” 世界規模の話から自分個人の話へ” | 聞こえちゃったら、ゴ・メ・ン

” 世界規模の話から自分個人の話へ”

ちょうど11年前の記事です。

 

 

11年前の記事はDNAから見る人類の流れの話ですけど、

 

いや、そういう関連の本を読んでの感想ですけど、

 

今日はLGB-Tについての話をしてみようと思います。

 

 

ボクは、若い頃、

 

もしかしたら子供のころから

 

自分を通して人間というものを考えてきました。

 

 

だから、自分に関しては、ちょっと詳しいです。

 

 

 

25年くらい前、三十代の前半ですね、

 

そのころ書いた文章を本にしたものです。

 

 

 

 

 

この本を書いたころに

 

ボクは自覚がありましたよ。

 

 

オレは心は女だな。

 

そのころ知り合った物書きの女性が

 

深く、うなずいてました。

 

ボクの文章を面白がってた人です。

 

 

 

その後ですかね。

 

草食男子って言葉が出てきて、

 

ある人に、オレって草食男子なのか?

 

と、つぶやいたことがあるんだけど、

 

「なんだ、今頃気づいたのか」

 

みたいな感じで

 

あたりまえのように「そうだよ」って言われた。

 

 

 

自衛隊の頃は

 

「オマエは中性だ」

 

こんな言われ方をしてましたね。

 

自衛隊って24時間一緒にいますからね、

 

ごまかせないですよ。

 

寝言まで聞かれてるんですから。

 

 

 

ボクは男っぽい女性に惹かれますね。

 

だからって

 

男性に寄り添いたいって思ったことはないです。

 

 

 

このくらいでいいですかね。

 

 

ボクは、子供のころから変わり者でしたけど、

 

性的にも変わり者の気があるのかもしれない

 

という認識は、

 

30くらいまではなかったように思います。

 

 

 

なぜか。

 

そういう存在を知らないからです。

 

 

知らなければ素通りして済んでしまう。

 

そういうものを

 

わざわざ未熟なうちに知らせる必要はないんです。

 

 

 

人間っていうのは

 

360度の可能性を持って生まれてきます。

 

『続 自覚のすすめ』というよりは、『自覚のすすめ』の蒸し返し、になりそうな予感 | 聞こえちゃったら、ゴ・メ・ン (ameblo.jp)

 

 

 

これは、裏を返せば

 

危うい存在として生れ落ちるということです。

 

 

制御する必要がある。

 

 

それが躾です。

 

きのうも言ったなぁ。

 

”原因は、常に自分にあると考えるべき” | 聞こえちゃったら、ゴ・メ・ン (ameblo.jp)

 

 

 

男の体を持って生まれたら

 

男らしく、と育てられる。

 

女の体を持って生まれたら

 

女らしく、と育てられる。

 

これが大事なことです。

 

 

これも『自覚のすすめ』に書きましたけど、

 

この男らしく、女らしく、

 

おそらく一般の人が持つイメージと違いますよ。

 

 

なぜそう育てるのか。

 

 

 

ボクはオスは消耗品であり付属品だと思っています。

 

 

だから、世間一般に言う男らしく。

 

こういう縛りを設けておかないと

 

もともとが逃げ腰になる性質を持ってるから

 

それを卑しむ教育をしないと困った存在になる。

 

だから「男らしく」をことさら言う。

 

 

メスの方が本流ですから

 

女らしく。は、男を操るに適した姿勢ですね。

 

 

まぁ、こういう身もふたもない言い方はしたくないけど

 

つづめて言うと、こうなります。

 

 

知恵ですよね。

 

うまくやる。というか、スムーズにいくための。

 

 

 

 

さて、ここで

 

最近ネットで騒がれてる

 

女らしくないのに女になりたい人。

 

 

女湯や女性トイレに入りたがったりしてる

 

【自称T】の人、これはニセモノでしょう。

 

 

 

本当に間違った体を持って生まれてくる人。

 

そりゃ、居るでしょう。

 

おそらく、何百万人に一人とか

 

そのくらいの確率だと思いますよ。

 

 

もっと少ないのかもしれないけど、

 

それはあると思います。

 

 

 

ここでまたちょっと、

 

話が拡がったりしますけど、

 

「それ、可哀そうじゃん」とか、

 

こういう短絡的な発想がすでに侵されてますよ。

 

