こんにちは!

本日の京都は曇り曇り この時期には異例の雨続きですね。昨日少しだけ「晴れてきた!」と思ってタオル類をお洗濯したらお天気は大して回復もせず・・・・失敗しましたタラー明日は晴れそうなので、明日に期待しましょう。。

 

さて、昨日は本当に久々に実家訪問。このところ旅行ばかりだったので全く余裕がありませんでしたが、なんと四国旅行中に母から電話がかかってきてその時に「京都に戻ったら顔を出します」と約束したので行ってきました。

 

何度か父のことについては過去にも書いているので割愛しますが、2月に入ってからやっと(!!)介護認定のための面接(?)の訪問があったそうです。まだ結果は出ていませんが・・・・素人の私の目にも父は間違いなく認知症に見えますし、身体能力もこの1年以上外出をしていないため相当低下していますから、母のように「要支援」ではなく「要介護」ではないかな、と思っています。今は母が全て父の面倒を見ていますし、実際には何か介助が必要な状態ではないので何とかなっていますが、早晩介護サービスを利用する必要は出てくると思いますので、そのスタートラインに立てたということで良かったと思っています。(本当はもっと早くにこうなるべきでしたが・・・)

 

父は60代ごろから膝が悪く、数年前に運転免許証の更新をやめる以前にはすでに車なしでの外出が徐々に難しくなってきていました。そして、運転をやめた途端に外出をしなくなり、今では散髪は母にやってもらいどこか体の調子が悪くなってもなかなか病院にも行かない、という状況です。そのため、母の担当のケアマネさんのご提案で、今は病院から往診に来てもらい血液検査など簡単な処置はしていただいている状態です。ただ、母も同様に高齢になっていきますしこれまで通り母が全てをこなすことは難しくなってくると思います。身体的な衰え以上に母の負担となってきているのが認知能力の低下だと今回実家に帰ってみて感じました。時々訪問して数時間過ごすだけの私でさえ父が繰り返す同じ質問や自分のことで指摘されたことについて「取り繕う」態度、実現不可能なことを「できる」と言い張りそれについて驚くような理由づけをする、などどのように対応すれば良いのか迷うことは多々ありますので、常に一緒にいる母の大変さはどれほどかと思います。ひとつ例を挙げると、先月まで使っていた義歯がいつの間にかなくなったそうで、母の見立てでは「何かと一緒に間違って捨ててしまった」ということなのですが、父は「どこかにしまい込んであるから探せば出てくる」と言い張る、ということがありました。そもそも義歯をしまい込むはずもなく、私も「間違って捨てたんだろうなー」と思うのですが、本人は「いや、絶対にそんなことはない」と。何事についてもだいたいこんな感じです。それから散髪も今は母にしてもらっていますが、そうなる前は毎日のように「明日は床屋に行く」と言いながら行かずに過ごしていました。これは、父の姉(私の叔母)がアルツハイマー型認知症と診断される前に、身なりがあまりにも乱れていて美容院にも長い間行っていないようだったので「美容院に行ったら?」と言われた時に「明日行く予定です」といつも答えていた姿と重なります。こうした取り繕いは別に大したことがないようにも思えますが、毎日面と向かって暮らしている人間にとっては辛いこともあるのではないかと想像します。

 

まだ介護認定の結果が出ていないので何とも言えませんが、いよいよ自分の親も「介護」が必要な時が来たな、と昨日は思いました。そして、私自身や兄にも今後様々な面で生活に変化が起こるのだろうな、とも。

 

子供にとって親は長い間頼りになる存在、守ってくれる存在ですが、年老いていつしか立場は逆転し子供が親を守る存在に変わっていくのですね。子供としては親のそうした姿を見ることは辛かったり寂しかったりしますが、父にしてあげられること、母にしてあげられることをこれから考えていかなければ、と思います。私の場合は親が初老の時期にはずっと海外にいたので、親の若い時のイメージがまだまだ強く残っていてその若い親が急に高齢者になったみたいな感覚があり何かとても変な感じがするのですが、私自身も現実を直視して対応していかなくてはと思います。これからどうなっていくかわかりませんが、少しでも父にとって良い方向に行けば良いな、と思っています。