南京事変の証言 読売新聞 樋口哲雄撮影技師 | 誇りが育つ日本の歴史

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南京事変の証言 読売新聞 樋口哲雄撮影技師

 

 

 

南京事変の証言

読売新聞 樋口哲雄撮影技師

聞き手 阿羅健一氏

 

ー南京にはどの部隊について行ったのですか?

 

樋口「どの部隊と決まっていた訳ではありません。上海を出てから最初、蘇州に行き、南院には中山陵を通って中山門から入りました。」

 

ー入城したのは何日ですか?

 

樋口「南京陥落(昭和12年12月13日)直後だと思います。中山門の周りは城壁で、その前には掘りがあります。

 

ですから中山門を砲撃してここから入ろうとしたのですが、これがなかなか大変でした。

 

それも通りで、中山門から入った時、内側には土嚢がうず高く積み上げられていました。」

 

ー城内ではどこに宿泊しましたか?

 

樋口「中山路から中山北路に左折するところが坂になっていて、左折した左側の民家に釜原支局員と二人で入り、ここを臨時支局員にしました。

 

中国の子供をショウハイと行ってましたが、我々はショウハイを雇って、三人でやってました。

 

雇うといっても食事をやって、雑用があれば頼むといったものです。

 

ショウハイも一人で食えないから喜んでいました。」

 

ー城内の様子はどうでした?

 

樋口「臨時支局からさらに中山北路を行くと、通りの左側に連隊本部がありましてね、その連隊本部の裏庭に、中国軍の銃や拳銃が1メートル以上山になっており、兵隊が好きな拳銃を持っていけ、といってました。

 

私は取材だから、そんなものをもらってもしょうがないので断りました。」

 

ーどのくらいありました?

 

樋口「何百丁か。そばに法幣といって中国の紙幣もいっぱいありました。」

 

ー法幣は使わなかったのですか?

 

樋口「使えなかっと思います。そのままにしてましたから。あとで法幣は焼いたと思います。」

 

ー城内はどこにいってますか?

 

樋口「自動車を持っていたので、毎日あっちコッチにいきました。軍官学校にいった時、軍官学校の中に日本の名刺の4、5倍ほどある蒋介石の名刺がありました。」

 

ー入城式はどこで撮りましたか?

 

樋口「中山東路を挟んで、軍官学校の反対の方から撮ってます。入場式の頃は中山門も綺麗になっていました。」

 

ー撮ったフィルムなどは自分たちで上海に持って行くのですか?

 

樋口「いや。連絡員が上海から来ていて、これに持っていってもらいました。」

 

ー南京城内で一番印象的なことはなんですか?

 

樋口「先ほど言ったように、連隊本部にたくさんの銃や拳銃があったことです。」

 

ーその頃、日本軍による虐殺があったと言われてますが。

 

樋口「どこで何があったのか知りません」

 

ー見たり聞いたりしてませんか?

 

樋口「全然わかりません。第一そういう形跡を見たことがありません。あったとよく言われてますが、どこでどんなものがあったのか。

 

中山廊など荒らされてないし、綺麗でした。やらなきゃこっちがやられるからやったのを虐殺と言ってるのだと思います。」

 

ーいつまで南京にいましたか?

 

樋口「入城してから1ヶ月くらいいたと思います。入場式の後は暇だったので、ぷらぷら遊んでました。

 

中央のロータリーを中華門の方に行くと、この通りの左側を夫子廊と言って、花柳界がありました。

 

泰准河が流れていたので、泰准とも言ってましたが、当時の日本の吉原のようなところで、女と遊ぶこともでき、酒も飲ませてくれました。

 

夜になると釜原と一緒によく行きました。」

 

ーそういった店はどのくらいあったのですか?

 

樋口「その辺一角には随分ありました。そこにいる女をチャンシークーニャンと言ってました。

 

そこに言った時は泊まりますから、一晩中店の前に社旗を掲げた車を止めて、有名になったこともあります。」

 

ー兵隊も来てましたか?

 

樋口「兵隊は来てません。禁止されていたと思います。日本人は記者関係の人ばかりでした。」

 

ー記者以外の日本人は?

 

樋口「日本人はまだ南京に来てませんでした。」

 

ー兵隊は慰安所などに行って他のでしょうか?

 

樋口「さあ、慰安所があったのかどうか知りません」

 

ー南京の後はどちらへ?

 

樋口「上海に戻って東京に帰りました。ですからその直後の徐州作戦には従軍してません」

 

参考図書

「南京事件 日本人48人の証言」阿羅健一著

 

写真

日本兵と中国の子供(江南地方、1937年11月6日。

「支那事変写真全集」(中・上海戦線)朝日新聞社、1938年3月より)