ジャパンの・・・内緒話 -2ページ目
影が落ちた。
Stap
で、やはり時代の犠牲者が出た。
前回の記述通り
私が何かきちんと説明できるものでもないが
現象として今回の問題を
考えるとき
おおきな違和感がある
不正がどうとかということではない
なぜ、担ぎ上げた神輿が転落したのか
これから益々暗雲は広がっていく
誰かが決着をつけることにはならない。
時代の犠牲とは時間的な解決が
ほとんどだからだ。
埋れて、風化して行くだけだ。
犠牲者はまだ増えて行くだろう。
うーん
また頭痛がしてきた。
私の頭の中も風化させようと
でもしているのだろう
また次期に新たな影が落ちる
STAPについて触れたが
きちんと書くことができなかった
まあもともときちんとなんて書けないけどね
でも、調査が本格的に始まって
11月の終わりごろまでに結論を出すらしい
小保方さんが参加して
実際の成果を上げられるかが焦点になるのだ。
しかし、私は前述で触れてしまったので
余計な御世話だが一応記しておく必要があるかと思って
いるが、本当は気が進まないので簡単に
前述したがSTAPは世に出てくる時期ではないし、
私もそれを語ることは不可能だ
残念だけど
再検証をしても成果が上げられないというのが私の見解だ
STAPがあるとかないとかではなく
私に起きている現象と同じくSTAPは姿を現すどころか、
世の中をフリーズさせてしまいかねない
小保方さんは残念だがこの時代の犠牲者となってしまうだろう
ではなぜ彼女はここまでたどり着いたのか
それは何百万光年も彼方の星の光が飛び続けてるのと
同じように、光は何かにぶつかるまで飛び続けている
その何かが今だっただけのことだ
ぶつかった光はそこに影を落とし
ぶつからなかった光は通り過ぎ今もなお
飛び続け進み続けている
今この場にある光がすべてではない
ただそれだけのことだ
あーーーーあ
やっぱり頭痛くなってきちゃった
もう書くのやめないと
もう少し時間をおいて
理化学研究所とやらの調査に
何らかの発表があったら
また話せることもあるかもしれないけど
今はもうダメみたい
頭の細胞が砂みたいに落ちてっちゃうようだよー
ひとつだけ最後に
私は小保方さんを応援してるんですよ
いままでにもたくさんの時代の犠牲者がいますから
まあ
気休めにもならない言葉ですが・・・
さてさて、
世の中は何が正しくて、何が間違っているか?
それを決めるのは・・・
前回STAPについて触れたので、
それがどうなっていくのか見守りたい
な~~~んてのんきなことを言ってもいられまい
STAP細胞の発見を国外に持っていかれるようなことになれば、
どれだけの損失であるかは計り知れないのはわたしが言うまでもない
では、金や名誉の問題でないというのだとしたら・・・
なぜこんなことになってしまっているのか
正直わたしには関係ないことだ
しかしこれが現す意味はとてもよくわかる
前記したが、
STAP細胞は早く世に出すぎてしまったのだ
混沌の中で、人はもがき成長していくものだが
同時にもみ消されてしまうものも多い
妖怪はいてもいいが、幽霊は困るといった具合だ
妖怪は人間と同じように異種生物とも捉えられるが、
幽霊は、命を失った人間の再生となる
そんなことは断じてあってはならない
人間は死を恐れ、それゆえに懸命に生きるように
設計されている
不死の領域は人間の存在目的を根底から変える
命を惜しむのではなく
自分の遺伝子のみの優遇を求めるプログラムが
書き込まれれば、
人間そのものが妖怪と同じ特異生物となってしまうだろう
また、細胞の情報伝達方法についてだが、
新たな仮説を立ててみた。
細胞自体には特別な記憶はなくただ物質として存在する
それゆえに外的刺激に対して、
柔軟でより多くの反応を得ることが・・・




ここで筆が止まって早、一ヶ月以上。
自分が何を言おうとしたのか、
忘れてしまってどうしても思い出せない。
ただ考えてた時の記憶の残像だけが頭に残っている。
最近記憶力が・・・とか
少々暑さのせいでボケボケして・・・とか
そんなこんなで色々考えてるうちにまた
頭がどっか別の所へ行ってしまう。
そしてやっと気付いた
あ~~これってきっと考えちゃいけない話だったんだって。