 

国連方面の呪文にね。

 

 

 

苦しみ悩むのが人間で、

 

そこで思考に深みが出るんです。

 

 

 

もう、ブログを書き始めてから

 

ずうっと言ってきてますけど、

 

心の無菌状態もよくない。

 

って、ことね。

 

 

苦しみ悩みがないまま育っちゃったら

 

薄っぺらすぎますよ。

 

 

まぁ、現実には

 

チョー薄型ペラッペラ人間なんて

 

あり得ないから

 

悪い影響を受けて

 

間違ったことをする人間になります。

 

 

世間は悪い影響の方が多く転がってますから。

 

 

そして、いずれはそれなりに悪知恵を身につけますよ。

 

 

そういうものです。

 

 

 

 

 

人間は、どう生きるべきか。

 

これは哲学的な話で、

 

生きるために必要な結論ではないですよね。

 

 

生きるのに必要な疑問は、

 

自分は、どう生きるか。

 

です。

 

これを決める、気づくには

 

自分を見つめる必要があるんです。

 

 

 

苦しんで苦しんで

 

悩み抜いた末に答えを見つけたらいいんです。

 

 

そういう答えは、揺るがない。

 

 

 

それを固まらない状態のまま

 

「差別ハンターイ」とかの言葉におびえて

 

垣根を取っ払ってあげることが

 

「子供の人権を守ること」なんて勘違いしてると

 

結局個人も定まらないままだけど、

 

世界がカオスになりますよ。

 

 

 

男の子がスカートはいてもいいんだよ。

 

とか、余計なことささやかない方がいい。

 

 

本来問題なく過ごせるレベルの子まで

 

目覚めちっゃたりするんですよ。

 

 

 

人それぞれ違うんです。

 

同じ人はいない。

 

 

 

それをグループに当てはめて

 

いがみ合わせてどうすんの?

 

 

 

日本の文化はずいぶんおおらかで、

 

「アイツ、変わってんだよ」

 

って、言ったっきりで

 

干渉しないし、差別もしないでしょ?

 

 

 

国連方面の呪文を使えば

 

日本ほど「多様性」の認められた社会はないですよ。

 

もう一つ、ついでに言えば

 

日本ほど「サステナブル」を実践してきた社会はないですよ。

 

 

 

言葉を変えればね。

 

日本があたりまえにやってきたことに

 

やっと世界が気づき始めたんです。

 

 

気づいたら日本を見習えばいいのに、

 

理解できてないもんだから

 

「日本、オマエもやれ!」

 

とか言ってるようなもんで

 

チャンチャラおかしな話です。

 

 

 

単純に考えてみたらいい

 

2683年も続いた国が他にある?

 

 

 

続かないんですよ。

 

間違った価値観でやってるから。

 

 

 

今の国連方面は、

 

一生懸命考え抜いて間違えちゃった。

 

じゃなくて、世の中をカオスにしようとして

 

意図してやってるように思えてならないけどね。

 

 

 

 

 

 

人間は影響を受けるんです。

 

悪いものは見せない方がいい。

 

 

もう少し言葉を変えると

 

善悪は表裏一体ですから

 

どっちかわからない段階の相手は

 

間違って受け取ることもあるんですよ。

 

 

だから、成長に合わせた刺激が必要なんです。

 

 

そんな理想的なことができるわけがなくてね。

 

そこは分かってます。

 

 

 

でも、人が影響を受けるものであること。

 

その影響で人間が形成されていくものであること。

 

 

このこと、わかってないんじゃないのかなぁー

 

 

そういう心配があるんですよね。

 

 

 

 

 

だから、ちょっと、言っておきたくなったんです。

 

 

 

 


 

 

小学六年生の時に書いた文章です。

 

こういう発想も大事だと思いますよ。

 

 

 

 

ぼくが小さい時、

 

新聞に、しっぽがはえたさるみたいな人間がうまれた、

 

と大きくでていた。

 

そんなことを書かれた人はよろこばないと思う。

 

気の弱い人は

 

反対に、はずかしがると思う。

 

でも、

 

もしも、赤ちゃんがうまれるたびに、

 

目が三つあったり

 

手が三本あったり

 

目が口の下にあるような人間ばかりがうまれれば、

 

はずかしくなくて、

 

かっこいいと、

 

自分自分がじまんすると思う。