創価学会とは邪教でありカルトである
創価学会はなぜ、他宗教を邪教と言って排除して、恐怖心を植え付けることにより勧誘するのでしょうか?
創価学会は、伝統的な日蓮宗の分派の一つではないの?と思われる人もいるかもしれませんが、実は違います。
明治5年(1872年)、明治政府は仏教各派に対し天台宗、真言宗、浄土宗、禅宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗の七宗派に統合して各派から管長一名を設置するよう官布告を出しました
(一宗一管長制)
日蓮宗の七宗派は、この布告により一旦は日蓮宗として一つにまとまりましたが、その後、いくつかの分派に別れていきました。
静岡県富士宮にある大石寺を本山とする一派は、明治33年日蓮宗富士派として独立し、明治45年から日蓮正宗という宗号を名乗るようになりました。
かつて創価学会は、この日蓮正宗の在家の信徒団体でありました。
しかし、池田大作名誉会長と日蓮正宗との意見の対立が続き、1991年11月、日蓮正宗は、「創価学会」と国際組織である「創価学会インタナショナル」(SGI)を破門しました。
「創価学会の会館や研修所こそが近代における寺院」であり、『人間革命』は日蓮の遺文に匹敵する御書である、
(『創価学会』 島田裕巳著 新潮社)
と位置づけられているので、伝統的な寺院に属する日蓮宗の分派ではなく、独自の宗教団体となっています。
『人間革命』とは、創価学会の2代目会長の戸田城聖氏によって唱えられた、同会における中心的な思想の一つとされています。
創価学会は、邪教を徹底的に排除しようとします。
入会する人の多くは、個人的な悩みを解決したいと思い入会します。
その際、教団側からは、「邪教を信じていたために災いが起きるのだ」とか、
「創価学会だけが正しい宗教であり、他のものはみな邪教である、そんなものを信じていたら、災いが必ずくる」などと断言的に言って脅かします。
「他にも似たような教えをしている宗教もあるではないか」と反論すると、そんなものは絶対ない、創価学会だけが絶対正しいのである。他の宗教を信じていたら必ず災いが降ってくる」
と断言しますので、なんだか入会しないと救われないのではないかという錯覚に陥ります。
このように恐喝まがいに勧誘されて、創価学会に一旦入会してしまったら、もう最後。
恐喝の檻の中に入り込んでしまい、恐喝まがいの方法で布教活動をしないと、「また、あなたに災いがくるぞ」、と言って次から次へと恐怖の連鎖反応を与えていくのです。
また、入会した人が脱会しようとすると、「また、災いがあなたに起きるぞ」と恐怖心を植えつけます。
そういうことを言われた人は、なかなか脱会できない心理になってしまいます。
このように、他宗教を邪教として排除し、恐怖心を煽って入会しないと救われないと追い込んで行くのは、宗教とはいえません。
創価学会は、折伏(しゃくぶつ)により、強引な勧誘を行います。
折伏(しゃくぶつ)とは、仏教用語で、悪人や悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせることであり、議論などによって自己の誤りを悟らせて、屈服させることです。
また、現生利益を受けることができると言って「聖教新聞」などを使って勧誘します。
実際に、生活保護を市役所に申請しても受理してもらえなかった人が、創価学会に相談してから市役所に再申請してみたら、受理されたという話もあるくらいです。
創価学会の他宗教を邪教と言って排除し、創価学会を信じない人には罰が与えられる、という恐怖心を植え付ける活動手法は、正常な宗教活動と言えるのでしょうか?