前にも何度か同じような経験をしたことがある。
知ってはいけない事、
会ってはいけない人、
見たり聞いてはいけない話、
などなど
でもそれは誰にとってそうなのかということでも見解は変わる
たいていの場合は
私自身にとってのことだ。
私は何でも鵜呑みのしてしまうところがある。
心ではだまされないぞと思って聞いている話でも、
聴いてるうちに自分なりの解釈にして、
新しい仮説を立てて、ご丁寧に証明を組み立ててしまったり、
違う切り口を考えちゃったりする。
でも今回はそれとはまた違う
きっとこのページにこの内容をかくことは好ましくないと
思われる何かの力が働いたようだ。
その力が、外的なものか、私自身の脳裏にあるものだったり
するのかそれは私自身も判明できないが、
一度感じてしまえば間違いなく
ここに記すなという暗示であることは間違いないだろう
というわけで話題を変えるしかない。
そこで今回はせっかくなので、
暗示についていくつか考えてみようと思う。
前述の通り私にもはっきりと感じられるものから、
人に話せば考えすぎでしょ!!で終わるほどの
不可思議な暗示体験がある
誰ひとりまともに聞いてくれたことがないので
さら~~~っとかいとくが
私は大人になってから
タヌキに化かされたことがある
昔からよく言われていることであるし、
昔話にも登場する話だ
宮崎駿の映画にだってなってたじゃないか!!
なのに誰もこの話を眉にツバせずに聞こうとはしないのだ。
wwwww
もちろん私の話は笑い話でもなく大真面目だし、
場所こそ深夜のかなり山中で、
九州地方のかつてはうばすて山と称された場所でもあるが、
私が一人ではなく、仕事の関係の人で、
その当時チームを組んでいた別の会社の男性と、
また別の会社の女性と三人でのことだ。
シチュエーションとしてはそんな嘘話を作る間柄でもないし、
その人たちのほうが年齢も上の立派な大人だ。
しかも仕事帰りの車中でのことなので、
全員シラフである。
そしてみごとにタヌキが切り株に化けるのを目撃したのだ。
これは立派なタヌキの能力の一つであるが、
単純な言い方をすれば、タヌキによって暗示にかけられた
=狸に化かされた
というわけである
これ以上の詳細はここでは控えるが、
ほんと~~~にあった話だ。
幽霊はみたことないし、
そっち方面は鈍い私だが、
暗示にはとーってもかかりやすいと言わざるを得ないだろう。
だが生きるということはすなわち多くの暗示の中で
暮らしているのだ。
きっと誰しも経験があるだろう。
恋愛などはその際たるものだが、
恋愛の暗示はわたしが書くまでもなく
多くの書物になっているとおりだ。
そこで今回ご紹介したいのは
負の暗示についてだ
自分はだめだ
何をやってもうまくいかない
こんなのは朝飯前だろう
なかには自分だけが不幸になっている気がする
不細工で笑われるならまだしも、
存在にすら気付いてもらえない価値のない人間だ
自分が生きてることでなにかいいことがあるのか
などなど、きりがないだろう
私自身もたくさんの負を聞いてきた
私自身にそれほど大きな受け止められる器も
聞き答える能力もない
それどころか負の言葉はわたし自身のこころに
大きなおもりを積み重ねていく
それを長い間跳ね除けて、目の前のほんのわずかな
光も見逃さないようにと自分に奮起してやり過ごしてきた
そしていつも元気で明るいキャラを身に着けていったのだ
しかし、世の中はそうした人間にほどより強靭な負を追わせる
ものなのだろうか
一度も負けのない人生などないのかもしれないが、
負ければかなりつらい
鬱になり
元気が出なくなる
それは誰でもあることだろう
そしてかたくなに主張してきた
生きていたって仕方がない、生きてることに意味を感じない
そういった意見に真っ向から反対意見を投じてきたのだ
しかし、反対意見がどうしてもむなしく感じてしまう時期があるのだ
自分自身が鬱になっていることはうすうす感じることができる
でも気持ちは張り詰めていれば
そこから落ち続けることはない
ただ自分が思ってるよりも遥に深く落ち込んでしまっていることに
気付いたとき
急に初心者ダイバーが
光の届かない深さに来てしまったような恐怖に襲われる
何でここにいるんだろう?
