🔷辛亥革命前後の状況と通じる?

 

最近中国人知識人が日本に相次いで移住してきている現象については、辛亥革命(1911年)の前後、1895年〜1920年代半ばごろの状況と似ているところもあるとみる。当時、魯迅梁啓超孫文といった進歩派の中国人の文学者、思想家が日本に滞在していた。混沌とした清末〜中華民国初期にあって、彼らは日本で貪欲に西洋思想を身につけた。東京では、清朝打倒を目的とする中国同盟会が設立され、横浜では「清議報」や「新民叢報」といった雑誌や新聞が誕生した。

 

*先ごろ駐中国大使を離任した垂秀夫(たるみ・ひでお)氏は、「中国人の日本渡来ブームは、清朝末期と改革開放後についで今回が3回目。今回は中国に対する国民感情が悪い、そして来日する中国人には富裕層が含まれているという特徴がある。何十年後かに振り返って、『あの時、3つ目の波を日本社会はきちんと受け入れられていたか』という検証に耐えられるような対応を考えなければならない」と話す。

そこから見えてくるのは、富裕層が知識人を支えて、新たな政治的勢力を育てる可能性だ。垂氏は「日本に逃げてくる中国人を中国共産党の一味と捉えるべきでなく、こうした人々を逆に戦略的に取り込むくらいの発想や度量が求められるのではないか」と指摘する。

 

*清朝末期との共通点を指摘する向きは多いが、違いを指摘する声も聞こえてくる。そもそも当時と違って、現在の中国の国力は日本を大きく上回る。ヨーロッパの大国であるロシアに勝った当時の日本は、アジアにおける政治の首都だったといっていいが、今や日本の位置づけは「文化の首都」(「単行街書店」経営者の許知遠氏)である。

 

*東京では体制派と反体制派が共に存在感を示すようになっており、今後何らかのきっかけで摩擦が起きる可能性についても想定しておく必要があるだろう。日本の国内に「もう一つの中国」が出現しつつあるとすら言える状況なのだ。もはや日本人は中国政治をめぐる鋭い矛盾に、部外者ではいられなくなってきた。

 

*歴史を学ぼう(歴史は繰り返す!!??)

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【辛亥革命】孫文はどのようにして清を滅亡させたのか?【中国近代史】

(2023/07/07)

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【参考情報】

 

<2019-01-25のブログから>

*上海駐在中に訪問した「上海魯迅公園」。。。。。

 

<2021-10-27のブログから>

*魯迅の孫。。。。