大人しくなってしまった世代 | 誇りが育つ日本の歴史

誇りが育つ日本の歴史

日本では自殺者が増え続けています。
自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
少しでもそのような精神的な貧乏状態を改善していきたいです。

父は、時々自分に対し次のようなことを言いました。
「俺たちの時代は今の中国のようにみんながむしゃらに猪突猛進して生きてきた。だが、お前たちの世代はおとなしい人間が多くなってしまった」と。
 戦後日本は豊かになり、ハングリー精神や他人を押しのけて、猪突猛進するような日本人はいなくなってしまった、と時々聞きます。しかし、本当にそうでしょうか?
 野球やサッカーなどプロの世界で活躍しているスポーツ選手はみな、「俺が俺が」、というように我が強い人が多いです。また、芸能界で生き残って活躍している人たちも、同じように我が強く、カリスマ性も強い。実際、おとなしく、他人を押しのけて突き進むことができないような人間が、芸能界やプロスポーツの世界で生き残ることはできないでしょう。また、大企業でサラリーマンする道を選ばず、自分でベンチャー起業して多くの従業員を雇用する会社を創業した社長も、我が強くカリスマ性も備えています。
 豊かさとおとなしさには何も因果関係はありません。戦後の日本は、豊かになった、そして戦後の日本人はおとなしくなった。時期がかぶるので一見、因果関係があるように思えます。しかし、戦後日本が焼け野原であった時期、アメリカは無傷であり、世界で一番豊かな国になっていました。だからといって、アメリカ人がおとなしくなったかというと、答えはノーです。豊かさとおとなしさは何の因果関係もないのです。
 では、なぜ、戦後の日本人はおとなしくなってしまったのでしょうか?
その理由は2つあります。1つは、終戦後日本を約7年間占領した、マッカーサー率いる進駐軍の影響です。当時のマッカーサーの権力は絶大であり、戦前の天皇をしのぐものでした。戦前の日本の神は天皇であったが、戦後の日本の神(ゴット)はマッカーサーでした。(これは、それ位絶大な権力を持っていたという、あくまでも例え話です。)
 以下はマッカーサー回想録からの引用です。
 「私は、日本国民に対して事実上、無制限の権力を持っていた。歴史上いかなる植民地総統も征服者も総司令官も、私が日本国民に対して持ったほどの権力を持った事はなかった。私の権力は至上のものであった。」
以上引用終わり

 その、彼が日本の占領政策を取る上でのベースにしたものが、「日本人を、2度とアメリカに歯向うことができない民族にすること」でした。そのためにすべての日本システムを解体しました。また一方、税務会計システムをはじめいろいろなシステムをアメリカは教えてくれました。
 財閥、貴族の解体や公職追放を実行しました。公職追放令を出したのは、マッカーサー進駐軍の民政局で、その中心人物はケーディス大佐とハーバート・ノーマンという外交官でした。
 渡辺昇一氏は次のように述べています。
「左翼的な連中は戦前、日本に革命を起こし、皇室をつぶし、私有財産制度を廃止しようと考えていたわけですから、もちろん帝国大学にとどまる事はできませんでした。ところが戦後に入り、戦前、有力な地位に就いていた人たちが公職追放令によってその地位を負われると、彼らがそれに代わって、あたかも凱旋将軍のごとく学会や言論界に戻ってきたのです。」
「さらに、進駐軍の方針で新制大学が全国各地につくられるようになると、彼らはそこに自分の弟子たちを教授として送り込みました。そのため、日本のアカデミックな世界はあたかも進行性のがん細胞に侵されたごとく、あっという間に左傾化してしまいました。」
以上引用終わり
 
