今年は映画「脳内ポイズンベリー」や「インサイドヘッド」など、心の家(マインドーム:判断基準)を可視化したような映画が相次いで上映されています。

このマインドームがどういったもので、どのように形成されるのかを過去2回の記事で観てきましたが、人間共通の要素(家の土台)を今日は見て行きたいと思います。

心の家の土台
人間は、五感覚を通して認識した物や存在があるのが当たり前だという認識を大前提として、その存在に名前を付け、その用途、機能、目的、意味を規定しています。

そして存在を比較して、自分との関係性で価値を決めます。コップであれば、飲み物を入れる器という風にとらえ、ワイングラスとコーヒーカップを比較して、ワイングラスは1,200円、コーヒーカップは800円など、ヘビやカエルではなく人間の観点からみた価値を規定します。

やがて「バカラのワイングラスは高級ワインを飲むときに使うもの」だとか「湯呑みはお茶を入れるのに使うもの」などといったお約束(約束体系)がつくられ、その約束体系を土台に「湯呑みに珈琲を入れてお客様に出すべきではない」「ワイングラスにカレーを盛るなんて信じられない」といった風に、「☆☆だったら○○すべき」という因果論を展開するようになります。

この「~~して当然」という意識がさらに強まると、それがやがて法律や道徳・秩序となり、その約束を破ると後ろめたい目で見られ、罰金を科せられるなど、より強い判断基準となって人生に影響を与えるようになります。

以上のように、
①物、存在があるのが当たり前
②存在に名前を付け、用途、機能、目的、意味を規定する
③存在を比較して、自分との関係で価値を決める
④1~3をベースにお約束(約束体系・ルール)が作られる
⑤その約束体系を土台に「○○だたら××すべき」という因果論が誕生
⑥因果論をベースに道徳・秩序・法律・理論・学問などが生まれる
⑦毎年増える多くの○×判断基準に拘束されて生きづらくなる
という流れが現代社会に共通する判断基準の構造です。

地震や地盤沈下など、土台がゆらぐと家もゆらぐように、ひとりひとりの判断基準の土台となっている法律が変わると、ビジネス上の善悪(基準)も変わります。

自分自身がどんな土台の上で活動しているのか?改めて観てみては如何でしょうか?