自分で書いた文章を読むと気がつくことがある。

とにかく「とにかく」の使用率が高い。「~けれど」「~だが」の使用率が高い。読んでいくと、文章全体で、文と文が逆接でつながっているなんてこともあった。とんでもなく天邪鬼な文章である。そこで最近、意味の上で逆接ではない場合は、できるだけ違う表現を使うように努力している。

意味の上で逆接ではない場合って、どういうことかというと

ドイツはビールで有名ですが、Frau Dr. Merkelもビールがお好きですか?

び、微妙だ。例文としてかなり微妙。こういうときに、ぱっと上手い例があげられるとかっこよいのだが。(ほら、逆接だ)

要するに、安易にaberでつなげられない状況のことである。あくまで付加的な情報(ドイツはビールで有名)であって、話し手の言いたい、大切な部分(Frau Merkelはビール好きか否か)は別にある、ということである。

Deutschland ist bekannt für das Bier, aber trinken Sie auch gern Bier, Frau Dr. Merkel?

変でしょ。


困るのが、「が」や「しかし」が全て逆接ではないことを納得していただくことである。誰に?もちろん昨日書いたタンデムパートナーさんに、である。

断言しよう。ドイツに限らず世界中で、日本語の教授法はとんでもないことになっている。何年前の話だ、と突っ込みたくなるようなテキスト。ドイツ語を日本語に、日本語をドイツ語に翻訳するのが中心の授業内容。これじゃ腐ったような日本語を覚えるのに時間を費やしてしまい、活き活きとした日本語を使えるようになるのは夢のまた夢だ。Japanisch als Fremdspracheは遅れている、大変なことになっていますよ。

「こんな宿題をやって、日本語が上手くなるのか?」という疑問を心に抱きつつ、日本語のテキストをドイツ語に訳していくのをKorrigirenしていたのですが、とにかく「しかし」や「が」が出てくると、みんなaberに訳してしまうのにはお手上げでした。だからね、前の文章と後の文章は逆接では結びつかないでしょーと説明してみても、「同じ語なのにどうして意味が違う????」と?マーク一杯の顔で質問してきます。だから、そうなんだって、日本語にもいろいろ事情ってものがあるのよっ。

うう。昨日の続きを書き上げて、保存しようとしたら…消えてしまった。全てはキーボードの下にくっついている、用無しのパッドのせいである。悔しいのでパッドの機能をオフにしてやった。でもこの悔しさはオフにはならない。同じことを書こうと試みてみたものの、そういう器用なことはできないのである。まあ、量はあったけど、内容はたいしたことなかったと、気休めしてみる。今日は別のことを書こう。


中級クラスが始まる頃、私は一人のドイツ人大学生と知り合った。小説なら、それはハンサムなドイツ人男性で、この後ふたりは恋に落ちるのだが、私の場合は可愛い女の子である。実は以前、インターネットでタンデムパートナーを探すサイトに登録しており、それを見た囲碁愛好会の方からメールを頂き、その集まりに参加したのがきっかけだった。ちなみに私は囲碁はわからない。オセロしか出来ない。

彼女は市内の大学でInfomatikとJapanologieを専攻していて、日本語を勉強している。2Semesterに入って内容がきつくなり、日本人のタンデム学習パートナーを探していたという。私もZMPにむけて、特にMündlicher Ausdruckの特訓が必要だったので、よろしくお願いしますとなった。とりあえず合う日時を決め、最初は彼女の寮にお邪魔し、その後は週に1、2回のペースで勉強した。私はZMPのMündliche Prüfungの練習を見てもらい、彼女の日本語の宿題をチェックした。日本人だが、日本語の文法はわからない。とにかく最初は「この学習会は私には有り難いが、彼女の役には立っているのだろうか」と疑問なくらいだった。彼女はとにかく真面目で、最近でもドイツの大学生はこんなにと思うほどしっかりしており、ZMPのMündliche Prüfung の内容を話すと練習用の画像を探してくれたり、「こういう表現もあるわよ」と的確なアドバイスをくれる。私は「えーと、これはどう言ったらいいのかな」などと、終始しどろもどろである。まあ、彼女はほぼ母国語であるドイツ語しか話さないのに対し、私はドイツ語で日本語の文法を説明しなければならないのだから、仕方がないのだが。