 今でも、このときの左翼言論人の弟子達が教育言論界の主要なポストにいて、日本人に自虐史観で洗脳し続けているのです。
 さらに、全国の小学校から二ノ宮金次郎の銅像を撤去しました。なぜ、わざわざ、全国の小学校から二ノ宮金次郎の銅像を撤去するようなことをしたのでしょうか?これが「日本人を、2度とアメリカに歯向かうことができない民族にすること」とどのような関係があるのでしょうか?
 それは、アメリカ人は日本の思想教育を一番恐れていたからです。二宮金次郎の思想や「教育勅語」、「修身」という道徳教育、「神道」について小学校で教えることを一切禁止しました。
 その他、歌舞伎座で「赤穂浪士」といった「忠臣」の思想が入った演目の上映も禁止しました。一時はすべての演目が中止されて、日本から「歌舞伎」というものが消滅する寸前のところまでいきました。この歌舞伎の消滅を救ったのは、マッカーサーの副官でフォービアン・バワーズという人物です。
 彼は、戦前の日本に、インドネシアへの放浪の旅の途中に立ち寄りました。そしてたまたま、「東京へ行って、銀ぶらしながら歌舞伎座に偶然入った。お寺かと思って」(「歌舞伎を救った男」集英社)そして、立ち見席でたまたま「忠臣蔵」を見て、歌舞伎に魅せられてしまいました。そして、チケットをキャンセルして日本に長期滞在しました。この青い目をした歌舞伎ファンの青年のおかげで、日本の歌舞伎は存続することができたのです。
 この「アメリカに敵意を持たないように」洗脳するプログラムで一番のメインイベントが「東京裁判」でした。この東京裁判でA級戦犯として処刑された人間は、東条英機ら高級軍人でした。しかし当時、天皇の戦争責任を追求するアメリカ世論は大多数でした。マッカーサーは途中で考えを改めたのです。それは、天皇のパワーについて知ったからです。
 昭和20年8月30日時点で日本には陸海軍合わせて約700万人の兵隊が残存していました。うち国内は約二百六十万人で残り四百四十万人が東南アジアやロシアなどに駐留していました。日本軍隊では、どんなに戦況が悪くても、「進め」「突撃」という上官からの命令はあっても、「武器を置いて撤退しろ」「降伏しろ」という命令はあまり出たことがありませんでした。それが、天皇からの停戦命令で「武器を置いて撤退しろ」「降伏しろ」という命令が日本軍の中に出たのです。東南アジア諸国に何百万人といた日本軍の武装解除が天皇の一言で何の混乱もなく速やかに行われ、本土に復員していったのです。決して降伏しない日本軍、という印象をもっていた連合国にとってこれは不思議な出来事でした。
 マッカーサーの副官にボナー・F・フェラーズという人がいました。彼は重要な任務がありました。それは。マッカーサーに天皇の戦争責任についての覚書を提出することでした。以下はその意見書の抜粋です。
 「無血侵攻を果たすにさいして、われわれは天皇の尽力を要求した。天皇の命令により、七百万の兵士が武力を放棄し、すみやかに動員解除されつつある。天皇の措置によって何百何十万もの米国人の死傷が避けられ、戦争は予定よりもはるかにはやく集結した。
 したがって、天皇を大いに利用したにもかかわらず、戦争犯罪のかどにより彼を裁くならば、それは日本国民の目には背進に等しいものであろう。それのみならず、日本国民は、ポツダム宣言にあらまし示されたとおりの無条件降伏とは、天皇を含む国家機構の存続を意味するものと考えている。
 もしも、天皇が戦犯罪のかどにより裁判に付されるならば、統治機構は崩壊し、全国的反乱が避けられないであろう。
 彼らは、武装解除されているにせよ、反乱と流血が起こるであろう。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍を必要とするであろう。占領期間は延長され、そうなれば、日本国民を疎隔してしまうことになろう。
 米国の長期的国益のためには、相互の尊敬と信頼と理解にもとづいて東洋諸国との友好関係を保つ事が必要である。結局のところ、日本に永続的な敵意を抱かせない事が国家的に最も重要である。」
以上引用終わり 
 
