剥がされた安倍晋三「偽善の顔」 改めて「底なし腐敗」自民とカネ

2024年5月13日 日刊ゲンダイ2面 

 

今月9日、中国新聞デジタルが報じたスクープが関係者の間でちょっとした話題となっている。2013年7月の参院選で安倍元首相が自民党公認候補者に現ナマ100万円を渡した疑いがあるというものだ。当事者である候補者が中国新聞の取材に応じ、安倍から直接、個室で100万円入りの封筒を渡されたことを生々しく証言しているのだ。このカネは政治資金収支報告書に記載がなく、いわゆる裏金。同紙は複数の元政権幹部の見方として、官房機密費から出た可能性を指摘していたが、これが話題になった理由は言うまでもない。

 安倍の偽善の面が引っ剥がされたからである。

 もともと、安倍といえば、モリ・カケ・サクラを出すまでもなく、カネに汚い政治家だった。サクラでは会計責任者が略式起訴されているうえに、安倍は国会で118回も嘘答弁を繰り返してきた。

 それなのに、安倍派の裏金問題では22年4月、安倍が「キックバックをやめろ」と言ったことが独り歩きし、あたかも安倍がマトモで、安倍の死後、還流を復活させた「5人組が悪い」みたいなイメージが出来上がりつつあった。かくて、シンパ、保守層の間では再び「安倍神話」が膨れ上がっていくのだが、これぞヘソが茶を沸かすというものだ。安倍も5人組も同じ穴のムジナ、共犯者以外のなにものでもない。中国新聞は河井克行・案里夫妻の選挙買収事件以来の地道な取材で、元首相の薄汚い素顔と自民党の腐った断面を切り取って見せてくれたのである。

 

安倍元首相は裏金をやめる気だったのか

 この報道を見た政治評論家の野上忠興氏はこう言った。

「そのカネを官房機密費から出したのだとすれば、大問題ですが、そうした感覚がマヒしているのが自民党であり、安倍元首相も同じだったということでしょう。官房機密費は国政を円滑に行うための税金であって、選挙のために使うのは不正です。しかし、自民党はお構いなしで使ってきた。ある官房長官経験者に直接聞いた話ですが、官房機密費の金庫の中には100万円の束がいくつも入っている。それを無造作に掴み取って、陣営に渡しに行く。そんなことを繰り返してきたのが自民党なんです。もちろん、安倍さんもそうした世界にいて、彼の金権体質が垣間見えたのは今回が初めてではないはずです。だから、安倍派の裏金問題が出てきたときに、安倍さんが正義を振りかざしたように報じられているのには違和感を覚えました。安倍さんが“やめよう”と言ったのだとすれば、身辺に検察の影や報道の追及を感じたからじゃないですか」

 裏金問題の真相追及では「復活の経緯」がよく問題になるが、もともと、裏金が当たり前なのが自民党なのだ。始まった経緯について、誰も語らないのもある意味当然で、最初から裏金集団みたいなものだ。だから、安倍が「ちょっと様子を見るか」と言っても、いつのまにか復活する。安倍自身が裏金まみれなのだから、周囲が配慮、遠慮するわけもない。中国新聞の報道を読むと、今度の裏金問題の真相が見えてくる。腐臭を腐臭と感じなくなった自民党の成れの果てなのである。

 

2000万円の袖の下が自民党の文化なのか

もうひとつ、裏金事件の真相といえば、月刊文芸春秋で森元首相が語ったことも“衝撃”だった。下村博文元文科相が23年7月に森を訪ね、安倍派の会長にしてくれと頼み、現金2000万円の袖の下を渡そうとしたというくだりである。森は「持って帰れ」と突き放したと語り、「正義漢」ぶっていたが、このおぞましさたるや、自民党を企業に置き換えてみるとゾッとする。実力派の元社長のところに社長候補が2000万円を持って「社長にしてくれ」と頼み込む。それを元社長が月刊誌で意気揚々と語る。下村が否定しているので真偽はとにかく、ふつうの会社であれば、「この会社、大丈夫か」という話だ。

 そんな“文化”があること自体、江戸時代か、ヤクザか、という話だが森はへっちゃら。自民党はいまだに、そんな「堅気ではない世界」に生きているからだろう。政界では100万円を「こんにゃく」、1000万円を「れんが」と呼ぶ隠語がある。昔から札束が飛び交い、今も飛び交っている。そんな連中に毎年12億円もの官房機密費の予算があり、二階元幹事長には50億円、茂木幹事長には10億円もの政策活動費があてがわれていた。原資の一部はもちろん、血税の政党交付金。ふざけるにもほどがあるというものだ。

公開基準で揉めて「やってるふり」の笑止

 そんな自民党が9日、政治資金規正法改正の与党案を明らかにした。自公が合意したもので、国会議員にも収支報告書の確認書の作成を求めたり、不記載があれば、その分を国庫に戻すとか、報告書のオンライン提出やネット公開など、いろいろ盛り込んでいたが、驚いたのは大メディアの報じ方だ。

 パーティー券購入者の公開基準で自公が折り合えなかったことや、政策活動費の使途公開方法で隔たりがあることなどを挙げて、「難航が予想される」などとしたり顔で解説しているのである。

 断っておくが、自民党というのは、首相が官房機密費をくすね、選挙で裏金として配るような盗人集団だ。そんな連中が「再発防止」や「透明性の確保」などと言い、ハシにもボーにもかからないような改正案を出してきて、「政治改革」などとほざいている。その審議に「難航」も何もない。ただの茶番劇でしかない。

 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)はこう言った。

「そもそも投票権を持たない企業・団体がなぜ、政治家に金を出すのか。限りなく賄賂に近くなっていくので、1994年の改革では政治家個人への企業・団体献金は禁止され、経団連もあっせんを見送ることになった。その代わりに導入されたのが政党交付金です。それなのに、政党や政治資金団体への企業・団体献金はそのまま残り、案の定、裏金化した。使途を公開する必要がない掴み金の政策活動費もおかしな話で、企業・団体献金と併せて廃止・禁止が当たり前なんですよ。しかし、もともと裏金で政治を回してきた自民党は今さらやめられっこない。だから、公開基準の厳格化でごまかそうとしているんです。企業・団体献金であるパーティー券の公開基準が自民党が死守しようとしている10万円超であろうと、公明党が主張する5万円超であろうと、関係ない。そんなさまつな議論は“改革やってるふり”で、そんなものに騙されてはいけません」

 前出の野上忠興氏に安倍は生前、「カネを配らなければ派閥を維持するのは50~100人が限度だ」という趣旨のことを言っていたという。志で束ねられるのは数十人で、あとは札束で引っ張ってくる、ということだ。それで総裁選を戦い、上り詰める。札束の原資は企業・団体献金だから、ますます、政治は歪んでいく。しかし、カネを集め得れば、選挙に勝てる。勝てば官軍で、またカネが集まってくる。それを裏で配って、また仲間を増やす。こうしてどんどん、政治は腐っていく。それが自民党の体質だ。だから、裏金をやめられない。裏金政治しかできない。こうした歴史の繰り返しなのである。

 それがここまで露呈した以上、彼らに政治改革を語らせること自体がナンセンスだ。岸田首相が「先頭に立つ」とか言っているのも嘘八百。よくもしらじらしく、言えたものだ。

「自民党は“解党的出直し”とか言っていますが、出直さなくていい。解党して、散り散りになるべきです」(五十嵐仁氏=前出)

 これが騙され続けてきた国民の本心なのである。