とにかく私は話すのが苦手だ。いまだにそうである。話すことには自信がもてない。「もうドイツ語はペラペラでしょう?」と聞かれることが多いが、ご冗談をである。初級クラス時代は、基本のクラスと平行して会話のクラスを取っていたが、大きな上達はなかった。日本人特有と言われる「正しくないことは話せない」のである。文法的な間違いを気にせずペラペラ話すなんて、私の中の何かが許さないのである。というわけで、初級クラスの授業ではほとんど話すことなく学期を終えた。

それが、きっかけは何かわからない。ZDを1で合格したからか、文法には問題がなかったからか、クラスメートから質問を受けるほどになったからか、「このクラスで一番ドイツ語ができるのは私よ!!」という根拠のない自信からなのか、中級クラスの私はよくしゃべるようになった。言いたいことがあるときは、口を開けるようになった。相変わらずペラペラとはいかなかったが、とにかく口は出せるようになった。文法の小テストの後、答案の欄外に「文法は問題なし。あとはもっと授業で話せるようになれば、ぐっと上達するわよ」と書いてくれた、初級クラスから受け持ってもらっている先生に、「クラスのみんなもわかっていると思うけど、彼女はしゃべるようになったわよねー!!」と中級クラスの最後の授業日に言ってもらえたのが嬉しかったものである。

初級クラスを終え、ZDに合格した私は中級クラスに進んだ。

中級は2学期あり、単に一続きにすると長すぎて、授業料も高くなりすぎるので、学期をふたつに分けているだけと聞いた。確かに安いとはいえ、一括で600~700Euro払うのは厳しい。約2ヶ月分の生活費である。ちなみに所得が低いと、市役所で申請して優待パスを受けることができるらしく、クラスの何人かはそれを利用して授業料の割引を受けていたようだ。貧乏とはいえ、ワーキングホリデービザを申請するときに「ある程度の滞在資金は持っていますよ」と証明させられた日本人に適用されるとは思えず、問い合わせもしなかったが、いま思うと試すだけはタダだったかなぁ…

中級クラスは一応ZMPを目指すクラスでもあるのだが、やはり生徒のほとんどはその上の、大学進学に必要なTestDaFもしくはZOPを目指す学生だった。文法は初級に毛が生えた程度だが、読む書く聞くの量が半端じゃなく増える。初級同様、一つのクラスを2人の先生が担当していた。一人は初級クラスでもお世話になった女性。彼女は若いがDrのタイトル持ちで、ドイツ語のほかにアラビア語もできる。聞けば旦那さんがレバノン人だという。とにかくやる気があり、助言もくれるし、工夫してくるし、宿題も出すし、それにちゃんと目を通してくれる、いい先生だった。

で、もう一人が校内でも有名なHerr Kirchhof(仮名)である。このKirchhof氏、ゲーテインスティテュートの試験官も務める、とにかく厳しくて有名な人であった。ドイツ人でも受からないというGDS、KDSのクラスも持っている。しかし最初の授業の印象は「あら、穏やかではっきり話す、いい先生じゃない」ということでクラス全員一致した。もちろん、この第一印象は間違いである。

厳しい。特に初級レベルのミスには容赦ない言葉が飛ぶ。「こんなことも知らないの」と少々オーバーなゼスチャーで表す。宿題の小論はスペルミス、文法ミスがチェックされ真っ赤。ある生徒は「こんなお粗末なものは読む価値も無い」とクラス全員の前で言われた。相当ショックだったのだろう、彼はクラスに来なくなった。(まぁそう言われるだけの人でもあったのだが…)

私はといえば、基本的に文法に強かったのと、以前Kirchhof氏のクラスにいた日本人女性が真面目で優秀な人で、日本人には良い印象を持っていたらしく、あたりが柔らかかった。優秀な先人は後から行く人を助けるのである。肝に銘じたい。

