キリスト教や神を拠り所にしていた人たちにニーチェは言う。永劫回帰や生きてる価値がないと言う事実に負けて無気力になるのではなく、まずその現実を直視し、自分の運命を愛せと。奴隷に生まれたのが問題ではなく、その環境に対して向き合い逆境を乗り越えていく強さが必要。神が絶対と思っていたり神に依存してしまったら、環境に支配され機械的条件反射で受動的にしか行動できない。神が意味価値をつけるのではなく、私たち一人ひとりが意味価値をつける存在。自らの意思を立て苦しいこと辛いことを受け入れてそれを乗り越えていく、超人的な生き方をしていけ。どんな汚い水でも受けてしまう海となれ。

 

 

しかしそのためには全てを手放すAll Zero化が必要になってくる。なぜなら体の自分では軟弱かつ最弱、いろんな環境に振り回され、言葉に操られ遊ばれ、常に不安恐怖恐れ不信それらの感情と隣り合わせとなる。とてもではないが体の自分で超人になることなど不可能。そのためニーチェは自分が投げた哲学に対して自分が潰れてしまった。全てをAll Zero化出来るかできないか。水に流せるか流せないか。日本と日本以外その違いは、体が自分と思ってるか思ってないかであろう。ほとんどの国が体が自分だと思っていたところ日本の侍たちは違う。彼らは、体が自分なんて思ってはいない、ポジションを真っ当すること藩のために、日本という共同体のために自分の命を燃やす。この時は個人が完成してない状態で決断覚悟、切腹や特攻などで共同体に走ってしまったが、個人完成し共同体完成した日本ならば、人類を正しい方向性に向かわせることができる。