昭和47年(1972年)9月29日、日本と中国共産党との間で、”日中共同声明”が発表されました。
この声明は、日本の田中角栄首相、大平外相と、中国共産党の毛沢東、周恩来らとの間で交わされ、日中国交正常化に向けた交渉が行われた際に、発表されたものです。
この声明は9項目からなり、その第3項には次のように書かれています。
「中華人民共和国は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重し、”ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する”。」
”ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する。”
とあります。
ポツダム宣言第8項には、”カイロ宣言の条項は履行され”、また、日本の主権は本州、北海道、九州、四国並びに我らが決定する諸小島に局限されなければならない。」
とあります。
カイロ宣言には、「台湾および澎湖島のような日本国が清国から盗み取った全ての地域を中華民国に返還することにある。」
と書いてあります。
つまり、中国共産党は、このカイロ宣言を盾にして、台湾は中国のものである、と主張しているのです。
それを、日本にも認めされたのがこの”日中共同声明”ということになります。
しかし、カイロ宣言はその宣言自体が、有効な公式文書とは言えません。
くわしくは、
http://ameblo.jp/hirohirobbb2000/entry-12249573715.html
を参照。
昭和30年(1955年)2月1日、イギリス首相ウィンストン・チャーチルは英国の国会答弁で、
「『カイロ宣言』に基づいて中国が台湾に対する主権を有するということには同意できない」
と述べています。
カイロ宣言の当事者の一人であるチャーチルが、その宣言の内容を否定しているのです。
この日中共同宣言により、昭和27年(1952年)8月5日に、日本と台湾が結んだ日華平和条約が失効してしてしまい、国交が断絶してしまいました。
日本は、”日中共同声明”により、台湾との国交を断絶したばかりでなく、”1つの中国”という中国共産党の主張を認めてしまったのです。
日本は、”日中共同声明”により、親日国である台湾を切り捨ててしまったのです。
そして、”日中共同声明”に基づき、昭和53年(1978年)8月12日、反日国である中国共産党と、日中平和友好条約を締結しました。