しかしKirchhof氏も基本的に悪い人ではなかった。個性が強いのであって、言っていることは正論である。確かに中級レベルの人間にそれを求めるのは酷かもと思うところもあったが、まだ上を目指すならいつかはぶつかる壁なのである。加えて、動作や話し方の端々に見える「おねい」な雰囲気と、典型的なドイツ人らしい「おかしいと思ったら、口に出して言う」という姿勢は、時々ユーモラスにさえ感じた。特に前者は、誰も口に出して言わないものの、誰もが感じていたものらしく、ある日、もう一人の担任の女性の「Kirchhof氏が若い女性と一緒にいるところなんて想像できないわ」というコメントに爆笑したものである。

ドイツに11ヶ月いた。

普段は「暮らしていました」とか「住んでいました」と言うのだが、そういうのはおこがましいような気がするほど、ただそこに「いた」という感じである。ワーキングホリデービザを利用した滞在で、出発前の計画では、最初の3ヶ月ほど一都市に滞在してドイツ語を学び、その後ドイツ全土をゆっくり周る予定であった。が。ドイツ語を学び始めてみたら、そのままそこで学ぶのが当たり前な気分になってしまったのである。


私が通ったのはVolkshochschuleという、ドイツの都市には大抵ある市立の市民学校。授業料も、私立の語学学校や大学併設の語学学校より安い。もちろん、この「安い」というのが学校決定の理由であった。安いので、通っているのも若い人が多く、大抵はドイツの大学で勉強したくて来たという学生である。他は、夫または妻がドイツ人という外国人が多く、すでに仕事を持っているという人も少なくなかった。

若くて学習意欲に燃える人たちの中にいるということは素晴らしい。「私も頑張らなきゃ」と思うようになる。「旅行で使えるくらいで十分、ZD(ドイツ語の初級試験)に合格するのが目標」と思って通い始めた私も、ついつい見栄を張って「ドイツの大学で歴史を勉強したい」などと言うようになった。(そういう夢は持っていたが、それはいわば小学生が「サッカー選手になってJリーグで活躍したい」と語るクラスの夢で、「可能性はゼロではないが、実現のためにどうしたらいいのか具体的にわからない」レベルの夢だったのだ)

通い始めたころは、それが初級クラスにも関わらず、とにかく何を言っているのか、何と答えていいのかわからなかった。文法もよくわからず、テストがあっても適当に答えを書き込むような生徒だった。前置詞プラスeinanderの使い方のテストでは、Wir setzen uns aufeinander.(答えはnebeneinanderなど) と答えて爆笑された。

しかし幸運だったのが、クラスを持っていた先生2人が若くやる気にあふれた女性で、とにかくいい授業、面白い授業をやってくれたことだった。そして、こちとら受験勉強なら任せとけの団塊ジュニア世代。ZDに向けての準備が始まると調子が良くなってきた。最初の模擬試験ではクラスで3番目くらいだったのが、試験前の模擬ではクラストップに踊り出た。先生からも合格間違い無しのお墨付きを頂き、それでも勉強していると「ZDには1(優)以上の評価はないのよ」と言われるくらいだった。


もちろんZDは1で合格した。やる気になれば、こんなものである。ふっ。いい気になった私は、3ヶ月の初級クラスの後、まるで最初からそういう予定だったように中級クラスに進んだのでありました。

自分のドイツ語の原点がゲーテだったとわかったから、というわけではないが、いま「ファウスト」を読んでいる(もちろん日本語訳のもの)。実は去年、「ドイツに行く前に読んでおきたい」と図書館から勇んで借りてきたのはいいが、本を開きもしなかったという経験をしている。B5版の、微妙にな大きさがまずかったのか、某銅版画家の装丁が気味悪かったのか、理由はわからない。たぶん、自分がゲーテに恐れをいだいていたのだと思う。とにかく今回はリベンジだ。

初めて本を開いてびっくり。物語だと思っていたら劇だったw。というわけで、声に出して読むことに。こう見えても中学生時代は演劇部でぶいぶいいわせていたので、朗読は得意である。思いっきり抑揚をつけて、舞台調に読む。


