天のいわや戸1 | 誇りが育つ日本の歴史

誇りが育つ日本の歴史

日本では自殺者が増え続けています。
自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
少しでもそのような精神的な貧乏状態を改善していきたいです。

古事記のお話です。

「天のいわや戸1」

 

天照大神(アマテラス大神)は、須佐之男命(スサノオノミコト)があまりにも暴れ回るので、天のいわやという石の部屋に入られて、ぴしゃりと戸を閉めてしまいました。

大変です。日の神様がいわやに入ってしまったのです。
 

高天原(たかあまはら)も豊葦原(とよあしはら)の中つ国(日本のこと)も、真っ暗になり、夜ばかりが続くようになりました。

 

子供達は泣きました。

「いつ夜が明けるかわからない。寒い、寒い」
「あの子も変えを引いてしまった」

 

「お米も麦も何もできない」
「ハエや蚊や悪い虫ばかりが大量に発生してしまった」

 

「このままではみんな死んでしまう。日の神様に早く出てもらわないと」

八百万(ヤオヨロズ)の神様たちが、天安之河原(あめやすのかわら)に集まってきました。

 

「どうしたら出てくれるだろう」
 

神様たちはみんな考え込んでしまいました。

 

「困った時こそ明るいことを考えなくては」
「そうだ、いわやの前でお神楽をあげよう。みんなで明るく賑やかに」

 

「それはいい。早くお神楽の用意をしましょう」

天(あめ)のかぐ山から榊の木を一本引き抜いてくる神さま。
 

榊にかける八咫の鏡(ヤタノカガミ)を作る神さま。
触れ合うと良い音がする八坂の勾玉(ヤサカのマガタマ)を作る神さま。

 

元気よく「コケコッコー」となく鶏を探してくる神さま。
薪を集めてきて火を焚いて昼魔のように明るくする神さま。

 

みんな一生懸命働きました。

 

岩屋の前の榊の木には、一番上の枝には八坂の勾玉(ヤサカのマガタマ)を、中の枝には八咫の鏡(ヤタノカガミ)を、下の枝には白い布を何本も垂らし、立派に飾り付けができました。

 

大きなたらいが岩屋の前に伏せておかれました。
すっかり用意が出来上がりました。

 

(参考図書:「親子で読める日本の神話」出雲井晶著)
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高天原(たかあまはら)と葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)(日本)も真っ暗闇となって、あらゆる災難が沸き起こってきました。

 

太古の昔、火山噴火とか地震などで立ち上った煙や雲霧で、太陽が陰り見えなくなった大事件があって、天の石屋戸の神話が生まれたのかもしれません。

 

古代ご先祖様は、太陽がいかに地球上の全ての生き物たちにとって、偉大な存在であるかということを感じとっていたのかもしれません。

 

全ての生命の元である太陽がなくなってしまったら、地球上の生物は生きていくことができない。だから太陽の恵みに対して感謝を忘れずにしていました。

 

そのような気持ちで生活することが、幸せへの道であることを教えてくれたのでしょう。

 

数え切れないほどのの神様たちが、天安之河原(あめやすのかわら)で燃やすかがり火を目指して集まってきました。

 

そこで、この問題の解決のために、話し合いが行われたのです。

戦後の教育では、戦前までの日本は軍国主義であり、民主主義など存在しなかった、と教えられています。

 

これは米国でも同じです。
 

米国人の日本に対する一般的な考え方は、

「戦前までは危険な軍国主義国家であり侵略国家であったが、戦後GHQが民主主義を教えたやったおかげで、戦後の日本は平和で民主主義国家になった」

と認識しています。
(「アメリカにはめられた日本」マックス・フォン・シュラー著)

 

でも本当でしょうか?

 

明治元年(1868年)4月6日に発布された「五箇条のご誓文」には次のように書かれています。

 

五箇条のご誓文とは、明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針です。

 

ご誓文の一つに、
「広く会議を起こし、万機公論に決すべし」
とあります。

 

これは、広く会議を起こし(民選議会により)、あらゆる重要事項を、公開された議論(みんなの意見)によって決めていくべきである、という意味になります。

 

これが軍国主義になるのでしょうか?

 

すでに明治元年(1868年)時点で、日本は民主主義国家であることを宣言していたのです。

 

昭和21年1月1日、昭和天皇より「年頭、國運振興の詔書」が発表されました。(人間宣言)

 

この詔の冒頭に、明治天皇の五箇条のご誓文が挿入されています。

 

昭和天皇は、天安之河原(あめやすのかわら)にたくさんの神々が集まって、話し合いが行われた情景を思い浮かべて、深い教えを述べられたのではないでしょうか?

