ユダヤ人から最も感謝されている日本人 東条英機 | 誇りが育つ日本の歴史

誇りが育つ日本の歴史

日本では自殺者が増え続けています。
自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
少しでもそのような精神的な貧乏状態を改善していきたいです。

ユダヤ人から最も感謝されている日本人 東条英機

 

 

 

ユダヤ人から最も感謝されている、日本人の一人は、誰だかお分かりでしょうか?

 

それは東条英機元首相です。

 

戦前のドイツやロシア(ソ連)などでは、ユダヤ人が迫害されていました。

 

特にナチス党支配のドイツでは、ユダヤ人に対して大虐殺が行われていました。

 

民族抹殺計画により、女子供に関わらず、すべてのユダヤ人をガス室に入れて、大虐殺を行っていたのです。

 

そんな状況でしたので、ユダヤ人たちは、難民としてドイツからポーランド経由でシベリア鉄道を使って極東の満州国にやってきました。

 

当時の満州国は、八紘一宇という建国の精神により、人種差別のない国づくりをしていたのです。

 

八紘一宇とは、世界を一家族とみなして、強いものが弱いものを助けるという精神です。

 

戦前の世界情勢は、ブロック経済を進めて、欧米列強の強い国が弱い国(植民地)から搾取するのが当たり前の世界でした。

 

そこで、日本はそのような欧米列強の白人社会に対抗しました。

 

一番強い家長が弱い家族から搾取するという弱肉強食の世界ではなく、強い家長が、弱い家族を守り助けて、働いてあげるという、人類皆一家族という精神を、日本の進むべき道としました。(清水芳太郎「建国」1938年)

 

 

昭和13年(1938年)1月21日、関東軍司令部は、対ユダヤ民族施策要領というものを定めていました。

 

その第4条には次のように規定されていました。

 

「ドイツその他の列国に対しては我が民族共和、八紘一宇の精神並びに防共の大義に遵由(じゅんゆう)するを、了解せしめ誤解なからむ」

 

これはユダヤ人に対してはあくまで受動的な態度をとること、そして、ドイツをはじめ欧米列強に対しては、八紘一宇の精神で対応することを理解してもらうことを明記したものでした。

 

 

昭和13年(1938年)2月、満州国の国境付近の満州里駅近くのオトポールという町に、大量のユダヤ難民が連日、押し寄せてきました。

 

しかし、そのユダヤ人たちは、ドイツ国のパスポートを持ってましたが、満州国に入国するためのビザを持っていませんでした。

 

そこで、そのオトポールでユダヤ難民たちは、テントを張ったりして、生活をはじめました。

 

オトポールは気温が氷点下まで下がり、そのまま何日も滞在していたら凍え死んでしまいます。さらに、ロシア(ソ連)は、ユダヤ難民たちの受け入れを拒否していましたので、強制連行して、ドイツに連れ戻されてしまうかもしれませんでした。

 

そこで、満州にあったユダヤ人居留民組織であった、極東ハルビン・ユダヤ人協会の幹部たちが、関東軍(日本陸軍)の特務機関の機関長であった、樋口季一郎少将(当時)に、オトポールのユダヤ難民たちを救って欲しいと懇願しました。

 

それを受け、樋口季一郎少将は、関東軍(日本陸軍)の参謀長であった、東条英機中将(当時)にユダヤ難民の受け入れを許可してもらうように懇願しました。

 

東条英機は、ユダヤ難民を満州国に受け入れることを許可する旨、満州国外交部(外務省)に折衝しました。

 

樋口季一郎の部下であり、ユダヤ通の安江仙弘大佐は、満州鉄道(満鉄)が何本もの列車をロシア国境付近の満州里駅まで派遣して、国境を歩いて渡った難民たちを収容しました。

 

そのおかげで、2万人以上とも言われるユダヤ難民たちが満州国に無事に入国することができました。

 

当時、日本はドイツと防共協定を結んでいました。

ドイツ政府は、日本に対して、強行な抗議をしました。

 

関東軍司令部へ伝えられたドイツからの抗議に対し、東条英機は次のように語り、一蹴しました。

 

「当然なる人道上の配慮によって行ったものである」と。

 

当時のイギリスや米国など欧米列強は、ユダヤ難民の受け入れを拒否していました。

 

世界で唯一、ユダヤ難民を受け入れたのは、日本であり満州国だったのです。

 

ユダヤ民族に貢献した人を掲載した、ゴールデンブックというものがあります。

 

このブックに掲載されるには、複数のユダヤ人かユダヤ人団体からの推薦と、ある程度の金額を寄付する必要があります。

 

このゴールデンブックには、樋口季一郎中将と安江仙弘大佐が掲載されていますが、東条英機は掲載されませんでした。

 

なぜかというと、東条英機は、ユダヤ人社会との個人的な交流がなかったからです。

 

終戦後、樋口季一郎中将は、ソ連のスターリンからの要求により、東京裁判でA級戦犯として起訴されることとなりました。

 

ゴールデンブックに掲載されていた樋口季一郎中将に対して、世界中のユダヤ人社会が助命懇願に奔走して、また、ユダヤ人金融家によるロビー活動のおかげで、マッカーサー元帥を動かし、スターリンの要求を拒否。

 

樋口季一郎中将への起訴が取りやめになりました。

 

一方、ゴールデンブックに掲載されなかった東条英機は、同じくA級戦犯として起訴されましたが、ユダヤ人社会からの助命懇願要請もなく、そのまま死刑執行されてしまいました。

 

ユダヤ人から、命の恩人として、最も感謝されている日本人の一人である東条英機。

 

しかし、未だにA級戦犯としての汚名を受けたままです。

 

(参考図書『ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー著)