両親と暮らすということ(ドラマ・臨場) | ジャンママのフレブル日記

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フレブルのボブは2016年8/3午後10:50に桃太郎は2018年9/2に2020年12/19に音姫が天国に旅立ってしまいました。今は飼育放棄のシーズーの亜矢音と鎌倉で海と山との自然に囲まれて暮らすジャンママ。そして、間質性肺炎 膠原病・リウマチ・皮膚筋炎・シェーグレン闘病記!

ジャンママです。


ジャンママ、義理の両親と一緒に暮らしています。


義父・82歳 義母・80歳 になります。


この状態、どういうことかわかるともいますが、そろそろ介護が必要になっています。


義父は躁うつ病の持ち主で、病院には今は自分で行けないので、私が一ヶ月の様子を


みていて、それを病院に報告して、薬をもらいに行っています。


義母はペースメーカーがはいっていて、高血圧もあり、腎臓が片方しかありません。


そのような義父母を一緒に暮らしています。


私がこの家にはいって、早いもので7年になります。その間、いろいろなことがありました。


義父の躁状態のときには暴力・暴言・威嚇・・・


かわって、うつ状態の時には自殺未遂・昼夜問わず名前をよばれ、助けを求められたり。


去年はこちらの気がおかしくなりそうでした。


でも、この両親を放っておくことができるわけがありませんし、食事の支度もなかなか


義母もできなくなり、私が大抵はやるようになりました。


ただ、食べたいものがあれば、自分で作ったり、買って食べたりしています。


義父はそれがもうできないので、お昼にはお弁当を作ってあげて、といかくもう満腹中枢も


麻痺してきているので、満足いく量をとにかく今はお弁当につめてあげています。


夕方にはお茶の時間として、相方が用意しておやつとカフェオレを飲んで落ち着いてもらっています。


もしも、相方と私がいなかったらきっとこの家は無理だと思います。


相方だけでも無理。私だけでも無理。



今日の「臨場」をみましたか???


きっと最後まで


「自分の家で幸せなころを最後の最後には思い出しながら死にたかった」


と言うことだと思います。


さびしい・・・


じぶんの子供にも看取られないさびしさ・・・


きっと私たちは両親を看取ります。


そんなにめちゃくちゃ先の話ではありません。年齢的にいっても・・・


そんなときに、タダ単に、今日の「臨場」じゃないですけど、遺言書をみて、


ヘルパーで子供以上に親身になってくれている人に、少しでも気持ちお金を上げたいと思うのは


心理としてありだと思います。



「なんでこの人にお金なんてあげなきゃいけないのよ!」



と、親にもかかわらす、10日に一回しか電話しかしないで、訪れもせず、


調子も聞かず、本心では面倒だな・・・


とか思って人間に「遺産のこと」で、死んでまでとやかく言われたくないと思いますよね。



一緒に暮らさなきゃ、親の面倒を見たことがない人に、とやかく言われたくないですよ・・・


はっきりいって・・・・


毎日毎日、決まった時間にご飯がなければいけない老人の食事・・・


わかりますか?栄養を考えて、老人のカロリーにあわせた食事内容をつくり・・・。


夜だって、いつ病院に運ぶかわからない状態になるときもあるので、義母の調子を


みながらお酒をひかえることもあります。車で運べないですから。


救急車に一緒に乗ったら運ばれた病院によってはタクシー代も大変ですし、


何度も入院の支度でかえってくることもあり、車がないといけないですから。


下で暮らす義父母の足音、物音にはすこぶる敏感です。


もしも倒れたりした場合・・・と、あまりにも大きな音だったりすると、夜中でも見に行きます。


それが一緒に暮らすということです。


老人になれば話もくどくなるし、同じことを何度も話します。


それでも聞いてあげるのが大事なんです。


それができもしないで、親子ってなんでしょうね???


実家には一週間に一回は必ず電話していますし、今、実の両親の病気の状態も把握しています。


いざと言うときにはどうするかはまた兄と話をしますが、私がみるのかもな・・・とも


思っています。それが運命なら・・・



親を大事にできないで、遺産ばかりを目当てにしていい顔してるやつが私には


腹のそこからムカつきますし・・・。


一緒に暮らして、どれだけ子供を思っていたか・・・を聞き、相方を産んでくれたことを


ありがたく思い、やさしさのかけらでもいい、口が悪くても、心がある行動ができないのなら


うそっぱちの上っ面ですよ・・・


本当に子供に


「ただの金箱だ」


とみられている親のさびしさを知ってほしいと思います。