 

以下、「年頭、國運振興の詔書」
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『詔書』 

 

ここに新年を迎う。かえりみれば明治天皇、明治のはじめに、国是として五箇条の御誓文(ごせいもん)を下し給(たま)えり。 
いわく、 

 

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。 
一、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし。 

一、官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。 

一、旧来の陋習(ろうしゅう:悪い習慣の事)を破り、天地の公道に基づくべし。 

一、知識を世界に求め、おおいに皇基を振起すべし。 

 

叡旨公明正大、また何をか加えん。朕(ちん:天皇の自称)は個々に誓い新たにして、国運を開かんと欲す。

 

すべからくこの御趣旨にのっとり、旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、もって民生の向上をはかり、新日本を建設すべし。 

 

大小都市のこうむりたる戦禍、罹災者の艱苦、産業の停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は、まことに心をいたましむるものあり。

 

しかりといえども、わが国民が現在の試練に直面し、かつ徹頭徹尾文明を平和に求むるの決意固く、よくその結束をまっとうせば、ひとりわが国のみならず、全人類のために輝かしき前途の展開せらるることを疑わず。

 

それ、家を愛する心と国を愛する心とは、わが国において特に熱烈なるを見る。いまや実に、この心を拡充し、人類愛の完成に向かい、献身的努力をいたすべきの時なり。 

 

思うに長きにわたれる戦争の敗北に終わりたる結果、わが国民のややもすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈綸(ちんりん)せんとするの傾きあり。

 

詭激(きげき)の風ようやく長じて、道義の念すこぶる衰え、ために思想混乱あるは、まことに深憂にたえず。

 

しかれども、朕は汝(なんじ)ら国民とともにあり。常に利害を同じうし、休戚を分かたんと欲す。

 

朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。

 

天皇をもって現御神(あきつかみ)とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。 

 

朕の政府は、国民の試練と苦難とを緩和せんがため、あらゆる施策と経営とに万全の方途を講ずべし。

 

同時に朕は、わが国民が時難に決起し、当面の困苦克服のために、また産業および文運振典のために、勇往せんことを祈念す。 

 

わが国民がその公民生活において団結し、あいより助け、寛容あい許
すの気風を作典興するにおいては、よくわが至高の伝統に恥じざる真価を発揮するに至らん。

 

かくのごときは、実にわが国民が人類の福祉と向上とのため、絶大なる貢献をなすゆえんなるを疑わざるなり。 

 

一年の計は年頭にあり。朕は朕の信頼する国民が、朕とその心を一にして、みずから誓い、みずから励まし、もつてこの大業を成就せんことをこいねがう。 

 

御名 御璽 
昭和21年1月1日
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以上、「年頭、国運振興の詔」

 

さて、神々は高御産巣日神(たかみむすびの神)の子である、思金神(オモイカネの神)に、どうしたらこの状況を解決できるかと問いました。

 

思金神(オモイカネの神)は答えました。

 

「この真っ暗闇に再び陽の光、天照大神の光がさし、明るい世の中が蘇る。それには、今ここに集まっているヤオロズの神々も、その他の神々もみんな、アマテラス大神の心に振り向き帰ることです。

 

天照大神はまったく私心がありません。慈悲の愛のみです。

このことに思いを巡らして、その真理の世界はすでに有る。
 

闇が消えている真理の世界はすでに今ここに有るのだ、と祈りましょう。」と。

そして天之御中主神(アメノミナカヌシの神)の理想郷の長鳴き鳥に「コケコッコー、暗い世の中は開けるよ。明るい世の中はくるよ」と伝えさせました。

 

言葉に出して伝えることが大切です。

 

「はじめに言葉あり。言葉は神なり」とヨハネ伝にもありますように、言葉によって周りの世界は作られていくからです。

 

伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)は鍛治と共に鉄を真っ赤に熱しては石でうち、大きな鏡を作りました。

 

玉祖命(たまのおやのみこと)は、勾玉を集めて皆でつなぎ合わせて、八坂の勾玉の5百津(いほつ)の御須麻流の珠(みすまるのたま)を作ります。

 

天児屋根命(あめのこやねのミコト)と布刀玉命(ふとたまのみこと)は、葦を束ねて火をつけ、灯りとして天香山に入り、朱桜の木と男鹿の肩骨を探し、これを炊いてでるヒビで占いました。

 

”暗がりでも、皆よく頑張るから、あと一息”
と出ました。

 

天香山の榊の木を根をつけたまま、引き抜いて来ました。

 

榊の一番高い枝には、八尺の勾玉(ヤサカのマガタマ)の5百津(いほつ)の御須麻流(ミスマル)の珠をかけました。

 

この玉飾りはこの世に生きている全ての人々の魂を意味します。
ですから現在70億の世界の人々の魂のシンボルです。

 

この魂は玉の緒(創造主である天之御中主神(アメノミナカヌシ神))から天照大神の命の光で繋がっているという、真理が込められています。

 

この真理に世界中の人々が気付き始めると、世界の人々はそれぞれ手を結ぶことができるようになります。

 

人の和という一番大事な理念なので、上枝に御須麻流(ミスマル)の珠をかけたのです。

 

中枝には、八咫の鏡(ヤタノカガミ)をかけました。
これは、自分の心を写して、我がなく、心が澄んでいるか省みる鏡となります。

 

もし、あなたの心に我(”ガ”)がなくなったら、鏡(”カガミ”)に映ったあなたは、”ガ”がなくなり、”カミ”となります。

 

我を捨てる(捨我)ということは、神さまに近づくこととなるのです。

下枝には、白丹寸手(白和幣)(しらにぎて)と青丹寸手(青和幣)(あおにぎて)をつけたらします。

 

これは、ニコニコ笑顔、暖かい言葉を出し合いましょうという意味です。

布刀玉命(ふとたまのみこと)が、神々が心を込めた榊を岩屋の前にお供えしました。

 

(参考図書:「日本人なら知っておきたい日本神話」出雲井晶著)