創価学会による捨て金事件の真相 | 誇りが育つ日本の歴史

誇りが育つ日本の歴史

日本では自殺者が増え続けています。
自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
少しでもそのような精神的な貧乏状態を改善していきたいです。

創価学会による捨て金事件の真相

 

創価学会の金満体質に、メスが入るきっかけとなる事件がありました。

 

平成元年(1989年)6月30日、神奈川県横浜市旭区のゴミ処分場に捨てられていた金庫の中から現金1億7千円が見つかりました。

(捨て金庫事件)

 

古金庫の解体処理をしていた産業廃棄物処分会社の作業員がパワーショベルで金庫を吊り上げたところ、金庫の扉が開いて中から大量の聖徳太子が舞い降りてきました。

 

処分場で発見された札束は、すべて聖徳太子が印刷された旧一万円札で、白抜きで「1000万円」と印字された紫色の帯封で束ねられた1000万円束も3つありました。

 

その中に「大蔵省印刷局」と封印のあるものがありました。

 

これは「官封券」という一度も市中に出回ったことのない新札であり、銀行から特別の顧客に対してまとめて渡させる特殊な紙幣です。

 

その後、この金庫が、「日本図書輸送」という創価学会関連企業から回収されたものであることが判明しました。

 

日本図書輸送は、創価学会と公明党の印刷物を中心に輸送していた会社であり、総売上の4分の3が創価学会系で占められていました。

 

当時の日本図書輸送の社長は、大川清幸氏で元公明党参院議員でした。

 

創価学会の金庫番と言われていた、中西治雄元聖教新聞専務理事が警察の捜査線上に出てきました。

 

秋谷栄之助創価学会会長は、「中西の線は創価学会から警察へのタレコミだ。中西氏を隠して第三者を使ったらバレる。ストレートに行くしかない。」と矢野絢也氏に話しました。

 

創価学会の顧問弁護士である八尋賴雄氏(やひろよりお)は「中西氏が昭和40年代に着服して個人的に蓄えたもの。横領にならないが背任になる」と語りました。

 

秋谷氏は、「真実で勝負して、あと中西を処分、除名する。これしか創価学会と池田先生を守る方法はない」と語りました。

 

長谷川重夫副会長(第一庶務室長)からは「第三者を立てる。中西の名前を出すな」と言いました。

 

中西氏は池田大作会長の影のような存在であり、中西氏と池田大作氏は切っても切れない関係でした。

 

その中西氏を出すとなると、池田大作名誉会長にも手が及ぶ可能性が出てきてしまうかもしれないので、池田大作名誉会長を守るためにも中西氏を表に出すべきではないと考えたのです。

 

長谷川氏は、池田大作名誉会長の代弁者でありました。その長谷川氏の発言は池田大作名誉会長の発言と同じと考えられていました。

 

しかし、秋谷氏は中西氏の名前を出すことを選択しました。

 

7月1日、神奈川県警と旭署が、金庫の出所は「日本図書輸送」と特定したと、新聞各社は報道しました。

 

7月2日、秋谷氏が「帯封の明細がわかる方法はないか」と矢野絢也氏に聞いてきたので、「藤井富雄都議会幹事長に相談するのが良い」と矢野絢也氏は答えました。

 

7月3日、「事件は中西氏個人の問題。創価学会は無関係である」という趣旨の会長通達を学会員向けに出しました。

 

中西氏と日本図書輸送の大川社長が横浜市内で記者会見を行い、

 

「金は私のものであり、昭和46年頃から3年間、総本山大石寺で個人的に開いた土産物店で金杯などを売って儲けて、脱税した金である。聖教新聞地下倉庫に置いたまま忘れていた」などと話しました。

 

中西氏は、「池田大作名誉会長や創価学会の金ではないか?」、との質問に対してこのように否定しました。

 

そして、中西氏個人の金である証拠については、帳簿や伝票を処分してしまったのでない、と答えました。

 

このような創価学会側の説明に対して、世間は疑問を持ちました。

 

一宗教法人の職員が、2億円近い大金を金庫に入れたまま20年間も放置して、存在自体を忘れてしまうとは考え難いことでした。

 

また、金庫にあった札束には、大蔵省印刷局と封印付きの帯封がされていたので、まだ市中に出回っていない未使用の官封券であるお札でした。

 

中西氏の会見の通り、3年間にお土産屋で稼いだお金であれば、なぜ、官封券付きの未使用の1000万円の札束が金庫に入っていたのでしょうか?

 

2億円は、20年後の事件発覚当時の価値では、5億円相当のお金でした。3年間の本山でのお土産屋の商売で、このような大金が稼げるのでしょうか?

