こんばんは。第2回のブログです。
今回は、2月の二次試験の際に見かけた「井上公園」について綴っていきます。
湯田温泉のあたりを散歩していたところ、このような公園を見つけました。
かの有名な井上馨の生家跡です。
井上馨は明治維新の元勲の一人で、長州藩を武装恭順に説き伏せた人物として知られています。
井上馨とは、ざっくりいうと、「極端な欧化政策を行い、条約改正をすすめようとした」人物です。欧化政策の例が「鹿鳴館」です。
井上馨は、法権の回復[治外法権の撤廃]を目標とし、欧米諸国からの同意を得ましたが、その条約改正の内容が国内で大きく非難され、「三大事件建白運動」へとつながりました。
では、なぜ大きく非難されたのでしょうか。
井上馨は、条約改正案として以下のものを上げました。
①治外法権の撤廃
②外国人の内地雑居の承認 (当時の外国人は、居留地のみで活動)
③外国人裁判官の任用 ⇒ 外国人の活動範囲が広がることに、、、
①の交換条件として、②と③を認めると言い出したのです。
これに対して、ボアソナードが「現内容よりもひどいじゃないか!!」と批判し、農商務大臣谷干城も反対のため辞任し、三大事件建白運動もあり、井上馨は辞任したのです。
それでは、ここで条約改正交渉を整理します。
1.岩倉具視[岩倉使節団]
2.寺島宗則
①「税権の回復」に的を絞り、アメリカと交渉し、同意を得る
②イギリス、ドイツが反対し、改正交渉は失敗する
3.井上馨
①「法権の回復」に的を絞り、列強諸国と一斉に交渉を進める
②「ノルマントン号事件」をきっかけに治外法権撤廃への声が高まる
③欧米諸国からの同意を得るも、内容を国内から非難され、失敗する
4.大隈重信
①列国と個別交渉[極秘で進めた]し、メキシコなどから同意を得る
②イギリスに極秘内容を報道される
⇒ 井上とほぼ同じ条約改正案であった
③玄洋社の来島恒喜のテロにより、大隈は負傷し、改正交渉は中止する
5.青木周蔵
①一切の条件を付けずに、「法権の回復」をめざす
②イギリスが日本の交渉に応じる
※当時のイギリスは、ロシアの南下政策を警戒していたため、日本と友好的な立場をとろうとした
③「大津事件」により、青木外相は辞職。改正交渉は挫折する
※「大津事件」…津田三蔵[大津の巡査]がロシア皇太子ニコライを切りつけた事件
6.陸奥宗光
①青木の政策を受け継ぎ、イギリスと交渉を進める
②1894年7月、「日英通商航海条約」を調印 ⇒ 他の列強諸国も調印
7.小村寿太郎
①「税権の完全回復」を目指す。
②日露戦争後の1911年、「日米通商航海条約」を調印
この流れで日本に不利な不平等条約はなくなりました。
この7人と流れを知っておいたら、共通テストは攻略できます!!
井上馨侯銅像