ロベール・ブレッソン著『シネマトグラフ覚書 映画監督のノート』(1987年 筑摩書房) をパラパラと読み返す。約22年間、ブレッソンが書き続けた思惑が綴られているのだが、何度読み返しても心地良い感覚。
演技経験皆無の、最早、たまたま目の前を歩いていた人に「ちょっと君」といった具合で話しかけ、「こんなシーンがあるんだけど、ちょっとそこに立ってみてよ」
というようなもの。
そして彼は“映画”として映画を撮っていない。いつでも“シネマトグラフ”=活動写真として、スクリーンに存在する。
静かに、そして静かに、だが確実に衝撃を与えながら…そんなブレッソンの映画は観ていて私は不安になる。あまりにも静寂すぎる世界で、音(自然音、生活音以外)を徹底的に排除するためだ。
『ジャンヌ・ダルク裁判』(1962年)のラスト・シークエンス、つまり、ジャンヌが火刑に罰せられるため、足枷を引きずりながら火刑台へ向かうまでのシークエンス。ザッザッザッ………と足枷を引きずる音が耳にこびりつく。あまりの緊張感に思わず吐き気を催すほどだ。
だから本書を読んでいても、ブレッソンはやっぱり徹底的に音を排除したいんだろうなということがわかる。