占領軍が母子手帳を使って行った日本民族劣化政策 | 誇りが育つ日本の歴史

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占領軍が母子手帳を使って行った日本民族劣化政策

 

占領期間中、日本民族を劣化させるための、さまざまな政策が行われていきました。

 

その日本民族を劣化させる上で一番役に立ったのが、実は「母子手帳」だったのです。

 

1915年、米国の乳業会社が母子手帳を作りました。米国政府が作成したのではありません。

 

その後、米国内では牛乳製品の普及に力を注いでいきましたが、普及に伴い米国市民の病気も増大していきました。

 

1945年、日本を占領統治した米国は、日本民族を劣化させていく政策を次々と打ち出していきました。

 

なぜ、日本民族を劣化させる必要があったのでしょうか?

 

戦争に勝利したとはいえ、米軍の被害も相当なものにのぼりました。そこで、二度と日本が米国に歯向かうことができないようにしようと考えたのです。

 

1915年から1945年までの間、母子手帳の普及に伴いたくさんの病気が広まっていき、米国民が劣化していきました。

 

その失敗を教訓にして、米国製の母子手帳を翻訳したものを、日本に普及させていきました。

 

失敗を教訓にして、改良を加えてより良いものにしていくというのならわかりますが、米国の失敗例をそのまま日本に導入していったのです。

 

すべては日本民族を劣化させる政策のためだからです。

 

終戦後、日本を占領した米国主導の占領軍が、日本によいことをしてくれたおかげで、戦後日本が経済的に繁栄することができた、という人がいます。

 

そういった側面も、もしかしたらあるのかもしれません。

 

しかし、欧米列強が、アジアや南米、アフリカ諸国を植民地していった1945年までの時代に、どのような植民地政策をおこなってきたかを知れば、その答えは明らかです。

 

欧米列強は、植民地からの搾取できるだけ搾取していき、原住民を豊かに繁栄させようという発想は全くありませんでした。

 

また、植民地が、自ら強力な軍隊を持ち、宗主国から自主独立するのを手助けしようという発想もありませんでした。

 

(占領軍が、憲法9条2項に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定させたのをみれば、その意思は明らかです。)

 

占領中の昭和22年(1947年)児童福祉法が施行され、翌年から米国製の母子手帳をそのまま訳したものを、日本全国の妊婦に向けて発行。

 

昭和17年(1942年)から妊産婦手帳制度というものがありましたが、その内容は全く異なるものでした。

 

昭和23年(1948年)、占領軍の公衆衛生福祉局(PHW)の指導により、予防接種法が制定され、予防接種が義務化されました。さらに、違反した人には罰則(罰金)が課せられるようになりました。

 

一方、米国では母子手帳は破棄されています。

 

母子手帳には、「牛乳(粉ミルク)を飲ませるように」と記載があり、また、どの時期にどのような予防接種をしなければならないかということが記載されてあります。

 

まじめなお母さんは、この母子手帳にかかれてあるとおりに、赤ん坊に粉ミルクを与え、予防接種を受けさせてきました。

 

予防接収は、大変危険なワクチンです。私自身の体験でも、インフルエンザに過去2回感染しましたが、その2回ともに予防注射をうけた年でした。

 

予防注射を受けた年だけ、感染したのです。

 

ワクチンを接種した子どもと、そうでない子どもの病気の発症率を調べた統計(VaccineInjury.info、13753人のワクチンを受けていない子どもの統計)があります。それによると、たとえば、自閉症については、ワクチンを摂取した子どもが、そうでない子どもの2倍の発症率であったそうです。

 

どんな薬やワクチンでも、副作用は必ずあります。また、効果があるかどうかも疑わしいものもあります。(インフルエンザ予防接種の例)

 

今では、予防接種を受けるかどうかは、定期摂取や任意摂取にかかわらず、強制ではなく努力義務となっています。

 

ここでいう努力義務とは、受けようと努力したけれども受けなかった、ということでよいのです。

 

もしかしたら、児童相談所に目をつけられてしまうかもしれませんが、ワクチン反対派の医者に相談するなど、努力義務をしていれば、大きな問題とならないでしょう。

 

