めるケースもある)それに私は半年後には日本に戻らなければならない、短期滞在者。年数回しか受験機会がないTestDaFに比べ、毎月末に試験が行なわれるZOPは都合が良かった。

ほぼOberstufeへ進むことを決めていた私だが、直前になってそれを撤回した。理由は、Oberstufeの担当者が変更されたからである。それまでは中級クラスと同じく、Kirchhof氏と、初級クラスから受け持ってもらっている女性教師のふたりと聞いていたのだが、直前になってその女性教師が別の学校で教えることになり、代わりにはKirchhof氏同様に厳しくお堅いFrau Schmidt(仮名)の担任が発表されたのである。いや、もうまじでSchmidt女史だけは勘弁。一度、ZD直前準備クラスを受け持ってもらったが、あれだけはもう勘弁していただきたいという授業だった。Kirchhof氏に輪をかけて厳しい、そして嫌味ったらしい。第一、彼女のドイツ語は聞き取れないし、古いのだ(生徒が言い切るな、という感じだが、そうとしか聞こえないのだ)。

聞けばTestDaFのほうは、前回のTestDaFクラスも受け持ち、「彼のカリキュラムはとてもいい」と評判のHerr Fischer(仮名)がそのまま担当するらしい。もう一人の担任は、Katja(仮名。彼女のことはみんなVornameで呼んでいた)だという。一度、担任が風邪で来られなかったときに、代理で授業をしてくれたのだが、それがとても面白く楽しかったKatjaである。授業中の生徒の質問にも答えてくれる(案外これが難しい)、教えてもらう側には良い先生である。というわけで、私はあっさりTestDaFクラスに寝返った。定員15名のところを、ほぼ1番のりで申し込みし、最初からTestDaFを受ける予定でした、という顔をしていた。


それにしても、つい6ヶ月前までは「ZDに受かったら夢みたい」と思っていた人が、よくまぁである。初級クラスの初日、VHSの玄関に張り出された初級クラスの名簿の中に自分の名前を見つけ、同じ掲示板に張り出されたOberstufeやらTestDaFのクラス名簿を「ああ、こういう人たちもいるんだ」と眺めていた人が、である。何はともあれ、頑張ってみるものだなと思った。人間、変われるものである。

そのタンデムパートナーさんからは、時々メールが来る。

先日、彼女に荷物を送る予定があったので、一緒に日本のインスタントラーメンも入れてあげた。ラーメンが好きなのだ。ドイツでも中国系の食料品店に行くと、日本食材を置いていて、中国製らしい「出前一丁」などが売られている。彼女もそういう店でラーメンを買っていた。一度ご馳走になったのだが、鍋で煮るのが面倒らしく、カップめんのようにお湯を注いで食べていた(正直言って、あまり美味しくない)ので、小包に添えた手紙にはDu musst es unbedingt kochen!と書いておいた。

そういえばラーメンの袋に付いている作り方を彼女は理解できただろうか、と心配になり、あとからメールで「作り方、わかった?」と書いておくった。考えてみれば、そう書いたからといって、彼女の助けには全くならないのだが。

で、先日、彼女からラーメンの感想が返ってきたのだが、「作り方はよくわからなかったけど、これだけはわかったわよ。Ramen ga totemo oishii desita.」とあった。そうきたか。

ラーメンが美味しいですの過去形は、ラーメンが美味しかったですである。

ドイツ語ではDas Ramen ist lecker.(現在形)とDas Ramen war lecker.(過去形)である。比較して初めて気がついたのだが、ドイツ語では単純に動詞を過去変化させるのに対し、日本語では形容詞を過去変化させているのである!!摩訶不思議。形容詞の過去形といってよいのかどうかは、素人の私は知らないが、これを過去形といわずして、である。

確かに、外国人が「うれしいでした」などと表現しているのをよく聞く。同じ形容の働きをする言葉でも「静かな」などの形容動詞であれば、「部屋が静かです」「部屋が静かでした」と動詞の過去変化で対応できるが、彼らに形容詞と形容動詞を見分けろというのは少々酷である。一応、彼女への返信では、その辺りを説明しておいた。メールの最後に、日本語って難しいよね…と書き添えた。彼女へのなぐさめでもあり、私自身の正直な気持ちでもあった。こんな言語は他にもあるのかしらん。

某旅日記&水餃子マンガをご存知のかたならピンと来るはず。

「鳩が。」ではない。「は」と「が」なのだ。

日本人にはおなじみの格助詞だ。ドイツ語を学ぶ前は、「格助詞って、助さん格さんみたーい」などと思っていたが、なるほど「格を表す助詞」なのだ。外国語を学ぶことで、初めて見えてくるものもある。

ドイツ語で避けては通れないのが、格。格によって、形が変わったり、単語につく冠詞が変わる。最初は面倒なものだと思っていたが、覚えてしまえば便利である。それぞれの単語の格を見れば、意味のわからない単語だらけでも、文章の構造だけはすぐにわかる。「であ、です、でむ、でん」と暗号のように覚えていた冠詞の変化も、使うにつれて身体に染みこんでくる。格とは便利なものよのう、などと思っていたら、われらが日本語にもちゃんとあった。格助詞である。

「は」と「が」は主語つくことが多い(多いだけだ。そう、そこもくせものである)。しかし、微妙に差があり

彼は先生です。

彼が先生です。

では意味が違う。恐ろしい。どちらもEr ist Lehrerであることには変わりがないのに。しかし、これはまだ説明がついた。「は」のほうは、医者でもコックでもサッカー選手でもなく、彼は先生なのだ。「が」のほうは、私でもあなたでも彼女でもなく、彼が先生なのだ。うーんsuper。全てこのように説明できれば人生ばら色、タンデム学習は楽しいのである。もちろんそうはいかないので苦労するのだが。


いつものようにタンデム学習パートナーの宿題を見ていると、

私はビールが好きです。

という文が。もちろん来ましたよ、質問が。「どうしてこの文章には主語がふたつあるんだ?」と。いや「ビールが」は4格で、「ビールを」と同じ意味ですからと説明しても、悲しい目で「理解できません」と訴えてくる。結局しばらく後に、「が」と「は」は対象物につく格助詞でもあるんだと文法の授業で習って覚えてくれた。同じような文章が出てきても、「ビールが…あ、これは4格ね」と理解できていたようである。


しかし平和な日々は続かないのである。

私は日曜日が休みです。

日本語って難しい。Ich habe einen freien Tag am Sonntag.なのかBei mir ist Sonntag ein freier Tag.なのか。彼女が「は」と「が」について完全に納得はしてくれたかは疑問である。