 

7月6日付け産経新聞は、中西氏は江戸川区の自宅を担保に限度額350万円の抵当権を設定して借金していた、と報じました。

 

2億円相当の大金を隠し持っていたのに、自宅を担保に350万円の借金をするでしょうか?

 

1970年に、矢野氏は、中西氏から預かりものを頼まれました。

 

その際、中西氏から次のように注意されました。

 

「開けたらダメだぞ、これは池田先生のものだ。実に貴重なものだ。いいな。家族の目の届かないところに置いておけ。時期が来たら回収するからな」と。

 

中西氏から預かった風呂敷包みは50センチほどの大きさで、かなりの重みがあった。風呂敷包みには紙で封がしてあり、中身がのぞけないようになっていました。

 

開けたらわかるように、紙のコヨリで封までしている念の入れようでした。

 

他にも矢追秀彦氏や田代富士男氏ら複数の国会議員も預かっていたということです。

 

その後1、2年してから、中西氏から「あれまだ、ちゃんと無事にとってある? じゃ持って来て」と言われ、回収されました。

 

この時期、国会で言論出版妨害事件で証人喚問しようという動きがあり、池田大作会長の個人資産も調べられる可能性があると恐れられていました。

 

悪質な事件があると、国税庁が強制捜査に入るという事例があったからです。

 

中西氏は、池田大作会長に特に忠実な人を選んで、池田大作会長の”貴重なもの”を預けたのではないでしょうか?

 

個人資産を分散して、もし家宅捜査に入られても見つからないようにしたのではないでしょうか?

 

そして、聖教新聞社地下の金庫にあった1億7千万円の札束も、その内の一つであり、それが誤って、「日本図書輸送」が廃棄処分してしまったのではないでしょうか?

 

7月4日、聖教新聞では「全く考えられない事件が起き、大勢の方々にご迷惑をおかけし、申し訳ない」と秋谷氏の謝罪と、

 

金庫について本社の管理部品台帳にも全く記載がなく、中西氏が知人から譲り受け、個人的に使用していた、金庫に入っていた現金も中西氏個人の保有していたもの」という内容の記事を掲載しました。

 

7月11日、矢野絢也氏は、警視庁高官と会談しました。

 

都議会公明党は、警視庁予算を含む東京都の予算成立の主導権を握っています。

 

このため都議会公明党と警視庁幹部は以前から良好な関係を有し、また警察庁幹部と公明党も、警察庁と警視庁のキャリア組の人事交流を背景に結びつきを持って来ました。

 

警視庁高官は、「納得できる解決をせよ。マスコミに叩かれる解決はだめだ、というのが警察庁会議の結論である。

 

辻褄の合うストーリーでなければならない。そうでないと警察が大恥をかく」と捜査の裏事情を説明しました。

 

参議院選挙後に開かれた創価学会本部会議で、池田大作名誉会長は次のように語りました。

 

「山崎正友元創価学会顧問弁護士、原嶋、福島源次郎元副会長と同じで中西氏も裏切り者だ。公明党も負けるなら負けたらいい。

 

議員は威張っている。腐敗して来た。新しく出直す。等にも遠慮しない。」と、参議院選挙の敗北と捨て金事件の処理について激怒しました。

 

捨て金事件は、創価学会の裏金ではないかという疑いが根強く、それを公明党に責任転転換されたので、公明党幹部も「もうついていけない、うんざりだ」とため息を漏らしました。

 

7月31日、読売新聞が捨て金事件について記事を掲載しました。中西氏が池田大作名誉会長の側近であったことから、「金庫は創価学会のものではないか?」との見方があり、関係者を調べたが口が硬く、壁に突き当たっている、という内容でした。

 

創価学会の八尋副会長は、「神奈川新聞には9月決着とあるが、9月だと”財務”に支障が出て来てしまうので、できれば8月のお盆前決着が良い。」

 

創価学会のいう”財務”とは、学会員からの寄付集めのことです。創価学会では毎年、9月から年末にかけて”財務”を実地していて、この年は9月が実地時期でした。

 

池田大作名誉会長は、捨て金事件が自分に飛び火することを恐れて、自分の私兵である公明党に怒りの矛先を向けました。

 

池田大作名誉会長の公明党への攻撃は日増しにエスカレートしていきました。

 

7月31日、江戸川区の創価学会の会館完成祝いに訪れた池田大作名誉会長は、大変機嫌が悪く周りに当たり散らしました。

 

「気に食わない、竹入義勝(公明党顧問)に利用され騙されていた。江戸川区に来る気がしない。党と学会青年部は何もしない。選挙で何をしたか。もう帰るが、見送りもいらない。」と怒りをぶちまけてさっさと帰っていきました。