保健所や医者のいうことに流されずにしていきたいものです。

 

粉ミルクの話に戻りますと、占領期間中の昭和20年から27年、全国の保健所で働くことができた栄養士は、乳業メーカーの専属の栄養士でなければなりませんでした。

 

また、母子手帳の表紙には森永乳業、雪印乳業、明治乳業など乳業メーカーのコマーシャルが載っていたのです。

 

1946年11月から1952年6月までの約6年間、日本は脱脂粉乳の援助を受けました。(ララ物資)

 

1949年から1964年の約15年間、ユニセフから脱脂粉乳の援助を受けました。

 

牛乳を飲むことで、子供の成長に欠かせないカルシウムを摂取することができる、という宣伝が、占領軍の指導のもと、大々的に行われていきました。

 

その結果、終戦時(昭和20年)までの日本国内でほとんど飲まれることがなかった牛乳が、全国的に普及していきました。

 

今でも、牛乳は体に良いという説と、有害であるという説が出回っています。

 

どちらを信じて良いのかわからないという人も多いと思います。

 

そもそも牛乳は、牛の子供が飲む飲み物です。そして母乳というものは血液が変化したものです。それを他の種である人間が飲むということが、不自然な行為です。

 

ただ、それだけの理由ならば、少量のミルクを飲むことは大した問題となりません。

 

問題なのは、牛が食べる飼料に入れられる成長ホルモン剤と、トウモロコシにあります。

 

成長ホルモン剤は、牛を早く成長させるために飼料に入れられています。

 

昔の牧畜は、成長ホルモン剤なども入れられてませんでしたし、牧草を餌にして食べていました。しかし、現在の牛の主な餌はトウモロコシとなっています。

 

トウモロコシは、本来の牛の食べ物ではありません。草食動物であるキリンや象などが肉を食べたら病気になり死に至るでしょう。

 

肉食動物であるトラやライオンなどが、穀物や草などばかり食べていたら、病気になり死に至るでしょう。

 

本来、動物が食べる食べ物は、その種によって決まっているのです。それを無視してしまうと、その種は絶滅してしまうでしょう。

 

さらに、牛の飼料として普及してしまっているトウモロコシは、モンサント社の遺伝子組み換え作物(GMO)となっています。

 

遺伝子組み換え作物を食べ続けると、病気になることは明らかとなりつつあります。(モンサント社は否定していますが。)

 

現在の牧畜農家ではどのように牛を飼育しているのでしょうか?

 

生後、2年も経たないうちに人工授精を施されます。子牛を出産してからは、牛舎に繋がれっぱなしの生活をおくるようになります。

 

出産後、2~3カ月たつと再び人工授精されます。そして、妊娠しながら乳を搾り取られていきます。これは牛にとっては大きな負担となります。

 

子牛を生み、乳を搾り取られたうえに、様々な病気を発生した牛は、最後は肉食として殺傷されていきます。

 

牛の搾乳量は、1頭あたり7,300kgを生産されます。これは、自然界の10倍相当にあたります。

 

本来の自然な姿で飼育された牛から絞られた、成長ホルモン剤も入れられていない牛乳であれば、人間が飲んでもそれほど問題ではありませんが、お店に流通している牛乳の中から、それを見つけることはとても難しいです。

 

粉ミルクや牛乳、小麦を材料としたコッペパンといった食べものを、学校給食を通して、日本全国の子どもたちに普及させていった占領軍。

 

こどもの頃に食べたものは、大人になっても食生活に影響を及ぼします。そして、その食の習慣は次の世代にも引き継がれていきます。

 

昭和20年まで、米を主食としていた日本人は、気力体力ともに強かったといわれています。

 

米国をはじめとした連合国は、そのような日本人の強靭さを恐れて、米から小麦を使ったパンや、病気の原因として挙がられている牛乳など乳製品の普及を積極的に行っていったのです。

 

そして、その大きな役割を果たしたのが、母子手帳でした。

 

参考図書

「母子手帳のワナ―知られざる母子保健の真実」高野弘之著