形あるものだけが、この世に存在しているのではありません | 誇りが育つ日本の歴史

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日本では自殺者が増え続けています。
自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
少しでもそのような精神的な貧乏状態を改善していきたいです。

形あるものだけが、この世に存在しているのではありません

 

あなたは、あなたの父母や祖父母が亡くなると、もう存在していないと思っていませんか?

 

ほんとうは、肉眼でみえる世界だけが、実在しているのではないのです。

 

花を見て美しい、きれいを思う人がいます。

その一方で、花をみても何とも感じない人もいます。

その違いは何なのでしょうか?

 

芸術品はいろいろあります。陶芸や絵画、宝石類など。

 

そのようなものにとても興味があり、高価なものでもお金を出して買う人もいます。

 

そういう人は、美に対する感性が発達しているのかもしれませんし、もしかしたら見栄だけなのかもしれません。

 

また、将来の値上げを予測して、財テク目的の人もいるかもしれません。

 

芸術品に対する価値観は人それぞれですが、バラの花をみて、「わーきれい」と感じる人というのは、その人自身の「心」がきれいなのです。

 

きれいな「心」の持ち主ほど、花などをみて「わーきれい」と感じます。

 

花の美しさを感じるというのは、その人の「心」の美しさの反映であります。

 

ですから、生け花などを通して美を追求している人は、「心」をきれいに磨いているのでしょう。

 

その一方、猫が同じバラの花をみてきれいを感じるでしょうか?ねずみはどうでしょう?

 

猫やねずみが、花の前に座り込んで、じっとながめている光景をみたことがありません。

 

恐らく何も感じないのでしょう。

 

色盲の人に、この財布は青色であると説明しても、疑います。

なぜなら、その色盲の人は、青色を見たことがないからです。

 

神の存在を信じない人(心盲)もいます。なぜなら、そういう人は神をみたことがないからです。

 

人の心の反映として映し出された世界がこの世ですが、美しい心の持ち主ほど、バラの花をみて美しいと感じますし、道端に咲いているタンポポの花をみてもきれいと感じます。

 

そして、心の中に青色という色を持っていない人は、青色を認識しませんし、心の中に神の存在を否定する無神論者は、神を認識することができません。

 

夜になると月がみえます。月は、満月の時もあれば三日月のときもあります。また、太陽がのぼると見えなくなります。でも月は、三日月のときでも昼間でも、まん丸の形で存在しています。

 

人は、三日月をみて、月が欠けたと感じます。太陽が昇れば、月が隠れたと感じます。月食のときは、月が無くなったと感じます。

 

人はだれでも、いずれは寿命がきます。例外はありません。肉体がなくなると、その人はもうこの世に存在していないと感じます。

 

本当になくなってしまったのでしょうか?

 

霊の世界を信じる人は、魂は永遠に生き続けるものであると理解してますが、実際、肉眼で見えないので信じない人も多いです。

 

肉眼で見えないものは、存在していないと認識するのです。

 

本当でしょうか?

 

先程のお月様の話を思い出して下さい。月は月食になっても三日月になっても昼間でも、地球のそばにまん丸の形で存在しています。

 

このことは無神論者でも唯物論者でも、理解します。

 

それと同じように、あなたの父母や祖父祖母が亡くなって、肉眼では肉体が見えなくなっても、完全な姿で存在しているのです。

 

そしてあなたの側にいつでも寄り添っています。まるで月が、いつでも地球のそばに寄り添って周りつづけているように。

 

参考図書 「生命の実相 第2巻」 谷口雅春著 日本教文社