私が愛して病まないロベール・ブレッソンの『白夜』(1971)が、35mmフィルムでの上映が日本で最後のため、ユーロスペースに足を運んだ。土曜日も渋谷で月曜の夕方も渋谷…と最近は渋谷尽くし。
丁度、今年のゼミ誌はブレッソンの『ラルジャン』をテーマに執筆しようと思っていたため、なんてタイムリー。しかし…うちの某教授より、「35mmフィルムは日本で最終上映なので行ってね。ブレッソン特有の夜のパリの街のきらめく光を味わえ」とのメールが来たため、これは行かねば…と恐らくゼミ生みんなが思ったことだろう…。とのことで、テーマが被ったら嫌だなぁ…なんてちょっと思ったり。
丁度、今年のゼミ誌はブレッソンの『ラルジャン』をテーマに執筆しようと思っていたため、なんてタイムリー。しかし…うちの某教授より、「35mmフィルムは日本で最終上映なので行ってね。ブレッソン特有の夜のパリの街のきらめく光を味わえ」とのメールが来たため、これは行かねば…と恐らくゼミ生みんなが思ったことだろう…。とのことで、テーマが被ったら嫌だなぁ…なんてちょっと思ったり。
そんなこんなで恐らく1年ぶりの『白夜』。ブレッソン幻の傑作…と名高いが、その名の通り夜の艶めきが恐ろしすぎるくらい美しい。DVDで鑑賞したのとはやはり訳が違った。冒頭でジャック(ギョーム・デ・フォレ)がヒッチハイクをしているその“手”。思わず停車する車。降りるジャック。建物を出たり入ったりするジャックとマルト。絡める手。車のヘッドライトがゆらゆらと光る夜のパリ。全てのショット、シーンに一切の無駄がない。台詞の徹底なまでの省略。これが本当にブレッソンは素晴らしい。ドストエフスキー原作の映画が多いが、文学では表現に限界のある、映像だけでしか表現できない“艶”のある映像に酔いしれる。ラストシークエンスでマルトが忘れられない恋人とともに去って行ってしまうシーンはもうずるいとしか言いようがないし、しかしやはり許せて、どこか幻のだったかのように消えていってしまうような感覚は、彼(ジャック)の録音したテープの音声そのものが表現していると思う。彼の3階のアトリエに突如現れた星空の中の一つだったのかもしれない。
あと、やっぱりフィルム上映は最高だった。パチパチ…と映像に少しビビが入ったような音がするのが観ていて心地いい。
ドストエフスキーで読了したものといえば『にせ利札』『やさしい女』の二作品だけ。もっと読まないとな…と。
モデルをモデルとしてしか扱わないその不自然さは、職業俳優、素人関係なしに、オブジェとして動かしている、演劇の延長戦の映画を嫌うブレッソンの現れ。しかし私は好きだ。小津とブレッソン…と同等にされるように、彼は不自然に見える動きをただオブジェ、モデルとして扱っている芸術家に過ぎないのだと熟思う。