 

池田大作名誉会長の怒りは鎮まらず、さらに公明党攻撃をしました。

 

「昭和42年当選議員と44年当選議員は皆、バッジを外すくらいの気持ちでやれ。竹入と正木は反逆者だ、裏切り者だ。」と散々罵りました。

 

8月20日、「文藝春秋」9月号が、創価学会批判の急先鋒である藤原行正元都議の弟の藤原道宏(聖教新聞東海道支局長)の告発記事を掲載しました。

 

「”財務”で集めた巨額の資金の一部が、全国各地にある池田氏の豪華な専用施設の建設に使われていると考えられる。」

 

「昭和52年、民社党が各地にある豪華な会長専用施設を、宗教法人にあるまじきことと、国会で追及しようとしました。

 

この時、公明党が民社党に働きかけて時間稼ぎをして、その間に全国の池田大作名誉会長の豪華な専用施設を解体処分して、証拠隠滅をしようとしました。

 

この時に金庫がブルドーザーで埋められた可能性が高い。そして、改めて施設を作るために掘り起こし、出てきたものを誰かが日本図書輸送に頼んで処分したのではないか?」と。

 

民社党の追求を避けるために、創価学会が一時期半狂乱になって、全国にある池田大作名誉会長の豪華な専用施設を解体して証拠隠滅を図ったのですが、この時に金庫が埋められたのかどうかの真相は不明でした。

 

8月には池田大作名誉会長が避暑のために軽井沢にいく習慣があり、創価学会と公明党の幹部たちも軽井沢に出かけるのが習わしになっていました。

 

創価学会からは、「池田名誉会長と会うまでに42年、44年当選組の議員辞職問題について公明党として結論を出して、創価学会に対して報告を出す必要がある」と、市川氏は矢野氏に言いました。

 

そんな時期に自民党の竹下元首相から電話が入り、「補正を組んで景気対策をする。衆議院解散総選挙は来年1月以降になる。小沢一朗が創価学会の山崎尚見副会長とパイプがある」と。

 

矢野氏は国会本会議前に、公明党控え室に行き、「全員辞職することを決意せよ」と秋谷会長より強い指示があった」と市川氏が言いました。

 

このように、創価学会のいうことは支離滅裂で、これに振り回されていたら党は自壊してしまうと、矢野氏はこの時思いました。

 

8月28日、警視庁最高幹部は矢野氏に言いました。

 

「神奈川県警本部長はこの辺で決着したいと考えているが、国会でこの問題について質問が出ているために、警察庁としては、”まだ調査中”と答えた方が無難なのだ」と。

 

 

8月29日、中西氏が県警に提出した金庫の鍵の製造番号と金庫の製造番号が一致したと、産経新聞が報道。

 

矢野氏は自民党の金丸副総理に面談して、この間の事情を説明し協力を要して、金丸信氏は快く快諾。

 

金丸信氏から矢野氏に電話が入りました。

 

「警察庁の国会担当から事情を聞いた。マスコミが鵜の目鷹の目でうるさい。

 

金庫は中西のものと一応はっきりしているらしいが、中のお金は今の状況から中西のものと裏付ける資料が今ひとつ不足している。

 

今、中西氏にお金をお返しすると、マスコミから何を理由に落とし主が中西氏だと断定したか、と詮索されるとやはり弱い。

 

六ヶ月たっても誰も俺のものだと手を上げない時は、中身の金もだいたい推量で中西氏のものだと言える。

 

そこまで波風立てないように待ちたい。ここだけの話だが、創価学会筋から、”金は学会のもの。もし中西が自分のものだというと業務上横領の疑いがある。告訴するから業務上横領での諏佐をしろ”と警察に強く言ってきていて警察でも困っている。

 

それが裏にある事情だ。マスコミの話題になってしまうと困るので持て余している」と。

 

10月16日、中西氏に金が返されました。中西氏は記者会見で世間を騒がせたことを謝罪し、拾取者である廃棄物会社に慰労金として2600万円を支払い、1億1千万円を日本赤十字に寄付しました。

 

10月14日、創価学会では、中西氏を退会届を受理し、聖教新聞社も青木亭代表理事名で「不正な利益追求であり、断じて許しがたい」との談話発表して、中西氏を懲戒免職扱いにしました。

 

この事件から20年後の2011年7月、中西氏は、創価学会と激しい抗争を続けた日蓮正宗に入構しました。

 

こののち、この事件をきっかけとして、創価学会に国税庁の税務調査が入ることとなりました。

 

参考図書

「乱脈経理 創価学会 VS 国税庁の暗闘ドキュメント」矢野絢也著