 この覚書により、「天皇に戦争責任を追求しない」ことにマッカーサーは考えを改めました。そして、4ヶ月後に米国政府に最終的な判断を報告しました。これにより、ワシントンの天皇の戦争責任論議は終結しました。
 ボナ・F・フェラーズはクエーカー教徒であり、同じクエーカー教徒で河井道という日本の友人がいました。彼女は、恵泉女学院を創設した人です。彼はこの覚書をマッカーサーに提出する前に、「日本人にとっての天皇感」について、河井に意見を求めました。
 後に、フェラーズは死ぬ直前のインタビューで次のようにコメントしています。
「私はあの覚書の内容について自身が持てなかった。あれはミチ カワイから授かったものだ。彼女は実に偉大な女性だった。彼女が私を助けてくれた。彼女は知らないだろうが。マッカーサーの天皇に対する態度に、彼女は大きな影響を及ぼしたと想う。」
以上引用終わり。

 天皇に戦争責任を追求しないマッカーサーの方針に直接影響を与えたのが、副官のフェラーズですが、間接的に影響を与えたのが、日本人の河井道だったのです。

 約7年後、日本から進駐軍が撤退し、形式的には日本は独立国家となりました。(事実上は今現在でも日本はアメリカの保護国です。)この7年間のマッカーサーによる「日本人洗脳プログラム」は凄まじいものでした。このプログラムを小学生中学生の頃に、一番強烈に受けたおやじ世代は、いまでも「反米」という言葉を聞くとアレルギーを引き起こします。
 戦前の日本については、暗黒のイメージとして、語られることが多いです。これも左翼言論人による洗脳ですが。戦前戦中、国を追われていた左翼言論人にとっては、確かに暗黒の時代だったのでしょう。
 しかし、これは国家総動員法によって、戦況が悪化し始めた後の数年間の話です。それ以前の明治時代から続く近代国家の礎としての思想教育は決して暗黒の時代ではなかったのです。
 むしろ、江戸末期のクーデターから短期間のうちに急速に近代国家として奇跡的な成長をとげ、さらにロシアとの戦いで、有史以来初めて有色人種が白人を打ち負かすことができた日本にとって、この思想教育は完璧なシステムであったのです。
 この思想教育は、決して戦争を美化したり、奨励するものではありません。「志を持つ人間になる」ように育てるものでした。
 幕末期から明治維新にかけて、歴史に登場する人物はみなそろって陽明学を学んでいました。吉田松陰、西郷隆盛など数えきれないほどです。(この陽明学は革命思想として危険視する人がいます。陽明学には、おおきく分けて2種類あります。また、朱子学を学んだあとに陽明学を学べば、危険思想にはならずに済みます。)
 しかし、その奇跡の日本を支えた思想教育が、戦後、マッカーサーによる日本人洗脳プラグラムによって、すべて破壊されてしまいました。戦後の教育は教育勅語もタブー、神道もタブー、修身という道徳教育もタブーになってしまったのです。
 かつて日本の首相が「日本は神の国である」と言ってマスコミから徹底的に叩かれました。そのニュースを見て、戦前に教育を受けた義理の母は「あら、日本は神の国よ、何が間違っているの」と不思議がっていました。日本は「八百ろずの神」が住む国なのです。これは「古事記」や「日本書紀」に書かれています。すべて、マッカーサーによる「日本人を、2度とアメリカに歯向かうことができない民族にしよう」という、日本人洗脳プラグラムの賜物です。
 政治家も「一億総ざんげして、近隣諸国に謝罪しながら生きていかなくてはいけないのだ」と戦後生まれの日本の子供達に洗脳してきました。このような政治家によって、戦後日本人は罪悪感を植えつけられてしまいました。日本人としての自身と誇りが持てなくなってしまいました。
 2002年ワールドカップサッカーで日本が勝ち進んだ時期、街を歩いていると、日本中が元気になった実感がしました。また、野球で日本代表がWBC世界一になったときも大興奮でした。
 ある国に生まれて、生まれ育った国に対して、誇りと自身が持てるような事柄が起きると、自然と感情が高ぶり興奮するものです。
