Dear.アニキ! | ジャンママのフレブル日記

ジャンママのフレブル日記

フレブルのボブは2016年8/3午後10:50に桃太郎は2018年9/2に2020年12/19に音姫が天国に旅立ってしまいました。今は飼育放棄のシーズーの亜矢音と鎌倉で海と山との自然に囲まれて暮らすジャンママ。そして、間質性肺炎 膠原病・リウマチ・皮膚筋炎・シェーグレン闘病記!

ジャンママです。


ジャンママの実のアニキは、

2019年9月1日

膵臓がんで亡くなりました。


アニキは、本当に優しかった流れ星


アニキは膵臓がんの前に

慢性骨髄性白血病を発症していました。


染色体異常からくるもので、2.9番の染色体に変形がある為に起こる白血病。


私も膠原病は遺伝だと思います。

アニキも私も遺伝性疾患患者です。


白血病は2017年の1月に発症し、投薬で治療しながら普通の仕事が出来ていました。

ただ、飲んでいたダサチニブはとても高ーいお薬なので医療費が凄かったです。

その時、急性か慢性か分かる時にアニキはパニックになり、私が名古屋まで急遽、新幹線に乗りマンションに行きました。


アニキは

「ごめんね!俺一人だったらヤケになって酒飲むところだった……」

と言いました。


次の日に2人で先生からの話しを聞き、とりあえずは慢性だから!と安心し、静岡の実家に報告に行きました。


親は凄いびっくりしていましたが、慢性骨髄性白血病だと知ると、とりあえずは今直ぐにどうこうという訳じゃないからと安心していました。


その年の7月に鎌倉にアニキが来た時、

「ねぇ、なんか胃のところが硬いんだけど!」

と言って私に触らせました。

ガチガチしていました。

少し痛いと言ってました。

8月後半の血液内科の診察日に血液検査であまりにもおかしい数値が出て精密検査になり入院したアニキ。


そこで、膵臓がんが発覚しました。


膵臓がん……調べても調べても、いい事などなんもない……。

手術出来ても5年後の生存率6%と書いてあるだけ……。


アニキは手術しました。

術後のQOLはとてもいいとは言えないものでした。


私はアニキがもう長く生きられない……

と悟りました。


しかし、アニキは気丈に振舞ってました。

残りの時間をとにかくやり残しが無いように。


たけのこ掘りや車で山梨まで桃狩りに親を連れて行って。

せっかく買ったレクサスのSCも


これが欲しくて買いました。

でも、ちゃんと乗ったの6回でした。


私も2回乗りました。



再発してからどんどん進みました……

その頃、アニキはもう腹水が溜まってました。

何度も抜きに行ってました。

そうするとガクッと体力が落ちます。


階段も母がお尻を押しながら上がるくらいだったそうです。


75㌔のアニキは49㌔になってました。


イライラが収まらす……私にも八つ当たりが始まりました。


とある事で喧嘩になり、8月の半ばから口も利かすLINEも返事が来なくなりました。


8/31にアニキはあまりの痛さに病院に救急で連絡し、母の車で病院に向かいました。


そのまま入院になり、次の日の9/1午前中に母からアニキが入院したと聞きました。

「もう家には帰れそうにないよ」

という母。


私は会って置こうと思っていた矢先にまた母から電話。


「お兄ちゃん、死んじゃった」


ただそれだけ……


私は呆気にとられ、喪服をトランクケースに入れて実家に帰りました。


アニキは寝ていました。


私にはまだ受け止められ無い。


ずっとそう思い生きて来ました。


しかし、アニキはもう居ない……。


毎日、欠かさずアニキの遺影にお茶とコーヒーを入れてお線香を立てている私。



香水が好きで、ビールやワインも大好きなアニキ。


ジャンママは今、少し書き物をしています。


アニキの事の心の整理です。


アニキ……。

今、どこですか?

もう痛くないね……。


ゆっくりやすんでね。


Dear.アニキ!


大切な私の宝もののアニキ。


亡くした悲しみは癒える事は無いが、てもアニキを思う。


#アニキ#膵臓がん#慢性骨髄性白血病#兄#ガンサバイバー#癌でも仕事をする社会を!