水面までどのくらい?
酸素は持つのか?
もたなかったら?
・・・死ぬの・・・?
一瞬のうちに暗闇は天地を奪い
理性をかき消す
パニック
過呼吸
意識が薄れ行く中で
始めて出口のない闇を見る
そして唯一の光は
自分の記憶の中にしかない
走馬灯
自分の人生が
って、オイ
死にそうになってんジャン
あぶないあぶない
とまあそんな経験を何度かしてると
次にはもしかしたら死ねるかもって脳裏に浮かんで
かき消す
それもなんどか続くと
まあ、実際死ななくても死ぬことを考えるくらいは
いいんじゃないかと思ってしまう
これがとても怖いのだ
わたしは以前
自殺についてこんな見解でいた
人が死ぬと分かっていてそれでも自殺するのは
生きていることのほうがつらく苦しい
たとえ十分な理性ではなくとも
死ぬ気でやれば何でもできる
究極バージョンで
生きることよりも死ぬことが楽なんだと
もちろんだが
わたしは今生きている
わからないことだが
今では以前とは自殺の見解が違ってきた
衝動ではなく
自殺は頭の中で麻酔が効き始めるようなもの
である場合もあるのではないだろうか
それで疑問に思っていたことが
なんとなく分かった気がした
富士の樹海に入る人
死ぬ気とはいえ
メチャクチャ怖いだろうなって
でも違った
実際は頭の中がぼんやりして
これでいいかもしれない
大丈夫かもしれない
目を閉じて
次に目が覚めたら
新しい人生や、
新しい世界があるかもしれない
なかったらなかったで
目が覚めないだけだから
ま、それでもいっか
・・・・・・って
勝手な想像でこれ以上書くのは失礼なのは十分承知しているが、
何を言いたいかというと
死ぬ人の本当の気持ちは理解できないと
心の中ではずっと思って生きてきていたが、
もしかするとわれわれ今生きてる人間とそんなに
大きな差はないのではないのかということだ
理由も原因もあるのだろうが
どんなわけがあったからといって
自殺した人が特別な人になったわけではなく
誰もが同じような日常の中にあって
その中でのほんの少しの考え方の繰り返しが
導いてしまう道もあるのだ
これがもっとも危険な負の暗示だということだ
繰り返しになるが実際にわたしは生きている
死ぬという言葉を使うことにすら苛立ちを感じた人間だ
死ぬならまずその前に何かやれ!!
そう思ってた人間だ
しかし今は違う
心も消耗品なのかもしれない
痛み、傷つき、いつもリフレッシュはできない
自分が死ねるかもと思った日
ショックだったが、怖くなかった
怖くないことに恐ろしさがあった
だからこそ人は考え方一つでどうにでもなれる
そうなのだとしたら
やはり
わたしは明るい暗示にかかっていきたい
だからおもう
どんなひとだって
元気付けることはできるのではないだろうか
いや
そもそもできるかできないかじゃない
どんな状況であれ
後悔のない様に行動したい
いままで、負の言葉を吐きながら
消えていった人もいた
状況を考えれば仕方ないかとか、
病気だったから立ち直れなかったんだとか
それらは全部自分に対してのいいわけだったのだ
病気に苦しみながらも笑って亡くなっていく人がいると聞く
幸せで、周りの人にも恵まれたのだろうと思っていた
ただそれだけ?
そうではないだろう
今はそのことがよくわかる
より多くの暗示を大切にしよう
自分自身に
そして自分の大切な人に
より多くの暗示をかけながら
記憶に刻みあう人生を送ろう
あっ、そうか
わたしも今気付いた
あの時狸に化かされたと思っていたが
もしかすると
山の神様に切り株をタヌキに見せられていたのかも
しれないんだ
タヌキが切り株になったと思ったのは
わたしの記憶によるもので
昔話にとらわれていたせいかもしれない
なるほどなるほど
暗示とはきっとそんなようなものなのだろう