 日本に生まれその生まれ育った日本に対して、誇りと自身が持てるように子供達を育てるのが本当の教育です。これはどこの国でも同じです。
 アメリカでは、町を歩けばそこら中に星条旗がはためいています。野球の試合を見に行けば、観衆全員が起立して国家を斉唱します。
 そして、戦争したことに罪悪感を持っているアメリカ人はほとんどいません。今行われているイラクやアフガニスタンでの戦争をはじめ、かつてのベトナム戦争、朝鮮戦争、そして日本とドイツとの戦争について、ベトナム人や朝鮮人、ドイツ人、日本人に対して罪の意識を持っていないのです。
 以前、ナチスドイツをコケおろすような映画をアメリカの映画館で見ました。その映画を見ているアメリカ人はみんな拍手し大笑いしていました。アメリカ人はヒトラーをはじめナチス党をいまでも憎んでいます。ただ、他のアメリカ人に聞いたら、今のドイツ国やドイツ人に対しての憎しみはないと言っていました。あくまで、ヒトラーとナチス党に対しての憎しみだけです。
 自分のおじいちゃん世代は、家族を日本に残し、戦争にとられました。赤ん坊や小さい子供を日本に残してきた人はたくさんいました。嫁が妊娠中に戦地に赴任し、生まれた我が子の顔を見る事なく散っていった人もいました。それに比べ、自分は、小さい子供と毎日一緒に暮らす事が出来ます。戦争にとられたおじいちゃん世代の人たちに比べ、なんて幸せなのだろうとしみじみ感じています。 
 学校で子供達に「あなた達のおじいちゃんは犯罪者である」ように教育する人がいます。これは教育とはいえません。こんなことを学校で教えられた子供は、日本人であることに罪の意識を植え付けられてしまいます。子供に罪の意識を植え付ける事が教育ではありません。子供に志を持つように育てていく事が、真の教育です。
 マッカーサー進駐軍は約7年間日本を占領しました。その間、日本人洗脳プログラムを徹底的に行いました。そして、7年後日本を去っていきました。しかし、戦後60年以上たった今でも、日本人はこの洗脳プログラムから抜けることができずにいるのです。
 これが、戦後の日本人が自分の国に誇りと自身が持てず、そして、自分の主体性に罪の意識が植え付けられてしまった原因です。その結果、日本人はおとなしくなってしまったのです。 
 右脳教育で知られる七田真氏は次のように述べられています。
「個性の芽を摘み取る、目立つ事は悪いと教える、悪平等を推し進めるなど、これらの指針は、すべては二度と戦争を起こさせないようにするものでした。日本人が再び戦争を起こすことがないよう、羊になる教育をGHQが画策したのです。戦後60年過ぎた今、これを乗り越える事が、今の日本に求められているのだという気がしてなりません。
日本人の能力や活力を骨抜きにするこれらの政策を乗り越えて、個性を生かし、思いやりの心をもって、人の為に役立つ教育を取り戻す事が必要です。」(七田真著「七田式「魂の教育」」講談社) 
 
 もう一つの理由は、親の子供に対する過保護です。危ない事は極力させず、温室の中の無菌室でぬくぬく育てられた子供は、必然的に、ハングリー精神や「俺が、俺が」と猪突猛進に生きる事をしなくなる。親の期待に答え、そこそこの生活をすることで満足してしまう。あえて、リスクを負って危険な賭けにでることをしなくなる。親からは常に「危ないから○○してはだめ」と言われ続けて育てられた。「○○したい」と、夢を語っても「地に足をつけていきなさい」と親に諭されて生きてきた。その結果、おとなしい人間になってしまったのです。
 親は、子供にがむしゃらに猪突猛進に生きる事を求めるのであれば、温室で無菌室の中で育てる事をするべきではありません。かわいい子には旅をさせる必要があるのです。時には子供を谷に突き落として、そこから這い上がってくるように要求する事も必要です。「親がなくとも子は育つ」のです。長い年月、言われ続けている言葉は、物事の真理を言い当てている事が多い。親の過保護、過干渉が子供の成長を阻害するのです。「過保護な親がいると子は育たない」のです。子供は親のペットでも所有物でもありません。一人の社会人をして、子供と接してあげるべきなのです。