「一族を救った大名」清末毛利家の企画展、下関で
<写真>、、、清末毛利家の家系図
2024年2月29日、山口県下関市長府川端2丁目、大室一也撮影
長州藩の支藩、清末藩の毛利家に関する文書や大名道具など計45点を紹介する企画展「清末毛利家 毛利一族を救った知られざる大名」が下関市立歴史博物館(長府川端2丁目)で開かれている。
4月14日まで。
清末毛利家は1653(承応2)年、長府藩の毛利家から1万石を分け与えられて成立した。
清末藩の2代藩主の元平は、後継者不在だった長府毛利家を相続し、改名して6代長府藩主の匡広となった。
その10男は長府藩主を経て毛利本家を継ぎ、萩藩主に就いたことから血統は両家に受け継がれた。
展示で目を引くのは、家老の家に伝わった清末毛利家の家系図。
その一部、初代の元知から明治時代の9代当主の元忠まで見ることができる。
全長は展示部分の倍の20メートルに及び、毛利氏の祖とされる大江広元、戦国時代の毛利元就らから続く。
幼少の元知のものとされる「手習書」は、「いろはにほへと」がたどたどしくつづられている。
毛利家の家紋「一文字三星」をあしらった伝来の陣笠は、「一」の筆の入りに特徴があり、萩や長府、徳山の各毛利家の紋と区別できるという。
松田和也学芸員は「県内でもあまり知られていない清末藩について知る機会にしてほしい」と話す。
6日、10日、16日、24日の午後1時半から2時10分、松田さんの展示解説がある。
問い合わせは同館。
(大室一也)
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