国宝の埴輪「挂甲の武人」3色で塗られてた | ・・・ 瀬戸の夕凪 ・・・

・・・ 瀬戸の夕凪 ・・・

世界中で、次々と起こる「ニュース」! 
癒しの「芸術」「文化」♪

 

国宝の埴輪「挂甲の武人」実は白、グレー、赤3色で塗られていた! 所蔵の東京国立博物館が調査

 

映画「大魔神」やNHK番組キャラクター「はに丸」のモデルとも言われる、国宝の埴輪(はにわ)「挂甲の武人(けいこうのぶじん)」が、実は白、グレー、赤の3色に塗られていたと発表され、歴史ファンなどを驚かせています。

 

所蔵する東京国立博物館が約2年をかけて本格的な解体・修理を行い、調査して分かったそうです。

今年はこの「挂甲の武人」が埴輪として初めて国宝に指定されて50年。

同館は10月から約半世紀ぶりに特別展「はにわ」を開催し、彩色復元された実物大の複製も展示されます。

 

従来の茶一色のイメージから、ポップな印象にガラリと変わる新発見。彩色に関する調査・研究を担当した、同館考古室研究員の山本亮さんに聞きました。

 

埴輪「挂甲の武人」は、東京国立博物館が1952年(昭27)に埴輪などの修復師から購入。

74年に国宝に指定されました。

 

2017年まで唯一の国宝埴輪で、文字通り埴輪の最高傑作。

映画や教科書、切手などでもおなじみです。

古墳時代の6世紀の作品で、全身を完全武装し、大きさは高さ130・4センチ、幅38・6センチ、奥行き27・3センチ。

群馬県太田市飯塚町からの出土とされますが、出土状況ははっきりしていません。

 

過去に何度か修復されましたが、昔は石こうなどで修理され劣化が進んだため、同館は約60年ぶりに約2年間かけて大規模な解体・修理とともに、彩色も調査した結果、製作時は全く違うイメージの姿だったことが分かったそうです。

 

-どのようにして色が分かったのですか

 

山本さん  顔の一部にかすかに赤が残っているので、色が塗られていたのではないかと見られていました。

ただ国宝ですし、あまり近寄っての調査は危険が伴うので詳しく調べられてきませんでした。

 

今回初めて全部で約90のパーツに解体して組み直したので、パーツごとに詳しく調べることができました。

ルーペなどで表面をよく見ていくと、白、グレー、赤、黒があり、色は焼いた後に上から塗っていることも分かりました。

 

埴輪は古墳の上や周囲に置かれたものなので、風雨にさらされたり、土に埋まって色がはがれたのです。

黒は、ほかの3色の上にまだらにかぶっています。

同じ群馬から出土した埴輪で色を塗っていないものでも黒がつくことが多いので、後からついたのではないかと考えました。

 

蛍光エックス線分析などでも調べると、黒は土に含まれる鉱物のマンガンで、埋まっている間に表面に沈着したと判断しました。

 

-白、グレー、赤は意図的に塗ったのですね

 

山本さん  全体として白を基調に塗られています。

「挂甲」は小さい鉄板をおどしひもで組み合わせてつくったものを言います。

観察し、まず甲(よろい)の部分の色を、白とグレーで表現したと考えました。

 

土の色は鉄分が多いと赤っぽくなり、少ないと白っぽくなります。

白は鉄分が少ない、きめの細かい粘土を選び、水に溶かして塗ったと思われます。

 

一方、こうした埴輪は、木の切れ端でなでつけながら表面を整えるので、板の目の筋がつきます。

そうした筋の間にグレーが残っている部分がありました。

グレーは、白い土にマンガンの黒を混ぜてつくっていますが、2つは相性が悪くはがれやすかったので、筋の間のようなところにしかグレーは残っていない。

 

こうしたことから、白とグレーの縦のストライプで塗り分けていたと考えました。

細かくみると、よろいの鉄板の部分は白、鉄板をとじ合わせるおどしひもがグレー、そういう規則性で塗られたと考えられます。

 