ゲーテ、やっぱり凄いわー。日本語訳になっても凄い。こんな文章書けるんだ。

本を読んでいて、たまに「これくらいなら自分でも書けるかも」(もちろんそう思うだけで、インプット―読むとアウトプットー書くの能力は全く違うのはわかっている)と思うことがあるが、ゲーテは違う。ははぁー、参りましたと最初から白旗をあげる状態。すごい、すごいわ。やっぱりドイツ人は凄い。

身体の芯からぞくぞくっとしたのが次の表現。冒頭の「捧げる言葉」でまず現れる、

さまざまな姿が揺れながら戻ってくる。

というもの。物語に入って、主の言葉としても出てくる。

揺れながらやってくる者たちを、しっかりと迎えてやれ。

揺れながら戻ってくる、やってくるってどういう意味さ、と言ってしまえば終わりだ。頭よりも、まず心が反応するような「ああ、そうだよ。彼らは揺れながらやってくる!」という感覚が、眠っていた感性をたたき起こすほどの、衝撃でした。ああん、ドイツ語の原文が読みたくなるではないですか。いけず。

ドイツにいた間、よく訊かれたのが

「なぜ、ドイツ?」

昔からドイツの質実剛健なところが好きだった、ワインとビールが好き、馬好き、子供の頃マイスターに憧れた…などなど、その時によって答えは変わりましたが、まぁ理由はひとつではありません。複合体。

しかし、自分でも思い出せなかったのが

「なぜ、ドイツ語?」

でした。いや、好きな国の言葉だから勉強して当たり前と言えばそうなんですが、違う理由があったような気がしていたのです。実はドイツ語を学ぶのは3度目。2度目は初めてドイツに行く前で、NHKのラジオ講座をテキストを買わずにただ聞き流していただけでした。1度目、つまり初めてドイツ語を始めようと思ったのが中学生のときで、そのときドイツ語の辞書(今でも使っている)も買ったのですが、冠詞の変化についていけず断念。止めた理由は覚えているのに、始めた理由が思い出せないとはこれ如何に?何かきっかけがあったはずなんだけどなぁと気になっていた最近、偶然そのきっかけとなったドイツ語に再会したのです。

シューベルトの「魔王」でした。そうそう、これこれ。中学の音楽の授業で聴いて、ドイツ語の響きに夢中になり、もともと男声の歌でありながら「自分でも歌ってみたい」と思ったのでした。調べてみたら、元の詩はゲーテなんですね。「ドイツ語やってるけど、ゲーテなんて読んだことないよー」と、いつも言っていましたが、大本はゲーテでした。今度から「ドイツ語を始めたのはゲーテの詩が好きだったからです」って言ってみようっと。


ちなみにドイツ語を始めた3度目の正直な理由は…インターネットで情報を集める為とでもしておきましょうかね。

「~ではある」って、どういう意味だろうと考えた。

文法的にいまいちピンと来ないとき、否定形(もしくは肯定)に変化させるのが、私には有効である。

というわけで「~ではある」を否定にしてみると、「~ではない」。あーなるほど、ではなくはない、ってことか。「ではない」は、その可能性はない、しかし他の可能性はあるという意味である(と私は思っている)。ということは「ではある」というのは、その可能性はある、しかし他の可能性もあるという意味である(と私は思うのである)。

つまり、川上さんの人生は「彩りに欠ける」という性質を持っているが、他の性質も持っていて、「彩りに欠けている」だけではない人生なのである。でも、自分で「私の人生ってさー、彩りに欠けるじゃん。でもそれはそれでいいんだよねー、味があるっていうのかな。まっ、私の人生もそれだけじゃないしー」とは言えないのである。人間、控えめに生きることが大事なのである。なので、「~ではある」という、曖昧かつ微妙に寸止めな表現を使うのだ。


この辺りをドイツ人に理解してもらえるかどうかはわからないが、それでも翻訳に挑戦してみるとすれば

Man kann so sagen, dass Mein Leben nicht 彩りある ist.