「日蓮正宗創価学会批判を破す」という創価学会教学部が出した本の中に、次のように記載があります。
「ちょっと前のことになりますが、学会の悪口を言っていた宗教学者の佐木秋夫氏がお山へ行きたいというので、戸田先生から案内するようにいわれて同行することになったのですが、
出発の日に、東京駅で私が待っていたところ、佐木氏の方では、その前日でしたか、
『子供が死んだから行けなくなった』というのですね。
これは、”はっきりとした罰”ですよ。
そして帰ってきてから聞いたのですが、佐木氏は田舎へ行って、”邪教日蓮宗”で葬式を出したというのです。
なっちゃいないですね。」
(「日蓮正宗創価学会批判を破す」創価学会教学部編)
たとえ創価学会を批判していたとはいえ、その人に”罰”を与えるために子供が亡くなったのであると考え、その子供の葬式を伝統的な日蓮宗で行ったことを、”なってない”と批判する創価学会。
ここまでくると、創価学会はカルト集団であると言わざるをえません。
本当の宗教かどうかを判断する基準は、恐怖心を与える宗教かそうでないかというものです。
何者にも束縛されない自由を与えることが、宗教の役割となります。
恐怖心を与えて、その恐怖により縛りつけようとするのは、正しい宗教といえません。
そういう意味でも創価学会は邪教であり、カルト教団と言っても過言ではないでしょう。
昭和27年(1952年)2月、2代目の戸田会長は「地球民族主義」という考え方を説きました。
それは、民族、国家、イデオロギーなどを超え、人類が「地球家族」「世界は一つ」という認識に立って、共存への道を開かなくてはならない、という考え方です。
3代目の池田会長(朝鮮名:成太作(ソンテチャク))は、この「地球民族主義」について次のように解説しています。
「戸田城聖の地球民族主義は、この意味において、極めて深い意義をもつといわねばならない。
仏法は、人間の原理を根本的に説いたものであって、国家の原理は、いわば従となっている。しかし、これまでの世界の国家観は、国家を主として、人間を従に置いてきた。
この倒錯を、戸田は看破したのである。この主従の倒錯の転換は、また、ニ十世紀から二十一世紀への、最大の課題と、必ずなるであろう。さもなければ、戦争の破壊的災害は、不可避と思われるからだ。」
(人間革命5巻・驀進の章より)
つまり、民族や国家と言った狭い枠を前提とする世界ではなく、世界は一つの民族であると考えるべきだ、そうすれば、国家間の争いも対立も生じないだろう、というような主張をしています。
世界の歴史は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった3大宗教の間における、対立、抗争、戦争の歴史といっても過言ではありません。
創価学会以外の宗教は邪教であり、邪教を信じていると災いが起きる、と主張しているような宗教団体が、
世界平和のためには世界民族主義という発想を持つ必要がある、というのは矛盾があります。
なぜなら、創価学会、公明党が述べる理想世界に到達する前に、相当の宗教戦争が起きることが予想されるからです。
そもそも、人類の歴史である宗教戦争はなぜ起きて、なぜ、いまだに解決することができないのでしょうか?
それは、我が宗教こそが正しい神であり、邪教である他の神を信じている人は救われることはない。
だから、邪教を地球上から抹殺しなければならない、という考え方があるためです。
これは創価学会の考え方そのものです。
我が宗教こそが絶対正しく、他宗教は邪教であるから排除するというような創価学会の発想では、宗教戦争は決して解決することはありません。
これは歴史が証明しています。
では、どうすれば宗教戦争が解決できるのでしょうか?
それは、人類が他宗教を受け入れる寛容な心を持つ必要があります。
我が宗教もいいけれど、そちらの宗教もいいですね、というような寛容な心です。
その寛容な精神を持ち合わせている民族が、地球上に唯一あります。
それは、日本民族です。
日本には、古事記の神代の時代から八百万の神がいました。
八百万の神とは、800万の神という意味ではなく、数えられないくらいたくさんの、という意味です。
もともと、数えられないくらいの神さまがたくさんいる日本に、新しく、仏教がきたり、キリスト教がきたりしても、一人や二人神が増えてもいいでしょう、となるのです。
このような寛容な精神がある国は、世界の中で、日本以外ありません。
創価学会のような寛容性がない宗教では、世界の宗教戦争は解決することはできません。
寛容性のある、神道に根ざした日本の宗教感によってのみ、世界の宗教戦争の解決をすることができるでしょう。
参考図書
「創価学会を斬る」藤原弘達著
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創価学会 三色旗
ちなみに、韓国の伝統色は「陰陽五行説」を基本として、青・赤・黄・白・黒の「五方色」となります。創価学会の三色旗は、韓国の伝統色のうち三色が使われています。