聖徳太子の表記に戻ることが学習指導要領で決まった、ということのようです。
修正史学が花盛りになり、聖徳太子は不在説が唱えられ、蘇我氏の業績を聖徳太子に仮託したという話も広がりつつありました。
さらには、蘇我氏が実は大王だったということを唱える研究家も出てきていました。
自分もそうかなと考えていました。
石渡信一郎氏や林順治氏の書籍はかなり考証されていて納得性も高かったので。
しかし、落合莞爾氏の本を読み、彼が言う聖徳太子は竹田皇子というのも、読むと納得性もあります。
石渡氏の説は、欽明天皇、ワカタケルに言及しつつも、松野氏系図の金刺宮(欽明天皇を指すらしい)の時に姫氏が夜須の評督になったと書かれている点と、なんとなく相違を感じ疑問点もありました。
女性天皇や女系天皇を認める風潮は、まさに皇室軽視の風潮を高めるのに一助していて、蘇我氏天皇説も同様で、何かの意思が働いているようにも思えます。
落合氏は、南北朝時代は談合時代で、実は護良親王の系統のみが天皇になるという取り決めがなされた、という話を述べています。
これが真実なら、女系天皇はおかしいわけです。
聖徳太子の存在が再肯定されることは、果たしてどんな思惑があるのでしょう。
単なる歴史探求の知的好奇心のせめぎ合い以上のことが、裏であるように思えます。