赤はベンガラで、顔から首、頬当てのとじひも、よろいの合わせひも、大刀、背中の矢入れの一部などに使われています。

頬当ては革をひもでとじたようなもので、伸縮しやすくしたのではないかと思われます。

 

-彩色にはどんな意図があったのですか。

ほかに色が使われた例はありますか

 

山本さん  古墳時代は約350年続きますが、人の埴輪は後半に限られます。

5世紀のよろいはもう少し大きい鉄板をとじ合わせて作っていました。伸縮性がなく、体形に合わせてつくらなければならないため、ヤマト王権がオーダーメイドで各地の王様に配ったと考えられています。

6世紀の挂甲は動きやすく、馬にも乗りやすいです。

 

「挂甲の武人」をつくった群馬県の工房は、非常に高い技術を持っていました。

別々に焼いたパーツを組み合わせた埴輪もありますが、この挂甲は全身一体で焼いています。

 

全身の埴輪をつくるのは位の高い人物で、埴輪そのものが王様だという研究者もいますし、仕えたり儀礼に参加した高官だとの見方もあります。

位が低い人の埴輪には色も塗られてないとみられます。

最新式のよろいを実際の色や形をリアルに再現した埴輪で見せることで、権威を示したと考えられます。

 

初期の円筒埴輪は赤く彩色されたりしています。

鳥取には緑を使っているものもあり、黒い顔料を使っているところもありますが、特に関東には色が残っているものが多いです。

 

ただし、彩色については、風雨にさらされたことにより既に色が落ちてしまっていたり、完全体で出土する埴輪も珍しいため、体系的な研究が少なかったのです。

これから調べていくことになりますが、埴輪がどんな色だったのか、みなさんも想像してみてください。

 

-今回の大規模修理ではほかにどんなことが分かりましたか

 

山本さん  左手に持っている弓の上側が失われていましたが、頬当ての左側に何かがはがれた跡があることが分かり、弓を頭の横まで復元できました。

内側からは、前回の修理の際に使われたはがきが発見され、消印などから45年以降に修理されたと推定できました。

【久保勇人】

 

【埴輪】

 

弥生時代の次、3世紀中頃から約350年間続いた古墳時代に、日本で独自に出現・発展し、王の墓の上や周囲に並べられた素焼きの造形です。

円筒埴輪から徐々に種類が増え、4世紀には家や鳥のような動物がつくられ、5世紀には人物が登場しました。

 

動物も犬、馬、イノシシなど種類が増加。

王を取り巻く人々や生活の様子が分かります。

7世紀には前方後円墳がなくなって埴輪も消え、飛鳥時代になっていきます。

 

0月から半世紀ぶりの埴輪展開催

 

特別展「はにわ」では、全国約50カ所の所蔵・保管先から約120件が集められます。

この規模の埴輪展が東京国立博物館で開催されるのは、73年以来約50年ぶり。

 

国宝は、埴輪「挂甲の武人」をはじめ、群馬県の綿貫観音山古墳から出土した埴輪や、副葬品の「金象嵌銘大刀(きんぞうがんめいたち、4世紀)など計18点。

 

“ゆるキャラ”を思わせる埴輪「踊る人々」も22年から解体され、今年3月末に修理完了。

リフレッシュした姿が初披露されます。

近年は片手を挙げて馬の手綱をひく姿とする説が有力だそうです。

 

「挂甲の武人」には、群馬県の太田市と伊勢崎市で出土し、同じ工房で製作された可能性も指摘される“兄弟”のような埴輪が4体あります。東京国立博物館所蔵の国宝「挂甲の武人」が“長男”で、他4体のうち1体は米国のシアトル美術館が所蔵。

 

今回は5体を史上初めて一堂に集め、展示されます。

細部に微妙な違いがあり、比べて見られる貴重な機会です。

山本さんは「5体それぞれ、色や表現などを比べてみてください」と話しています。

 

▼10月16日~12月8日=東京国立博物館 

▼25年1月21日~5月11日=九州国立博物館

<記事引用>