(私の人生は彩りに欠けると、言える)

人生に彩りがあるという場合、farbereichみたいな形容詞が使えるかどうかがわからなかったので、日本語で代用してしまった。私はドイツ語がそこそこ出来る人ではあるが、達人では決してないのである。

最近、川上弘美さんのエッセイがマイブームで、図書館から借りてきては読んでいる。

本に限らず、新聞記事でも何でも、読んだものの中に印象深い表現があると、ついつい「ドイツ語に訳したらどうなるかな」と考えてしまう。最初の2年は日本(語)でドイツ語を学び、後の1年はドイツで勉強していたので、日本語をドイツ語に翻訳またはその逆ということをあまりしていない。ある程度できるようになったら、ドイツ語はドイツ語のままで読み、ドイツ語のままで理解している。外国語学習の近道だと、ドイツ語の先生にそう教わったのだ。それなのについつい翻訳してしまうのは、「訳しなさい」で推し進められてきた日本の外国語学習の弊害だと思う。

なーんて、それはともかく川上さんのエッセイである。今日読んでいた「ゆっくりとさよならをとなえる」の中にこんな文章があった。


『今までの人生で一番多く足を踏み入れた店は本屋、次がスーパーマーケット、三番めは居酒屋だと思う。なんだか彩りに欠ける人生ではある。』


意味はわかる。それくらいの日本語はわかるんですから。でも、これってどういう風にドイツ語に訳したらいいんだろう…と考えると、本当にその文章を(文法的には)理解していないんだなと背筋が寒くなった。ゆっくり噛みしめて読み直し、どういう構造で、どういう意図が隠されているのか分解してみなくては。

あぁやっぱり日本語って難しい。

昨日書いた、日本でいう1階のことをドイツ語でdas Erdgeschoß(エアトゲショス)といいます。

die Erde(エアデ)といえば、地球とか大地なんかを表します。das Geschoßというのが、建物の階を表すので、あわせて地上階。デパートの中の表示などではEGと略されています。

で、ふと思いついたんですが、昔の外国の建物って、ただ地面を石を積んだ壁で囲っただけだったのでは?。だから玄関を入っても、今までいた外と変わりない地面があって(もちろんレンガを敷いたり、モザイクで飾ったりという床もあったでしょうが)、高さは外と変わらないわけです。

一方、日本だとどうしても湿気がありますから、家を建てるといえば、高床式になっていくわけです。入り口に土間があったとしても、居住空間は地面より高い位置にある。そうなるとやっぱり、「地面と同じ」というわけにはいかないですわねぇ。


ちょ、ちょっと、私ったらこんなこと思いついちゃって…天才?


海外では、建物の階数の数え方が違ったりします。

日本でいう1階、つまり地上の高さの階に別な呼び名があり、日本でいう2階を「1階」と呼んだりします。

最初はもちろん日本式の呼び方に慣れているので、「2階なのに、1階って呼ぶのは変だなぁ」と思ったりもしますが、だんだん慣れてくるものです。そして久し振りに日本に帰ってくると、

「地上なのに1階とは、これいかに?」

となってくるから不思議です。「1階」というからには、まっ平らな部分と何かしらの違いがあってしかるべきでは、な気持ちになります。考えてみると、階段があって、その「1段目」なら地上より高い位置になるわけですし、建物でも1階部分しかなければ「平屋建て」と呼んだりしますし、「地上階」「地面階」なんてのがあってもいいんじゃないかと思ったりします。

しかし、日本語の身になって(?)よぉっく考えてみますと、日本にはそんなに高い建物ってのは無かったわけです。平屋ばかりだったのが、努力を重ね、上に一つ、二つと階を重ねられるようになってきた。そういう「層」を積み重ねるイメージだと、一番初めの層が「1階」で次が「2階」というのは、なんとなくわかります。

一方、洋式の建物ですと、見た目からしてまずは大きな建物があって、その中が何層かに分かれているというイメージ。それだと一番初めの層が「1階」だろうが、一番上の層が「1階」だろうがどっちでもいいかなという感じが。特に塔なんかだと、大事なのは「一番上」と「入り口」であり、たぶん途中の階はあまり意識されていなかったのではないかと思われます。で、まず「入り口」と「一番上」に名前が与えられ、その後で中間の層にも番号が振られたという感じではなかろうかと…勝手に想像してみるわけでした。


そういえば日本のお城は、どう数えているんでしょうね。一番上は天守閣でしょうけど。